僕と彼女と新天地へ そのいち
僕らが村に滞在をはじめてから、数日が経過していた。
その間、僕らはヒンメル氏と値段交渉をしたり、村の復興を手伝ったり、村の防備を整えたりしていた。
その結果、ゴコの村は"防火"の印が刻まれた真新しい家が立ち並んだり、道に面する側には堀が作られたり、消火活動や生活用水の確保に便利なように村の中央にまで引き込む水路が出来上がったりしている。
水路は、その深さも幅もさほど広くはなく、仮に落ちたとしても濡れるだけである。しかし暗がりで落ちるとあぶないことには変わりないので、水を汲むスペース以外には橋をかけてある。
水路は川から水車によって汲み上げられた水が常に循環しており、その流れの先は村入口の堀に繋がっている。
堀からは、村の畑の方へと水路がさらに伸び、最後には元の川に流れ出るように作ったため、周囲の環境変化は考えなくても大丈夫だ。
堀と村の敷地の間には、石と粘土を加工した防壁が築かれている。これは村側から堀に誤って転落するのを防ぐためと、堀を越えての侵入をさらに困難にするための仕組みだ。
防壁とはいえ高さは腰より少し高いくらいまでしかないため、防壁の上から矢を射かけることくらいはできよう。
また、水路へと水を運ぶ水車は、例の荷馬車の応用で回転の力を魔力に変換し、"浄化"の魔術が常に水に掛かるようになっている。
水車の隣に建設した水車小屋まで動力を届けるようにしたので、臼で粉を挽く作業も勝手にやってくれるようになっている。
堀と村の入口を繋ぐ部分には、これまた橋が架けられている。これは跳ね橋になっており、村の内側からなら大人5人がかりくらいで綱をひくことで、跳ね橋の上げ下げはできる。
しかしそれでは大変なので、水路の動力を跳ね橋の上げ下げに使えるようにもしてある。
蛮族の襲来があった場合は、この跳ね橋をあげてしまいさえすれば、掘り越えるか川岸向かいから回り込むか、または山側から村に入るしかなくなる。
いずれも馬は使えないので、奇襲や略奪の成功率は大幅に下がるだろう。
大雨などで川が増水した際などは、水車の回転数が一定を越えた時点で水の流入を防ぐ防護壁が勝手に降りるようになっている。
防護壁の撤去は手動でやる必要があるが、大雨のたびに水車を止めに行かないといけないみたいなことはない。大雨のときの川のあたりは危ないしね。
それまでは毎朝川べりまで水を汲みに降りて、水が満載された器を持って岩場を登る作業が発生していたらしく、年間何人か転倒して怪我をしていたらしい。
そういった作業に従事していた村の女性陣からは大いに喜ばれた。
なぜこんな大掛かりな改修が入ったのか。
それというのもゴコ村に居着いてくれるよう、村娘・村人の服をもらったり、毎晩のように宴会が催されたり、エリナ嬢がことあるごとに寄ってきてはシャロンに追い返されたり、あの手この手で引き止められた僕ら。
少なくとも例の蛮族の問題が片付くまではどこにも居着く気のなかった僕が、その代わりにと作った水車だったのだが、かえってその有用性を示してしまった感が強い。
例のごとく、いつものように。作り始めたら楽しくなってしまい、止まらなかったのだ。
そんなこんなで、今日も今日とて僕は村のこどもたちが水路できゃっきゃと遊ぶさまを横目に、水車が破損した時用の予備部品を作っている。
すると、その僕の様子を見つけたのであろう、美青年がやってきた。暇なのだろうか、このイケメンは。
「2日ぶりに村に来てみたら、跳ね橋が出来上がっていて驚いたよ。
オスカーの仕業だということはすぐにわかったがね」
「そりゃどーも」
カイマンはふぁさっと髪をかき上げるお決まりの動作をすると、やれやれといったように肩を竦めた。
「ゴコ村はたいして栄えているわけじゃない。いや、本音を言うと辺境の片田舎だよ。
そんなところに城下町もかくやという跳ね橋を2、3日かそこいらで作ってしまうのだから、いやはや。
驚きを通り越して、もはや呆れるしかないね」
「そんなもんなのか。あれの制作時間は3時間くらいだけど」
むしろ水車や村の水路のほうに時間がかかったので、合計で2日間の日中を丸々使ったくらいである。
地崩れしないよう、粘土なんかで縁取りをしたり。大雨のときにも増水しないよう、水位が上がってくると川への排出を増やす機構をつくったり。いろいろと手のかかる部分があったのだ。
"全知"のバックアップのおかげで、こと僕にとって設計違いということは一度も起こっていない。実に楽しかった。
あ、さすがにマイペースなカイマンもあまりのことに固まってしまった。目が点になっている。貴重なイケメンの阿呆ヅラだが、嬉しさはとくにない。
「オスカー。きみ、実は他国の宮仕えだったりしていないよな?」
「は? いや僕はそこらにいる普通の村人だけど?」
「そうかーー。
聞くところによると、ここよりずっと南にある王国の、十三騎士と呼ばれる人々は変人揃いらしい。
君なら十分適正がありそうだよ」
僕の小粋な村人トークは完全に無視して、カイマンは僕を変人認定してくる。僕としても、この美青年は変人じゃないだろうかと思う。
「そんな自称普通の村人たるきみに、リーズナル男爵ーーといってもわたしの父上殿だがね。救いの主として是非お招きしたいと招待状を預かってきたんだ」
そう言い、ばちこんとウィンクを決めつつ懐から封蝋の施された見事な封書を流れるような所作で取り出した。なんて無駄な動作の多い男であろうか。
「あら、リーズナルさん、こんにちは。
オスカーさまにご用事かなっ?」
「ああ、エリナか。大怪我をしたと聞いていたけれど、もう平気なのかい。
ーーこらこら、レディがそんな格好で男の前に出るものではないよ」
僕とカイマンのわりとどうでもいい(と僕は思っている)やりとりに割り込んできたのは、村の子どもたちと一緒になって水路で水遊びに興じていたエリナ嬢だ。
ほんの数日前には蛮族に連れ去られそうになり、シャロンに助け出されてからも生死の境を彷徨っていた彼女だったが、大怪我の痕跡もほぼなく、もはや元気溌剌といったふうだった。
実はまだ、背中から腰にかけてはいくつか傷が残っていたりする。命にかかわるレベルのものは速やかに"治癒"で治したが、"治癒"は術者の魔力だけでなくそれを受ける側にも体力があったほうが良い。無理に"治癒"を掛け続けると寿命を縮めることになるということを"全知"から教わったため、急がなくて良いものに関しては自然治癒や、数日に分けて"治癒"を行ってきたのだ。
それも、今日あたりですべて終わる見込みとなっている。
さて、そんなふうにカイマンに咎められたエリナ嬢だが、たしかに男の、というより年若い少女が人前に出るような格好ではない。
白を基調とした服装から、健康的に日焼けした素肌が覗いており、髪は動きやすいように一つにまとめられている。
水遊びに興じていただけあり、服のあちこちが濡れており、そのつつましやかな胸元の下着が若干透けて見える状態になってしまっている。
まだ日は高いとはいえ、そろそろ秋も終わりが見え始める季節である、ぶっちゃけ僕なんかはもう肌寒いのだが。子どもは元気なものだ。
「この寒いのに、水遊びとかよくやるよ」
もっと幼い子たちは、川へ近付くことを普段から禁じられているようだった。岩場は危ないしね。
だから村の中に水路という遊び場ができたことにはしゃぎまわってしまうのも理解できるところだ。
だがエリナ嬢に関しては毎朝の水汲みなんかで川にはよく行っていたらしい。水路が物珍しいということかな。
「オスカーさま、にぶちんっ!
シャロンさまもまだ手を出されたことがないと嘆いてたから、これはチャンスありかと思ったけど、そんなもんじゃなくほんとににぶちんっ!
なんでもわかるよ、みたいな目をしてるのになんにもわかってないっ」
うがーっと唸り声を上げつつ、頭を抱えてエリナ嬢が騒ぐ。
毎夜治療が終わったあとシャロンと何かしらわちゃわちゃやっているようなので仲は良さそうなのだが、二人からにぶちんと罵られることが増えた気がしてならない。
では何と言えばよかったというのか。寒そう、ではなく肌が出せるくらいまで回復したことを喜ぶべきだったのだろうか。
あまり無神経にズケズケと傷の話をしないくらいの気遣いは僕にだってあるのだ。そこはちゃんと評価してもらいたい。
子どもとはいえ、そこは女の子である。女心は複雑怪奇なのだ。
「うがー。
なびくどころか気にすらされないなんてっ……。
もしかしてオスカーさま、女の子に興味ないタイプ?
はっ。そういえばリーズナルさんと今だって仲良く話をしてたし、お姫様抱っこされてたって噂も。オスカーさまってもしかしてそういう……あぁっ、だめよエリナ! 気をしっかり持つのっ」
「エリナ。
君が何を思い悩んでいるのかはわからないが、友と語らうのは自然なことだろう?」
いつ誰と誰が友になったというのか。
美青年は気付くとグイグイ距離を詰めてきたかと思うと、がっしりと肩を組んできた。なんなら顔が近い。イケメンに許されたなんかそういう距離無しスキルのようなやつなんだろう。世間様が許しても、僕は許さんぞ。
「カイマン、邪魔、ちょっと。いま水車の予備部品作ってるから、こら。邪魔だっつの」
エリナ嬢は手で顔を覆ってしまい、しかしそれでいてバッチリと指の間からこちらをぎらぎらと見ている茶色い瞳と目が合うし、あわわとかはわわとか言っているし、カイマンを引き離す役には立ってくれなさそうである。
「お前、僕の邪魔するために来たんじゃないんだろう。
なんだっけ、招待がどうとか」
「ああ、そうだとも。
どこまで話したかな。
しかしオスカー、勘違いしないでほしい。友とのスキンシップも大事な目的のひとつだ」
「あのへんに手頃な木材があるからそれに対してやっててくれ。なんなら人型に加工してやろうか」
大仰に、鷹揚に、さぁ私の胸に飛び込んでおいで的ポーズで朗々と語るカイマンは、僕の冷たい反応にもさしたるダメージを受けたふうでもない。わりかし打たれ強い系の男である。
カイマンはエリナ嬢の乱入でいったん引っ込めていた招待状を再度スイッと胸元から取り出すと、僕に手渡して来た。
「いちおう、父上殿はこのあたり一帯の領主でもある。
多くはないだろうが、ある程度の褒賞は出るだろう。
私も道中の護衛につく。もっとも、君たちのほうがよほど強いのは知っているのだけれどね」
そりゃまあ、ペイルベア2頭を瞬殺したり、10人からの蛮族を2人で退けた僕とシャロンの何を護衛するのか、という思いがあるのは当然だろう。
彼は知らないことだが、彼らと会う前にもオークを12頭ほど殲滅したりしているのだ。
もっとも、べつにカイマンが不要だというわけではない。現地の地理に明るい者がいるというのは、無駄な工程が省けていい。
いや、まあシャロンならどこになんの建物があるかがわかるだろうし、建物内に招かれるのも招待状があれば問題はないか。うん。カイマン、お前はとくに不要である。
「オスカーさま、行っちゃうの……?」
不安げにぽつりと零したのは、そのやりとりを眺めていたエリナ嬢だ。
僕とシャロンが出て行くことは、あらかじめわかっていたはずのことだった。
しかし、村の復興を手伝うという僕の申し出により、こんなに早く村を去るとは思っていなかったであろうことも窺い知れる。
これはエリナ嬢だけでなく、他の村人たちに関しても、一様に同じような反応なのだった。
村の復興はだいたい完了し、焼けてしまった家屋も新しく建った。
家財に関してはどうにもならないが、それは村人たちでなんとかしてもらうほかない。
他には水路や堀、水車、堀への転落防止および侵入阻止のための防壁など、再襲撃の対策も行った。
いまシャロンがかかりきりになっているヒンメル夫人の案件が済めば、僕らがこの村に逗留し続ける意味はもうほとんどないのだった。
一度大きく頷いたかと思うと、エリナ嬢はぐっと胸の前で両手を握りしめて気合いを入れるポーズをする。
「あのっ。ええとね、オスカーさま。
オスカーさまが望むなら、わたしっ。あのね。
きっとオスカーさまのためならお父さんもお母さんも強く言えないと思うの。
だから、わたしも一緒に、あの。そのぅ……」
一大決心! みたいな表情をしたり、直後にぐんにょりしたり、エリナ嬢はなかなか器用な少女だ。
その百面相を見ているのも、美青年の顔を眺めるのに比べてなかなかに面白かった。
しかし、それよりも。
「どうかしたのか、オスカー」
僕ががばっと顔を起こして後ろへ向き直ったのを怪訝に思ったのだろう、カイマンが再び側に寄ってくる。
また蛮族が襲撃をかけてきたかと警戒しているのだろう。
しかし、その警戒の必要はない。
なぜなら、いま"探索"にかかったのは、こちらに向けて歩み寄ってくる僕のパートナーなのだから。
僕が気づいたことに、彼女も気づいたのだろう。
わりと遠いが、ぶんぶんと手を振っているのが見て取れる。
艶のある金の髪が、昼の日差しを浴びて煌めいていた。
僕もふりふりとシャロンに手を振り返す。
シャロンがやってきただけだということを察したカイマンが、警戒をといてやれやれと肩を竦めているのが視界の端に映ったが、気にしない。
「わかってたことだけど。
かなわないなぁ、やっぱり」
くしゃっと顔を歪めて。
作りかけの水車の部品だけが、ひとりつぶやくエリナ = アスガムの声を受け止めていた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
もうそろそろ、第二章の本筋に入っていきます。
新キャラも出て来ますので、今後ともよろしくお願いします!




