僕の怒り
ちょっと荒れます。
R15耐性が少し必要かもしれません。
村の端にまで到達すると、その喧騒は。
阿鼻叫喚は。
狂気は。
村中を包んでいた。
僕はシャロンの背中からおろしてもらい、様子を確認する。燃えている家屋に、逃げ惑う人々。そして、ーーそれを追う者。
まずは家屋の火を消してまわるべきかとも思ったが、どうも状況がおかしい。
「シャロン、できる限り村人を助けて。
負傷者がいたら僕が治すから運んで来て」
「はい。行きます!」
短く応じると、金の閃光となって村の中心へと消えるシャロン。
"肉体強化"状態の彼女ならば、並大抵のことで窮地に陥ることはないだろう。
頼もしいパートナーの姿に頷くと、僕は村の内部に歩を進めた。
村に入ると喧噪の真っただ中であり、そこここから怨嗟とも悲鳴とも付かぬ声が響き渡る。
「誰か、誰か……」「エリナが、私のこどもが攫われたの!!」「たすけて、せめて……この人だけでも」
魔物の反応が無いのも当然だった。
相手は人間、それも悪意を持った者たち。蛮族である。
ああ。ああ。そっくりじゃないか。
僕は一度、これを味わったことがある。
その結果は故郷を喪うという、惨憺たるものだった。
そうだ。僕はあのときもこうやって、死に逝く村人数人と会っている。
記憶が朧げで、はっきり思い出そうとしても霧が掛かったようになって上手くいかない。
あの時の僕に力があれば。という思いはいつまでも引きずっている。
しかし、少なくとも今の僕には何かを為すだけの力があるのだ。
そう。たとえば、今まさに死に逝かんとする村人を凶刃から救い出す、だとか。
「げははははは! 死んじまいなぁああ!!」
下卑た笑いを撒き散らし、倒れ臥す村人に躍り掛かる男。
村人のほうは足を斬りつけられたようで、踠きながらもどこかへ這いずろうとしている。
そんな様子に蛮族の男は、持っている剣を振り上げ、心底楽しくてたまらないという満面の狂気が張り付いた相貌を隠そうともしていない。
そして。僕の接近にも、全く気付いた様子はない。
「"打ち据えろ"」
どすどすどすっ
そこいらに落ちていた硬貨サイズ程度の小石が、鈍い音を立てて蛮族の、腹に背中に直撃する。
"念動"魔術は、さほど破壊力をもつものではない。
しかし"全知"による当たりどころの補正と、無尽蔵にも思える僕の魔力のもとでは十分な威力を持つ一撃となるのだ。
「ぐ、ぶぇ」
喜色満面といった様子で、今まさに凶刃を突き立てんとしていた蛮族は、情けない声を漏らして地に沈んだ。
殺しはしない。だが、動くことはできないだろう。
ただの蛮族の襲撃にしては、組織立った動きである。その素性を確かめる必要がある。
ことが終われば村人たちに処分を任せても良いし、犯罪奴隷として冒険者組合に引き渡しても良い。
一瞬で蛮族の男を無力化した僕に、今まさに命を失う寸前だった男は、目を白黒させた。
しかし、すぐに復帰しこちらに這いずって、その手をのばしてくる。
「あなたは……ぐっ、この際、誰でも……構わない。
妻を、こどもを……たのむ、助けて、」
足を貫かれてなお、こちらにずりずりと這いより見ず知らずの僕に嘆願する村人の必死な様子に、僕はかつての無力さを重ねて噛み締める。
僕がシャロンと出会うことができて、力を手に入れたのは本当に偶々だ。だからこそ無力感が自身を苛む感覚をよく知っている。
そしてその村人の必死な姿は。自らの傷も返りみずに家族を心配するその姿は。自身の両親を重ねてみてしまっても仕方のないことだろう。
《テナン = アスガム》は、見ず知らずの僕に、その希望を託す。
「あんたの傷も浅くはない。
すぐ戻ってくるから」
血を止めるだけの"治癒"を軽く施し、アスガム氏に応じる。
その間にも"探知"によって生き物の気配を探っている。
果たして、アスガム氏の指差す方に生体の反応を見つけたので、そちらに向けて一直線に進むことにする。
向かう先々から、男の、女の、あるいは子供の悲鳴が響き渡ってくる。
ようやく火の手が上がる家屋のすぐ脇に、人間が二人いるのを確認し、駆けつけると。
一人は、衣服を裂かれ、腹部には大きな血だまりを作り、内臓が少し溢れてしまっている虚ろな目をした女性。
もう一人は、今まさにその女性から剣を引き抜く粗暴な男であった。
「チッ、抵抗しやがるから」
吐き捨てる男に、先ほどと同じように石つぶてを放つ。
ギィン!!
甲高い音を立て、剣を弾き飛ばされた男に、追撃する小石が奇麗な弧を描いて飛来し、肩甲骨に、肋骨に突き刺さっていく。
「うッ……! クソッたれ野郎がァ」
捨て台詞を残し、よろよろと後退していく男には目もくれない。
虚ろな目で腹の傷口から血を吐きだし続ける女性に急ぎ駆け寄り、抱き寄せる。
力なく、ぐったりと肢体を投げ出す女性は、呼吸をしていない。
しかし、"全知"はまだその女性の命が失われてしまったわけではないことを見抜いていた。
一秒ごとに、命が失われていく感覚。
それは、目の前で僕を庇った母のようであり、あの結界内での僕自身のようであり。
無力感を噛みしめるしかなかった、あの苦味が再び去来する。
そして、ここにいる僕は。
あのときの無力な僕では、ない。
「"死んでいないなら治せるはずだ"」
最初から全力で、"治癒"魔術を発動する。
躊躇っていては間に合わなくなる。
全力の"治癒"に注ぎ込む魔力量は膨大なものである。
そして、必要となるのは、なにも魔力の量だけではない。
患部の正しい理解と、高い集中力の両者を少しでも欠けば、今目の前にいる人物は帰らぬ人となるだろう。
"全知"のバックアップを受け、外傷部分は完全に理解できるのが、かなりの強みとなる。
内臓の組織の一片、血管の一本までも、丁寧に、そして速く、繋ぎ止めていくのだ。
"探知"やその他の魔術に回している魔力も、他に割ける精神的な余力も皆無だ。
そのため、いまこの時点での僕を狙えば、簡単に討取ることだできるだろう。
そのことに怯えがないわけではない。しかし、それに恐怖しているだけの脳のリソースが無駄だ。
治せ、治せ。無駄なことを考える余裕があるのなら、もっと早く、もっと正確に。
剣で貫くのは一瞬でも、こと治すとなるとそうはいかない。
奪うしかできない蛮族と違い、僕の真骨頂はきっと、創ることだ。
"倉庫"を、"車輪"を、創ることだってできたのだ。肉体をその通りに戻す事が、できないなんてはずはない。
皮膚を修復。
脳に酸素を。
心臓に活力を。
動け、動けーー。
"全知"の知識や観測を総動員し、それでもなお襲ってくる不安と焦り。
汗の雫が眼鏡を伝って落ちる。がりがりと自分の内から魔力が削り取られ、指先を介して紫の光となり、患部へと注ぎ込まれていく。
暑い、たまらなく暑い。
まわりで家が燃えているのだから、暑いのは当たり前である。
しかし、そんなことにさえ気を回している余裕なんてなかった。
このときは運も僕の味方をしたのか、処置中に蛮族に襲われたりすることはなかった。
襲われていれば、この女性の命は、下手をすると僕自身も終わりを迎えていたところだ。
ようやく運が向いてきたといったところだろう。今までが不運続きすぎて素直に自分の運を信用できないが。
やがて処置が終わり、緊張の面持ちで見守る僕。
女性の、破られた服はひとまず"接合"でひっつけただけの状態である。
極度の集中により何時間も経過したような気分でいるが、実際の時間としては処置を始めてから数分も経っていないだろう。
"全知"を総動員、かつ魔力消費量の大きい"治癒"を精密かつ全力で行ったため、いかに大きな魔力貯蔵を持つとは言え、頭がふらふらする。
ともすると、"シャロン酔い"の影響もあるかもしれないが。
そして。
「ゴふっ……かっ、げほげほ」
虚ろだった瞳に徐々に光を取り戻した女性は、大きく咳き込んで口内に溜まった血を吐き出した。
涙目で口元をぬぐいながらあたりを見渡している。
状況がよくわからないのだろう。死の淵からすんでのところで引きもどされたのだ。無理からぬことだろう。
その様を見届けてから僕も、ふらつく体でふんばりつつ、さらなる魔術を発動する。
ようやく辺りが燃え盛っていることを思い出したためだ。暑いし。
「"降雨"」
無詠唱は目立つだろうし、というだけが理由の適当な詠唱である。しかし、その効果は絶大だ。
それは、局地的な豪雨。雨雲もなく、僕の頭上から斜めに放たれる無数の水の雫。
小さな水のつぶては、今尚燃え盛る家や納屋から火の手をかき消していく。
周囲を水浸しにしたのち、"降雨"の高度を上げ、村全域に水を振りまくよう操作していく。
これで遠からず火の手は消えるだろう。
僕の貯蔵魔力量にはまだ余裕があるが、一度に使いすぎた影響だろうか。ずきずきと頭痛がする。
「あの……あなたは、一体」
両腕で胸元を隠し、掠れた声で助けた女性が問うてくる。
その声には多分に恐れや、怯えのようなものを含んでいる。
蛮族に襲われ、死にかけて、さらにいま目の前にいるのは見知らぬ男である僕だ。
叫び声をあげないだけでも、十分に冷静だと言えるだろう。叫び声をあげられるほどの体力が残っていないというのもあるだろうが。
たしかに。
僕は一体、彼女らにとって何者なのだろう。
死に頻する人を癒し、天候をさえ操る魔術師。
以前の僕が聞いたなら、お伽話だと笑うだろう。
髪も変な色になっているし、服だってぼろぼろだ。
カイマンに警戒されたのも記憶に新しい。
仕方がないので、苦笑いをひとつ。
「さぁ。なんなんだろうな」
キョトンとする女性。それはそうだろう。胡散臭いもの。胡散臭さしかないもの。
しかし、のんびりもしていられない。他にも傷ついている村民はいるのだし、逃げた蛮族どもも捕まえておかなければいけないのだから。
そうして踵を返す僕の足が、何かを蹴飛ばした。
蹴飛ばされたそれは、がしゃっと金属質な音を立てて地面を滑る。
訝しんで確かめてみると、先ほど石つぶてをぶつけてノした蛮族が付けていた装備品のようであった。
それは、どこかで見覚えのある汚らしい赤に染められた鉄板である。
殊更にズキンと痛む頭に、僕は顔を顰める。そして遺留品はもうひとつあった。
どくどくと、心臓から送られる血潮の音が煩いくらいに、僕の感覚は研ぎ澄まされており、その感覚は一点に注がれていた。
もうひとつの遺留品。それは、安物の剣だ。
なぜ安物だとわかるのか。"全知"による知識ではない。それは、かつての持ち主がそう言っていたから。
ズキン、ズキン
鍔の一部が欠けた、見慣れた安物の剣。震える手で、その剣を拾い上げる。
どくどくどく。ズキズキズキ。
おぼつかない指先で、剣の握りに巻かれた革を取り去っていく。
そこに何かがあるのを知っているかのように。いや、事実、知っているのだ。
"全知"が僕の考えを肯定する情報を提示してきている。だからこれは、確認作業ですらない。
そもそも、"全知"で視るまでもなく、その剣はよく見識ったものなのだから。
まるで木の棒か何かになってしまったかのように、僕の指先の動きは緩慢だ。
先ほどの"治癒"で全力を使い果たしてしまったからか。それとも、握りに掘られたソレを確認するのを厭ってのことだろうか。
思い通りに動かない手を、意味も無いのに必死で動かし、その剣の握りを剥いでいく。
口のなかはカラカラで。肺は正しく空気を送ってくれていないのではなかろうか、ひどく息苦しい。
ズキン。
ひときわ強い頭の痛みに再び顔を顰めたのと、剣の握り、その地肌部分が顕になったのは同時であった。
そこには、拙く、しかも消えかけた、だが見間違えのない文字が彫り込んである。
『おず わるど』
その拙い字を、見間違うはずがない。
だってそれは。かつての僕が彫ったものだから。
僕の父、オズワルド = ハウレルの。お守りの剣に彫った、ものだったのだから。
これが意味するところは。
この村を襲ったのは、僕らを襲ったやつらの一味、もしくはやつらから武器を供与される関係にある。
そいつらは、村に平気で火を放つ。
平気で村人を殺す。
そうしておいて何故か、冒険者組合や、地方を治める貴族からの粛清を受けていない。
僕を苛む頭痛は収まる気配をみせない。
だから? それが何?
「ころす」
掠れた声が漏れる。
それは僕自身の口から漏れ出たはずなのに、どこか他人が発したような無機質な声だった。
今の僕には力がある。
あの頃なかった力がある。
『殺しはしないが』だと? 否だ。
数刻前の自分はどうかしていた。
情報を聞き出すだとか、犯罪奴隷として従事させるだとか。断じて否だ。
情報なら"全知"で取ればいい。犯罪奴隷にするどころか、生かしておく方が害悪だ。
かつての自分は、何を甘いことを言っていたのだろう。
大きな力を手に入れ、慢心していたのだろう?
相手は蛮族だ。それも、殺しを躊躇わないタイプの。
そんなやつら、殺した方が良いに決まっているじゃないか。
ふらりふらりと村の中心部へ向けて歩を進める。さほど広くない村だ。
この辺りでも村周辺全域の探知くらい、できるだろう。
"探索"。
込める魔力は先ほどまでの倍以上。
効率的に屑を潰すには、村全体を審らかにする必要がある。
先ほどまでの全力の治癒だけでは飽き足らず、すぐにまた多量の魔力を行使する僕に、身体が抗議の悲鳴をあげてくる。しかし、そんなものは今は要らない。知ったことではない。
魔力の使い過ぎだけの問題ではない。"探索"を深い精度で、かつ広い範囲で行使しようとするのは、脳にかなりの負担が掛かる。やってみてわかった。人間の脳は、村中で起きていることを同時に認識できるようになっていない。
しかし、そんなことも些事である。なぜならその甲斐あって、獲物を見つけたのだから。
ご丁寧に、僕から向かうまでもなく、こちらに向けて手に手に武器を構え、奇襲の機を伺っているクソ野郎どもが3人、索敵に引っかかる。
さっき逃がした奴もいるな。好都合だ。
《あの野郎、俺の剣を奪いやがった》
向けられる粗野な思念に、僕はさらに怒りを高める。
俺の剣だと? これはお前らが命ごと奪った、僕の父の剣だ。
奴らは、先ほど僕が消火した家陰に隠れるようにして、こちらに弓で狙いをつけようとしているようだった。その間、18m34cm。
もうあと数メートルでも近づけば、すぐにでも射ってくるだろう。
「"剥離"」
相手の指が弓を引き絞るよりも、遥かに早く。
使い慣れた魔術を躊躇い無く放つ。
「ゔぁあぁああああ!?」「なッ、どうしーーゔぉおァああ」「ぐぎッァアァ!?」
叫び方は三者三様。
手の爪、目の神経なんかを魔力任せに引き千切ったためだ。
本来、いくら熟達していると言っても"剥離"の魔術にそんな力はない。
生き物には、強弱こそあれ魔力に対抗する性質ーー抗魔力と呼ばれるーーが備わっているためで、外部からの魔力による干渉は弱められたり、効力をなくしたりする。
この抗魔力は相手の精神状態、とくに相手自身が練っている魔力の多寡に依存する。
抵抗の意思がない場合や、そもそも意識がない場合は直接の魔力干渉も効きやすくなる。相手の同意を得ての"肉体強化"や"治癒"の魔術が効果を発揮できるのは、そういうわけだ。
そのため、攻撃系の魔術はそのまま魔力をぶつけたり、相手自身に魔術を直接掛けるということはあまりしない。
炎の形で投げつけたり、先ほど僕がやったように石を操作してぶつけたり。
間にいずれかの物理現象を挟んだほうが、消費する魔力に対して効率的にダメージを与えられるのだ。
そう。効率を度外視するだけの魔力があれば。
抗魔力を以ってしても対抗できないだけの魔力の量をぶち込めば。
その限りではない、ということに他ならない。
「せめてもっと綺麗に哭けよ。どのみち殺すけど」
クソ野郎どもに向かって歩き出した僕を止める者はいない。
辺りを満たすのは、ただただ汚らしい悲鳴のみ。
「"剥離"、あー。うっさいな。"剥離"」
歩みを進めながらも、追撃の手はゆるめない。
だって勝手に死ぬ前に殺さなきゃ。
黙れと言っているのに、汚い悲鳴は止まらない。
それどころか、ごぶごぶと、あるいはごぼごぼと。
輪を掛けて汚らしい血を撒き散らす声まで上げ始める始末だった。
黙ることすらできないとは。やはり、死んだほうがいい。
呻き声を上げる肉袋みっつの前に辿り着いたところ、ちょうどいい具合に矢が転がっている。
忘れもしない。僕の目の前を通り過ぎた矢を。父の左腕を貫く矢を。
「おいテメエら左腕どこだよ。とりあえず"念動"ておくか」
皮を、筋肉を、血管を剥がした肉体は、どこが左腕かの判別が困難であった。
矢すらまともに受けられないとか、やはり死んだほうがいい。
仕方なく、"全知"が《そのへん》と伝えてくるあたりに、ありったけ矢をぶち込んでおく。
いつしか肉袋は哭かなくなっており、あとは少し離れた位置から村人たちの悲鳴が上がっているのみだ。
他には、居ないのか?
いまなら、いくらでも殺せる気がする。
頭を貫くかのごとき頭痛は止まることがない。
しかし、魔術や感覚の冴えは、最高潮のように感じられた。
そうして、敵を求めて所在なくぶらりと立つ僕の背中に。
「オスカーさん」
声が、投げかけられた。
それは鈴の音のように、綺麗な透き通った声。痛みに埋め尽くされた頭にもスッと届く、そんなこえ。
血溜まりをぼんやり眺める主の元へ、天使が現れた。
その視線は、いつもの柔らかな微笑みではなく、険しく鋭い視線で。僕を見据えていたのだった。
キレる若者。
こどもの日に投稿する内容じゃあない気がせんでもないです。




