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僕と彼女と男たち

 森の中の、少しひらけた場所であるそこは、どうやら山道の中での休憩場所として使われている場所らしかった。


 腰掛けるのにちょうど良さそうな切り株や、馬車がすれ違ったり、もしくはしばらく馬車を止めておけそうなスペースがぽっかりと空いている。

 そこには半壊した馬車があり、その側では馬が二頭、不安げに鼻息を荒げている。


 そのような空間で、佇むシャロンに倒れ臥すペイルベア。平伏する男4人。それを見ている僕。内心ちょっと引いている。

 

 そんな僕に、シャロンに向かって平伏していた4人のうちの1人、《カイマン = リーズナル》が、棘のある感じの言葉を放っきた。


「それで、君は何者なんだ?

 我らの天使様とどういった関係だ?」


 ウェーブがかった色艶の良い茶髪に、切れ長の目。高い鼻に整った白い歯。

 いわゆる『イケメンです!』という風情の男である。

 どうやら4人のうち代表格であるようで、突然現れてシャロンと話し始めた僕に突っかかって来たのだった。


 ちなみに、"全知"情報により、名前と、《変な髪の色をした、冴えない表情かつ顔色の悪い、服の前面をやぶいて胸板を見せいい気になっている危ない感じの奇妙な男》だと僕のことを評価していることがわかっており、僕のげんなり具合に拍車を掛けていた。

 いや、わかるよ? 僕だってそう思うよ? いきなりこんなのが目の前にふらっと出て来たら。完全に『見ちゃいけません』案件である。

 しかし、客観的に自分がそのように評価されているのを突きつけられるというのは、あまり嬉しいものではないのも、また確かなことである。それが事実ともなれば、なおさらに。


 それにしても天使、か。

 僕が初めてシャロンに出会ったときも、そのような感想を持ったものだった。

 今でも不意に、佇んでいるシャロンが一枚の絵画のように見えることがある。

 それほどの、超然と整った完成された美なのだ。黙ってさえいれば。


「えっと」


 どう答えたものだろう。

 人に名を尋ねる際は、まず自分から名乗れと突っぱねることも可能ではある。


 どうやらカイマンを含め、あともう2人も剣やプレートメイルを装備しており、騎士というほどの格ではないとは思うが、冒険者か何かだろう。

 彼らは、いざこざを避けるためにも礼儀を重んじるタイプのものも多い。

 もっとも、僕が会ったことのある冒険者が、両親含めそのようなタイプだっただけで、決して粗野粗暴なものがいないというわけではないのだが。


 しかし、名を尋ねたところで聞く前から知っているところではあるし、敢えて反感を買うこともないんじゃないか、という気もする。

 いやいやそれでもいきなりナメてかかられるのもな……。


 即答しない僕の様子に、カイマンは明らかにイライラとした様子である。

 内心も毒づいているのが伝わってくるが、イケメンである故か、それともシャロンの前だからか、ぐっと言葉を飲み込んでいる。


 僕の沈黙に対して、自分に説明させる気だと解釈したのか、シャロンが言葉を引き継いだ。

 そして、大暴投をかました。


「そのお方は、私の主人であらせられます」


 シャロンとしては、主とかご主人様という言い回しより、主人ということで自分を夫人の立場であると誤認させようという狙いがあったのだろう。

 "全知"越しに《シャロンちゃんてへペロモード》なのが伝わってくる。

 しかし、どうやら今回それは悪手だったようだ。


 男たちの目付きが、より剣呑なものになる。


「まさかとは思うがーー獣人や犯罪奴隷以外の奴隷は重罪である旨、知らぬわけではないだろうな?」


 いきなりすごい飛躍である。

 隣ではシャロンが《まあ確かに私はオスカーさんの愛の奴隷ですが》とか考えているのが伝わってくるが、さすがに口にしないだけの良識を発揮してくれている。


「純朴な女神様を罠に嵌めて手中におさめている、などということはないとは思いたい。

 だが、心して答えてもらおう」


 背中の剣に手を伸ばしつつ、カイマンは言う。

 威圧のつもりだろうか。


 その行動に対し、スッとシャロンの目が細められる。

 あ、これ抜こうとしたらその瞬間にやる気だ。養豚場の豚でも見るかのような冷たい目だ。


 イケメンがいきなりそのような行動に移ってしまうほど、ペイルベアとの戦いは熾烈を極め、命の危機を感じ、危機を脱した今なお昂ぶりを抑えられないような精神状態なのだろう。

 さらに、僕の容姿が、それに拍車をかけるほど半端なく胡散臭いのであろう。ここまで「えっと」しか発言していないというのもあるし。


「その子は僕のパートナーだ。断じて奴隷なんかじゃない。

 カイマン = リーズナル。君たちのそれ以上の行動は、僕とその子に対する敵対と受け取る」


 僕の返答に合わせ、『わたし、こわい!』みたいな表情をしたシャロンが僕の後ろにまわり、腕にひしっと抱きついてくる。

 ペイルベアを瞬殺した上でのその所作には、無理があると思うぞ、僕は。しかし。


「い、いえ我らが天使様を怯えさせる意図などは、決してーー!」


 カイマン = リーズナルはイケメンである、その上チョロいやつだった。


「貴様が何者かは知らん。だが、たしかに非礼だったことは詫びよう」


 名前を呼ばれたことで多少冷静になったっぽいイケメンが、剣から手を離し、詫びを入れてくる。軽やかな前言撤回である。


 僕が名前を知っていたことに関しては、どうやら冒険者として名が売れているからだ、というように解釈したらしい。

 チョロいかつご都合主義な感じだが、イケメンとは世間から、かように愛されているのだろうか。

 ちょっとむかつくぞ。


「言い訳になるが、あくどい手腕で無辜の人々、それも年若い少女を犯罪奴隷としてやりとりする外道がいるのだ。

 我々の警戒も理解していただきたい」


 警戒していたら脅しをかけてもいいのか、というとそんなことはないはずだが、結果として僕もシャロンもこの程度の相手に脅威を感じているわけではない。

 あまりゴネても面倒くさいので、許してやることにする。本来の目的は情報収集であるのだし。

 僕がそういう姿勢であれば、シャロンもやたらと過激なことはしないだろう。


「僕はオスカー、こっちはシャロン」


 僕にしがみついたままのシャロンが、ぺこりと会釈をする。

 それだけで、後ろに控えている男のうちふたりくらいが「ぐはっ」とも「がはっ」ともわからない声を発する。どうやら細かい仕草にもクリティカル判定があるらしい。シャロン、つよい子。

 シャロンは可愛いからな、その気もわからなくはない。僕のパートナーだぞ。


「そんな軽装で、いったい何をしていたんだ?」


 まだ完全に疑いを晴らしたわけではないらしいカイマンが、そんなふうに問うてくる。

 たしかに、このような鬱蒼とした森に分け入るには、僕らの装いは軽装すぎる。

 片や、サイズの合わない服を引っ掛けるように着ている僕。

 片や、珍しい真っ白なひらひらとした白衣に、内側にはカーディガン、膝が出るほどの短いスカートのシャロン。

 さらに、ふたりともほぼ手ぶらの状態である。

 客観的に見ると、たしかにかなり怪しい、というか得体が知れないと言っていいだろう。


「蛮族に襲われて、逃げたりしていたら森の中で人里の方向がわからなくなってしまって。

 どうしようかと思っていたら物音がしたから、ここに来たんだ」


 嘘は言っていない。

 シャロンも後ろでこくこくと頷いている。なんだ、喋らないキャラでいくつもりなのか。


「それに、持ち物が何もないわけじゃない。

 念のため、ここに来る前に置いて来たんだ。危ない相手だったらすぐ逃げられるように。

 ちょっと待ってて。シャロンも」


 これは完全に嘘である。

 "倉庫"から物を取り出すのは悪目立ちするので、そういうカモフラージュのためにも鞄くらいは持っておく必要がありそうだ。

 無論、鞄の中で"倉庫"と繋げ、そこから物を取り出すのだけれど。


 シャロンをここに待たせておけば、おそらく僕のほうに誰かが付いて来たりはすまい。

 予測通り、カイマン含め全員がその場に取り残されたシャロンの様子をチラチラと伺うので忙しいようだ。実にチョロい。


 僕は、自分が出て来たあたりの藪から2,3歩奥に入り、がさがさと「さも荷物を拾っている風」を装い、"倉庫"から鞄を取り出す。

 これは、研究所内ではシャロンが持っていてくれたもので、非常食や水などが入れっぱなしになっている。


 僕が鞄を携えてもどると、さささっとシャロンが僕の陰に戻ってくる。


 男たちは「カイマンがあんまり脅かすから、シャロンちゃんが怖がってるじゃないか」「おまっ、シャロン様になんて馴れ馴れしい」「し、仕方ないだろう、あのような純朴なお方がひどい目にあって良いものか」「しかしもっとやりようが……」などなど、こそこそと相談をしている。

 もっとも、"全知"を持つ僕や、驚異的な知覚を持つシャロンにとってその内容はまる聞こえであった。


 こほん。

 カイマン = リーズナルが咳払いをする。その場の仕切り直しをしたいのだろう。


「改めてこちらも自己紹介をしておこう。

 私はカイマン = リーズナル。リーズナル家の次男であり、冒険者をしている。

 今回は荷馬車の護衛任務だったのだが、運悪く冬眠前のペイルベアと遭遇し、全滅を覚悟したところだった。

 危ないところを救っていただき、シャロン様にはいくら感謝をしてもし足りないくらいです」


 頭を下げるカイマン。

 聞いたことはないが、どうやら貴族の者らしい。地方を治めている貴族なのだろうか。そもそも、ここはどの国のどこらへんなのだろう。

 一方的に名前を知られていることはさほど珍しいことでもないのか、さきほどの僕の警告でも大きく驚くところではなかったらしい。

 また、命の恩人とはいえ、誰ともわからない相手に対して貴族の者が頭を下げるというのは、かなり珍しいことだと言える。


 貴族は民の生活を保証し、民は貴族を守るというのは、至極当たり前のこととされている。

 仮に命を救われたとしても、それを当然のこととして捉えるため、このように自ら頭を下げることなどは本来ありえないことなのだ。

 カイマン自身が、そういった義に厚い人物なのかというと、後ろにいる男たちのギョッとした表情を見るに、どうやら普段からのことではないらしい。

 僕に対しては若干横柄に感じる態度も、シャロンに対してはことさらに丁寧な、恭しいと言える接し方をする。


「こっちは、私のパーティメンバーであるメイソンに、クレスだ」


 カイマンによる紹介にあわせて、後ろ二人がそれぞれ軽く会釈をする。

 プレートメイルと剣を持っている、年の頃は30代くらい《36歳》の大柄な男がメイソン、弓を携え厚手の布の服を着ているのがクレスと呼ばれた青年だった。年齢は《21歳》……曖昧な表現を思い浮かべると、"全知"がちょいちょい補助をしてくるのが若干気になる。


「それで、こちらがラルシュトームさん。今回の護衛の依頼主の方だ」


 最後のひとり、ラルシュトームと呼ばれたのは、《38歳》の男性だ。

 恰幅の良い体に、派手すぎないくらいに意匠の入った、品の良い朱を基調とした服を纏っている。なかなか高価そうである。

 武器などは持っていないようだが、どうやら御者も兼ねていたようで馬用の鞭を握っている。


「ラルシュトーム = ヒンメルと申します。

 ゴコの村唯一の商人をやっとります。以後お見知り置きを」


 にこやかにこちらに手を差し出してくるヒンメル氏。

 若い相手に対しても、見下したような雰囲気を微塵も感じさせず、柔らかな物腰を保っている。まあ、その視線はチラチラとシャロンに吸い寄せられているのがバレバレなので、余裕のある大人のイメージを醸し出すことには失敗しているのだが。


 差し出された手を握り返す。

 礼節をもって接してくる相手には礼を以って返す。


「オスカー = ハウレルです。よろしく」


「シャロンです。よろしくおねがいします」


 僕の背後からちょろっと顔を覗かせたシャロンからの挨拶を受け、グッと小さくガッツポーズをとるヒンメル氏。所作はなんともお若い。


「今日はゴコの村へ運ぶための商品を仕入れにいく予定だったのです。

 しかし、ご覧の通り馬車を壊されてしまいまして。

 いえ、命が助かっただけでも十分にありがたいとは思っております。その謝礼は是非別途させてください」


 商人と言えば、利に聡く、儲け話に食いつき、もっと自身の財産を守ろうとするようなものだと思っていた。

 ヒンメル氏が取り立ててお人好しだという可能性もあるが、おそらくまだ何かあるのだろうな、と思う。


「それとは別に、不躾ではございますがひとつ依頼を受けてはもらえないでしょうか。

 馬車を失ってしまっては大きな痛手となります。

 使えそうな部品だけでも、ゴコの村に持ち帰るために、運搬を依頼させてはもらえませんか」


「ラルシュトームさん、それなら我々だってお手伝いできますよ!」


 大柄な男、メイソンが言い募るが、側にいるクレスが首を振りつつメイソンを抑える。

 カイマンも、


「メイソン、我々は護衛として雇われているんだ。無論、できる限りの運搬は手伝うが、また魔物が現れたときのために警戒はしないといけない。

 それに、ラルシュトームさんが彼らに依頼したのは、お前の状態を心配してのことだろう」


「うぐ。それは、わかっている、しかし……」


 彼はなおも食い下がろうとするが、額には玉のような汗が浮かんでおり、隣にいるクレスに支えられてなお、立っているのすら辛そうな状態だ。

 先ほどのペイルベアとの攻防で、手痛いダメージを受けたのだろうことが見て取れる。


 彼を伴って動くとなると、移動速度はかなり落ちそうである。

 ゴコの村とやらへの距離もわからない現状では、あまり歓迎できる状態ではない。


 しかし、せっかく助かった命であるし、そのまま捨ておくほどの理由もない。

 なにより、貴重な情報源である。"全知"を使って情報を引き出しても良いが、礼には礼を。僕は彼らを助けることに決めた。


「メイソンさん。とりあえず、これを飲んでもらえますか」


 僕は、肩にかけた鞄をごそごそやり、中からツルツルした透明の器《強化ペットボトル》を取り出した。中には水が少量残されており、同じく鞄から取り出したコップに全て注いだ。

 コップは、鞄の中で"倉庫"に繋げ、そこから引っ張り出したものだ。


「今の器は一体。これを飲めばいいのか? ただの水に見えるが」


 訝しがりながらも、僕からコップを受け取り一気に飲み干す。

 それにあわせて、無詠唱で"治癒"の魔術を発動すると、淡い紫色の光の帯がメイソンを包む。


「やはり、ただの水……う、うぉっ、なんだ、な、なんなんだ、これは!?

 痛みが引いていくぞ!!」


 驚きの声をあげるメイソンの、手足に刻まれた大小様々な傷も、みるみる間に塞がっていく。体の内側では、骨折していたらしい肋骨も、綺麗さっぱり治してある。


 メイソンの後ろでも、「嘘だろ」「ありえん」と三者三様の驚き顔を浮かべている。

 おそらくタネまで割れているであろうシャロンだけは涼しい顔である。"全知"情報だと、《他人にも優しいオスカーさんにシャロンうっとりモード》らしいのだが、ひとまずはスルーしておく。

 男たち四人、特にヒンメル氏の驚きようは凄まじい。


「今の効能はハイヒールポーション、いえ、それどころかメガヒールポーションにさえ。もしくはそれ以上の代物だったのでは!?」


「あー。残念ながらさっきのが最後でして、お譲りすることはできないんですが」


 牽制として、これ以上突付かれても何も出ないぞ、ということを表明しておく。

 実際にはまだ数があるし、中身は単なる水でしかないのだ。自身が希少な"治癒"魔術が使える者だと教えてしまうより、まだ面倒事は少なそうだという判断である。

 もっとも、僕のこの判断は的外れなものであり、"治癒"魔術並みの効果を得られる回復薬の希少性はさらに群を抜いていたのだった。が、この時点の僕はそれを知らない。直後に知ることとはなったが。


「いえ、いえ。滅相もございません。

 本当にメガヒールポーション以上の代物であれば、新品の馬車の1台と交換が成り立つかどうかというものですよ」


 それを聞いて青くなったのは、それをいとも簡単に飲み干した(と思っている)メイソンと、僕である。

 僕は、うわー、そんな高いものをほいっと渡す謎の人物になってしまったということか、という後悔の念からである。

 もっとも、やってしまったものはそれはそれとして仕方ないことである。

 僕は、話題を逸らすことにした。


「あー。そんな高価なものだったんですね。偶然手に入れたので、知りませんでしたよ。

 あとは、えっと馬車でしたっけ?」


「え? ええ。ええと、ポーションのお代は一体いかほどのものに……」


 ヒンメル氏の言葉に、隣のメイソンはごくりと唾を飲み込む。しかし、僕はくるりと背を向け、シャロンに向き直った。いわゆる"聞こえないフリ"である。

 代金は、この人たちでもさほど無理がない程度に支払ってもらえれば、僕としてはそれでいい。

 いくばくかの路銀が入るに越したことはないが、どちらかというとさっさと村なり街なりに行くために、障害となることを排除してしまいたかったという意味合いが強いのだ。


「シャロン、僕は馬車を何とかするから、ペイルベアの解体をお願いしてもいい?

 ほら、木に刺さったりしてるし」


「はい。お任せください」


 すたすたと歩き去るシャロンに、男たちは「お手伝いします!」「シャロン様はおやすみください!」などと声をかけ、縫いとめられた魔物のほうへ向かっていった。

 残されたのは、僕とヒンメル氏だけだ。


「私は長年、商売のやり方で馬鹿だ馬鹿だと言われ続けてきましたが……。

 いやはや。あなたも相当らしい」


 ニッと笑うヒンメル氏。

 何やら一緒くたにして罵倒された気がせんでもないが、不快な感じもなかったので良しとする。



 僕らはすたすたと半壊した馬車の方へ歩み寄る。

 二頭建てで、本来は骨組みに幌が被せてあるのであろうその馬車は、車輪はその二つがひしゃげ、荷台自体の床にも亀裂が入ってしまっている。


「せめて無事なほうの車輪だけでも持ち帰ることができれば、大助かりなのですよ。車輪は作らせるのに時間が掛かりますでな。

 馬には負傷したメイソンを乗せるつもりでしたが、おかげさまでその心配はしなくても良さそうですな。

 馬は両方無事なようですので、車輪を一つずつ運ばせるとしましょうかな」


 前後左右に合計四輪の車輪があり、うち二つが破損しているために馬車自体は捨てざるを得ないという心算のようだ。


 僕にとっては、馬車の車輪などをまじまじと観察するのは初めてのことである。

 馬車自体に乗る機会もそうあるものではなかったし、ましてやその車輪になど、注意を向けることなど今までは無かったためだ。


 じっくりと見て見ると、なるほど、ヒンメル氏の言うことも頷ける。

 車輪は、軸を中心として円形のものがただ付いていれば良い、というものではなく職人が手間暇掛けて作り上げるものなのだろう。

 それは、大きくわけて3つの部品により構成されていた。


 大地と接触し、回転する木製の外周円の部分。

 車体と繋がる軸となる部分。

 そして、外周と軸とを接続してする、支え棒となる部分である。


 支え棒は軸を中心に四本が伸びており、外周部分をがっしりと支えつつ、強度と軽量化が計られている。

 破損してしまっている車輪は、外周部分と支え棒が完全に折られていた。どういう力が加えられた結果なのか、内側からひん曲げられたかのような形で、無残な姿を晒している。

 無事な車輪を持ち帰り、同じものを職人に依頼して、時間を掛けて直す必要があるのだ。本来であれば。


「ヒンメルさん。

 数時間ほど掛かるかもしれないけど、ちょっとこの馬車をいじってもいいかな?」


「あ、ああ。

 もとより、今日はもう村に戻る他ないですしな。

 村までは3時間もあれば戻れますので、いくらかは余裕があります」


「それじゃあ。悪いようにはしないから」


 ーーできる限り、再現してみよう。

 "全知"を得てから、ないし魔力の貯蔵量や出力が膨大になってから、たいていのものを作ることができた。

 いままで力不足で諦めていたものが、いままで知識不足で実現にまで至らなかったものが、その手段と方法を一気に得たのだ。

 ある種の万能感、作ることの喜び、そういったものによって、有り体に言っていい気になってしまっていた。体は育っても、内面は14歳のときと大差がない僕だった。


 まず必要なのは木材だ。車輪の外周作成に必要だし、割れた車体や、折れ曲がってしまった幌を固定する骨組みにも使う。

 "倉庫"にも昨日の木材は仕舞ってあるが、なんでもない鞄から、それ以上の大きさの木片を取り出しまくるのはどう考えても目立つ。

 ヒンメル氏は商人とのことなので、"倉庫"の存在を知れば黙ってはいないだろう。


 僕が視線を上げた先には、ちょうど手頃な大きさの木がそびえ立っている。合掌。


「"風迅"」


 スッと右手を薙ぐ動作にあわせ、魔術を発動。


 今となっては、僕にはほとんどの魔術は"全知"によって、骨子や結果事象に至るまで、まるで視てきたかのようにイメージができる。

 そしてイメージが完全であれば、無詠唱での魔術発動も可能であり、昨日から僕はたいてい無詠唱で魔術を行使している。イメージが、詠唱のあるなしで変化しないため、魔力の消費量だって変わらない。


 それでも今、敢えて詠唱ーーといっても魔術名のみだがーーを行ったのは、無詠唱魔術は目立つから、というただ一点に尽きる。

 魔術のみに生き、その粋を極めた一握りの天才が到達する高みの一つ、それが無詠唱魔術だと聞いている。僕などが突然無詠唱でほいほいと魔術を使っていては悪目立ちもいいところなのだ。


 ほいほいと短文詠唱している段階で、「目立つのを避ける」という目論見が全然機能していないことを僕が知るのは、もう少し後のことになる。回復薬のことでもそうだが、いろいろと脇が甘いのだった。

 なので、根元にほど近い部分をスッパリと断ち切られた木がゆっくりと倒れていく様を、目を剥いて口をパクパクさせて声にならない声を上げているヒンメル氏の様子にも、気づくことはできなかったのだった。


 そのヒンメル氏も、丸太となった木がスパスパっと皮を剥がれ、成形され、乾かされ、と工程を踏むにつれて驚くのをやめた。

 いや、諦めたというのが正しいだろうか。とても優しい表情で遠くを見つめている様子は、なんとも哀愁を誘うものだった。




 そうして。できた木材を切ったり曲げたりしつつ、試行錯誤を繰り返し、それっぽい形を作ってはみたもののーー


「駄目だ、どうしても強度が足りない」


 外周と軸とを接続してする、支え棒となる部分の強度に、どうしても不安が残るのだった。

 支え棒を4本から8本に変えてみると、多少強度は増すものの、荷台に荷物を満載した状態である程度の速度で走ろうとすると、それでも自壊してしまう恐れがった。


 やはり、いくら構造がわかったところで、車輪職人同様の仕事が一朝一夕でできるわけではなかった。

 そのように理解しているつもりでも、出来なくて悔しいものは悔しいのである。


「お困りですか? シャロンをお呼びですか?」


 いつのまにか、集中していたすぐ後ろでぴょこぴょこと、シャロンが自己主張をしていた。


 振り向くと、相変わらず返り血ひとつないシャロンと、その後ろのほうには綺麗に腑分けされた肉の塊がペイルベア1体分。

 そのさらに後ろのほうでは、カイマン含めた大の男3人掛かりで、四苦八苦しながら残る1体の解体を行っていた。


 いつのまにか僕の横から消えていたヒンメル氏は、腑分けされた元ペイルベアの側で優しい微笑みを浮かべている。そっとしておこう。


「強度が足りない、ですか。

 見る限り、元々の車輪では、外周部とスポークーー支えとなる棒のことですが、この材質が違うようです。

 支えのほうは硬い木が使われています」


 なるほど。構造だけを再現してみても、うまくいかなかったわけだ。


「かといって、鉄で棒を代替するとなると重くなる上に、腐食が心配だな。

 何か良い意見はないか、シャロン」


 頼られるのが嬉しいのか、待ってましたとばかりに腰に手を当て、人差し指をぴっと自身のぷっくりとした唇に当てるシャロン。

 男たちに付いてこられていた間は随分おとなしくしていたので、ようやく心置きなく話せるといったところなのだろう。

 ヒンメル氏は心ここに在らずといった様子だし。


「はい。軽くて硬い素材が良いのであれば、アルミニウム合金などいかがでしょうか。

 研究所内の一部のものにも使われていましたが、アルミニウムを主体として、銅や亜鉛、ニッケルなどを合成することで、軽さはそのままにかなりの強度があり、腐食にも強いです」


「というと、これか」


 鞄の中で"倉庫"から取り出した、金属光沢のある板。

 叩くとカンカンと、軽く、しかしそれでいて硬い音が返ってくる。

 少量であっても木材以上の強度を持ち、曲がらず、そして何と言っても軽い。

 なるほど、これは良さそうだ。

 支え棒にのみこれを使うのであれば、大した分量もいらないだろう。


「さすがシャロン。ありがとう、これならいけそうだ」


「はい。お役に立てて、何よりです」


 白衣の裾をフサァっと靡かせ、どや顔である。

 ぐしぐしと雑な感じで頭を撫でると、髪が乱れるのも構わず頭をぐりぐりと擦り付けて、ご満悦の様子だった。


 そうだ。僕はなにを拘っていたのだろう。

 なにも、職人と同じような車輪を再現する必要はないのだ。

 僕は僕にできるやり方で、シャロンの知識や"全知"の力を借りて、目的を達せば良いのだ。


 とくに元のものを再現しないでいいとなると、いろいろと視界が開けてくる思いだ。

 "倉庫"の仕組みを作ったときのように、自由な発想で、今あるものを組み合わせてーー何かいろいろできそうな気がするぞ。


「オスカーさん、それで次は私は何をしましょう。

 お手伝いをしましょうかーーって、聞こえてなさそうですね」


 いつもは自身のパートナーがやっているような、仕方ないなぁという苦笑いをするシャロン。

 地面にがりがりと図面を書き付ける僕は当然気づくはずもなく、制作に没頭する。



 そしてそれは、シャロンが昼食用のパンとスープを持ってくるまで続くのだった。

「1話を短くします」とは何だったのか……。

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