僕と追加報酬
シヴールに到着したら、道中の報酬として馬とリジットを譲る。
『借り』を作るわけにいかないというセルシラーナ姫が言い出した事柄だ。それを耳にした面々は一様に怪訝な表情となったが、中でも混乱の度合いが大きいのはまさに張本人となる黒髪少女だろう。
「は――? え? ちょっと、どういうことですかっ!?」
「どうって、今言った通りなのですよ。シヴールに到着したら、わたくしたちの旅も戦いも終わりなのです。せっかくリジットには戦う技術があるのですから、役立てるべきでしょう?」
突然の譲渡宣言に呆気に取られて声を絞り出すリジットに、セルシラーナ姫はどこふく風で、むしろ優しく諭すような落ち着いた佇まいだ。しかしそれをすんなり承服するリジットではない。
「まだ何も終わってなんていないです! 私たちの戦いは、まだまだ始まったばかりじゃないですか!」
「むしろ打ち切りっぽさが増したような気がしますが」
「まじめな話みたいだから、そっとしといてあげて」
可憐な花の蕾のような唇にそっと自らの人差し指を添え、静かにしていることを了承したシャロンに頷きかけてから、僕は再び姫殿下に向き直る。
報酬を受け取る側となるのは僕とシャロンなのだから、口を挟むのもおかしなことじゃないだろう。
「やけに唐突な申し出だけど、なんでそんな話になるんだ? リジット本人も初耳っぽいし」
「べつに唐突というわけでもないのですよ。ハウレル様は、この子の家の話もすでに聞いておりましょう?」
「まぁ、あらましだけはな」
僕が肯定の頷きを返すと、リジットは多少苦い顔をして、相対するセルシラーナ姫はゆっくりと目を伏せた。
セルシラーナ姫の問いかけは確信的なものだった。リジット自身から、僕とどういうやりとりをしたかはすでに報告があったのだろう。
「ランディルトン家の謀略に端を発する騒動の数々は、多くの民の人生を狂わせました。無論、それを未然に防げなかったどころか、納めることができなかった王家にも同様に罪があるのですけれど……民の憎悪は『ランディルトン家』に強く向けられているとご理解いただきたいのです」
「何が言いたい?」
「つまり、リジットはこのシンドリヒト王国で幸せになるのは、困難極まるのです。いえ、普通に生きることすら簡単ではないでしょう。きっと、シヴールにもこの子を恨む者が大勢いるはずです」
「私はもう幸せなんて求めるつもり、ありません!」
「全て言わねばわかりませんか? リジット = ランディルトン。あなたが居ては、わたくしを旗頭としてシンドリヒト王国を復興するための足枷となるのです」
「ぅ……」
リジットの生家であるランディルトン家。直截的にせよ間接的にせよ、ランディルトンの名に嫌悪感を持つ者は多勢いて、それがセルシラーナ姫にとっての逆風になる。その事実を引き合いに出されては、リジットに反論する術はなかった。
「その点、ハウレル様は元々この国の者ではありませんし、リジット自身も憎からず思っているようです。それに魅力的な奥様もいらっしゃいますから、きっとリジットにひどいこともなさらないでしょう?」
「それはそうかもしれないけど。って、いや待て待て待て。それで決まりみたいな方向に持ってくな。報酬だって話なんだから、僕らの同意は必須だろ」
「――チッ。はい、もちろんなのです」
「いま舌打ちした!?」
姫様との一連の問答で、しゅーんとショゲてしまったリジットは俯いて、荷台の床に視線を落としている。自らの君主に足枷とまで言われたのだから、さもありなん。
ただ、セルシラーナ姫のほうも本気でリジットのことを疎んでいるわけではあるまい。大事に思っているからこそ、厳しいことを言って彼女を送り出そうとしているのだろう。
シンドリヒト王国再起の可能性は、政治なんてさっぱりな僕の見立てでも、皆無とは言わないまでも限りなく低い。もし選べるのならば、そんな行く末に道連れを増やすのを良しとしないはずだ。
とはいえ僕らの旅にリジットを連れて行くつもりも、また無いのだけれど。
僕らの旅の目的は、シャロンの不調を癒すことと、ついでに地揺れの原因を突き止め、できればこれを解消することだ。僕は僕の愛する者のために全力を尽くせるが、リジットにとっては関係がないのだから。
傍のシャロンは僕の視線に気付くと、やおら口を開いた。
「オスカーさん。周辺に敵性反応はありますか?」
「……いや? 特に気になったところはないな」
僕を見上げるシャロンが『敵』という単語に言及してきたので、僕は警戒を一段引き上げた。
周辺をあらためて広域の"探知"で探ってみるも、やはり馬車の進行を妨げるようなものは感じ取れない。進行上はもとより、馬車の進路上の両脇に聳える切り立った崖の上や、後方にしたって同様だ。
「やはりそうですか。――馬車を止めてください、今すぐに!」
御者台で馬を駆るローレン氏にも届くようシャロンが声を張り上げると、馬の嗎きとともに馬車は即時停止した。それと同時に、セルシラーナ姫殿下の前面をリジットが、後面へはロナが素早くカバーに入る。
しかし待てど暮らせど敵襲はない。当然だ。周囲には敵どころか他の生物の気配すら見られないのだから。
やがてローレン氏が、荷馬車の幌の中へと困惑顔をのぞかせた。
「どうかされましたかな。あいにく、こちらでは敵襲を見つけられぬのですが」
僕も彼と同意見だ。馬車内の視線が皆シャロンへと集まった。
ローレン氏だけでなく、姫殿下のカバーに入っていたリジットとロナのふたりも互いに顔を見合わせている。
「戦術提言。馬車はこの場に停止して、シヴールまで先遣部隊での安全確保を推奨します」
「敵の気配がないのに?」
「はい。気配がないからこそ、です。こちらをご覧ください」
そう言ってシャロンは、先ほどロナが遺跡の場所に印をつけた地図を示した。シャロンの指先はその中の一点を指している。
「この地点がおおまかな現在地ですね?」
「はぁ。まぁ、その通りですな」
シャロンの指した地点は、もはやシヴールの目と鼻の先の場所だ。それにローレン氏が頷いて応じる。
今まさに馬車の目の前に続いている崖下の細い一本道を辿れば、すぐにでも目的地に到達するだろう。
シヴールに向かうにはこの道を通るしかなく、着いてしまえば周囲は険しい山に囲まれている。真正面から攻める他ない自然の要塞都市だから籠城にはもってこいであり、だからこそセルシラーナ姫御一行はこの地を目指しているという話だったように思う。
シャロンは「いいですか?」と人差し指を立ててアピールしながら、周囲の面々をぐるりと見渡した。
「奇襲を仕掛けるならこの小道こそが絶好の場所であり、また最後の場所です。そんな場所でありながら、敵の影もなければ罠の形跡もないのは不自然です」
「まだ見えないくらい遠くに隠れているのでは? ハウレル殿や奥方様が敵を察知する距離も、まさか無制限というわけでもないのでしょう?」
「オスカーさんや私で感知できない範囲ということは、当然相手も射程外です。なにより、そう離れていては馬車が近くまで来たことにも気づけないでしょう」
「たまたま敵がいなかったということは考えられないのですか? ほら、わたくしたちがシヴールを目指しているということは知られていないはずなのです。もしくは、この間の襲撃で全員倒してしまっていた、とか」
ローレン氏が指摘を挟むとシャロンが否定し、また新たにセルシラーナ姫も疑問を呈する。
この間の襲撃というのはグレス大荒野で襲われたときのことだろう。襲撃者の魔道具で"探知"されていた"幻視"魔道具を置き去って以降は、ヒトからの直接的な干渉は受けていない。僕らの護衛行動はもっぱら進路上に飛び出してくる魔物相手に行われていた。
「あれだけ周到に魔道具を用意して組織的に動いていた襲撃者が、このままなりを潜めたままというのは考えづらいです。それに、お姫様方が逃げ込むに足る場所はそうそう無いのでしょう? 行き先を察知されていなかったとしても網を張っていておかしくない場所です」
「あみ? ええと――?」
「『罠をはって待ち構える』みたいな意味らしいな」
僕が注釈を入れると、リジットは「なるほどね」と顎を引いた。
「そう言われると、たしかに思いつかないわね。シヴール以上に守りやすくて、自給自足ができて、王家に友好的な勢力が戦力として残ってる場所なんて」
「シヴガキ隊のことを抜きにしても、ここに逃げ込まれてしまえば手出しが難しくなるのは、相手方にもわかっているはずです」
「ゆえに罠だ、と?」
「その可能性が排除できない、と言っています。攻略路がひとつしかなく籠城しやすいということは、退路がないということとも同義です」
「ご存知の通り、シヴールまではもうあとほんの少しなのですぞ。おふたりのお力があれば、少々の妨害など物の数ではありますまい」
シャロンの揺るぎない忠告に対して、ローレン氏が食い下がる。
身を隠すこともできないこの場所に留まるより、早くシヴールに到着してしまいたいのだろう。幾日にも渡って襲撃に備えつつ御者の任をしていたのだ。重圧から一刻も早く解放されたいという思いがあってもなんら不思議なことではなかった。
「いいえ。そのような安い挑発には乗りませんよ。
私はオスカーさんの妻であり、剣であり、盾であり、妻です。勘違いされているかもしれないので明言しておきますが、私はオスカーさん以外の方がどうなろうとあまり知ったことではありません。今回はオスカーさんに累が及ぶリスクを看過できません」
しかしここはシャロンも頑として譲らない。というか、妻って二回言ったな。
何事も無いならそれで済む話だが、もし何かあった場合に致命傷になり得る。そう判断したからこそ、彼女は珍しく強硬に主張しているのだろう。普段は残念発言のせいで忘れがちだが、戦術指南は魔導機兵としての面目躍如といったところか。
これを跳ね除けるつもりであれば、言外に『ここで護衛を降りる』と匂わせるシャロンの態度に、さしものローレン氏も二の句が継げないようだった。
「じゃあ、シャロンの薦め通り安全確保を優先するとして、だ。次の問題は誰が先遣部隊とやらになるか、だけど」
「はい。オスカーさんには馬車の守りについていただいて、私が単身で強行偵察するのが妥当かと考えます」
「悪いけどそれは却下だ。情報収集に何かあったときの連絡ってことなら、僕の方が適任だろう。姫殿下たちをまとめて守りながらとかじゃなけりゃ、いざとなったらダビッドソンで一目散に逃げてくることもできるしな」
「ですがっ」
「シャロンが僕のことを想ってくれるのと同様に、シャロンを危ない目に合わせたくないのは、僕だって同じなんだ」
「オスカーさん――」
「シャロン――」
「んん"っ……!」
「ごほん、えほん、おほん!」
至近距離から上目遣いに見つめてくる蒼い瞳に吸い込まれそうになっていると、なぜだか周囲から咳き込む声が立て続けに聞こえる。
「風邪か? その、お大事にな……?」
「ちがうわよっ! ほんっとブレないわねあなたたち」
「そうか? ありがとう」
「褒めてないわよ、これっぽっちも。はぁ。……そういうことなら、私も行くわ。シヴールに居る人たちはだいたい顔見知りだから、話が早いでしょう。さっさと行って、安全を確認しましょ」
ジト目で覗き込んでくるリジットは溜息を零しつつ、確かめるように指先を髪留めに触れさせた。
これ以上の反論は無駄と悟ったか、気をつけるように念押しをされた僕らは、報酬の話も一旦置いておいて、ダビッドソンに跨ってシヴールへの道を先行することとなった。
馬車は少しだけ戻って木立の中へとその身を隠したが、もともとが大きな馬車だ。あまり隠匿性は高くない。シャロンが守りについてくれているとはいえ、彼女も万全とはほど遠い。リジットの言う通り、さっさと安全を確認して戻ったほうが良さそうだ。
素材集めに行ったときと違い、リジットは黙りこくったままだ。突然の譲渡宣言が尾を引いているのだろう。
「王家の復興だなんだ、ってのは建前で、リジットまで巻き添えにしたくないだけだと思うぞ」
「うん……」
『わかってる』だとか『余計なお世話よ!』と言い返してくることもなく、リジットはただ元気の感じられない返事を僕の背中に零すのだ。なんとも調子が狂う。
全く会話が弾むことのないまま、リジットを後ろに乗せて切り立った崖の中を駆け抜けると、ほどなく正面に大きな門が見えてきた。
石造りの、頑丈そうなやつだ。崖の横幅いっぱいを塞ぐように、内と外とを隔てる堅牢な石の門。
「あれか?」
「ええ。――ようこそ、学術都市シヴールへ」
僕の脇腹にしっかりとしがみつきながら、同じく門を視認したらしいリジットが告げる。
シャロンの懸念を聞いた直後だからかもしれないが、僕にはその門が闇を抱えて陰鬱な空気を纏い、禍々(まがまが)しい気配を放ちながら佇む巨大な生物の顎のように感じられた。踏み入れたものを二度と逃すまいとする、得体の知れない化け物の大顎に。