僕と王家の秘宝
滅んでいた町の有様は、僕の故郷を否応なく思い出させた。
燃え落ちて今は存在しない村の、滅びゆく光景を。
町跡地でいくらかの資材を調達して、かわりに金貨を残してきた。あれでも、手向け代わりになるだろうか。
ほとんど言葉を発することなく野営地まで帰ってきてからも、僕の気が晴れることはなかった。
僕の故郷とは比べ物にならないほど建物のあったあの場所で、夥しい死者が出たことは間違いがない。さすがに町中の人間全員が死に絶えたというわけではないはずなので、どこかで無事に生きていてくれればと願わずにいられない。
しかし、住み家を奪われた人々が生きていく手段など、そう多くないのもまた事実だ。生きていくために、家族を死なせないために蛮族に身を窶す者もいるだろう。
僕の村を、家族を、全てを奪ったのは蛮族だ。アーニャたちだって、やつらにひどい目に合わされた。
蛮族にかける情けはない。
それでも幾ばくかの躊躇いを感じてしまう程には、あの地獄は凄惨を極めた。
「どうでしょうか。やはり難しいのでしょうか」
考え事をしていたせいで、難しい表情をしていたのだろう。不安げに覗き込んでくるセルシラーナ姫の言葉に、僕は顔をあげた。
気付けば、セルシラーナ姫はかなり近くで固唾を飲んで僕の動向を窺っていたようだった。彼女の臣下たちも同様で、一様に固い表情を並べている。
僕の手の中には、白っぽい四角い箱が鎮座している。シンドリヒト王家の、玉柩と呼ばれる魔道具だ。
王家以外にはほとんどその存在さえ伏せられている秘宝であり、不安になるのももっともな話だろう。
あの地獄を放ったらかしにして、自分だけ逃げ出した王族。
思うところがないと言えば嘘になる。むしろ思うところがありすぎて、ひとことで纏まらない。
蛮族に身を窶す者にそれぞれ事情があるかもしれないように、セルシラーナ姫にはセルシラーナ姫の事情がまたあるのだろうけれど。
「いや、大丈夫だ。直るよ」
僕が短く言葉を返すと、不安げな表情をいくらか柔らかくして、セルシラーナ姫は両手を祈るように握り合わせた。
――あの町の人たちも、そうやって両手を握り、祈って死んで行ったのだろうか。
すぐに地獄の光景に引き摺られそうになる思考を打ち切って、僕は再び手元に視線を落とした。
なにも問題がなければ明日にもシヴールに到着する見込みなのだ。大渓谷に逃げた半獣人の男、フィルやその仲間が道中どこかで再び仕掛けてくる可能性も捨てきれないので油断は禁物ながら、それでも2日もあればゆうに到達できるだろう。
護衛はシヴールまでの約束だから、直すと言った手前、素材も揃ったことだし手早く片付けておくに限る。
「シャロン、テンタラギウス鋼粉を1.2ミリグラムと、アルカファルフスの銀鱗を2枚ほど頼む」
「はい。アルカファルフスがわかりません、グレス大荒野にいた大っきいやつですか?」
「そうそう。砂を泳いでた、でかいやつ。まとめてそこの小瓶に入れてくれる?」
僕が指示を飛ばすと、すかさずシャロンは鞄から必要な素材を取り出した。
魔道具の調整をするとき、シャロンは専ら僕の助手のようなことをしてくれている。シャロンの手に掛かれば、精密な秤で計量したかのようにピタリと必要な量を、しかも素早く供してくれる。それが粉状の素材でもだ。
ちなみにシャロンの、このスキル(本人曰く『助手力』だそうだ)は工房にやってくる『弟子入り志願者たち』を追い払うのにも重宝している。
シャロンよりもはやく正確に素材を計量してくれるなら弟子にとるよと伝えると、大抵の者がまず目を輝かせ、そしてすぐに『どうしろというのか!』という感情を顔全面に貼り付けて退散するのが通例になっているのだ。
そりゃ、自分の目の前で鉄より固い物体を素手でスパァン! と切り飛ばし、しかもそれが少しの狂いもなく正確に指示通りの分量なのだ。それまで剣と魔術で研鑽を積んできた戦士が、突然音楽で勝負を挑まれるような、もはや次元の違う領域である。
『どうしろというのか!』という恨みがましい視線のひとつくらい、甘んじて受けるべきだろう。
それに、こんなに優秀な助手がいるからと体験込みで納得させたほうが、問答無用で門前払いするよりも話が早い。
魔道具技師や魔術師として弟子入りを企てる者であれば、合理性が伴っている者が大半なので、基本的にはこれでうまく行く。
――基本『外』では圧倒的実力と美貌を備えるシャロンの虜になり、工房に足繁く通ってはアーシャの手作りパルタを囓る者たちも少なくない数居るには居るが、まあそれはそれだ。
「あ、それとメェルゼックも2グラムお願い。鉄とクロムと1:1:6で混ぜた合金のほう」
「はい。我が命にかえても」
「重い重い」
ビシッと謎のポーズを決めつつ素材を持ってくるシャロンに苦笑で応じる。そんな僕らを見守る姫殿下一同はそれぞれ不安げな表情を残したままだが、リジットだけは魔道具調整の作業工程自体に興味もあるようで、ふんふんとしきりに頷いたりしている。
「ねえオスカー。その、ぐらむ? っていうのは何?」
「単位だよ。重さを示すものなんだってさ」
「ふーん。オスカーの国だとそんな数え方をするものなのね」
「いや、そういうわけでもない。これはシャロンが知ってた、その、なんて言うかな。ともかく別の地域のものだけど、便利だから使ってるんだ」
それまでは、というより僕らの工房以外では、秤の片側に銅貨や銀貨などを乗せて「銅貨何枚分」という具合に物の重さを計る。しかしそれだと使う銅貨によって重さが少しずつ変わってしまう。作られた場所や年によって重さがまちまちなのがその理由であり、悪質なところではわざと軽い銅貨を置いていたりもする。
その点、グラムを単位とした計量ならいつでも同じ分量の指定ができるので、僕らはもっぱらこちらを使うことにしているのだ。
「そうやって物を弄ってるときは楽しそうね、良かった。
その。酷かった、でしょうから」
リジットは、町の様子が、とは言わない。
しかし、町のあった場所を見て帰ってきてからの僕の様子を心配してくれていたらしい。
考え込んでしまうと僕はすぐ態度に出てしまうようで、シャロンからも”念話”で『膝枕しましょうか。オスカーさん。大丈夫ですか。膝枕しましょうか。ちょっと休憩しましょう。膝枕しましょう』と怒涛の勢いで膝枕推しされてしまったりもしたし、もう少し落ち着くよう心掛けなければ。
少し黙ってしまった僕を振り向いた助手が己の膝をぽんぽんと手で叩きアピールしだしたので、そっと目を逸らして再び玉柩へと意識を集中した。
今回修復する必要があるのは、玉柩の魔力伝達部だ。
玉柩表面に流し込まれた魔力が紋様として刻まれた術式を起動し、解錠のため魔力伝達部を介してさらに奥の機構へと魔力を橋渡しする。奥の機構は空間系術式によって異空間に固定されており、中継地点として伝達部が必要とされているようだ。まあこれは初見時の"全知"の見立て通りである。
玉柩に合う形状の魔力波を作り出してやると、伝達部までの経路が通る。そこから奥へは本来ならば伝達部が中継して変性する魔力まで、形を合わせて作り出してやる。そうすると、
カシャリ
小さな音を立てて、立方体だった玉柩の蓋が開いた。
玉柩は、その内側を異空間に保存しているだけのようで、容積は極めて小さい。中から姿を現したのは――
「印、でしょうか」
「みたいだな」
シャロンの見立てに頷く僕。小さな箱の中に転がっているのは、ところどころに不思議な窪みのある立方体の印のようだった。
あっさりと開いた箱に、むしろ驚愕の面持ちなのはセルシラーナ姫だ。
「え。ええ。あの。えと。ちょ、ちょっと待ってほしいのです。待って。待ってください」
「ん?」
セルシラーナ姫は言葉を探すように口をぱくぱくあわあわとさせ、それでもうまく言葉が出てこなかったらしい。
すぅはぁ、と胸に手を当て深呼吸。
大きな深呼吸によって、ローブに包まれていてもわかるほどに肩が上下する。
たっぷり三回も深呼吸を繰り返し、ようやく少しは落ち着いたようだった。
「もしかしなくても、玉柩、開いちゃってませんか?」
「そりゃ、まあ。むしろ、開けずにどうやって直すんだ」
いかに"全知"使いの魔道具技師とて、部品交換をするためにはまずその部分に手を入れられる状態にしなければ話にならない。万能の魔法使いではなく、ただの魔術師なのだから。
「いえ。いえいえ。そういうことではなくってですよ?
どうやって開けたのですかとお聞きしたいのです」
「どうって、それも見てただろうに。こう、ぱかっと」
「いいえ。オスカーさん、カシャリと、でした」
「そういうことではないのです!」
むきーっと頬を赤く膨らせながらも、セルシラーナ姫の視線は玉柩に釘付けだ。
玉柩の中身ともなればシンドリヒト王家にとっての秘中の秘。それが他国の者の手の中にある状態というのは、なるほど確かに気が休まるものではないかもしれない。
中身にはさして興味もないのでセルシラーナ姫の手の中に印らしきものを押し付けると、「わ、わわっ」と慌てながら両手で抱え込んだ。
「玉柩はシンドリヒト王家に連なる者にしか開けられないはずなのです。
いえ、それどころか壊れてしまっていたのでわたくしにも開けられなかったのですよ?
はっ。ま、まさか、ハウレル様は王家の血を引く者だったのですか!?」
「オスカーさんは私の王子様なので、あげませんよ。リジットさんにもあげません」
「べ、べつに私はオスカーのこと狙ってるわけじゃないわよっ!? オスカーも勘違いしないでよね!?」
悪ノリして事態をややこしくするシャロンに苦笑しつつ、なぜか顔を真っ赤にしているリジットにも目を向けると、あらぬ方向にぷいと目線を逸らされた。
「とんでもない勘違いをしてるとこ悪いけど、そんなんじゃない。
玉柩は、王家の者なら開けられる。要は、王家の人間の魔力波長パターンを鍵としているだけなんだ」
「それはつまり、王家の者しか開けられないのと同義では?」
それまでセルシラーナ姫のすぐ傍で険しい顔をしながら事態の推移を見守っていたローレン氏が疑問を呈する。いや、と僕は首を振り、左手で作った穴に右手の人差し指を挿し込む動作をしてみせる。
「鍵穴に合う魔力波形を流してやれば開くんだから、そのとおりに魔力を成形してやればいい」
「私には魔術の素養がないので詳しいことはわかり兼ねますが。そんなに容易いことなのですかな?」
「少なくとも、ランディルトン家の誰にもそんな芸当はできないわ。オスカーがアレなだけね」
「オスカーさんは凄いですからね!」
心底から呆れたと言わんばかりに、リジットが肩を竦めてみせる。アレとか言うな。
それに応えるシャロンは胸を張り、ローレン氏は再びむっつりと黙り込んだ。
やり始めてしまえば呆気ないもので、玉柩の修復はすぐに完了した。もとより魔力伝達部を交換するだけの作業だ。合金をはめ込み、接合して、ついでに内部構造をしっかりと”全知”で観察しておく。
魔力伝導性はいっそ過剰なほどに改善し、耐久性も従来の比ではない。同じ手入れは向こう数百年先にも必要ないだろう。まず間違いなく外側の紋様が機能を果たさなくなるほうが先であろう。
「ほい。できたぞ」
完成品をセルシラーナ姫に手渡すと、恐る恐る伸びてきた白い手が、印とともに両手でそっと魔道具を包む。
自らの胸の前に掲げ、ごくりと唾を飲んだセルシラーナ姫の緊張が、こちらにも伝わってくる。
「――いきます」
印を内側に再び納めて、セルシラーナ姫が小声で決意と共に魔力を籠める。
薄らと山吹色の光を漏らして、カシュンと小さな音と共に玉柩は元の形へと戻った。
「問題ないよな、よし次」
「反応が驚くほど軽いのですっ!? バスケットいっぱいのヒメリの実に喜んで持ち上げたら中に布で床が底上げされててしょんぼりした時の重さみたいに軽いのですっ」
姫の例え話は、わけがわからない。ヒメリの実がどうしたというのか。
――と思ったら思い当たる者たちがいたようで、ロナとリジットはお互いに目線を姫殿下からそーっと逸らす。
「何年も前のことなのに、かなり根に持っていらっしゃるようね……」
「もう、しない……」
どうやら彼女らが幼少期に仕掛けたイタズラの類だったらしい。リジットとロナはひそひそと小声で相談し、ローレン氏はやれやれとばかにに口の端を歪めてみせる。
玉柩の修理がひとまず一段落をみたことで、皆張り詰めていた気分が緩んだのだろう。
僕としてはもう義理は果たしたつもりだし、大きな反応が欲しいという要望をもらっていたわけでもないのだから、これ以上はべつに構うまい。
「シャロン、こないだ馬車で僕が組んでた試作玉柩を出してくれる?」
「はい。3つともですか?」
「いや。最初のやつだけでいいや。実際に触ってみた感じ、あれが一番良さそうだ」
「丸いやつですね。了解です。我が身命を賭して成し遂げます」
「だから重いってば」
「あれー。さらに軽く流されてる気がするのです。姫なのに……姫なのにぃ……っていうか何なのですか、試作玉柩って」
カシャリと小さな音を立てて王印とやらを玉柩に再び仕舞ったセルシラーナ姫は、反応が軽いという訴えまで軽く流されたことに若干めそりとしかけた。
しかしそれよりも『試作玉柩』という響きが気になったらしい。透き通った翠の瞳を若干怪訝そうなジトの形にして再び僕の手元を覗き込む。
「なんなのですかと言われても」
「答えてあげるが世の情け」
「ちょっと。シャロン、よくわかんない合いの手を入れないでくれ」
今日のシャロンはなんだかテンションが高めだ。
朝からリジットの真似をしてか一つ括りにしている後ろ髪をふりふり、あれこれとこまめに声を掛けてくる。
もしかしなくとも、気を使わせてしまってるよな、そりゃ。
町の様子を見て帰ってきた僕の様子は、リジットでもわかるほど沈んでいたのだから。
意識したとてすぐに切り替えることは難しいが、これ以上に心配をかけたくもない。
僕はできるだけ軽い口調で姫殿下の疑問に応じる。
「ほら、玉柩って便利そうだったからさ」
「ふふん。そうでしょうとも、そうでしょうとも! 王家に伝わる秘宝なのですからね。
なぜかハウレル様には簡単に開けられてしまいましたが、もうそこは考えないことにします」
ローブ越しでもやや主張してくる胸を張り、セルシラーナ姫は誇らしそうに玉柩を捧げ持つ。
ぷくぅと頬を膨らせたり困り顔だったり、もしくは憂い顔も多い彼女だが、今だけは完全に晴れやかだ。玉柩が壊れていたという事実は、彼女にとって大きな重圧だったのだろう。
うんうん。実にいいことをした。中身の構造も見られたことだし。
「せっかく便利な魔道具のことを知ったんだから、改良型を作ってみようかなって」
「……オスカーって、ほんとそういうとこアレよね」
笑顔のまま固まってしまったセルシラーナ姫に代わって、リジットは呆れ声を草原に吐露するのだった。