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僕と地獄と男の決意

 シンドリヒト王国には、すでに町が存在しない。


 町のあった場所について一目見たとき、それが誇張でないことがすぐにわかった。否応なく理解させられた。

 否、一目見る町はもはやなく、かわりに横たわっているのは地獄と呼ばれる類のものだったのだけれど。


「な、んだ、これ。何があったら、こんな」


 馬車で踏み入れられないという言葉に疑問を覚えながらも、それならばと昨日同様に馬車の護衛をシャロンに任せ、同行を申し出たローレン氏と共にダビッドソンに跨ってほどなく、その光景が瞼に叩きつけられた。

 ここに至るまでの田畑も、略奪の限りを尽くされて焼け落ち腐り果てた有様のまま捨て置かれていたので、嫌な予感はあった。しかし、まさかこれほどのものとは。


 元はそれなりに栄えた町だったのだろうが、揺れの影響かほとんどの建物が倒壊している。

 荒廃した土地の至るところ()えた臭いが充満し、あちらこちらに転がる(なにがし)かの骸で蠢くのは蛆ばかり。骸の主は魔物であったり、人であったりとまばらだが等しく虫の苗床となっている。

 それをさらに多種族からなる数匹の魔物がぐっちゃぐっちゃと咀嚼して、その音だけが集る蝿の羽音の中に歪な不協和音を奏でていた。


「ご理解いただけましたか。これが、この惨状が、今の我が国です」

「これじゃ、まるで」


 ダビッドソンの後部座席から発するローレン氏の言葉が頭を素通りしていく。

 幼子を抱えたまま亡くなったと思しき亡骸が啄まれる様は『まるで』どころか地獄そのものだ。そしてこの地獄は、彼らの言を信じるのであればこの町だけに留まることではないのだ。


「地獄のよう、でしょうとも。

 大規模な揺れで家屋の倒壊が相次いだ上に貨幣経済の混乱、とどめとばかりに奴隷の脱走が多発し、さらに違法薬物の蔓延。

 我が国は、もはや国家の体をなしてはおりませぬ」


 これが、リジットの言う『ランディルトン家の謀略』の結果だというならば、あまりにも被害が甚大に過ぎる。


 僕は政治には疎い。もともと辺鄙な村の出身だし、国王様とやらの治世に対して良きにしろ悪しきにしろの感慨を抱いたことも、多分無い。ひとえにそれは自分たちの生活に無関係だったからだ。

 そんな僕でさえ、内政が乱れに乱れた状態での軍部クーデターが致命傷となることくらいはわかる。


 一部の離反者による新国家樹立など早々に叩き潰されるはず、という大方の予想が裏切られたのは、それに対処する余力がもはやシンドリヒト王国には残されていなかったのだろう。

 あたかも寄生生物が宿主を食い破って産声を上げたかのように、シンドリヒト王国の壊滅と引き換えにカイラム帝国は誕生したのだ。


「こんな状態を放って、あんたらは逃げてるっていうのか」

「……そうなりますな」


 深々と嘆息混じりに零されるローレン氏の短い言葉に、いっそここで放り出してやろうかという気持ちすら芽生える。そんな投げやりな言葉で捨て置かれた人々の思いはどうなるのだ。

 彼らには彼らの生活があり、幸福があったはずだ。それを、わけもわからぬまま理不尽に奪い去られて。


 この地獄を、身を持って体験してみればいい。僕は嫌だ。絶対に嫌だ。こんな惨状を放ったらかして王族だけが逃げ出す国も、全部が全部嫌だ。


 それきりローレン氏とは言葉を交わすでもなく、咀嚼音と蟲の羽音、たまに獣同士が諍う音だけが響く中を、倒壊した建物を避けてダビッドソンは進む。パンを買い求めるどころの騒ぎではない。どちらを向いても生きているヒトの痕跡は見つけられない、ただの地獄。

 ぐちゃり、ぺちゃりと生理的嫌悪を掻き立てられる音に囲まれるように、行く当てもなく彷徨った。


 『食事』に勤しんでいる生き物たちはダビッドソンが近くを通ると警戒を強めて逃げ出したり、なかには低い唸り声を発する者もいたが、奪い合うように躯を貪ることに忙しいらしく、積極的にこちらへ危害を加えに来る者は居ない。

 

 そうしてたどり着いたのは、まだ辛うじて原形を留めているひときわ大きな建物だ。その建物はこの町で何らかの信仰を集めていたものらしく、周囲にはこれまでよりも多くの亡骸が折り重なるように崩折れ、その多くが食い破られている。


 信仰や祈りは、ここに集まった人を救ってくれたのだろうか。せめて、最期は安らかに在れたのだろうか。


「グルルルルァァアアアア!!」

「ルルルァアアアアアッ!!」


 ゆっくりと感傷に浸る間も与えられず、僕らを出迎えたのは敵意剥き出しの魔物の群れだ。

 屍肉を貪る顔を上げて遠巻きにこちらを睨みつける魔物の大歓声。黒くどろりと汚れた血と臓物が撒き散らされ、嫌悪感が先に立つ。

 魔物の方も生きるためにやっていることで、僕にどうこう言われたくもないだろうが、同様に僕だって生きるために力を振るう。


「仕掛けてくるようですな」

「わかってるよ」


 動きを止めたダビッドソンに跨がる僕らに向かって跳び掛かって来るのは、声をあげたのと反対方向に位置する薄汚れた魔物だ。音も立てずに崩れた建物の影からするりと回り込み、絶好の奇襲チャンス、そう判断したのだろう。だが、無駄だ。


 バキンッ!


「ルルァァア!!?」


 しかしダビッドソンには探知術式が編まれた魔道具を新しく搭載しており、さらに氷結術式が連動する仕掛けとなっていて、奇襲はある程度無効化される。シャロンのように離れた位置から超スピードで遠隔攻撃を仕掛けてくるならいざ知らず、接近戦で遅れは取らない。

 忍び寄ってきていた魔物の数は二匹。四ツ足で、大の大人ほどの大きさを誇る、灰色の異形。片方がダビッドソンから射出された氷結術式を受けて右前足を凍てつかせている。


 攻撃を仕掛けようとする瞬間が最も無防備になりやすい。それが奇襲ともなればなおのことだ。それを察知されただけでなく間髪入れずに反撃されたことで、魔物たちは僅かに、しかし確実に怯んだ。

 それは一瞬の空白、硬直を生み、そんな隙を見逃してやる道理もない。


 バツン! バツン!


 狙い違わず脳へと至る血管を"剥離"された四ツ足の魔物は二連続で鋭い音を響かせる。真紫の燐光が、血飛沫と共にパッと舞い散った。


「ク、カッ!?」

「ルルァッ……」


 ピンポイントで致命傷を受けた二匹の魔物は飛びかかろうと身構えた姿勢のまま、崩れた建物の床にズルリと滑り落ち、四つん這いのままビクリと震えて絶命する。


「お見事」


 うるせえ。


 ダビッドソンの後部座席から投げられる淡々とした声は無視して、残る魔物を睥睨する。

 奇襲を躱されたどころか瞬殺された仲間の有様を見てやや戦意を挫かれたのか、それとも混乱の最中にあるのか。慌てふためく視線が事態を把握しようと右往左往して、低く唸り声をあげる魔物たち。


 こちらを取り囲むようにじりじりと輪を狭めてくる魔物を前に、虚しさだけが募る。

 こんな、誰を救えるわけでもない場所で、なぜ僕は戦うのだろう。そりゃ襲い掛かられればこちらも生きるために力を振るうさ。しかしそれでも積極的に奴らを殺し尽くすような理由はないのだ。

 いくらかの素材は取れるかもしれないが、それだけだ。


 それでも、ここで屍肉を貪って増えた魔物は、きっとまた人を襲う。また世の不条理に泣く人が出る。そのことを嫌うならば。僕が奴らを殺し尽くすしかない。


 シャロンの駆使するスキルのひとつ、"威圧"。それを魔力で再現して叩き付ける。

 突然発生した瀑布直下に叩き付けられたかのような重圧(プレッシャー)に抗う術もなく地面に縫い付けられた魔物たちは、空気が軋む幻聴でも聞いているのだろうか。


 バツン!


 鋭い音が何度も響き、居合わせた魔物たちはすべて、先に飛びかかって来た二匹の後を追うこととなった。

 あとに残されたのは僕らと、絶命した魔物の群れ、食い散らかされた骸の数々。あとは狂喜乱舞する蝿くらいのものか。


 それらを静かに見つめ、首を振る。

 感傷に浸ったところで、無意味だ。もうすでに命は失われている。

 僕にできることは、ない。なにも、なかった。


「ハウレル殿」


 せめて、素材くらいは無駄にしないでやろう、と四ツ足の魔物の毛皮や牙、爪なんかを淡々と"剥離"して素材袋に詰め込む僕に、ダビッドソンの傍らに立つローレン氏から静かな声が掛けられる。

 僕は返事もせず、視線も投げることはなかったけれど、一瞬動きを止めたことで声は届いていると判断されたのだろう。彼はゆっくりと言葉を続けた。


「ハウレル殿、あなたは国家とは誰のために存在するものだとお考えですかな」

「さぁな。少なくともあんたらの国は、ここに住んでた人たちのためのものじゃなかったんだろう」


 ハンと鼻を鳴らして吐き捨てる。

 怒るかとも思ったけれど、壮年の男の反応はただ静かに首を振るだけに留まった。


 これだけの人が亡くなった場において、よくそんな平静な態度が取れるものだ。それとも、ここに来るまでの間に『地獄を見慣れてしまって』いるのかもしれなかったが。


「あなたには力がおありです」

「あんたには無いってか」

「残念ながら」


 ローレン氏は諦観の滲む声を吐き出して、倒壊した建物をただ眺め続けている。表情は動かない。


「力がないなら、筋トレでもすればいい。バーベルスクワットってやつがおすすめらしいぞ」 


 僕の発言を冗談と受け取ったのか、深い皺が刻まれた相貌が苦笑の形に僅かに歪んだ。こちらはわりと本気で言っているのだが。


「すでに死に体であろうとも、この国は多くの民が生きた、そしてこれからも生きる地です。これ以上の災厄が降り注ぐ前に、決断せねばならない」

「は? 決断? 何のことを言ってるんだ、いったい」


 これ以上の災厄だと?

 ローレン氏が、半ば自らに言い聞かせるように呟いた言葉を聞き届けるのは、無数の蠅と蛆のほかには僕だけだ。


 "全知"越しに読み取れる男の思いは『平和への願い』。ロナをはじめ、後の世代がちゃんと生きていけるようにという切なる願い。なのに、なぜこうも悲壮感にも似た決意を抱いている?


「ハウレル殿。私は。国家とは、その地に生ける者のためのものだと、そう考えます。

 王も、民も、すべての人は国家のために生きて、国家のために死ぬ。国家もまた、人のために生きて、死ぬのだと」


 この男もまた、現状を憂いている。どうにかしたいと足掻いている。

 すでに涙も、地獄を見て揺れる感情さえ摩耗しきってしまっても、それだけは嘘じゃない。


 ――その憂いが、嘆きが、悲壮な決意が、また新たな地獄を生んだと僕が知るのは、ここからちょうど1日ほど後のことになる。


ラブコメなのに、なぜか定期的に人里がひどいめに遭います……

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