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僕と徒党の朝

 静かに横になるシャロンを起こさないように手早く上着を羽織り、柄だけの形態の紫剣を携えて天幕を出ると、朝靄にけぶる平原には先客がいた。


 少女は正眼に構えた棒を振る。華麗であり、苛烈さも兼ね備えた動きだ。

 一挙手一投足、隅々まで意識が張り巡らせられて洗練されたものなのであろうことが、近寄らずとも見て取れる。それでいて余計な力を微塵も感じさせず、少女は舞い踊るように腕を振るった。

 少女にとってそれは何度も何度も繰り返してきた動きのようで、なんというか。そう、無駄がないのだ。


 やがて眺めている僕に気付いたようで、さして驚いた様子もなく少女は剣舞をやめて、静かにこちらに向き直る。けっこう激しく動いていたようだが、息が乱れている様子すら見られない。


「おはよう。早いのね、オスカー。それとも起こしてしまったかしら」

「いや。そっちこそ早いんだな。もう疲れは残ってないのか?」

「そっちって? 誰のこと?」

「おいおい」


 少女は首をかしげて嘯くが、僕らのほかには誰もいない。

 見張りをローレン氏から引き継いで、やることもないから鍛練をしていたのだろう。


「おはよう、リジット」

「ええ。おはよう、オスカー」


 汗の光る黒髪が、朝靄に煌めいた。


 挨拶も早々に、僕の方も日課となっている鍛練を開始する。

 このところ朝は途中からアーニャとの組手になるのだが、あいにくと旅立ってからは罠を相手とするのみだ。 


 氷塊を射出する魔道罠を迎撃し、剣を振るう。

 そんなこちらを先ほどのお返しとばかりに、じぃー……っと見つめてくる黒い瞳。

 見られて困る技術というわけではない。ないけれど――


「見られてると、遣りづらいんだけど」

「あら。もしかしてオスカーは敵の魔物にも『やりにくいから見ないでー』って頼むのかしら」

「はは。それもそうだ」


 随分と可憐なくせに皮肉っぽい魔物がいたものだ。そんなふうに息を吐きつつ、射出される氷球を紫剣で迎撃し続ける。大きな音が響かないように"結界"を張った中で暴れているだけなので、リジットにまで氷が飛ぶことはないだろう。


 何が面白いのか、リジットはそれからもしばらく僕の鍛練する姿を観察していたようだったが、ややあってふたたび口を開く。


「うん、やっぱり」


 躱し切れない氷柱と氷球を”剥離”でまとめて削り飛ばし、タイミングを遅らせて射出されたものを剣の先端で軌道を変える。射出される氷はどんどんその数を増やしているので、日課とはいえさほど余裕があるわけでもない。


「オスカーから見て左側の、腕より下を対処したあとに常に少し重心が流れているわ。それを立て直すために腿に力が入って、次の反応が遅れるのよ」

「は? なん、だって? っとぉわ!?」

「いいから。3、2、そこ! わかる? 反応が遅れたあとは片足で踏ん張って、少範囲に魔術をばら撒いて仕切りなおす癖があるみたいね」


 リジットの言葉の意味を考えている間に目前に迫った氷柱を叩き落し、動きが乱れてもう一度"剥離"で対処しようとした寸前に、そんな見立てを語られ、息をのむ。ばらばらと細かく砕かれた氷が朝靄を吸い込んで、きらめきを纏ってはらりはらりと舞い落ちていった。


「オスカーが馬鹿げた強さを持つ魔術師でも――いえ、魔剣士なのかしら。ほんと、オスカーってば何が専門なのか、わかったもんじゃないわね。

 ともかく。どんなに強力でも、隙がないわけじゃないわ」


 今まさに、僕の行動パターンの一部を読まれたところだ。ピンと背筋を伸ばしてこちらを見据えるリジットの言い分には確かな信憑性がある。読まれ得るということは、一番弱い部分に攻撃を集中することが可能という意味でもあるだろう。


 指摘された場所を意識しすぎていたせいか普段よりもぎくしゃくとした動きになってしまい、捌き切れなかった氷柱がわき腹を薄く掠めていく。生じた僅かな痛みに、僕は目を(すが)めた。


「オスカーの剣はお父さんから教わったもの、なのよね?」

「ああ。剣術みたいな高尚なもんじゃなく、剣の振り方、くらいのもの、だけどな! っと。

 父さんは、どっちかっていうと、弱い冒険者だった、みたいだしっ!」

「今のオスカーを形作る拠り所のひとつなのでしょう? それはちゃんと大事にすべきだわ。基本の動きが悪いわけではないもの。ただ、隙になる部分は直していかないとね」


 リジットは弟を見守る面倒見の良い姉のような風情を醸し出してのたまうが、そんなのが簡単にできれば苦労はない。


 "全知"でカイマンの剣術を真似てみたこともあるが、それはどこまで行っても物真似でしかなく、『なぜ』そういう構えをとるのかといった合理性なんかはわからず終いだった。

 あの美青年(イケメン)野郎は賢さと馬鹿さを兼ね備えているので、案外『かっこいいから』みたいな理由かもしれず、なおのこと始末が悪い。本人にそれを直接言ったらきょとんとした顔で『かっこいいとかっこよくない、選べるならかっこいいものだろう?』などと至極当然のように返されそうですらある。

 脳内再現された会話ですら若干ウザい。カイマン、おそるべし。


「オスカーには強力な魔術があるから必要性は薄いかもしれないけれど、魔術を使わないほうがいい場面だってあるはずよ。それに、剣術を知っておくと相手の剣の隙も読みやすくもなるわ。さっき私がしてみせたみたいにね」

「そりゃ、悪い癖があるっていうのなら直しておきたいさ。でも独学じゃ限度があってな。

 それにリジットの言う通り、護衛で剣振りをするのが本業ってわけでもない」


 いい加減集中が乱されて危険だったのもあり魔道罠への魔力注入を中断し、氷が周囲に散らないように展開していた"結界"も同様に解除すると、新鮮で暖かな空気が体に沁み込んでくる。氷を扱っているため、"結界"内はそれなりに寒いのだ。激しく動き回ることもあってさほど気になることもないが。


「それともなにか、リジットが僕に剣術を教えてくれるのか?」


 滴り落ちる汗を拭う布を寄越すリジットに片手で応じて、少女を正面から見つめ返す。

 彼女は一瞬きょとんとした顔をして、


「ええ、当り前じゃない。なんのために私がいると思ってるのよ」


 そんなことを、のたまった。


 冗談半分で口にしたことをさも当然であるかのように肯定され、むしろ僕のほうが面食らう。


「なんのためって、そりゃ――セルシラーナ姫の護衛のためだろ」

「それは大前提の話よ!

 でも護衛の必要ない、今みたいな時間にオスカーに剣を教えるくらい、大した手間でもないわ。助けてもらいっぱなしってのも気に食わないし」

「お前な――もし仮に僕が裏切ったらどうするつもりだよ。みすみす敵を強くするようなものだろ」

「え……? うらぎる、の?」


 呆れた僕の返事にすぐ至近距離のリジットの方がびくんと震えた。黒い瞳が不安をいっぱいに宿して僕を見上げる。


 汗のにじむシャツを頼りなくつままれ、「あー……」と僕は天を仰いだ。リジットは、こと『裏切り』に関して多大な弱点を抱えている。それをつい昨日、心の痛みに耐えながら独白されたところではないか。


 だからというのもあるが、なぜこうも親身にしてくるのかがいまいち判然としない。そりゃお互いに弱みを知り合った仲だし、ギスギスしているよりは仲良くしようとしてくれるほうが護衛しやすい。それでもある程度の警戒は払われてしかるべきだろうし、なんていうか若干調子が狂う。


 だというのに、リジットは口を引き結び、捨てられた子犬のような頼りなげな目線で、うるうるとこちらの様子を窺ってくる。なんでだ。僕が悪いのか、この空気。


「いや、裏切らないけどさ。もしもの話だよ」

「うぅー……もう、もうもうもうっ! びっくりしたじゃない! それに私、『お前』なんて呼ばれる謂れはありませんー、ちゃーんと『リジット』って名前がありますぅー」


 つままれていたシャツを離し、かわりに力の微塵も込められていない拳でぽかぽかと何度も軽く殴りつけてくる、シヴールの誇る最優のひとりの《騎士》様。

 

 彼女をよく知る者が見れば、『気心の知れた相手にじゃれついているだけだ』とかそういう機微がわかるのかもしれないけれど、あいにく出会って数日の僕にはそこらへんの判断がつかない。ただ、この少女が最優とは、現在向かっている学術都市シヴールとやらは本当に大丈夫なところなのか? と若干なり不安要素が加算される。


「呼び方に拘って精神年齢がひとまわり幼くなるの、なんなんだよ」

「うるさい、うるさいうるさいっ! さ、もう休憩は十分よね。さっさとはじめるわよ!

 まずは構えの微調整からね。オスカーのは対魔物と対人のが一緒くたになっちゃってるみたいだから、そこからなんとかしていきましょう。ほら、構えてみて」


 そのままなし崩し的に、剣の鍛練が始められた。

 ときに剣を振る形をひたすら反復して、ときに打ち合いを交えて。


「そうそう、その調子。次はもうちょっと速くするわよっ!」

「ッ!」

「――ほら、また振り抜いたあとに左腕が引けてない。重心もちょっと高くなってるわ」

「んなこと、言われてもなっ!?」


 "肉体強化"の魔術にも頼らず剣を振っていると、すぐに腕がだるくなってくる。型などは二の次に、力だけで振り回していた部分の弊害だとリジットは言う。


 へとへとになって上がらなくなった腕は"治癒"で治させて再び剣を握らせるという鬼教官ぶりを発揮しながらも、少女はどこか楽しそうだった。"治癒"魔術が使えるなんて教えるんじゃなかった、とか思いつつも存外僕自身も楽しんでいたかもしれない。


 リジットいわく『大した手間でもない』剣術指南は、日が昇るまで付きっ切りで行われ、天幕から出てきたシャロンがちょうど至近距離で見つめあう形になっていた僕らに「あーっ!!」と大声を放つまで続けられた。


「なるほどなのです。それでご夫人が『ああ』なのですね」

「まあ、うん。そんなところだ」


 昨夜と同じように簡易な食卓を囲みながら、セルシラーナ姫殿下はやや癖になりつつある苦笑いをひとつ落とした。

 『ああ』と評されたシャロンはといえば、昨日までリジットがそうしていたように後ろ髪を一本で束ね、じとーっとした目線をスープ皿に向けている。どうやらリジットに対抗する意図のようだった。

 シャロンの替えの下着を僕の両腕に全部巻き付けようとしてきたのは断固拒否したところ、「リジットさんのぱんつのほうが魅力的ですか」などと大変困った不貞腐れ方をされて今に至る。


「駄目なのですよ、リジット。ハウレル様たちのザイルメリア王国と違い、シンドリヒト(うち)は一夫多妻制を認めていませんのです」

「なな、なななな。なにを仰いますやら。そんなのではありません、ありませんからっ!?」

「ええー。ほんとになのですかー?」

「本当ですっ!!」


 疲れ果て、それでも緊迫感の漂っていた初日のような空気はすっかり霧散したようで、色濃い疲労感を滲ませるローレン氏と、僕の腕を取りつつむすーっとしたままのシャロンを除いては和やかな朝食といった光景だ。


 今朝はというよりは今朝もだけれど、朝食はスープと保存がきく堅焼きのパンだ。しかしお世辞にも美味いとは言い難い堅焼きパンもこれで最後となる。パンだけに限らず、そろそろどこかの町に立ち寄らないと、足りない物資がいくつか出始めている。


 歯が欠けるんじゃないかと思うくらい固いパンを塩みの効いたスープに浸し、咀嚼する。

 ほんの3日前までは、工房でアーシャが腕を振るう彩豊かなメニューの数々だったのに、文字通りの無味乾燥な食事は存外堪えるものがある。


 『アーシャお料理めも』には『シャロンさまに心配をかけないためにも、ちゃんと毎食食べること』と小さく丸い文字でアーシャからのコメントが残されているので従っている形だが、工房での食事が恋しい思いは日に日に強まっていく。はやく帰りたいものだが、今も工房を守ってくれているであろうアーニャたちのためにも、シャロンを助ける手がかりくらいは早急に掴んでおきたいものだった。


「にしても、さすがに硬い……鎧にでもしたほうがいいんじゃないのか、このパン」


 ボヤいて柔らかくなるというわけでもないのだが、ボヤかねばやっていられないような硬さなのだ。お姫様的にもツラいのではないかと思ったりするが、


「こうして食べられるだけでも、ありがたいのです」


 当の本人は、はぐはぐと果敢に堅焼きパンに挑んでいる。


「温かい食べ物など、しばらくありつけませんでしたからな」

「地面がこれじゃあ、火を使うのなんて危なすぎるものね」


 ローレン氏までもが重苦しく頷き、リジットが湯気のたつスープ皿片手に首肯する。じと目のシャロンのほうを極力向かないようにしているためか、動きが若干ぎこちない。


「ってことは町に寄っても新しいパンを手に入れるのは望み薄かな?

 そろそろ物資も心許ないものがあるし、近くの町に寄りたいと思ってたところなんだけど。ほら、地図だとちょうど寄れそうなところに町があるし」


 リジットたちの言葉を受けて何気なく先ほど思い浮かべたことを述べてみた、ただそれだけのつもりだった。だというのに、セルシラーナ姫殿下を筆頭にそれぞれが沈痛な面持ちで、ある者は目を逸らし、ある者は項垂れる始末だ。


 その尋常でない反応にいぶかしげなものを感じ取ったのは僕だけではないらしく、シャロンも何事かと姿勢を正す。僕の左腕は依然としてしっかりと抱かれたままではあるが。


「姫様」

「ええ、ローレン。すみませんが、任せるのです」


 僕らに怪訝に思われている自覚はあったのだろう。ローレン氏は空になったスープ皿を足元に置くと、端的に説明をした。


「おそらくですが。わが国における町は、もう存在しません」


 置かれたスープ皿が、揺れる大地にせっつかれてカタカタと居づらげな音を小さく奏でた。

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