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僕と黒髪少女と心の傷 そのよん

 力が欲しいと、かつての僕は願った。

 強くならなければ。強く在らなければ。弱いままでは何も守れないと無力を噛み締めて訴えた。


 僕を守ってくれていた者はもう、誰もいない。村の大人たちも、両親たちもいない。いなくなってしまった。

 強くなる。強くならねば。そうでなければ、彼らは本当に無駄死にになってしまう。


 大切な人たちは死んだ。これはもう、覆しようのない純然たる事実として、いつまでも僕を苛む確定した事象だ。

 だから。僕にできるのは、彼らの死を無駄にしないことだけだ。無駄にして、なるものか。


 そのためにも、僕は。力が欲しいと願ったんだ。


 理不尽を蹴散らす力を。

 目に映るもの全てを守る力を。


「力が、欲しかったんだ」


 大切な人たちを見捨てて、僕は逃げた。

 無力な僕にできることは逃げるだけだ、と自らをも騙して。ただ必死に、逃げて、逃げて、逃げた。


 逃げるしかなかったと誤魔化して、向き合うことをせず、向き合うことなどできず。日常にかまけて、今のいままでずっと逃げ切れていなかった。

 だから『あのとき』に似た暗い洞窟で、逃げ切れない過去に追いつかれた。頭痛に嘔吐感に、否応なく込み上げてくる不安。これまで見ようとしてこなかっただけで、見事に覚えのある感覚じゃないか。


 ここにはシャロンがいない。ふたりならなんでもできる気がしたのに、今でも僕はひとりだとこんなにも無力だ。


「私から見たら、十分すぎるほどオスカーは強いのだけれど。いっそ腹立たしさすら感じるくらいに」

「僕が強くなったのは、ここ最近の話だ。それまでは、ただの無力な子供だったよ。家族が殺される中、逃げるしかなかった無力な子供だった」


 言葉こそ、拗ねたような調子のリジットだが、その声音は確認の意図が強い。


 平和だった日常は簡単に崩れ去って、無力な子供のままでいられなくなった。

 滂沱(ぼうだ)のごとく涙と吐瀉物を撒き散らし、声を枯らして世界を呪い、シャロンと出会って。そして、偶然たまたま運良く、力を手に入れた。


「昨晩、たしか弟がいるって言ってなかったかしら」

「ああ。そういやそんな話もしてたっけ。いろいろあって保護してる子だよ。けど、血の繋がった家族は、もう誰ひとり生きてないな」


 わずかに逡巡した気配をみせ問いかけるリジットは、僕の返答に口を噤んだ。心配して欲しいわけでもなければ、哀れまれたいわけでもない。それなのに、僕の口はいつもより饒舌に滑る。


 シャロンと共に研究所跡を脱出してからも、父の遺体はついぞ見つからなかった。とはいえ、蛮族に襲われたカランザ周辺へ再訪したときには襲撃からすでにかなりの日数が経過していたので、何か痕跡が残っていると考えるほうがおかしいだろう。


「僕には何もなくて、力もなくて、世界は優しくなくて。僕は、逃げるしかなかったんだ」


 逃げるしかなかった。だから逃げた。でも本当に、仕方なかったのか?

 そうやって、自分を正当化しているだけじゃないのか?

 あの時、最後まで両親と共に戦っていたら、母は辱められ、苦悶の末に命を落とすことなどなかったのではないか。そうでなくとも、シャロンを連れてすぐに戻っていれば、また違った未来もあったのではないか。


 考えても仕方がないとわかっていながら、あのときああしていればという思考の呪縛に、僕は囚われ続けている。


 少なくとも、僕はもう無力ではない。そのはずだ。

 偶然であれ、与えられたものであれ、力は力。


 その力を振るって、かつての僕と同じように、無力を嘆く人を助けたい。

 それが、力を得た僕の務めだと、そう思ったんだ。

 だって、たまたま力を与えられた僕が助けないなら、一体誰が彼らを救い出すというのか。いいや、誰も助けてはくれまい。なぜって、僕のときは誰にも助けてもらえなかった。故郷は燃えて、両親は死んだ。


 誰も助けてくれないのなら、僕が助けないと。それが、力を手に入れた僕の義務。僕の責任。

 シャロンは、それを笑顔で肯定した。それが僕のやりたいことならば、と。


 助けないと。僕が、助けないと。


 絶望に切り刻まれ、ぼろぼろになった心は、焦がれるほどに欲した力を手に入れて、次に求めたのは力の振るい先だった。そして見つけた、『誰かの助けになりたい』という思いが、力を振るうための『もっともらしい理由』ではないと、誰が言えようか。


 リジットは、僕が吐露するとりとめのない話に、ただ静かに相槌を打つ。何が話したいのかも判然とせぬままに、言葉は僕の口から零れ落ちては消えて行った。


「そんなの――まるで、呪いじゃない」

「……呪い……?」

「そう、呪い。きっと、どれだけ人を助けても、オスカーはいつまでも満たされない。

 あなたが本当に助けたかった人は、だって。――そんなの、あまりに救われないじゃない」


 声を震わせるリジットの、言わんとすることはおぼろげな輪郭を持って、歪な僕の心を空虚に浮かび上がらせた。僕が本当に助けたかったのは、もう死んでしまった人と、過去の自分自身。他人を助けるのは、その代償行為でしかない。

 そんなのはあまりに悲しいことだと、彼女は言う。


「自覚があるのかどうかはわからないけれど。オスカーは、誰かを助けること、それそのものを目的として行動していたのね。

 ――まったく。何を企んでるのかわからないから警戒してた相手が、ただの底抜けのお人好しだなんて、思わないじゃない。念のため言っておくけれど、褒めてないわよ」


 リジットの指摘は、もっともなことなのだろう。


 厄介ごとに自ら首を突っ込む謎の人物。その意図も目的も、他人から理解されるものではない。自分の身を危険に晒してまで、見ず知らずの人を助けるなどという者を、多くの人は理解できないだろう。それは異質で、異様だ。まったく、救えないし、救われない。


 優しい人であれと、かつて母は言った。

 悪い人になるなと、かつて父は言った。


 しかし、どうだろう。今の僕の在り方は、歪で、理解されないものなのだ。英雄譚の登場人物でもあるまいに。

 今の僕の姿は、亡き両親に胸を張れる姿だろうか。僕は、自分自身の正義や在り方すら不鮮明だ。まるで今も揺れ続けるこの大地のように、ぐらぐらと、ゆらゆらと、まるで落ち着きがなく頼りない。


「父さんや母さんは、そんなの望んじゃいないのかな」

「知らないし、わからないわ。私はオスカーの両親に会ったことがないもの。だから、彼らの想いや願いなんて、想像しかできないし、それだってきっとただの押し付けになるわ」


 それもまた、道理だろう。


 『あなたのお母さんは、そんなの望んでいないはず』という言葉をリジットから引き出して、僕は楽になりたかっただけなのかもしれない。そんな汚い自身の心の動きにすら、虫唾が走る。

 所詮は死者を代弁者に立てた自分の意見でしかない。だから、リジットの言葉は彼女なりの誠実さの顕れだ。


「それでも誇りなさい、オスカー = ハウレル。あなたの両親があなたを生きながらえさせて、そのおかげで少なくとも」


 そんな誠実な少女が、すっくと立ち上がる気配がして、どこともなくぼんやりと視線を投げていた僕の脇を抜け。

 すぐ近くの――腕を伸ばせば届く距離で、正面から、僕を見据える。少し泣いた跡がある黒い瞳は、焚き火の灯を内包して煌く。


「私は、私たちは救われたわ」


 そうして、力強く言い切った。


「私にとっては、それで十分だもの」


 感謝の言葉が、かつてのフリージアの最期と重なる。


 僕には恩人(フリージア)を助けることができなかった。今でもそう思っている。

 後悔が、鋭い棘のように心を雁字搦めに縛り上げ、汗をびっしょりかいて飛び起きることだって、しょっちゅうだ。

 シャロンやアーニャに心配そうな顔をさせるのもまた偲びなく、ひび割れた心を隠して鍛錬を重ねた。


 両親を見捨て、恩人も助けられず、町が魔物の侵入を許したときにだって名も知らぬ幼子さえ救えなかった。

 そして今また、大切な人(シャロン)の不調にさえ手が打てずにいる。力を手に入れたはずなのに、僕はいつまでたっても無力だった。


 なにが『守る』だ。なにが『助けたい』だ。


 この地下空間はきっかけでしかなくて、僕の精神はきっと限界いっぱいだったのだろう。

 あの日から、気づけばいつも隣にいてくれたシャロンがいないから、ぎりぎりで堪えていたものが溢れてしまう。自分を見失うほどに、ぐらついていたのだ。


 だからこそ――僕が助けることができた人も確かにいたということを失念していた。いや、自罰的になる余りに考えられなくなっていたのか。それは、たとえばアーニャたちもそうだろうし、いま目の前にいるリジットに対して――僕が助けられた人にとっては、失礼なことに違いない。確かに助けられた自分たちのことを無視して、黙殺して、居ないものとして扱って。救えなかった者のことをいつまでも嘆くというのだから。


 思考で感情を操作できるのならさぞかし楽なことだろう。残念ながら人はそんなふうにできていないし、それは僕にしたって例外ではない。

 そのとき僕はどんな表情をしていたのか。鏡は落としてしまっていたので、わからないけれど。

 ただひとつ確かなのは、ひび割れた心のままに気づけば恥も外聞もなく大泣きしてしまったということだ。

 正面から優しく抱きとめる少女に、まるであやされるように背中をぽんぽんと叩かれて、僕はみっともなく涙を溢し続けた。


 ――きっとリジットのいう『呪い』から、僕が解放される日は来ないのだろう。

 軋む心で、いつまでもみっともなく悩んで、どうしようもなく泥だらけになりながら、騙しだまし生きていく。

 その中で、また1人でも2人でも助けることができたなら。うん。きっと、それはそう悪い人生でもないだろう。



 ――



 ひとしきり泣いて、少しばかりすっきりした。あれだけ僕を内側から苛んでいた頭痛も、どこかへ引っ込んでくれた。

 ただ、その代償が皆無というわけでもない。有り体に言って、あまりにも気まずかった。


 "全知"を手に入れて、その膨大な魔力消費に身体が馴染むまでぶっ倒れ続けた期間や、フリージアの術中に囚われていた期間があるので、僕の実際の年齢ってやつはどういう扱いになるのかがいまいち不明瞭である。しかし僕の年齢がどうあっても、出会って間もない、あまり歳の変わらない少女に抱かれ大泣きするというのは、うん。冷静に考えて大変に恥ずかしいことだろう。


 気まずさから、なんとなくリジットの顔を見ることもできず、ぷいと顔を背けてざぶざぶと顔を洗った。冷たい水が気持ち良い。涙とか鼻水とかと一緒に恥までも洗い流してやくれないだろうか。


 そこで、ふと見た指の先、爪の間に血が滲んでいることに気付いて、僕は首を傾げた。いつのまに怪我をしたのだろうか、と指先を洗い流して、ますます首を捻る。血は綺麗さっぱり落とすことができたが、痛みを発したりだとか、()みたりだとかがないのだ。


「ん?」

「あ、いや」


 顔を上げて振り向くと、こちらを眺めていたらしいリジットと目があった。気まずさが蘇り、視線を逸らしたところでようやく、さっきの血はリジットのものだった可能性に思い至る。

 くまなく”治癒”したリジットが血を流すとしたら、さっき泣いたときにきつく握ってしまい、どころか爪を立ててしまったに違いない。彼女は苦痛ひとつ漏らさなかったが。


「悪い」

「なによ、突然」

「いや、えっと。その。たぶん、怪我させた、だろ? えっと。だからその」


 視線を合わせられないまましどろもどろになる僕を、リジットは笑う。


「おろおろしているオスカーを見るのは初めてだけど、普段のふてぶてしいあなたより、そのほうがかわいいわよ?」

「む……」


 大泣きした手前、いまさら格好をつけるもなにもあったものではない。


 そうやって顔を顰める様子もリジットにとっては面白いらしく、少女の柔らかな笑い声が洞窟に反響した。

 とはいえ僕としては面白くない。むすっとしていたら、リジットはごめんごめんと軽く謝ってきた。目はまだ笑っていたが。


「すぐ治す」

「――この傷は、いいの。そのままにしておいて」


 リジットは、マントがずり落ちて一部が露わになっていた肩のあたりをささっと羽織り直すと、上から優しく撫で付けた。


「私の大失敗を皆にバラしたら、オスカーが大泣きした証拠に、皆に見せてやるんだから」


 冗談めかして、リジットはぺろっと舌を出してみせた。

 そんな彼女の態度に救われる自分を、内心で叱りつけながら、「降参だ」と僕は頭を掻いた。


「それよりも、さっさとここを出ましょ。十分休憩はできたもの。はやくセルシラーナ姫のところに帰らないと、どうなるかわかったもんじゃないわ」

「あっちにはシャロンがいるから、こっちよりよっぽど安全だぞ」


 この話はこれでおしまいとばかりに、リジットは再び立ち上がる。

 乾かし終わったエムハオ革を手頃な大きさに切ってリジットに投げ渡し、僕はそっぽを向いた。


「そういうのじゃないわよ。ムラっときたオスカーに、私がいつ襲われるとも限らないもの」

「ないない」


 微かな衣擦れの音をつとめて耳から追い出しつつ、流れ着いていたいくつかのメェルゼック鉱石やら、塩の結晶を余った革で作った袋に詰め込んでいく。

 ヒュエル鉱石もできれば持ち帰りたいが、周囲の水ごと運べばなんとかなるだろうか。


 僕が出発の準備を整えている間に、あちらも準備ができたらしい。

 リジットは天真爛漫な笑みを浮かべて、こちらに片手を差し出した。


「ほら、そろそろ行きましょう。エスコート、してくれるんでしょ?」


 魔力光は最小限。小刻みな揺れも健在で、少しでも油断すれば水路に足を取られかねない洞窟を、リジットの手を引きゆっくりと進む。

 現れては消えるいくつもの岐路から、風の通り道を"探知"して僕らが地上に生還を果たしたときには、すでに太陽は傾き始めていた。

 ずっと側を流れていた地下水脈は岩の隙間から湧き出して、山肌を降る小川を形成している。

 鬱屈とした洞窟から危険がないかを確認するために先行した僕を、涼やかな風が歓迎した。


 疲労はあるものの頭痛や倦怠感は綺麗さっぱりと消えている。

 地上に出たからか、それともひとしきり発散したからかは定かではない。


 揺れる大地に苦戦しながらも穴から這い出てくるリジットに手を差し出すと、柔らかな手がしっかりと握り返してくる。そこに不安や、猜疑の色はもう感じられなかった。

 暗がりから出てきたことで眩しさに目を瞬かせるリジットが、僕の方を見て笑う。


「オスカー、蜘蛛の巣が引っかかりまくってるわよ」

「リジットのほうも、泥の化粧がお洒落だな」

「えっ、どこよ!?」


 ごしごしと頬を拭うリジットとひとしきり笑いあって、僕らは下山を再開した。

 今度は焦らず、ゆっくりと。危なければ手が引ける距離から、お互いに離れることはない。


「オスカーが可哀想だから、あなたが守れる範囲にいてあげるわ」

「そりゃどうも」

「ふふっ」


 苦笑いと蜘蛛の巣を貼り付けながら、疲労感に身体を包まれて。

 少し縮んだ距離感で、僕らはダビッドソンを停めた地点へ向けて、並んで足を進めるのだった。



 ***



 余談ながら。


 シャロンたちとの合流地点となる野営地まで、陽が落ちる前に到着したい僕は、ダビッドソンに惜しげなく魔力を注ぎ込んだのだが――


「ちょ、ちょっと、もうちょっとだけゆっくり走って……!!」

「行きの半分の速さも出てないぞ」

「いろいろと状況が違うのよ!」

「ほぼ全裸にマントだもんな」


 騎士様は、その速度にご不満のようだった。

 そりゃ心細さもあるだろうし、スースーもするだろうが、逆に開放感があって良い、くらいに思ってもらいたいところである。


「ば、ばばば馬鹿っ!」

「馬鹿って言ったほうが馬鹿だって聞いたぞ」

「おたんこなすぅ……!」

「痛ってぇ! あ、こら、腹筋をつねるな!」


 疲れているのにさらにぎゃいぎゃいと騒いだせいで、数刻後にはぐったりして無言で運ばれる僕らの姿が、あたりを棲家としている小動物たちから遠巻きに目撃されていた。



 ***



 さらに余談ながら。


 合流地点となる野営地にようやく到着した僕らを出迎えたのは、西日の煌めきを纏ったシャロンだった。

 僕らの接近を予め感知していたのだろう。野営地が視認できる頃には、すでに一人で立って待ってくれていた――のだけれど。


「オスカーさん、オスカーさん。その大変素敵な布切れは、一体ナニモノですか」

「いや、ちょっと色々あって」

「へえー、ほぉー、ふぅーん。何がどういろいろあったら、ぱんつが腕に巻きつくことがあるのですか」


 笑顔なのに目が笑っていないという技巧をみせるシャロンによって、リジットとふたりまとめてしらばく詰問される羽目になるのだった。

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