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僕と黒髪少女と心の傷 そのいち

 サアァァァと地下水脈の流れる音に掻き消されるように、薪の爆ぜるささやかな音が洞穴内に反響する。

 焚き火から出た煙は、ゆらりゆらりと風に揺られて洞窟の奥底へと流れていく。風の通り道があるということは、出口もあるはずだ。空気が循環しており、変なガスが溜っていたりするけでもなかったので、火を使ってもそう支障はあるまいという判断だ。

 言い様のない不安や焦燥感がべったりと貼り付いているので、火を見ていれば多少は落ち着くという考えもあった。実際、真っ暗闇を切り裂いた焚き火の明かりに温められたのは、体感だけの話ではないように思える。


 意識のない人間を一人担いで片腕を封じられた状態で、ただでさえ満足に動けない水の中での戦いを、そのうえ視界もほとんど封じられてよく切り抜けられたものだ。今だけは自分で自分を手放しに賞賛したい。


 何度も噛み付いてくれやがった背びれの主は、それぞれ木の枝に突き刺して、今は焚き火によって表面に焼き色を付けられている最中だ。毒もないようだし、焼けば食えるだろう。無論、美味しいかどうかは別として。


 穴に落ちて肋骨と右足が折れていたリジットは、まだ気を失ったまま。焚き火を挟んだ向かい側にそっと寝かせておいた。"治癒"魔術で骨は継いで傷は塞いだものの、失った体力も、治癒される時に使った魔力も、流した血だって戻らない。時折うなされるように呻き声を上げる少女を視界の隅に置いたまま、僕はぼんやりと背中を石に預けて脱力する。


 億劫だ。全身がだるい。そのうえ、妙に落ち着かない。けっこうな量の魔力を吐き出さざるを得なかったせいもあるのだろうが、言い様のない気持ち悪さと焦燥感は、一体何なのか。


 気を紛らわすように、流れ着いていた細かな枝の水分を"剥離"し、焚き火にポイと放り込む。

 水の中に沈めたヒュエル鉱石がぼんやりと黄色い光を発するが、すぐに静まる。この危険極まる鉱石の無力化方法を発見できたのは、本当にラッキーだった。


 ヒュエル鉱石が炸裂する行程には周囲の魔力を集積する段階が含まれている。魔力を吸うと発光し、貯蔵限界へと達することで、激しい閃光と衝撃を伴って燃焼する。

 こんな閉鎖環境で炸裂されようものなら、周囲のヒュエル鉱石を連鎖的に巻き込んで、大爆発が起こってしまうだろう。そうなれば良くて生き埋め、普通なら即死だ。


 そのせいで魔術を封じられた戦闘を余儀なくされていたのだが――流水の中のヒュエルはいつまで経っても炸裂しないという特性に気付けてからは早かった。周囲一帯のヒュエル鉱石は水底に沈めたおかげで、"治癒"などの精密な魔術をも問題なく使えたというわけだ。


「ぅ……」


 硬く、ざらざらとした石の上で、横たわったままのリジットが身動(みじろ)ぎする。

 ぼんやりと開いた焦点の合わない目が、焚き火を挟んだ向かいに座る僕へと向けられて、


「おとう、さん……? ふぁ……? ――ッ!!?」


 茫然自失とした様子で右手をこちらに向ける。直後、声にならない悲鳴を上げ、黒髪少女は我を取り戻したかのように体をしならせて跳ね起きた。

 眠る彼女にかけてやっていた僕のマントがばさりと落ち、くるまれていた少女の体を露わにする。


「!? 穴に落ちて、水を飲んで、それで……」

「気がついたか。ただの水でよかったな。赤いスライムとかじゃなくって」


 もしそうであれば、もうこの世には居ないところだった。

 僕の戯言は聞かなかったことにしたのか、それとも本当に聞こえなかったのか、リジットは目を瞬かせて、こちらの様子を窺う。


「えっと……助けて、くれたの?」

「まあそんなとこだ。とりあえずマントは貨しておいてやるから、羽織っておいたほうがいい」

「え?」


 そっぽを向いたままの僕の発言に、リジットは怪訝な声で応じる。起きたばかりで混乱していたのだろう。彼女はようやく自分の体を見下ろして……そこでようやく、自らの有様を視認した。ぼろぼろのよれよれになり、切り裂かれた『服だったモノ』や『ズボンだったモノ』を引っ掛けてあるだけの、今の格好を。


 やれやれ、と耳を塞いだ僕の視界の端で、顔全体を一瞬で真っ赤に染めあげて、少女の悲鳴が迸った。

 ぐわんぐわんと洞窟内に反響していく叫び声を聞きながら、『叫び声で炸裂する鉱石とかが無くて良かったなぁ』なんて現実逃避をしながら、僕はため息を零した。


「う、うぅぅ。うぅぅうう〜……!!」


 ――こちらに背を向けて、時折ちらちらと恨みがましい視線をくれつつ、足を抱えてうずくまる。

 少女はしばらく唸り声しか発していない。マントをきゅっときつく巻きつけ、頬を膨らせて半泣きだった。


「うぅぅううう〜……!!!」


 無事目覚めたのは喜ばしいことだったが、起きたら起きたで喧しく辛気臭いことこの上ない。


 なるべくそちらを見ないようにしながら、僕は魚の焼かれている面を裏返す。こんなところからはさっさと脱出してしまいたいが、彼女はまだ足場の悪い場所を歩き続けられるほどに回復してはいない。加えて、僕も本調子とは言い難かった。

 リジットの呻きと嘆き声を環境音楽にしながら、炙られる醜悪な形相の魚をぼんやり眺めるくらいしか、やることがないのだ。


「うぅぅ……。……はじめては、真っ白なシーツの敷かれたベッドの上で、って決めてたのに……」

「待て待て待て。何をどうしてそういう話になった」

「うぅぅ。けだもの……」


 据わった目でリジットの見つめる先には、多量の血痕がべっとりと残されている。


 意識のないリジットを抱えた僕が岸に上がって処置をしていたときのもので、僕とリジットの血が混じり合ってできた血の池の跡だった。断じて、いかがわしい処置ではない。というかベッドの上であろうとどこであろうと、こんな大量出血をするようだと命に関わるわ。


「ていうか、それだけ血を流しておいて元気だな、お前」

「けだものにお前呼ばわりされる(いわ)れはないわ。うぅぅう〜……!」

「やっぱ元気だろ」


 ずっと鬱々と塞ぎ込まれたり、また走り出して流されたりするよりは随分とマシではあるのだが、ウザいものはウザい。僕は何度目かのため息を虚空に投げ出す。絶えず響いている水音によって、小さなつぶやきも、ため息も、諸共に押し流されていく。


「しばらくは大人しくしてろ。体力が回復したら、また歩いてもらうんだから」

「私を歩かせてどうする気よ。はっ、場所を変えて続きをしようっていうの!? そ、その、えっちなことのっ……!!」

「や、それはもうえーから」


 思わずアーニャっぽい訛りで突っ込んでしまう僕。話が進まないったらない。

 リジットは不服そうな様子で頬を膨らせるが、多少は落ち着いてきたらしい。羞恥心を紛らすためにも必要な喚きだったのだろうと好意的に解釈してやることにする。


「服は"治癒"魔術の邪魔だったから、裂くしかなかったんだよ。悪かったな」

「"治癒"……そう。ほんとに、なんでもありなのね、あんた」


 断じてやましいことはしていない。けれど、"全知"で視るために邪魔なものを切ったのは事実だ。もとからボロ布のごとき有様になっていたが、骨が折れていたために、引っかけずに脱がせることができなかったのだ。

 謝っておくことで以後の話が円滑に進むならいいか、と一応釈明しつつも詫びると、リジットは諦観を滲ませた。事も無げに告げられた高等魔術のほうが、彼女の気にかかったらしい。しかし、彼女のやっかみは半ば以上、僕の手柄ではない。


「所詮、借り物の――いや、貰い物の力だ。べつに、僕が凄いわけじゃない」

「え?」

「いや。なんでもない」


 たまたま。偶然。運良く。

 そう、僕が別段優れていたわけではない。本当に優れていたのなら、両親やフリージアを、そのまま死なせることはなかっただろう。

 この少女を助けたのも、『ズルをして』力を得た後ろめたさや、贖罪ではないと、言い切ることができない。

 揉め事に首をつっこんで、国同士のいざこざを引っ掻き回して。一体何がしたいのか、僕は自分がわからない。シャロンのためと言いつつ、力を振るう快感に溺れているわけではないと、何故言えようか。今自信を持って言えるのは、謎の頭痛と吐き気で気持ち悪いということくらいだ。


 そんな僕の様子を窺うリジットの視線を感じ、頭を振り払う。倦怠感は晴れない。


「少なくとも、ここから脱出するためには歩いてもらう必要があるから、大人しくして体力を回復してくれ。天井を吹き飛ばして地上に出るってのは最後の手段にしたい」

「あんたなら本当に、やりかねないというのが、なんとも言えないところね。

 そもそも、ここはどこなの? エムハオの巣穴っぽいものに落ちたところまでは覚えてるんだけど」

「その穴が、地下水脈に繋がってたんだよ。お陰様で、豪華軽食付きだぞ」


 『軽食』を枝でつんつんとつつくと、でろんと目玉が垂れ下がる。リジットの表情が、わかりやすくサッと曇る。


「それは? えっと、何、かしら。こう。ぬめっとした光沢に『お前を食い殺すぞ!』と言わんばかりの骨ばった眼窩とか、ちょっと受け入れがたい風貌が全面に押し出されているのだけど。どうするのよ、それ」

「見た目は最悪だけど、食えるみたいだから焼いてる」

「ほんと、見た目は最悪ね……」


 リジットは凶悪な形相の魚と正面から見つめ合う。あ、目を逸らした。


 地下水脈に落ちてきた僕らを急襲した魚は、どうやら血に反応する種らしく、執拗かつ貪欲に僕らに食らいついてきた。獰猛でありながら、一撃必殺の攻撃力を持っていなかったことは不幸中の幸いというやつに他ならない。


 片腕で意識のないリジットを溺れさせないように庇いながら、ヒュエルのせいで魔術を使うわけにも行かず、大いに苦戦を強いられる羽目になった。もとより足がぎりぎり着くか着かないかの水の中。途中でぶち切れて”剥離”を使ったとき、水中のヒュエルの変化に気付いていなければ、無事に帰るというシャロンとの約束を反故にするところだった。


 さて、その鬱陶しかった魚だが、しっかりとトドメは刺したうえに鱗は削いだものの、顔面の凶悪さは健在だ。骸骨のようでありながら鶏の脚のように皺がびっしりと浮かんだ風貌は、大いに食欲を盛り下げてくれる。

 洞窟内に生えていた塩の結晶を削って(まぶ)してあり、パリっと焼けた表面から香ばしい匂いが漂ってくるあたりが、まだ救いではある。まだ、辛うじて、食えなくもないという気がしないでもないという感覚も無きにしも非ず……いや、正直言って積極的に食いたいとは微塵も思わないが。


「ほれ、焼けたぞ。食え」

「ちょっと、あんたが先に食べなさいよ!? あ、ちょっとフラッとする……」

「うるせぇ。けっこう血を流したんだ、そんだけ騒げば貧血にもなる。さっさと食え」


 ずい、と中でも凄い形相の一匹を顔の前にまで差し出すと、リジットは渋々致し方なくやむにやまれずという表情を全面に貼り付けて、すごく不服そうに受け取る。情けなくひん曲がった口が、せめてもの抵抗か。

 そのまま僕の方を恨みがましく睨み付けてくる。どうぞ遠慮なく、と手で促すと、さらにひと睨みをくれてから、おっかなびっくり口をつけた。ちみっと齧り取ると、もむもむと咀嚼する。眉間に刻まれた皺は深い。


 リジットが食べ始めたので、やむなく僕も自分の分を一匹――出来るだけ小ぶりなやつを焚き火のそばから引き抜く。正面から見ると『貴様を末代まで呪う!』みたいな顔をしており、元々皆無に近かった食べる気がマイナスに転じた。


 そっと焚き火のほうに戻そうとすると、リジットが目で非難してくる。少女の真っ黒な瞳は、私は食べてるわよ、と雄弁に物語っている。すっげぇ見てくる。いいから自分の分に集中してくれ。


 仕方がないので、ちみっと齧りついてみる。ぷりっとした身は少し甘みがあり、舌の上でほろりとほどける。塩が利いて焼き色のついた表面はパリッと香ばしい。塩味と身の甘みが調和して、やや淡泊な味わいでありながら物足りなさは無い。背骨はがっしりと太いが、身が簡単に骨から外れるので存外に食べやすい。


「わりと美味しいのが悔しいわ。見た目は最悪なのに」

「極めて同感だ」


 もむもむと静かに口を動かすことしばし。ひとまず一匹の身を粗方食べ終えたところで、同じように顔を上げたらしいリジットと目が合った。

 こちらから目を逸らすのもなんだか癪だったのだが、リジットのやつも目を逸らさないので、なぜか見つめ合うみたいな形になってしまう。


 リジットは、じーっとこちらを見つめてくる。

 僕も、じーっとリジットを見つめる。


 焚き火の向こう側で、少女は膝を抱えるようにして座り込んでいる。

 一つに束ねられていた黒髪は解けてしまって、少し濡れた床に無造作に広がっている。

 ほとんど素肌同然の体に巻きつけるように、僕のマントを握りしめて、何を考えているかわからないつり目がちの黒い瞳が、僕を見上げてくる。

 長い睫毛を瞬かせ、何が面白いのか、彼女はこちらを見つめ続ける。


 水の流れる音と、焚き火の爆ぜる音だけが、洞窟に響き渡っている。

 どれほどそうしていただろうか。やがて、その音に紛れるように「くすり」と微かな笑い声が、僕の耳に届いた。


「このマント、温かいわね」


 直前までの変な空気を搔き消すように、指でマントの裾を弄ぶようにしながら、リジットは楽しげな声を発する。


「なんだか、変な感じ。これ、きっとあんたの匂いね」

「なんだよ。不満なら返してくれ。若干寒い」

「いやよ。これを返したら私の格好、下着以下なのよ。それに、べつに不満はないわ。なんかむかつくだけ」

「それは不満っていうんじゃないのか?」


 リジットはマントを抱きしめるようにして、笑う。緊張の糸が解けたのか、それとも緊張しているのが馬鹿らしくなったのか。両方かもしれない。


「自分じゃない匂いに、ちょっと安心しちゃってる自分にも、なんかむかつく」


 僕にどうしろというのか。

 なんとなく居づらくなってしまった僕は、ほとんど骨だけになった魚をほじるのをやめ、立ち上がった。凝り固まった背中がばきりと小気味の良い音を立てる。途端、目眩(めまい)を感じてよろけそうになった。吐き気がぶり返してくる。再び頭を振るも、倦怠感は晴れない。

 流れる水で魚の脂に冒された手を(すす)いでも、言いようのない気持ちはべっとりと横たわったままだ。

 ついでに魚の骨と臓器、悪意の塊ないし悪逆の煮凝りのような顔面は、そのまま地下水脈に還すことにした。

 流れていくときまで『暗黒の闇に飲まれろ!』みたいな形相だったが、これで新しい生命の礎となろう。合掌。単にあの顔を視界に留めておきたくなかったというのが理由の大半である。


「って、ちょっと! あんた、こ、これ、どうしたの!?」


 水流に飲まれてすぐに見えなくなった骨をぼんやりと見送っていると、リジットの驚愕の声によって引き戻される。

 いつのまにかすぐ近くにまで寄ってきていたリジットは、憔然として立ち竦んでいた。恐る恐る、あるいはこわごわと伸ばされた手が僕の背に触れた。その()()に、僕は思わず顔を顰めてしまう。


 そうして見下ろす彼女の掌は、べったりと。腐り落ちた果実を塗りたくったように、赤々しい血にまみれていた。

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