幕間 - 一方そのころ車上編
「? どうされたのですか? 突然立ち上がったりして」
「いえ。失礼しました」
軽快に進む馬車の荷台で、すっと立ち上がり真剣な眼差しをしたシャロンに、セルシラーナ姫がきょとんとした様子で声を掛ける。合流予定地でもある今日の野営地予定地点まではまだ距離があるはずで、しばらくは民家も何もない、見晴らしのいい道のりのはずだった。
シャロンが少し動いた拍子に、荷台の幌の隙間から差し込む陽の光を受けて、金の髪が輝く。まるで優しい太陽のきらめきを束ねたようだ、と我知らず見惚れるセルシラーナ。
王族の義務として、自身も美容には気をかけ、手間をかけ、費用をかけてきた。王族は国としての『顔』の役割も持つ。みすぼらしい佇まいでは、外交にも不利をもたらす。そんな彼女ですら思わず見惚れてしまう。いや、『美』を研鑽してきたからこそ、より強く憧れてしまう。
黙って佇んでいる姿は、まるで芸術品。名画の中で優しく微笑む天使がごとき、荘厳さと充足感が溢れている。その微笑みは可憐な花のようで、吸い込まれそうなほどに蒼く澄んだ瞳は、包み込む水の優しさと研ぎ澄まされた刃の両面を内包しているように感じられ、王宮で見たどんな宝石にも勝るとも劣らない。見ているだけで、思わず「ほぅ」と吐息が漏れてしまうほどだ。
もっとも、発言と外見がお互いを裏切りあっているために、若干残念さも見えるところはある。完璧すぎない部分があるために、近寄り難さのようなものも薄いと考えれば、それも良さなのかもしれないけれど。
「オスカーさんが、また何か無茶なことをしている気配を察知した気がしたので」
「気配、ですか。それも何か魔道具によるものなのですか?」
「いいえ。違います。愛の力です」
「愛……なのですか」
「はい。愛なのです。私の愛は町3つ分くらいの大きさがあるので、離れていてもなんとなくわかる気がするんです」
「愛が重っ……いえ、大変素敵なことですね」
王国貴族や他国重鎮と、国家運営のために日夜やりとりを重ね、磨かれた王女スマイル。いつ、いかなるときであっても、たおやかに笑えるというのは王族としての必須スキルだ。
セルシラーナの笑顔は残念なことに若干引き攣っているような気もするけれど、そんな些事を気にするシャロンではない。
「大丈夫なのですよ、リジットはあれでけっこう腕が立つのです。ちょっと意地っ張りなところはありますが、頼りになる子なのです」
得意げに従者のことを語るセルシラーナ姫の姿は、従者のことを語っているというよりも、どこか友人を誇るかのように見える。
「信頼しているんですね」
「もちろんなのです。この信頼感は、ヒメリの実3万粒分です」
「栄養食品の表現みたいですね」
「姫様は、小さい頃から、ヒメリが大好きだから」
基本的に黙ってセルシラーナの側に控えているだけのロナも、珍しく話に加わってきた。
「リジットに、ロナもですけれど。ふたりがシヴールで研鑽を積んでいた時期以外は、ほとんどずっと一緒にいるのですよ。王国が、こんな――こんな有様になってしまってもわたくしについて来てくれて、感謝に堪えません」
もちろん、ローレンにも。と、セルシラーナは続ける。
なんだかしんみりした空気に包まれる。シヴールという単語が出たので、これ幸いとばかりに少し話の矛先を変えるシャロン。
「ではロナさんも、リジットさんの言う『お姉様』――私にそっくりな方のことを知っていたりしますか?」
「ん……何度か、見たことがある、だけだけど。どうして?」
「そりゃあ、そんなにそっくりだと言われれば、気にもなります」
素材収集に出る前に、オスカーとシャロンは"念話"による内緒話で今後の行動を固めていた。"念話"は"倉庫"を経由できない今、短距離しか使えないということだが、相談しているそぶりすら見せずに情報共有ができるという利便性は健在だ。
その中でオスカーからの指事は、大きく分けて3つ。
1つ目は、会話をして信頼感を高めること。馬車を操作するバレンカ = ローレン氏以外は女性なので、シャロンのほうが警戒を解きやすいだろうという狙いがある。
2つ目は、リジットの言う『お姉様』について探ること。おそらくは、ただ似ているだけの他人だ。しかし、もしかすると他の魔導機兵という可能性も捨てきれない。シャロンが今活動しているように、別の個体が稼働しているというのは、あり得ないと切って捨てられる話ではないのだ。
もしも友好的な魔導機兵が現存しているなら、シャロンの不調を改善する糸口が掴めるかもしれない。確率が低くとも、情報を集めておきたいというのが、オスカーとシャロンの共通認識だ。
3つ目は、内通者の警戒だ。襲撃者を退けたはいいが、疑惑は残っている。
襲撃者が持っていた探知系魔道具は、セルシラーナ姫の従者たちが、姫の似姿を作り出すために利用する魔道具を、高い精度で直接探り当てるものだった。
あの幻視魔道具が複数存在するのかどうかは定かでないが、襲撃者たちの探知系魔道具は過たず、セルシラーナ姫の場所を見つけ出した。
オスカーによる魔改造によって爆散した幻視魔道具は、使い込まれた印象があった。少なくとも、つい最近作られたものではない。そんな道具に仕込みができる位置、つまりは姫のすぐ側に、内通者がまだ残っている可能性を警戒せねばならないのだ。
オスカーが素材集めに出たのは、なにも収集だけが目的ではない。
内通者がいるのだとすれば、『謎の強力な魔術師』が消えた今こそが好機。わざと隙を作ることで、そこに飛びつく者がいないかと見張る役目が、シャロンには課せられている。
「たぶんそっくり、だと思います。
わたしたちが卒業する前に、いなくなったとか、なんとか……んんん」
「ロナは、あんまり人に興味を持たないところがあるのです。リジットが帰ってきたら、もうちょっと詳しく聞けるかもなのですが」
シャロンの目から見ても、ふたりからは何か嘘を言っているような兆候を感じることはできない。
侍女のロナ = ローレンはあまりシャロンとは目を合わせず、マイペースに首を捻ったりしているけれど、特に不自然さが感じらたりするわけでもない。
ぶっちゃけた話、シャロンにとっては護衛対象が裏切ろうがどうしようが、さしたる問題はない。ロナのようにさほど人に興味がないというのもあるが、単純な戦力分析として、自分一人で無力化することも容易だからだ。そしてその戦力分析は、オスカーとシャロンの二人掛かりであれば、どうあっても覆るべくもないほどの差となる。
だからといって、シャロンは手を抜かない。オスカーに任された手前、この任務を完璧にこなす。多少体が思うように動かなくとも。
良妻たるもの、普段の行動が物を言う。内助の功というやつである。
帰ってきたオスカーに目一杯甘えるためにも、シャロンは全力を尽くすのだ。
「では私のそっくりさんはリジットさんに尋ねるとして。当のリジットさんが、オスカーさんに突っかかりがちな理由を伺っても?
突然現れたオスカーさんと私を警戒しているにしても、私に対しては基本的に丁寧ですし。単なるツンデレですか?」
「つん……? ――あの子の態度に関しては、ううん」
セルシラーナは数瞬躊躇う素振りを見せる。しかし不和を与えてしまっているのは事実だし、オスカーたちに護衛を頼らざるを得ない現状を正しく理解してもいる。
やがてセルシラーナは、山吹色の前髪を搔き上げる仕草をして、居住まいを正した。向かい合う、翠と蒼の瞳が交錯する。
「本来、本人のいないところで勝手に話すのは憚られるものなのでしょう。予め断言させてもらうのですが、あの子がハウレルさんたちに悪意を持っていたり、嫌っていたりすることはないはずなのです。昨日だって、むしろとっても感謝していたのですよ。
助かって良かったって半泣きになって、お風呂が気持ちよくてふやふやになって、お肉美味しかったって笑って、明日はちゃんと謝ろうって、それで寝顔もとっても可愛くって、」
「姫様、話、逸れてる。言わなくていいこと、言ってる」
ロナに指摘され、ごまかすようにコホンと咳払い一つ。
主より先に眠りに落ちる従者は大丈夫なのかと思わないでもないが、話がまた逸れてしまうので、シャロンは黙って流すことにした。
「ともかくなのですよ、リジットはおふたりを嫌っているわけではありませんし、恩返しに燃えているくらいです。
あの子がああいう態度になってしまうのは、わたくしの――王国の情勢のせいで、ひどい裏切りを受けて……って、今度はどうされたのですか?」
「すみません。その話は、またのちほどゆっくりと」
再び立ち上がり、馬車の進行方向へと鋭い視線を投げかけるシャロンに、セルシラーナ姫は戸惑った声を投げ掛ける。
シャロンに内蔵された動体センサーは、急速に接近する物体を検知していた。それは一直線に、この馬車へと飛来する。
「やらねばならないことができました」
そちらへ振り向くことなく短く告げると、シャロンは荷台から身を乗り出した。途端、びゅうびゅうと横薙ぎの風が勢いよく金の髪を後方へと攫っていく。
「あっ……!?」
驚くセルシラーナの声を置き去りに、『宙靴』を起動して軽い足取りで宙を蹴り、横に広い御者台へとひらりと着地する。
「おや。そんなに恐い気を発して、どうなさいましたかな。老骨にはいささか堪えますので、勘弁していただけるとありがたいのですが」
「まずはそれの説明を聞いてからです」
御者台から振り返ることもなく声を掛けるバレンカ = ローレン氏に対し、シャロンは威圧を放ちながら油断なく応じる。
ローレン氏の右腕には、つい今しがた飛来した物体が止まっている。羽毛を逆立てて、怯えを含んだ黒くて丸い両の目でまっすぐシャロンを射抜いている。シャロンの持つ知識の中では、タカ目タカ科に属する鳥類が最も近親であろう。微弱な魔力反応も検知されることから、記録にある種とは近しい別種か。
ローレン氏の腕の上で、それは「クルルル」と小さく哭いた。
「こいつは鷹といいます。遠方への伝令のため調教されております。名はアルファド」
鷹のアルファドは右足に紙片を巻き付けられており、あれで伝令をやりとりするのだろう。シャロンから発せられる威圧によって身動きできない状態に縫い留められているものの、すぐさま飛び立って逃げ出したり、あるいは気絶して落下したりしないあたり、忠実に訓練されているのは確かだ。
「その伝書鷹が、なぜここにいるんです?」
「シヴールからの、連絡です。不測の事態に備え、連絡を取り合っておるのです。本来取るつもりだったルートから外れているので、アルファドが上手く見つけてくれたのでしょう」
心拍数、呼吸、筋肉の収縮に不審な点は見られず。前方を向いたままのため、瞳孔は確認不能。
僅かな怪しい素振りさえ見逃すまいとするシャロンのセンサーでも、ローレン氏の言葉からは嘘の兆候は見当たらない。
シャロンが威圧を解くと、ローレン氏は体を僅かに弛緩させ、ぐるりと肩を回した。
「いやはや。ハウレル殿が護衛を任せて外へ向かわれたので、ただのご夫人ではないと思ってはおりましたが。いったい何者なのですかな」
「ただの主婦ですよ。それで、アルファドさんの持ってきたメッセージには何と?」
「しばしお時間を。――ふむ」
ローレン氏はアルファドの足から外した紙片に素早く目を通す。後ろからのぞき込むシャロンにはいかなる意味かが判別できない記号がいくつか描かれているが、おそらく暗号文だろう。サンプルがもう少しあれば、魔導機兵たるシャロンなら容易に読み解けそうではある。
「主に無事かどうかの確認ですな。シヴールまで何もなくともあと3日は掛かります。その旨を伝えておきたいのですが?」
「いいえ。敵にこちらの動きを察知される恐れのある行動はしたくありません。アルファドさんにはそのまま帰ってもらいましょう」
「承知した」
とくに食い下がるでもなく、ローレン氏は応じると、来た時のようにアルファドを空へと放った。
アルファドは高く舞い上がると、すぐに小さな点になる。おっかない所から解放された喜びの様子に見えなくもない。
「随分と、懐いている様子でしたね」
「アルファドは、私が現役時代の頃からの付き合いですからなぁ。こんなことでもなければ、私もアルファドも、一線を退いていたのですが」
とはいえ、軍部クーデターからのカイラム帝国を名乗る勢力の台頭、荒れる国土に、王家としては頼れる者はすべて使うしかなかったらしい。壮年の男は、シャロンのほうに向き直るとそんな事情を口の端を歪めて自嘲気味に笑った。
馬車はなだらかな下り坂を、軽快なテンポで進み続ける。
「ときにご夫人。あなたは、国家とは誰のため、何のために存在するものだと考えますかな。王家のためですかな? それとも、そこに住まう民のためでしょうか」
「さあ。興味のあるところではありません。少なくとも、私はオスカーさんのために存在しています。私にとっては、それだけで十分ですから」
「それは。お体がそんな状態でも、でしょうか」
「どういう意味ですか?」
「不躾ながら、貴女の左腕は、まともに動かないのではありますまいか? 勘違いであればご容赦いただきたいですが」
シャロンの返答が、初めて止まった。
実際、エラー修復中のため、今は左腕が使えない。使えなくとも支障はない。
オスカーの前で心配を掛けないためにも、今のうちにエラーを修復してしまう必要がある。しかしそれにしたって、かばう様子など、見せたつもりはなかったのだが。
思っていたよりも、気を抜いていい相手ではないのかもしれない、とシャロンは相手への警戒度合いを一段引き上げた。
「そんな状態でも、貴女は彼のために存在し、彼に尽くすと。そう仰るのですか?」
ローレン氏は、続けて問いかける。
国土が麻痺し、病気や違法薬物が蔓延して、蛮族が跋扈し、王族まで夜逃げじみた真似をせざるを得ない、王国の現状。シャロンの姿に王国の行く末を重ねてでもいるのか、彼は本心からの沈痛な面持ちを浮かべる。
きっと、ローレン氏は兵士でありながら、優しい人物なのだ。それなりに頭も回る。きっと、見なくていい部分を見てしまい、考えないほうがいいことも考えてしまう。それ故の、迷いのようなものが、深く皺の刻まれた頬に浮かんでいる。
それでも。誰が何と言おうとも、シャロンにとってはオスカーと共に在ることが存在意義だった。体がだんだん言うことを聞かなくなってたとしても、その考えが変わることはないだろう。ゆえに。
「はい。もちろん。それは愚問の類です」
「そうですか。これは手厳しいですな」
それきり目の前の壮年の男は、前へと向き直って、規則正しく揺れる馬の鬣を見つめ続けた。