僕と黒髪少女と素材集め そのに
「"紫剣抜刀――収斂・長杖"」
短文詠唱、紫剣を呼び覚ます起句を口にする。呼応した紫剣は柄だけの状態から、細く、長く伸びていく。
持ち手だけはそのままに、人の背丈ほどの大きさにまで成った深紫色は、もはや誰がどう見ても剣とは言うまい。先端は丸みを帯び、魔術の増幅と発射台としての機能に特化した形状は、長杖と呼ばれるものだ。
「あんた、それどこから――ううん、それよりも。一体どうする気なのよ?」
「こうするんだよ」
説明するよりも、実際に見せたほうが早い。そう判断し、僕の得意技である"剥離"の魔術の術式を一瞬で練り上げる。
"全知"が無くても、もともと無詠唱での発動が可能な練度に達していた"剥離"の魔術だが、紫剣――今は紫杖か――を取り出したのは何も格好のためではない。世の一般的な魔術師と同様、魔術の補助具としての役割を期待してのことだ。
シャロンとの手繋ぎ魔術で全力行使すれば、山さえ斬りとばす威力となる"剥離"魔術や派生の"大切断"だが、僕一人では対象の爪や皮膚を剥がすのがせいぜいのところだ。それだけでも、元々の威力を考えたらかなり強化されているのだが。
魔石の魔力を蓄えている紫杖の補助があれば、シャロンの力を借りずとも、地面を多少掘り返すなど造作もない。
杖の先端に、眩しい真紫の燐光が灯る。
「ちょっと待っ――きゃあっ!」
リジットが何かを言おうとしたよだったけれど、それよりも先に杖を翳した先の地面が爆ぜた。
より正確には『剥がした』のだけれど、現象だけを見れば、突如として砂埃をあげて地面がごっそりと抉られたようにしか見えないだろう。
わずかばかりに生えていた草をもろともに巻き込んで、表面の土や岩が退けられた場所には、ところどころ深い青色を宿した鉱石が顔を覗かせている。
「いきなり何するのよ!」
「"剥離"魔術だ。邪魔なものを剥がしただけだよ」
詫びれず告げる僕に、リジットは自らの腰に手を当てて、まったくもう、とばかりに目を吊り上げる。
「あんたねぇ。いまのが"剥離"の魔術かという点にも言いたいことはあるけど、問題なのはそこじゃないわ。
いい? ヒュエルが埋まってるかもしれないでしょう。今回はたまたま大丈夫だったけど、そういう迂闊なことはやめなさい。もし近くに埋まってたら、大変なことになるかもしれないでしょう?」
まるで聞き分けのない子供に噛んで含めるように、リジットは僕と目線を合わせるようにして、ゆっくりと一言ずつ、僕の迂闊さを咎めた。
ヒュエル鉱石は、衝撃に反応して閃光を発し、炸裂する性質を持っている鉱石の名だ。とくに魔力が影響したときの炸裂は、目を見張るものがある。
筋骨隆々の炭坑夫でも、掘り当てたら即座に裸足で逃げ出すという、かの鉱石。その性質から、採掘の進んだ山であっても厄介者としてごろごろ残っていることがあるという。
もしもヒュエルの鉱脈に魔術が掠めていたら、規模にもよるけれど下手をすると崩落の危険もあるかもしれなかった。
「わるい。確かに考えなしだった」
「ふ、ふんっ。わかればいいのよ、気をつけてよね。さ、それじゃ気を取り直してメェルゼックを収拾しちゃいましょ」
素直に頭を下げたのが意外だったのか、リジットは一本に結わえた長い黒髪を揺らしてそっぽを向いた。頭のてっぺんでは、一房のアホ毛が意思をもっているかのようにピコピコと嬉し気に揺らめいている。
促されるまま、"剥離"によって露出した鉱石を寄り集める。
"剥離"の魔術を放ったことによって、周囲一帯にヒュエルはどうやらなさそうだということも確認できているため、さらに"剥離"や"抽出"の魔術によって、青銀とも言うべき輝きを宿した鉱石を取り出すことができた。
「さらに純度を上げるには、専用の炉が必要よ。鉄よりも高温にしないとだから大変だけど、魔力の伝導性はかなりのもののはずよ」
「メェルゼックって言ったか。これは、かなり使えそうだ」
「ふふん、そうでしょう、そうでしょう」
太陽の光を反射して、不思議な色で輝くメェルゼック鉱石。
魔力の伝導性は、今の純度でもテンタラギウス鋼を凌ぐかもしれないほどだ。硬度はいまいちで、思い切り岩にでも叩きつけたら簡単に砕けてしまいそうだが、溶かして他の素材と組み合わせたらいろいろ試せそうである。
僕にとっては見たことも聞いたこともない鉱石だったが、リジットによるとシンドリヒトの名産物のひとつであるらしい。結構珍しい鉱脈なので、なかなかツイているとのことだ。
辺り一帯に少量ながら埋蔵されていたメェルゼック鉱石を根こそぎ採取したので、素材袋はそれだけで十分にズシリと重い。
姫殿下の玉柩の修復なら、これだけでも十二分にこなせるだろう。しかし、どうせ暇な馬車の旅。さらには調子づいてきたらしいリジットがまだまだ山歩きに意欲を見せていることから、素材集めは続行することとなった。
途中で何度か休憩を挟み、野草を収拾したり、襲いかかってきた魔物を瞬殺したり、銅鉱石の鉱脈を見つけたりもした。そのため、素材袋は隙間なく満杯だ。まだ手に持てる分くらいの空きはあるので、下山しつつ手頃な素材を探すことにした。来た道をそのまま戻っても新しい素材を得ることは難しいので、僕らは少し逸れたルートだ。
下山してからダビッドソンの位置まで行けば、あとは合流地点までのんびりと走らせるだけだ。
「この辺りはエムハオの巣穴がありそうね」
「なんでわかるんだ?」
「フンが点在してるもの。巣の場所を隠すために、少しだけ離れた位置にフンが散乱するのが、奴らの特徴よ。
エムハオは大して強くない代わりに小賢しいのよ。そのうち足を取られるかもしれないから、注意なさい」
「ふーん。そうなのか。わかった」
本人が言うだけあって、リジットは山や魔物、素材について、なかなかの知識があった。
説明するのも好きなようで、僕が知らないことを素直に聞いている分には、どこか得意げに、楽しそうに話してくれる。
シヴールで優秀な成績だったというのも頷けた。面倒見がよく、きっと後輩たちからも慕われていたであろうこともまた、想像に難くない。
なればこそ、リジットの僕に対する態度が、どうにも腑に落ちないところがあるのも、本当のところなのだ。
最初は、僕のことが気に食わないのかと思っていた。姫の護衛でありながら、突然乱入して場をかき回すことになった僕が疎ましいのだろう、と。
しかし、どうやらそういう単純な話でもないらしい。彼女が拒否反応にも近い否定感を持っているのは、僕に対してというわけではなく、魔術や、魔道具に紐づいているようなのだ。
シヴールでの学徒時代から、魔術師へのコンプレックスのようなものを燻らせていたというならば、それもまあわかる。魔力の扱いは血筋に依るところが大きく、うまく扱えない人にはどうあっても扱えないものだ。魔術師にやっかみじみた感情を持つ人間も少なくはないらしいというのは、魔道工房を開いてから知った、確かな感覚だ。
しかしそれも、彼女の魔術や素材への知識からは考えにくいように思える。
メェルゼックの採取やヒュエル鉱石への警戒など、その最たるものだ。単に知識を持っているだけではいけない。実地経験を経ていなければ、なかなかそういう考えは結びつかない。ヒュエル鉱石のことを知ってはいても、実際の脅威として身近に感じてはいなかった僕のように。
少なくとも、魔術や魔道具に関する知識をある程度以上に持ち、実地でも学んだ上で、自分の力としている。リジットの言動からは、そう感じられる。だからこそ、激情にも似た姿を見せる彼女の一面が、どうにも噛み合わないのだ。
「うん? なぁに? じっと見られてると、気になるじゃない」
「……」
黒髪から汗を滴らせながら、リジットは振り返って僕の顔を覗き込んでくる。アホ毛がぴょこりと揺れていた。
姫を守りながら、少ない手勢で逃避行のように移動して、そのうえ襲撃を受けて同僚は死んでいった。絶体絶命だったことから、精神の疲労や気持ちの昂りだってあっただろう。それにしたって、どこかが引っかかるのだ。
リジットは、ダビッドソンに乗って、大層喜び、はしゃいでいた。若干引くくらいに。だから、元々魔道具が嫌い、魔術師が嫌い、というわけではないはずなのだ。だというのに、時に悪態をつき、どこか悲しそうな顔をするその原因が気にかかった。
なぜそうもリジットの反応が気にかかるのかは、自分でもわからない。どこか自分の感情に振り回されているかのようにも見える彼女に、何かを重ねて見ているのだろうか。
「ちょっと。なんなのよ、いったい。どうしたの? あんた」
「リジットはさ、特殊なスキルとかを持ってるわけでもなくて、知識で素材を見つけてるんだよな」
「なによいきなり。
――まあ、そうね。勘みたいなところもあるけれど。そういうあんただって、何かいろいろ見つけてたじゃない」
「僕は"探知"やら、他にもまあ、いくらか技術を駆使してるんだよ」
「あっそう」
"全知"での見極めも込みで、僕とリジットが見つけた素材はだいたい半々といったところだ。下山にあわせて"全知"を一旦仕舞ってからは、彼女のほうが見つけているものが多いくらいだ。
「だから、知識や勘で見つけられるのは凄いなって」
「ふ、ふん。褒めたからって、べつに何も出ないわよ。汗くらいしか今は出すものがないもの。
――でも、ただ褒めるにしては浮かない顔ね? いい加減疲れてきたのかしら。それとも、もしかして悔しいのかしら?」
汗を拭って、リジットは悪戯げに歯を見せ、ニパッとした笑みを形作る。明るく自然な、おそらく彼女本来の表情。そんな表情も違和感となり、どうにも『魔術師嫌い』と噛み合わない。
「いや。別に悔しいわけじゃない。……なんだそのニヤニヤした顔。ほんとだぞ。べつに悔しくはないからな。
ただ気になったのは、それだけの知識を持ちながら、なんで魔術を嫌ってるの、かなって……」
僕の言葉は、尻すぼみに消えた。
足を止めたリジットの表情が、まるでストンと抜け落ちたかのように、無くなったからだ。
そこには、怒りも悲しみも、もちろん楽しさなんてものも浮かんじゃいない。まったくの『無』の表情、まるでお面を見つめているような、無機質な相貌が、そこにはあった。
「――違うわ。勘違いしないで。私が嫌いなのは。あんたたち、魔道具技師よ」
少し掠れた、彼女の声が空気を震わせる。そしてそれきり、リジットは口を引き結んだ。
少し縮まった気がしていた僕らの距離は、横たわった沈黙によって、また大きく引き離されてしまったような気がした。