誕生日のはなし - ラシュと花祭り
時系列は第四章開幕前となる閑話、ラシュ誕話です。
「ふわぁ〜〜!!」
あらゆる色彩に彩られた町並みに、アーシャとラシュが目をまん丸にして歓声をあげる。
どちらを見渡しても、花、花、花。
大通りはもとより、石畳の敷かれていないような細い路地に至るまで、色とりどりに満たされている。
ひらひらとした色鮮やかなリボンに、多種多様な花。窓辺にはカラフルな旗が舞い、町中に色彩が溢れる。
花の月と天の月。その狭間にある二日間は『花天中つ刻』と呼ばれ、花祭りが盛大に開催される習わしなのだ。
「みてみて、オスカーさま! お花もらったのっ」
「みてみて、ぼくも」
僕の左右にててててっと戻ってきたアーシャとラシュが、それぞれ僕の右足、左足に衝突するかのごとく抱きついて止まる。かと思えば、猫耳に掛かるようにしてちょこんと乗っかった花冠を見せつけて、にこぉっと満面の笑みを浮かべた。
「うん、とってもかわいいね」
この輪っかには『美人に育つように』という願いが込められていて、主に嫁入り前の女の子がもらうものとされている。
アーシャたちの今日の装いは、ヒンメル夫人の新作である。
アーシャはシャロンの一張羅にも似た作りの、白地に金をところどころにあしらった、ふんわりした服(『ちゅにっく』と言うらしい)に、紺色の短いスカートを合わせており、ふさっとした尻尾が楽しげに揺れている。
ラシュはといえば、少しだぼっとしたシャツに袖を通して、短いズボンからすべすべな足を覗かせている。中性的な顔立ちと相まって女の子だと思われたのかもしれない。
とはいえ、白や黄を主体とした花をあしらった冠は、嬉しげにふんわりとした表情を浮かべるラシュにもよく似合っており、本人も見ての通り喜んでいるようだった。美人に育ってくれて一向に構わない。
左右にしがみつくアーシャとラシュそれぞれの髪を優しく撫でる。気持ちよさそうに目を細めるふたりは、しばらくそうしていたかと思うと、それぞれの興味を惹くものを見つけたのだろう。居並ぶ屋台へと連れ立って元気に駆け出して行った。
アーシャもラシュも、工房での給金としてある程度の――一般的にはやや過剰なほどだが――お金を持っている。しかし彼らは無駄遣いをしないよう、屋台をそれぞれ眺めては吟味を重ねているようだ。その表情は楽しそうでありながらも真剣そのもので、様子を見守る大人たちの視線も自然と綻ぶ。
「そうやって慈愛の目で見守るカーくん、なんか年寄りくさいで」
「ゔっ……」
茶化され、がっくりと肩を落として振り返る僕を、にゃっははは! と快活な笑い声が迎える。右手に串に刺さった肉、左手に真鍮の酒杯、大いに祭りを楽しんでいる様子のアーニャだ。彼女は彼女で、祭りを大いに楽しんでいるのが全身から見て取れた。
アーニャはいつも通りの身軽な服装に上着を羽織っており、左腕には真っ赤なリボンを巻いている。白い花が象られた髪留めで後ろ髪を一つに束ねていることによって、今日はまた一段と活発な印象を強めている。束ねられた赤い髪は、日差しを浴びて燃え上がるかのように煌めいていた。
「そう言うアーニャは、祭りを全力で楽しんでるよな。花もよく似合ってて、綺麗だよ」
「ぅ……ん。あんがと。にゃは、にゃははははっ!」
昼前から呑んだくれて、元から赤かった頬にさらに朱がさす。いっそ、ぷしゅぅ、と煙をあげそうなほどに。アーニャは急にもじもじと左胸の花をいじりつつ、そっぽを向いてぽつりと返事をしたかと思うと、気恥ずかしさをごまかすように笑い声をあげた。
その『実にかわいらしい』反応に、次いで『酒杯を手放さないところとかもすごく似合ってる』と茶化し返そうとしていた二の句が継げなくなった僕も、視線を彷徨わせる羽目になった。なんだか唐突に口説いたみたいになっており、たいそう気恥ずかしくなってきた。
つい、とそっぽを向くアーニャがいじっているのは、羽織った上着の左胸あたりに付けられた花だ。
紫に輝く造花。
数日前にアーニャにせがまれて僕が作ったもので、魔石を整形して"硬化"魔術を付与された、決して枯れず砕けぬ紫に透き通る花。その花弁はいま、アーニャの左胸でしっかりと自己主張をしている。
花祭り。
厳しい冬を乗り越えて、今年の豊穣を祈る祭り。
子供の成長を祈願する祭り。
そして、これはつい先ほど知ったのだが。大人たちは、互いのパートナーを探す――そういう性質の祭りでもあったらしい。
僕がこれまでの人生を過ごしてきた村では全員が顔見知りという狭い世界であり、ここまで盛大な祭りというものがなかった。せいぜいが、各家で作った花束を玄関先に飾って、少し豪華な料理を食べる。その程度のものだったのだ。
そのため、そういう『出会い』のための祭りでもあるという側面を僕は全く知らず――工房に訪れた客から、あらかじめ花祭りについてリサーチしていたらしいアーニャにせがまれて、まんまと花を贈ったのである。
花祭りでは、愛を囁き贈られた花を左胸につけることで、愛を受け入れるという返事になる――そんなことを、にやにやする常連さんに耳打ちされたのが、ついさっき。
そして今、耳まで真っ赤に染まったアーニャはちらりちらりとこちらを窺いながら、いたずらがバレた子供のように、少しだけ気まずそうにしながらはにかんだ。
ちなみに今はシャロンはお留守番である。というのも、僕とふたりっきりでのお祭りデートを所望したためだ。お昼からアーニャたちと交代する、という約束で今は工房でらっぴーと共に店番をしている。
今日は店を閉めて、皆で練り歩いてもいいとも提案したのだが、『女の子には、いろいろ準備があるのです。勝負下着とか』と言われては、引き下がるしかあるまい。というか、より正確には『それとも、ここで一戦交えますか』と怪しく両手をわきわきさせ始めたシャロンをそのまま置いてきたという方が正しいのだが。
あとでシャロンと一緒に訪れる露店の目星をつけながら、時折アーシャたちにも気を配りつつ、僕らはゆっくりと大通りを進んだ。
いい具合にお酒が入り、先ほどの恥ずかしさも薄れてきたらしいアーニャが僕の視線の先を読み取って機敏に「いまはウチらのこと構ってぇやぁ〜」と絡んでくる。そのたびに、先ほどアーシャたちにそうしたように、アーニャの髪をわしわしと撫でて機嫌をとったり、屋台の前で足を止めたり。
「まいにち、おまつりだったら、いいのに」
薄紅色や黄色い花びらが蜜に閉じ込められた、棒付きの大きな飴に、うっとりとした視線を投げかけて、ラシュはご満悦の様子だ。
毎日が『こう』だったら、大変そうだなぁ、なんて思ってしまう僕は、いつのまにか子供心をどこかに置き忘れてしまったのかもしれない。先ほどアーニャにも『年寄りくさい』と揶揄されたばかりである。
人混みに巻き込まれて分断されないようにしながら大通りを進み、中央広場に辿り着いた僕らの少し先の方で、わぁっと歓声が沸き起こった。
中央広場には噴水や街路樹があり、憩いの場として人気が高い。そのため、いつでもそれなりに賑わいがある場所だ。しかしそれにしたって、これほどまでに盛況なのは初めて見る。
「オスカーさま、あっち! あっちで、エンゲキ? やってるらしいなのっ!」
「エンゲキ、なに?」
広場に屯ろする人から情報を聞いてきたアーシャはぴょんぴょんと飛び跳ね、人垣の向こうを窺おうとする。しかし残念ながら、身長が足りない。僕やアーニャの身長でさえも同様なのだから、小さいアーシャが飛び跳ねたところで、エンゲキなるものが視界には入らないだろう。
エンゲキとは? と不思議そうに首を傾げるラシュをちょいちょいと手招きし、
「よいせ!」
「わぁー!」
一息に肩車の要領で担ぎあげると、人垣の上に頭が飛び出したラシュが喜びの声をあげた。振られた尻尾が、でしでしと僕の首筋を柔らかにこすっていくのが、なんともくすぐったい。
人集りの中心となる舞台では演劇が今まさにいいところのようで、前方の人垣が定期的にわっと歓声をあげた。
「演劇ってのは、役者が舞台の上で演じる物語だ。ガムレルはけっこう大きな町だし、お祭りに合わせて劇団が来たんだな」
「なんか、歌ってる」
「じゃあ、歌劇って種類かも。歌と踊りを中心に、物語を紡ぐんだ」
「かげき……」
僕の頭にかじりつくようにしがみついて、ラシュは舞台を見つめているようだった。
ふと目線を下げると、アーシャがそわそわとラシュを見上げており、その表情には全面に『いいなぁ、いいなぁ』と書いてあるかのようだ。
しかし、アーシャはいかに祭りでテンションが上がろうとも、ハウレル家における今日の主役たるラシュのことを最優先に考えることを忘れていないようで、わがままが言い出せずにいた。
花祭り初日にして『花天中つ刻』1日目の今日は、"全知"によって判明したラシュの誕生日でもある。ラシュがこの日を心待ちにしていたのは、僕らだけでなく常連客たちすら知るところとなっているほどだ。
そんな中、『おねーちゃん』である自分がわがまま言うわけにいかない、とアーシャは諦めてかぶりを振った。
どうしたもんかな、と思案を巡らせる僕の耳に、楽しい祭りの場には不似合いな無粋な声が届く。
「嫌だわ、奴隷がはしゃいじゃって」
「ほっとけ、夢くらい見させてやろうぜ」
嫌な声ほどよく通るように聞こえてきて、僕は思わず顔を顰めた。
人混みで疲れ、演劇も見えず、イラついているのかもしれないが、そんな事情は僕にとって知ったことじゃない。
花祭りに湧くガムレルでは、多種多様な人が入り乱れている。近隣の小さな村から、わざわざ祭りを楽しむために訪れる者も多いらしい。
多くの者は楽しげだが、中にはそうではない者もいるようだ。たくさんの人がいるというのは、得てしてそういうものだが。
僕の耳にさえ届くのだ。より感覚が鋭敏なアーニャたちが気付かないはずがない。
不快さが顔に出てしまったことで、アーニャは苦笑し、アーシャは気にしていないと殊更に笑顔を振りまく。
せっかくの楽しい日に、そんなのは嫌だった。だから。
「アーニャ。アーシャを抱えて、ついてきて」
「んにゃ? わかった」
懐から眼鏡を取り出す僕に素直に従い、酒杯を"倉庫"に仕舞ったアーニャが「なの? なんなのなのっ!?」と慌てるアーシャをひょいと抱え上げる。
「ていうかあの獣人、すっげぇいい体してんなっ、なあおい見ろよ、お前もあれ――あ? あれ?」
驚く余人の声を置き去りに、"肉体強化"を纏った僕とアーニャは中空に飛び上がった。
「わぁっ!」
「ひゃあっ!?」
ラシュとアーシャの驚く声が聞こえた頃には、僕らはすでに周りの建物の2階部分の高さをゆうに超え、足場として展開した"結界"に着地していた。
薄紫色の物理障壁は、ラシュを肩車したままの僕と、アーシャを抱えたままのアーニャが立っても小揺るぎもしない。
「"全知"ができるっていうからやってみたけど、便利だなこれ」
「なんや、ぶっつけかいな!」
アーニャにツッコミを入れられつつ、せっかくならばと足場となる"結界"を拡張して広場の中央、噴水の真上まで到達する。
スカート姿のアーシャが下からの視線を気にしてアーニャから降りられないようだったので、"肉体強化"を解除する代わりに、"結界"に"認識阻害"を組み合わせてみる。
多重詠唱――いや、無詠唱だから多重行使か――による負荷は多少あるが、昼からのシャロンのデートでそれほど消耗することもあるまいと判断し、そのまま"結界"に腰を降ろした。ちなみにこの判断は、午後にシャロンによっていろいろと搾り取られたときに早計だったことに気づくのだが――それはもう少し後の話である。
僕の左右にはアーニャとアーシャが腰を降ろし、ラシュはなぜか降りようとしないので肩に担いだままだ。
朗々と歌を紡いでいた舞台の役者がこちらを見上げて一瞬固まったような気がしないでもなかったが、『こっちのことは気にするな』と手を振っておく。僕のその所作をどう汲み取ったのか、アーシャとラシュが追随してぶんぶんと手を振った。
"認識阻害"の術式は足場になっている"結界"に固定されている。そのため、下から見上げた場合にはこちらの姿は判然としない、目にしても気にも留めなくなるはずだ。しかし、"結界"上部に座る僕らを直接目にする場合はそうもいかない。"全知"の視界では役者が引きつった表情を浮かべたように見えたが、彼らもプロだ。演劇は滞りなく続けられた。たまにこちらに視線が来ている気がするけれども。
舞台の上では巨大な黒熊に襲われ、絶体絶命に陥る冒険者が、それでも諦めず果敢に立ち向かう様子が歌によって奏でられている。
黒熊は今の僕とラシュと同じように、肩車をした大人が上から布を被って舞い踊っているようだ。常人をはるかに上回る体躯に、舞台端に追い詰められた美男美女の冒険者たちが歌い踊って逃げ惑い、観客たちは歓声を上げた。
舞台の背景は布を折り重ねた絵になっているようで、不吉な黒い影がいくつも蠢いている。さらに舞台の袖にあたる部分では、笛に太鼓、竪琴が奏でられ、合唱部隊が音に厚みを持たせている。
「ようできとるもんやなぁ」
「そうだな、なかなか凄いもんだ」
食い入るように舞台を見つめるアーシャを横目に、再び取り出した真鍮の酒杯を傾けて、アーニャが感嘆の声を漏らす。
アーシャたちに説明していたものの、かくいう僕も舞台を見るのは初めての経験である。これだけの人数を揃えた演目がこれっきりということはないだろうから、午後にもやるようならシャロンを連れてもう一度来るとしよう。
同じく酒杯を勧められた僕も、それじゃあ一杯だけ付き合うか、とアーニャと杯をぶつける。かつん。真鍮の杯がぶつかる小さな音が、歌に重なった。
澄んだ色の珍しい酒には黄色い花が一輪沈んでいて、まるで透明な酒全体に色がついたかのような風情を醸し出している。どこか甘い香りが漂うお酒に口をつけ――うっわ!!
「……――!!!」
なんだこれ! めっちゃくちゃ強い酒じゃないのか、なんだこれなんだこれ。喉が燃える。燃えてる。喉燃えてるなぅ。
肩の上で演劇に見入っているラシュのため悶えるわけにもいかず、燃える塊が喉から胸に落ちていくような感覚にじっと耐える。耐えるしかない。うぉお。
そんな僕の隣で平気な顔で杯を呷るアーニャ。戦慄する僕。
見下ろした先の舞台では、美男美女の冒険者たちと黒熊の間に、大きな白い翼を持った女神が降臨し、優美に歌いながら熊を粉砕したところだった。
――シャロンと一緒に見に来るのは、やっぱりやめたほうがいいかもしれない。わっと拍手が巻き起こる広場を見下ろして、燃えるような酒杯を手の中で弄びつつ、僕はそんなふうに思うのだった。
本編のお話の切れ目の関係でかなり遅くなってしまった、ラシュ誕話でした。もともとは5/31だったのですが。
花祭りは二日間行われ、その翌日には通りに撒き散らされたリボンの切れ端や花びらを掃除する作業があります。
これを怠ると虫が集ってきたりするので、後片付けも町中総出でやります。
なお、祭りの間や後片付け中は、テンションの上がった妖精亭の看板娘がいたずらをしまくります。
次週はアーニャ誕話の予定です。