僕と彼女と初めての食事
今回から、第二章開始です。
第一章は「孤独と出会い」がテーマでした。
第一章に比べ、1話ごとを短くしてみています。読みやすくなるといいな。
ごぶしゃあ。
ものすごく嫌な鈍い音とともに、背骨を砕かれた魔物が、そのままべしゃあっと壁面に叩きつけられる。
その現象を作り出した人物の、この場には不釣り合いなほど美しい金の髪がきらりと流れる。
ヒュッーー
風切り音とともに、ねじ切られた首が、これまた地面にどしゃっと落ちる。
苦痛や驚愕を感じさせる間もなく、風の刃が的確に命を刈り取る。
「熱烈歓迎ですね」
「いきなりこれはちょっと勘弁してほしい」
はぁあ、嘆息する間にも距離を詰めてくる魔物。
二足歩行をする、豚をさらに巨大に、醜悪にしたようなその魔物は、人の比較的分け入らないような森や荒野に広く分布している。
名をオークと呼称されるそれらは、身の丈2メートルをゆうに超える。
その戦い方は、人にはない膂力を活かして敵対するものを踏み潰し、絞め殺す。
動きはさほど素早いわけではなく、賢いわけでもないため、冒険者3,4人のパーティが1体ずつを討伐したりする。
放っておくと家畜や畑、遭遇した人に害を及ぼしたりするし、その肉は硬く臭みが多少あるものの、普通に食えるらしい。
そして大きな体格のため、取れる肉の量も多い。
そのため、討伐したものを商店や冒険者組合なんか持ち込むと買い取ってもらえたりする。
冒険者組合の場合は手数料も取られるが、まわりの人に害が出るような魔物の討伐であれば、そのぶんの報奨金も出たはずだ。
しかし、それにしても数が問題である。
冒険者たちが1体ずつを討伐する、というのは一度に相手をするのがツラい、というのももちろん大きな理由である。しかし、それだけではないのだ。
そのうえさらに問題となるのは、オークは1体1体が、大きく、重い。つまり、運搬に難があるのだ。
一般的に、大きな馬車で森の中まで分け入るのは得策ではない。
魔物や蛮族から襲われる危険はもとより、木の根に足をとられて進退極まってしまっては馬車を捨てるか解体するか、どちらにせよ大損だからだ。
そのため、一度に狩られるオークは2体程度まで。それも、森の入り口や荒野など、ある程度馬車が入って来やすいところまで出て来たものが狩られるのだ。
だから、森の奥のそのまた奥、自然にできた滝の裏に隠された洞窟を棲家にしていたオークの群れなどが、今まで誰にも狩られずにいたことは、ある種自明のことである。
たまたまその洞窟内の、さらに隠し部屋の中にあった転移装置から外界に出た僕とシャロンが、大規模なオークの群れとの遭遇戦闘に陥ったのも、またやむなしなのであった。
そりゃまあ彼らとしても、住み慣れた我が家の奥から、見知らぬ人間っぽいものが2人出て来たら驚くことも怒ることもあろう。
しかし、味方が瞬殺されるなか、12体もの数が次々と向かってくるとは思わなかった。
「逃げたのは1体だけか」
「追って殺しますか?」
こてん、と首を傾け、僕の判断を仰ぐシャロン。
そんな仕草は可愛さしかないが、言っている内容は物騒極まりない。
「いや、いいよ」
ていうか怖いよ。
襲いかかられたから返り討ちにしただけであり、彼らの棲家に侵入したのは僕たちのほうだ。逃げたものまで無理に追撃する必要はない。
「さすがにこいつら全部"倉庫"に放り込むのもな。いまは資材が大量に置いてあるし。ーー棚でも作るか。
ちょうど雨風しのげる洞窟だし、滝の裏側だけあって綺麗な飲み水もある。外に出れば木材もあるし」
「では、私は使えそうな木を拾って来ますね」
意を汲んだシャロンは、ぐるんぐるんと腕を回している。やる気である。
その間に、オークの血やら臓物やらでえらいことになってしまっている洞窟内を清める作業をするとしよう。
そういうのも"剥離"や"浄化"があればささっと終わるだろう。
「ああ、何かあったら呼んでくれたらいいから」
「はい。わかりました」
良い返事をし、一度にっこりと僕に向けて微笑むと、シャロンは洞窟から出て行った。
そうしてすぐに、メキメキバキバキ言う音と、鳥や獣が逃げ惑う声が響いてきた。
きっと彼女は手頃な木を見つけたそばから、さっきのオークに対してしていたように「えいっ」しているのだ。
シャロン、そういうのは拾ってくるとは言わないんだ。洞窟の中で一人、頭を抱える僕である。
ーー
ばちばち、ぱちぱち
薪の爆ぜる音が宵闇を切り裂く。
さらに、いい具合に肉の焼ける香ばしい匂いが、あたりに立ち籠めている。
この薪は、シャロンが「えいっ」したものをずるずると引きずって来たものを木材として加工し、"抽出"や"剥離"で水分を抜き、"倉庫"に置くための棚を作成した余りである。
形の良い木材は"倉庫"内にも貯蔵しておいたので、今後はそこから取り出して工作も行えるだろう。
オークの肉も、ある程度小分けにして"剥離"で寄生虫を剥がしたり血抜きをしたりしたあと、今焼いている分以外は"倉庫"に放りこんである。
ついでに魔術で作った氷も投げこんである。時間操作もすでに有効にしてあるため、ある程度の鮮度は保てるだろう。
場所は、最初に転移されて出て来た洞窟のすぐ外だった。
転移されてきた段階ですでに昼を回った時間だったため、無理に移動するのはやめ、洞窟を仮の拠点として整えたのだ。
洞窟内は一通り綺麗に片付けられており、念のため炎熱殺菌も行なっている。
ついでに洞窟の壁面や床面は、"全知"によると魔硝石というものだったため、2,30kgほど削り取り、これも倉庫に放り込んである。
そして。
「えいっ」
どしゅっ
「ギャン!!」
これでもう何度目かになるが、周りにやってくる敵性存在を、シャロンはそこらへんに転がっている石をものすごい速度で投擲することで片付けていく。
相手は光と匂い、人の気配に寄せられてやってくる魔物や狼である。
僕の隣で、木で作った椅子に可愛らしくちょこんと腰掛け、焚き火にあたっている様は、これまたまるで名画のようである。その正確無比かつ無慈悲な投石が無ければ。
片付けた獲物たちは、定期的にシャロンがごそっと拾って戻ってくる。
そうやって持って来てくれたとき、初回に頭を撫でて以降、シャロンは褒めて褒めてと僕のすぐ前で撫でられ待ちをするようになってしまった。
現に今も、眉間を見事に小石に撃ち抜かれた狼を拾って来たシャロンは、期待した感じの上目遣いで僕を待っている。
幻覚魔術を受けているわけでもないのに、シャロンの背後にぶんぶんと振られる尻尾が見えるかのようだ。
わしわしと頭を撫でると、「えへへ」と嬉しそうに笑うシャロン。
何度やっても嬉しいものらしい。
今回新しくシャロンが持ってきてくれた狼も、毛皮がたぶん売れるとは思うんだけど。剥がして売ったほうがいいのだろうか。
判断がつかないので、"剥離"をかけて蚤なんかを外してから、結局その状態のまま"倉庫"に放り込む。
棚を作ったのにも関わらず、早くも"倉庫"内部はごった返していた。
出来れば服なんかも作りたいんだけど、作り方がわかったところでその技術がない。僕の服は相変わらずびりびりに破れたままであり、少々肌寒い。
「そういえば、シャロンは寒くないか?」
シャロンも、途中で見つけた白衣やカーディガン、薄手のシャツを身につけたままであり、本人が平静としているのでついつい忘れがちになるが、はたから見ると随分寒そうな格好である。
冬が近づきつつある森の、滝のそば。そして夜の帳の降り始める時分である。研究所を出るとき"倉庫"に放り込んできた毛布を早くも取り出すべきかもしれない。
「はい。私は問題ありません。
マイナス50度から300度くらいまでであれば、とくに外装なしでも活動に影響がありません」
この程度の気候であれば、なんの問題もない、とシャロンは言ってのける。
「しかし、オスカーさんがお風邪をめしますと大変です。
今晩は私と裸で抱き合って寝ることを進言します」
「なんでだ。それはシャロンが脱ぎたいだけだろう」
「いいえ。違いますよぅ。
これは科学的にも実証されている手法なのです。一部条件はありますが。
さらに! 男女が二人で洞窟で夜を明かす際の、いわば鉄板、いわばお約束なのですよこれは」
熱弁するシャロンさん。
"全知"情報でもその発言に偽りは無いようだが、単に脱ぎたいだけだろうというのも真実だと僕は確信している。
「却下だ却下。
寒かったら断熱用の結界張ればいいし」
「うう! にくい、にくいですオスカーさん。
強くなってさらに磨きが掛かってしまった万能感がにくいです! これでは私の色香でオスカーさんメロメロ作戦がさらに遠のいてしまいます。
ああ、でもなんでも出来るオスカーさんも素敵ですーー」
複雑な乙女心、らしい。いろいろ残念な部分も一部駄々漏れになってしまってはいるが。
そうまでしなくとも、もはや僕はシャロンにメロメロであるのを自覚すらしているのだが、やはり恥ずかしいので伝えはしないのだった。
「あ。そうこうしている間に、お肉が焼けましたよ、オスカーさん。
火の通りが悪い部分もなし、残存有害菌類も完全死滅を確認しました。今が食べ時です」
「そんな、掃討作戦じゃあるまいに」
シャロンの言い方に苦笑しつつ、"倉庫"から取り出した皿を、これまた先ほどこしらえた木の机に並べていく。
食器類は鉄とクロムから生成した合金で、錆びにくく軽いため食器に適するというので錬成したものだ。
「食器まで作ってらしたのですか」
「うん。シャロンが木を伐採している間にね」
「しかし、数が多いような気がします」
「そう? 僕の分とシャロンの分のコップと皿。
ああ、これは水差しだよ。水を汲んでくるから待っててね」
「わたしのぶん、ですか」
小さく呟くシャロン。そういえば、地下にいる間は僕しか物を食べていなかったので、シャロンにとっては今回が初めての食事ということになるのか。
そうして水を汲んだ僕が戻るまで、シャロンはじっと自分用に割り当てられた皿を眺めていた。
「それじゃ、食べよう」
「は、はい!」
心なし、そわそわしたシャロンと卓を囲む。
ぱちぱちとリズミカルに焚き火が揺らめいている。
実のところ、僕もいま目の前にあるような大ぶりな肉を食べた記憶はほとんどない。
初めてと言っていいかもしれない。
村で手に入った肉は干し肉であるとか、卵を産まなくなった鶏、綺麗な毛の取れなくなった羊など、全体的に筋張っていたのだ。
たまに父が冒険帰りに肉を持って帰ってきても、近隣へのお裾分けであまり多くは残らなかったし。
そんなわけで、僕としても期待を込めて、肉を掴み取る。
今晩の献立はオークの骨付き肉に、そこいらに生えていたハーブをまぶしてただ焼いたものである。
向かいでは、シャロンも同じように骨付き肉を掴み、しげしげと眺めている。
大ぶりな骨付き肉と、深窓の令嬢を思わせるような美貌とが、なかなかのミスマッチを演出している。
どうやらシャロンは僕が食べ始めるのを待っているらしかった。
なので、僕は勢い良くがぶりと肉にかぶりついた。
ぬっちゃ
ぬっちゃ
ぬっちゃ
ごくん。
うん。なんだろう。
微妙だ。
脂っこい肉質と、なかなか噛み切れない食感に、独特の、どちゃっと拡がる臭みが豊かな不協和音を奏でている。
ぬっちゃ
ぬっちゃ
ごくん。
これ一本食べきるまでに、顎が鍛えられそうなほどだ。
しかも、今齧り付いたのは、ともすれば赤身と言って差し支えない部分である。
これが脂身ともなれば、どんな感じになってしまうのだろう。もはや脂を抽出して照明用にでもしたほうがいいのではないだろうか。
ふと気になってシャロンのほうを見ると、その小さな口で頑張って肉をかじっているところだった。しかしその表情は楽しくて仕方ないといった風だ。
「その。美味しい? シャロン」
「いえ。正直、微妙です」
「だよなぁ。でも、その割に何か楽しそうだね」
「はい。とても、楽しいです」
ころころと笑顔が弾ける。
つい、と右の手のひらを空に向ける仕草に、その表情に、思わず見惚れてしまう。
「打ち捨てられていた私を目覚めさせてくれたオスカーさんと、探検をして。外に出られて。
今はこうして星空の下で、ふたりで同じものを食べています。
こんな幸せな日々がこれからも続いていくのですから、楽しくないわけがないのです」
僕とシャロンが出会ってから、二人で行ったことのすべてが、彼女にとっては楽しいことの連続なのだった。
それは、"全知"を介するなど無粋なことをせずとも、シャロンの表情が如実に物語っていた。
表情がころころ変わる彼女ではあるが、基本的に普段は楽しそうに笑顔でいる。その理由が、これだった。
見上げた空には、月と、いくつかの星々が瞬いている。
知識でその存在を知っていても、実際に食べてみることや、実際に星を見上げてみる経験が、シャロンの中で何物にも代え難い輝きを持っている。
なんだかそれは、僕にとってもすごく嬉しいことのように感じるのだ。
「月が、綺麗ですね」
「ああ。本当に」
こうして、ふたりで静かに星空の下でご飯を食べているという環境要因によって、先ほどまでより少しは美味しく感じられるかもしれない。
期待を込めて、三口目を齧る。
ぬっちゃ ぬっちゃ
ぬっちゃ ぬっちゃ
ーーやはり、微妙な味わいは変わらず微妙なままだった。
「とぉっ」
びしゅっ
「ギャイン!!」
あまり、静かというわけでもなかった。
それでも、僕もシャロンも、笑顔であった。
星空だけが、そんな僕ら二人を見下ろしていた。
オスカーくんの作った合金のお皿は、ステンレス(のようなもの)です。