僕と彼女と情報交換 そのいち
「聞きたいことには答えよう。ただし、あんたらの持ってる情報をくれるならな」
「あなたねっ、セルシラーナ姫が直々に協力を願い出ているのよ!? それを――」
「リジット、少し落ち着きなさい」
ローレン氏が諌めるも、リジットはぶんぶんと首を振って嫌がった。その目の端には涙が浮かんでいる。何が彼女をそうまで駆り立てるのか、”全知”で読み取れる乱れた断片的な思考からは判然としない。
「どうせこの人だって、姫様を裏切るわ、そうに決まってるっ!」
「リジット――」
こちらに食って掛かる黒髪少女の剣幕に、姫殿下は悲しそうに目を伏せた。
シャロンが『どうしますか? 威圧します? 威圧します?』と目配せを送ってくるのに待ったを掛けておく。べつに敵対したいわけでもないし、情報源はこの場の者達に拘る必要もないのだ。なんなら、すこぶるつきの厄介事、面倒事の気配すらある。いまさらだが。
「信用してもらえないなら仕方ない。話はここまでだな。
まあ今日のところはこれ以上の移動は危ないし、食事を終えたら馬車でゆっくりするといい。朝まではついでに守っておこう。シャロンもそれでいい?」
「はい、もちろんです。まだしばらくは補給も必要ありませんから、ふたりでのんびり行きましょうね、オスカーさん」
あとは好きにしたらいいよ、と、あっさり見切りをつけて、さあ夕飯の続きをしようとスープ皿に向き直る。
まだ十分に温かさを残したスープは、個人的な手応えとしては美味しくできた自負があるのだが、日々研鑽を積んでいるアーシャの腕にはやはり及ばない。今朝出発したばかりだというのに、早くも工房での暮らしが懐かしい僕だった。
「どうかお待ちください、ハウレル様。配下の責はわたくしの責。申しわけなく思うのです。
しかしながら、わたくしにはお出しできる情報がほとんどありません。いいえ、シンドリヒト王家として絶対に表に出来ない物以外持ち合わせていないと言っても過言ではないでしょう。――ローレン」
「はっ。然るに、ハウレル殿の求めには応じられない公算が高いと言わざるを得ません」
姫殿下としてはここで話を打ち切られては困るのだろう。引き継いだローレン氏のほうも、声には苦渋が滲んでいる。
「つまりは、王家に害なす可能性のある情報は話さないし、それ以外の情報はほとんど持っていない、と?」
確認する僕に、ローレン氏は渋い顔で頷く。彼らとしてはこちらと敵対するのは避けたいのだろうが、さりとて出せないものは出せない……そういう葛藤の中にいるらしい。
「どういう情報が欲しいかによるんだろ」
「それはそうですが、しかし――」
「まあ聞け。僕が欲しい情報はふたつある」
指をふたつ立て話を続ける僕に向けて、視線が集まる。前髪に隠れ気味になっていて何を考えているかが表情から伺いにくい侍女のロナ = ローレンも、それとは対象的に不満げな表情を隠そうともしないリジットも、ひとまずこちらに耳を傾けてはいるようだ。
「ひとつは、今も続いてるこの揺れについて、何か知ってることがあるかどうか。まあこっちはついでだな。
もうひとつ、こっちが本命だけど、シンドリヒト国内の遺跡について、何か知っていることはないか。どこにあるとか、噂みたいなものでも構わない」
「遺跡、ですか?」
彼らとしては、そんな情報が求められるのはさすがに想定外すぎたのだろう。半ば身構えるようにしていた面々は、一様に目を丸くしている。
「王家が建造した遺産のようなものをお探しなのです?」
「いや、そういうのは別にどうでもいい」
「どうでも……なのです……」
「僕が探してるのは、旧文明の遺跡だ。のっぺりした石造りだったり、何故か人が寄り付かないところがあったり、そういうやつだ」
「オスカーさん。それって、もしかして」
ずーんと再び沈み込んでしまった姫殿下はそっとしておくことにして、こちらを覗き込み、瞬きをするシャロンに頷き返す。
シャロンの不調を直すための情報が、ラインゴット研究所跡――つまりは旧文明の遺跡に、眠っているかもしれない。そして、この土地固有の遺跡を探すためには、当てずっぽうに探し回るよりもこの土地に詳しい者に聞いたほうが効率的だろう。
「――なるほど。意図はわかりませんが、協力できる余地がありそうです」
「そうかい。そりゃ良かったよ」
「では……こちらからも条件を付けさせてください」
ローレン氏の続けた言葉に、片目を隠す前髪の奥で、ロナ = ローレンが二度見した。少しばかり咎めるような色のある視線からは、彼の独断が窺える。
「情報の交換に、さらに条件とくるか。まあいい、言ってみなよ」
「ハウレル殿のお力を見込んでお願い申し上げる。我々をシヴールまで護衛してほしい。そうしたら、その場の者たちにも揺れの心当たりと遺跡の情報を出させることをお約束しましょう」
「そこでまた後から条件つけるのは無しだからな」
「もちろんです」
「で、シヴールってのは? シンドリヒトに来たのは初めてでね、いまいち地理感覚がわかってない」
揺れの原因となっている魔力に関しては探知機で追える。しかし、どこに町があるだとか詳しい地形だとかの情報は、ガムレルの町ではほとんど手に入らなかったのだ。緒王国連合内の友好国としての繋がりがあるとはいえ、シンドリヒト王国は歴とした他国だ。普通、国外の詳しい情勢なんかは流れて来たりしないものだ。
「ここからだと、ふむ――地図があれば話が早いのですが、今はすべて谷底ですからな……」
「なにもこんな奴に頼らなくたってっ。それに行き先を教えるのは迂闊じゃない? もしやつらの仲間だったら?」
半眼でじとーっとこちらを睨みつけながら肉包みを齧り、リジットは眦をつり上げる。なぜこうも毛嫌いされるのかがよくわからないが、食べカスを頬にくっ付けて怒る様からは、あまり真剣味が感じられない。
「仮にそうだったとして、だったら我々を助け出すことはせんだろう。やつらと別の勢力だったとしても、我々程度力づくで屈服させ得よう。造作もなくな。
あの魔物の強さ、各々が見たろう。到底、我々で太刀打ちできるものではなかった」
「うぐっ……で、でもセルシラーナ姫の許可もなくっ」
もちもちふっくらした肉包みを堪能している僕をじろりと見咎め、リジットが唸る。
「姫殿下」
「構わないのです。任せます」
両の目を瞑って静かに委任するセルシラーナ姫殿下の返答を受けて、不承不承といったていではあるが、リジットは小さく頬を膨らせる仕草をして押し黙った。
「ん、終わったか? 地図なら、さっき襲撃者から奪ったのがあったよな」
「はい。どうぞ、こちらです」
シャロンが引っ張り出した地図は、黒塗りの矢を放ってきた襲撃者の一人が持っていたものだという。布張りで精緻な地図であり、ただの蛮族の類が持ち合わせているには不相応な代物だ。たまたま道ゆく商人から奪ったというのも、他の持ち物と照らし合わせてやや考えにくい。
「これはありがたい。我々の物資のほとんどは、グレス大荒野の渓谷に投棄されてしまったのです。食糧まで含めてね」
「襲撃してきた一団の仕業か。食糧、物資を奪うんじゃなく捨てるあたり、やっぱりただの蛮族じゃないな。そうやってどんどん物を捨てて、あいつは要求を飲ませようとしてきたわけだ」
どうりで荷馬車の広さに対して、積み荷がスカスカだったわけだ。
半獣人の男フィルは魔物を従えて、地図を捨て、水を捨て、食べ物を捨て――依頼に従ってコトを進めていたところに、僕らがちょうど遭遇した。
「やっぱり、あんたらの他にも護衛が居たんだろうな」
「――ええ。果敢に立ち向かった者、賊の目を姫殿下から逸らすためにわざと騒ぎを起こした者……皆、勇敢で気のいい若者たちでした――と、ここです」
他の者が一様に目を伏せ哀しみを湛える中、ローレン氏が指したのは地図の一点。渓谷に沿ってやや北側に位置する、山間の地点だ。
「シンドリヒト王国内は、今や動乱の只中にあります。誰が味方か敵かも定かではありませぬ。その点で、シヴールには信のおける者が健在で、定時連絡も取れておりました。三方を険しい山脈に囲われた立地上、襲撃を警戒するのも正面口だけで事足ります」
姫殿下は唇を引き結んで、哀しげに翠の目を揺らす。そんな姫殿下にロナやリジットは労わるように寄り添った。哀しげでありながら異論を挟まない彼女らの振る舞いから、ローレン氏の言う情勢が誇張でなく、本当に深刻な事態なのだろう。
「そんなところに逃げ込んでは、逃げ場もなくなるのではないですか? 補給路を絶たれれば容易に陥落しかねませんが」
大規模な町ほど、消費する食料や水、燃料の類が重要とされている。いかに守りが堅くとも、補給路が一本しかない場合、そこを分断されることがすなわち致命の一撃となりかねない。防衛上の利点は、町を維持するという点においては欠点として働き得る。
そう疑念を呈するシャロンに、ローレン氏が応じる。
「そこがシヴールの特異性でしてな。あの町は、内部だけでほぼ自給自足が成り立っております」
「シヴールで過ごした日々を覚えていらっしゃらないなんて――本当に、お姉様ではないのね」
「はい。先ほどから申し上げている通りに、人違いです。私もこの国に来たのは初めてですから」
リジットが淋しげにしゅんとして見詰めてくるのを、当のシャロンはまっすぐ見つめ返してこてんと首を傾げてみせた。そんなシャロンの仕草に、リジットの頬がはわずかに染まる。
「シヴールは王国の誇る、いわば学術都市でしてな。町全体が学府のようなものです。農耕や畜産の研究も盛んで、糧食や疫病の心配は格段に低い」
「町全体を賄うだけの食料が確保できてるのか? 学府ならなおのこと、労働力や防衛面に問題が出そうだけど」
「ふふん。そこんとこは心配ないわ」
よくぞ聞いてくれた、とばかりに片目を瞑ってこちらを見返したリジットが胸を張った。黒髪から覗く勝気な黒い瞳が、活き活きとしている。
「魔術科の子たちが作ったゴーレムが畑を耕してくれるし、騎士科の子たちが持ち回りで防備を固めてるもの」
「ロナもリジットも、シヴールの騎士課程を優秀な成績で卒業しているのですよ」
「優秀だなんて、そんな」
姫殿下の賞賛にぺこりと頭を下げるロナとは対照的に、胸を張ったままの姿勢でリジットはでれっと相貌を崩した。表情がころころとかわり、なんともわかりやすい。直情的なだけで、べつに悪い子ではないのだろう。
幻視魔道具で姫殿下の替え玉を務めていたのだから、忠誠心としても厚かろう。
「でも、そうね――騎士科の上位20人で構成される騎士隊は、練度が極めて高いわ。
まだまだガキんちょだけど、実力だけなら旧王都騎士隊にも引けを取らないほどよ」
「シヴールのガキんちょ隊――つまりはシヴガキ隊ですね」
「なんか一気にありがたみが薄れるな。でも――そういうことなら、僕らとしても行く価値がありそうだ」
リジットが少し自慢げに語ったところによると、シヴールの各学科で優秀な成績を収めた上位陣は、それぞれ特別な称号が与えられるらしい。
騎士科であればザ・ナイツ、魔術科であればザ・ウィザーズというように。卒業後にどうこう、と話が発展してからはかなり聞き流していたので、それに気付いたリジットにまたむくれられた。
本命は遺跡の情報だが、シンドリヒトの誇る学問の府、シヴールならば、シャロンの今の症状を緩和、あるいは改善するための取っ掛かりが手に入るかもしれない。
"全知"では、シャロンの不調が数多くの『エラー』というものが原因だということは視てとれるのだが、問題は僕だ。僕に、それを理解して対処する知識がないのだ。未来予知にも迫る"全知"の"神名開帳"をもってしても、今の僕に対処しようがないということなのか、"全知"は答えを返してくれなかった。
恩を売りつけておいて即座に取り立てるような所業であろうとも、僕はシャロンを救うために手段を選ぶつもりがない。
「わかった。シヴールへ至るまでの護衛、引き受けよう。ただ、自分から死ににいくような奴は守れないし、安全を守るための指示にはある程度従ってもらうぞ」
「もちろんです」
安堵したような表情を見せるローレン氏に、ぱぁっと表情を明るくして拝むように手を組み、僕らを若干うるうるとした瞳で見上げるようにするセルシラーナ姫殿下。大部分が前髪で隠れているものの、片目を伏せて恭順を示す侍女のロナ = ローレン。
しぶしぶといった様子ながら、リジットも頷いた。
同行することと、情報を取引することが決まったので、当面の間は味方になった面々に対して、僕はまず最初の指示を出す。
「じゃあまずは、持ってる魔道具、捨てようか」