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僕と彼女と野営地ごはん

 勢い良く燃え盛る焚き火が宵闇を切り裂き、熱と光を振りまく。パチパチと小さく木の爆ぜる音が耳朶を叩き、その音から僕は名もなき島で力を合わせてレッドスライムを倒したときのことを思い出したりしつつ、荷物から一冊のノートを取り出した。表紙には小さく丁寧な丸みを帯びた字で『アーシャお料理めも おそと編』とある。

 ぱらぱらと捲って、今回使えそうな項を探す。スォークからはかなり大振りな肉が取れたのだが、"倉庫"の使えない今、なるべく消化してしまいたかった。スォーク肉そのものに関する記述はなかったが、脂の多い肉なら基本的になんでも、というレシピを見付けたので、それを作ってみることにする。


 シャロンも期待を込めた目でニコニコとこちらを見つめている。無様は晒せない。内心で気合を入れ直す僕に、シャロンはくすりと微かな笑い声を零した。ええと、なになに……?


 まずは、サモチ粉に水を少々加えて()ねる。目の細かいサモチ粉はいろいろと応用が利くので、パンよりも優先して荷物に詰め込んである。岩の間に湧き出している清流は"全知"で確認しても害がなかったので、そのまま使った。捏ねては水を足し、また捏ねてをしばらく繰り返すと、サモチ粉はひとまとまりの生地となった。虫が寄り付かないよう”結界”で覆いつつ、白っぽい生地をしばらく休ませる。


「結界術師の方が見たら卒倒しそうな使い方だ、と以前に仰っていませんでしたか?」

「そうは言うけど、便利なんだよ」


 ころころと笑うシャロンの指摘に苦笑で応じる。

 応用の効く魔術を生み出した先達には頭の下がる思いだ。その観点だと、先ほど半獣人フィルの拘束に使った"粘着"の術式は、編み出したは良いものの、あまり応用の効くものではない気がしてくる。


 生地を休ませている間に折りたたみ鍋を火にかけて、一口大にぶつ切りにしたスォークの腿肉を炒める。ぷりっとして脂ののった灰色のスォーク肉は、熱された鍋の底に貼り付くこともない。表面に、パリッとした黄金色の焼き色がついたところで"念動"魔術でいっぺんにひっくり返すと、香ばしい匂いが周囲にワッと広がった。


 『アーシャお料理めも』に従って、あれやこれやと調理を進める僕を、シャロンは実に楽しげに観察してくる。べつに面白いことをしているつもりはないのだけど、優しい眼差しをずっと注がれ続けるので、なんだかむず痒いというか、気恥ずかしい気分だ。


 砕いた胡椒の実をひとつまみ振りかけ、水を少し加える。じゅわぁっ! という音と共に蒸気があがる中、すかさず蓋をして今度は蒸し焼きにする。

 ばちばちと踊る火をシャロンとふたり、のんびりと見つめる。ほんとは時間があるうちに寝床の準備をしたほうが良いのだけれど、幸せそうに寄り添ってくれるシャロンをどかせてまで他のことをする気にはなれない。


 しばらく見守ったあとで蓋を外すと、蒸気がもわぁっと立ち上って、一瞬視界を白く染めた。細かな水滴が付着した"全知"が、《水滴》《水蒸気》《湯気》と情報を伝えてくる。曇っている状態に不満があるのかもしれないが、余計な魔力を使われたくはないので外して服に仕舞いこんでおいた。


 両面が焼かれたスォーク肉をひとつ取り出し、半分に切り分けると、中までふっくらと火が通った灰色の肉が独特の匂いを振りまく。

 ごくりと唾を飲み、味見のために半分を口へと放り込んだ。


「あっづぅ! わふっ、あっふ、あふい!!」


 直前に"全知"を仕舞ったのがアダとなり、その代償として僕は涙目で口内を蹂躙する肉の暑さに悶える羽目になった。

 すかさず冷水を差し出してくれるシャロンのおかげでなんとか肉を飲み込み息を整える。無様を晒せないから頑張るぞと意気込んだ手前、気恥ずかしさが上乗せされる。はぁ……。


 とはいえスォーク肉の味自体は独特の臭みがあるものの不快なほどではなく、胡椒のピリリとした刺激とほどよく調和していた。


「ほら、シャロンも」


 恥ずかしさを誤魔化しつつ残る片割れを傍の少女の手に差し出すと、シャロンはささっと俊敏に手を引っ込めた。

 ん? と首を捻る僕の前で、僕の目を見上げて小さな口を開いてみせる。


「あ〜ん」

「あ〜ん、って。ちょっと、シャロン」


 ぷっくりとした唇と、口内の赤が、焚き火の光に照らされて、ちろちろと妖艶に影を作る。

 ごくり、生唾を飲み込んで固まる僕。肉をつまんだままの人差し指が熱を訴えてくる。

 そして遠目に、御者台の上でぼーっとこちらを眺めている壮年男性と、荷台の幌から顔だけ突き出してこちらを爛々と見つめるローブ姿を認めた。


「あ〜〜……」


 シャロンさん、めげない、諦めない。


 目を瞬かせ、少し不満げに小さく舌をうごめかせて、はやくはやく! とばかりに僕を急かしてくる。

 荷台から覗くローブ姿が2人に増えたあたりで観念した僕は、小さくため息をこぼした。


「ふー、ふー。ほら、シャロン」

「あ〜〜……んっ!」

「うわっ」


 肉片を差し出すと、思いの外勢いよく食いついてきたシャロンによって、つまんでいた指までまとめて舐めとられてしまい、小さく驚きの声を上げてしまった。

 ちゅぷ、と小さな水音を立てて返却された指先にどぎまぎしている間に、シャロンはもぐもぐごくんとスォーク肉を嚥下した。


「〜〜――っ!!」


 こてん、と小首を傾げたシャロンは薄くと笑みを浮かべ、見せつけるかのように視線を馬車のほうに向ける。

 覗き見をしていた女性たちはその視線に気付いたのだろう。声にならない声を上げ、幌の中へと引っ込んでいった。


「おいしかったです、オスカーさん」

「お、おぅ」


 なおもどこか物欲しそうな目で、こちらに振り向いたシャロンの艶っぽい表情から、内心ドギマギしつつサッと目を逸らして調理を再開する。このままシャロンのペースに乗せられてしまっては、調理どころではなくなってしまう……!


 肉を鍋から半分ほど取り出し、代わりに薪とともにシャロンが採取してきてくれた野草やキノコを加え、しんなりするまで再び炒める。あとは水を足して煮込みながら味を整えるだけだ。

 取り出した方の肉は、休ませてあったサモチ粉の生地に一つひとつ包む。シャロンが手伝ってくれるが、どうしても生地の厚さを均一に保ちたいらしく、整った眉根を寄せて真剣な表情でいくつかを包む間に、僕は他のすべてを包み終える。

 そうして作った肉包みを3つずつ枝に突き刺し、焚き火の周りで表面を炙っていくと、肉と生地の混じり合った芳醇な香りが夜空に立ち上った。


 火の番をシャロンに任せ、馬車へと歩み寄ると、僕の姿を見咎めたらしい壮年の男が御者台から降り立ち、自然な動きで荷台との間に立った。その物腰は柔らかで気負いを感じさせない。

 馬車の中での顛末だけでなく、この野営地でも僕とシャロンが魔物相手に暴れまわるのを見ている上でなお、少なくとも表面上は取り繕えるだけの場数を踏んでいることが窺える。戦闘中はさすがに乾いた笑いを浮かべていたにしても、だ。


「これは魔術師殿。先ほどは危ないところを助けていただき、ありがとうございました」

「うん。その話もしたいし、そろそろ夕飯ができるから全員降りて来てくれる?」

「申し出は大変ありがたいです。しかし皆、獣人や魔物の襲撃で心労も溜まっているようでして――」

「そういう探り合いするつもりはないし、必要もないよ。理由(ワケ)ありなのもだいたいわかってる。

 見た目をごまかしてる魔道具の範囲から出したくないんだろ。そのあたりもわかった上で言ってる」


 瞠目し、固まる男の前で手のひらを見せ、武器を持っていないことをアピールしてみる。

 とはいえ僕が魔術師であることは先方も承知している。さらに言えば杖や魔道書の類を使っていなかったことも。

 敵意がないと示してはいるものの、武器を持っていないだけで脅威がないという判断はしてもらえないのだろう。壮年の男は額に深い溝を刻み、しばし考え込む。


「さっきの半獣人から得た情報も伝えるし、こっちから聞きたいこともある。

 それにな。お腹がすいてちゃ、余計に気が滅入るだろ。あんたに決定権がないなら、ローブ女に聞きに行けばいい」


 なおも逡巡していた男だったが、山吹色の髪の幻影のほうでなくローブ女に言及したあたりで諦めたらしく、「しばし待たれよ」と荷台へと姿を消す。


 先に焚き火に戻って待っていると、壮年の男の先導に続いて、荷台に籠っていた者たちが続々と姿を表した。

 その中には、幻影の中で縮こまっていた黒髪少女の姿もある。目があったことに気づいたのか、少女は若干気まずそうに、ツリ目がちな黒い瞳をぷいと逸らす。


「オスカーさんは、ああいう気の強そうな子がお好みですか?」

「馬鹿言うな」


 すぐ真横にぴたっと貼りつくシャロンは、僕のわずかな視線の動きも見逃さなかったようで、わかりやすくぷくぅと頬を膨らせてみせる。その頭をわしわしと撫でて機嫌を取っていると、今度は黒髪少女の視線が少しげんなりしたものに変わった。


 僕とシャロンの正面、焚き火を挟んだ向かい側に立った4人に椅子代わりの丸太を勧めるも、彼らは動かない。そのかわりに、頭からローブを外しながら一歩前に出た女性が声を発する。


此度(こたび)のご助力、感謝の念に堪えません」


 やや疲れを滲ませながらも、気品が漂う、落ち着いた声音。若干の傷みが感じ取れるものの、山吹色の柔らかそうな髪。輝く宝玉のような翠の瞳。"幻視"ではない、本物だ。

 黒髪少女が魔道具で成り済ましていた相手、その本物が、目の前で泰然と佇んでいた。


「わかった、わかった。とりあえず座れば?」

「不遜! 不遜よ、あなたっ。そもそも頭が高いわ!?」


 礼を述べてきた高貴な女性に対する僕の反応が気に食わなかったのか、噛み付いてきたのは少し後ろに控えていた黒髪少女だ。

 キッと眉を吊り上げて、こちらを叱責してくる。"幻視"で替え玉役をしてガクガクブルブルしていたときとは別人のようだ。


 確かに平伏はしていないが、丸太に座っている僕とシャロンの頭が高いということはないはず。


「『座ってるから別に頭は高くないな?』みたいに思っているんでしょうっ」

「リジット、控えなさい」

「ぅ……、でもっ」

「リジット、おねがい」

「はい……」


 なにげに鋭く僕の内心を言い当てた黒髪少女は横合いの壮年男性に止められ、それでもなお不服そうな様子だったが、彼女の(あるじ)らしい山吹髪の女性にまで諌められ、ついにしょんぼりと肩を落とした。


「どうか気を悪くなさらないでほしいのです。あんなことがあったものですから、気が立っているようなのです」

「いいよ、べつに気にしちゃいない。替え玉で死ぬかもしれないような思いをしたんだ、そういうこともあるだろ」

「んなっ……!?」

「まあいいから、座りなよ。せっかく作ったんだから、おいしいうちに食べよう」


 リジットと呼ばれた黒髪少女が驚く声を上げてわずかに頬を赤くする中、先頭に立っていた女性が率先して腰を下ろしたことで、居並んでいた者たちもそれに従うようにおずおずと座り込んだ。

 黒髪少女だけは、僕とシャロンに向けて、吊り目がちな瞳でキッと見据えてくる。なかなかどうして、嫌われたものだ。


 こうして、和やかとは言い難い夕餉(ゆうげ)が始まった。

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