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僕と馬車と半獣人

 弱々しい油灯(ランプ)の明かりが照らす荷台には、シャロンの言った通りに何人かの生存者がいた。当のシャロンは外の襲撃者相手に大立ち回りを演じているらしく、地揺れと異なる振動と轟音が、何度か響いてくる。


 踏み込んだ入り口付近には男が倒れており、血の池に浸ってぴくりとも動かない。彼がすでに命を失っていることを、"全知"が伝えてくる。

 手早く見渡した僕の視界には、他に5人の人物がいて、そのほとんどが突然の闖入者たる僕のことを驚いた目で窺っていた。


「助けてくれ!」

「あっ、おい貴様ッ!?」


 突然の乱入の硬直からまず立ち直って、真っ先に動いたのは獣人の男だった。歳はアーニャと同程度だろう。薄緑色の髪の上にへにゃりと畳まれた三角の耳が哀愁を誘う。

 彼は助けを請いながら、荷台の入り口に立つこちらに向かって転がるようにして駆け出してくる。これに焦った様子となったのは、彼と対峙していた壮年の男だ。


 ふたりとも武器の類は持っていないように見受けられるが、どういう状況かもわからない現状、油断はできない。

 ウィエルゾアから聞いた話もある。調教師(テイマー)でもないのに魔物を操れる魔道具を使い、町や人を襲わせている存在のことだ。

 外の襲撃者や魔物とグルになり、馬車内を制圧する人員が配置されていてもおかしくはないのだ。


 怯えを含んだ情けない表情だが、獣人らしい膂力を遺憾無く発揮して、一瞬でこちらへと距離を詰めてくる。

 少しの安堵を滲ませた表情を浮かべ掛けた薄緑髪の獣人に、僕は右手に携えたままになっていた紫剣を振り抜いた。


「チッ」


 今にもこちらに跳び込まんとしていた獣人は、吐き捨てるように舌打ちをひとつその場に残して、表情を豹変させた。

 そのまま全身をしならせて大きく伸び上がったかと思うと、跳ね上げた右の拳で紫剣を迎撃してくる。


 ギィン!


 硬質な音を響かせて、お互いの体勢が少し崩れた。

 素手と思われた獣人の右拳からは、いつのまにか薄い刃が3本突き出している。その刃で紫剣を切り払われてしまった。


「クソがッ」


 唸るように吐き捨て、仕込み武器による不意の一撃で僕を仕留めることが叶わなかった獣人の男は、表情を豹変させて僅かに距離を取る。

 すぐ側にいたローブ姿の女性2人が頭を抱えて甲高い悲鳴を上げるが、獲物を見据えるような目は一直線に正面から――僕から逸らされることはない。その目には怒りも嘲りもなく、荒事に慣れた攻撃的な色が宿っている。

 この獣人の男にとっては預かり知らぬことだが、表層意識まで読み取れる"全知"に対して、姿を晒した上での不意打ちは至難を極める。


 獣人は半歩ほどさらに後ろに下がったかと思うと一転、鋭い踏み込みで掬い上げるように低空から刺突を放つ。これを紫剣で迎撃すると、打ち払った刺突には全く体重が乗っていない。

 む、と僅かに眉を顰める僕に対して放たれた本命の攻撃は、床を這うように放たれた鉄靴による水平蹴り。

 慌てず騒がず、ピンポイントで展開した"結界"で受け止め、紫剣を刎ねあげる。


 バヂチッ!!


「ンなッ――のアリか、クソ野郎ッ!」


 僕の表情から余力を読み取ったか、痛打を感じ取った獣人は、"結界"を叩いた次の瞬間には驚異的な瞬発力とバランス感覚を発揮し、一足飛びに紫剣の範囲から退いてみせる。ギシィ、と荷台が抗議の軋み声をあげた。

 薄く右足を掠めるにとどまった紫剣を正眼に構え直すと、視線が交錯する。口元はヘラッと浮ついた笑みをうかべているが、相変わらず目は笑っていない。


 対する僕はと言えば、相手が『クソ』と罵るたびに、以前に同様の罵りを受けた際の、


『粗暴な言葉を使ってはいけません。ちゃんと丁寧に『排泄物』、もしくは『うんち』って言うのですよ』

『うんちー』


 だとかなんとか言っていた、シャロンとラシュのやりとりを思い出してしまい、いまいち真剣味が削がれていたりする。かと言って、罵る言葉を変えてくれというのも変な話だ。べつに罵られたいわけではないのだから。


「随分余裕じゃねーか。まだ終わってねーぞ!」


 集中の欠けた僕の様子を見て取ったのだろう。薄緑髪の獣人は鼻白んだように、目を眇める。しかし。


「いや。終わりだよ」

「なにを――なッ……これはッ!!?」


 再び姿勢を低く沈み込ませ、跳び掛かる姿勢を見せた獣人の男は、その場でつんのめり、身体をしたたかに床へと打ち付けた。

 動かなかった自らの右足を見下ろした彼も気付いただろう。"粘着"する魔術が付与された斬撃を受けた足は、床との間に輝く紫光を生じさせ、縫い止められたように動かない。擦り傷とはいえ、術式の効果を当てるには十分だった。


「チィッ――!!」


 倒れ伏したあと動かなくなった右腕にも同様に、仕込み刃にべっとりと付着した、粘つく魔力の姿を視認して、獣人の男は忌々しげかつ盛大に舌打ちをした。


「害虫駆除のために編み出した"粘着"の魔術だ。大人しくしてろ。抗魔力のない獣人には破れない」

「オレを獣人なんかと一緒にするなッ!!」


 おや。害虫と同等呼ばわりよりも、獣人扱いのほうが腹に据えかねたらしい。先ほどまでとは打って変わって、憎悪に染まった血走らんばかりの目で、倒れたままこちらを睨みつける表情には鬼気迫るものがあった。


 ちなみに工房に出現した害虫の類は、"粘着"の魔道罠を開発するまでは、アーニャ、アーシャ、ラシュたちが捕まえるたびに僕の枕元か、僕とシャロンの部屋の前にそっと置き去っていた。本人たちにもよくわからないが、なんとなく褒めてもらいたくなってそのようにするのだそうだ。

 しかし、目覚めてすぐ目の前に害虫が転がっている――しかも、たまに生きている!――のはあまり気持ちの良いものではない。それでも『褒めて、褒めて?』と擦り寄ってくるアーシャたちを無碍にもできない。そんな止むに止まれぬ理由によって、彼女らに見つかる前に害虫を駆除する機構が必要となったのだ。


 そうして開発された"粘着"の魔術は接触という限定条件において効力を発揮するため、かなり強力だ。座標指定等を術式に込める必要がないので、魔力を注げば注いだだけ強力に粘つく。

 獣人でなくとも抗魔(レジスト)は大いに困難だろう。


「お前……そうか、半獣人(ハーフ)か」


 "全知"が伝えてきた情報をそのまま口にすると、獣人と思われた半獣人の男は目に憎悪の色を深め、少し大人しくなった。


 半獣人(ハーフ)。獣人と人間の間に出来た子供。

 そのほとんどは、人間の形質を色濃く受け継ぐため、傍目にはわからないことが多いらしい。しかし、時折獣人側の形質を強く受け継ぐ者が出るという。そしてそういう者は獣人同様か、それ以上に嘲り蔑まれる、とも。

 この男が何を背負い、獣人にどんな恨みを抱いているのかは知らない。しかし、厳然たる事実として、襲いかかってきた者にする容赦は生憎ながら持ち合わせてはいない。


「てめえがどうやって入って来たのかは知らない。けどな、もう出られないぞ。

 一歩でも出た瞬間、毒牙蛇(ポイゾウィップ)の餌食だ」


 目の奥の憎悪の炎を絶やさぬまま、獣人改め半獣人の男は宣言する。

 僕が馬車に侵入したときに、この男と対峙していた壮年の男をはじめ、荷台の生存者たちの同様が伝わる。

 そんな中、僕は『うんち』で損なわれていたやる気を俄然取り戻す。


「あのでかい蛇、そんな名前なのか。新種ってわけじゃないのか……?

 2匹倒したけど、まだ居るのかな。よくわかんないまま倒しちゃったし、他にもいるならしっかり素材を集めたいな」

「え」


 溶解毒液を分離精製できれば利用の幅が広がりそうだし、硬質な鱗に覆われながらもしなやかさを兼ね備えていた表皮は防具や鞄の素材として優秀かもしれない。"氷結"で一撃だったため、刺突への対策は必須だろうが、金属の裏当てで満たせよう。テンタラギウス鋼に抗魔を付与しておけば、魔術対策も兼ねて……いやいやさすがに重いか?

 ああ、でも"倉庫"が使えないから運べる素材には限りがあるんだった。いや、この馬車を借りられれば、あるいは?


「倒した……? あの魔物をか?」

「ん? ああ。2匹だけね。もっといるかなぁ。いたらいいなぁ。

 とりあえずズタズタにしちゃったから、あんまり素材が取れなさそうだなって思ってたんだ。溶解液もほとんど(こぼ)れちゃってたし」

「お、おぅ……?」


 絶句して黙ってしまった半獣人の代わりに、女性を庇った姿勢のまま固まっていた壮年の男が声を掛けてくる。

 あまり理解が得られなかったみたいなので若干悲しいが、グレス大荒野で手に入れた素材もあることで、魔道具技師(アイテムメイカー)としてのモチベーションに火がついていた。


「……。この紫の魔力に、剣を使う魔術師、取り立てて特徴がなくキャラ立ちが弱い眼鏡野郎――そうか、てめえが。あの"紫輪"か」


 床に縫い止められたまま、薄緑髪の半獣人が憎々しげに零す。


「え、なに!? 僕そんな風に言われてんの? キャラ立ちは関係なくないか?」

「クソッ。とんだ邪魔が入った」

「なぁキャラ立ち関係なくない!?」


 半獣人の男は、今度こそ諦めたのか、悪態ひとつついて脱力する。


「獣臭ぇから油断すると思ったのに……」

「……なんでだよ、キャラ立ち関係ないだろが……。いま関係ないだろが……。

 で、なんだって? 獣臭い?」

「ああ、臭いね。獣人の――猫人の胸糞悪い臭いだ。

 オレが見つけてズタズタにしてやった、あの汚らしい獣人の里の――ゔッ、が、かはッ」


 今朝の出がけにアーニャたちが、旅立つ僕らを見送るためにくっついていたことを言っているのか。

 いきなり襲いかかって来た上に若干気にしているキャラ立ちにまで言及された上、大切な家族のことまで悪しざまに言われ、不快だ。それ以上に、今こいつが口走った内容は看過できない。

 "念動"でギリギリと締め付けるも、苦しそうにしながらも奴はニヤついた口元を糾そうとしない。


「お前が、見付けた、だって? どういう意味だ、おい。答えろ」

「ッハ! ハハ、ハハハハハ!! なんだよ、怒ったのか!? ハッハハハハハ!!

 そうだよ! オレが、見付けた。初モノが貴族様に高く売れるって頭領は喜んでくれた。――てめえが殺した、頭領がな!!」

「そうか。……お前、あの蛮族集団の残党か」

「ハッ! だったら何だ!! ハ、ハハゲ、グ、ハ、ハ、ガァッァ!!」


 ぎりぎりぎりぎり。


 掲げた右手の紫剣が光を増すたび、半獣人の全身を絞めつける"念動"が強まる。しかし、いつまでもそいつは薄ら笑いをやめようとはしなかった。

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