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IFルート『暴王』編

4/27 オスカー = ハウレル誕生日企画。

本編から分岐した世界のお話です。

 大理石を敷き詰めた床に、継ぎ目のない柱。隅々まで白く磨き上げられた霊廟に、汚らしい声が響いていた。

 否。ただ声と形容するのは、いささか本質から外れた、悲壮さを欠いた表現だろう。


 絶叫。懇願。怨嗟。また絶叫。阿鼻叫喚の、地獄のような悲鳴が、白い空間を満たしている。


 自ら(こしら)えた玉座に深々と腰を沈めるぼさぼさの紫髪の男は、その様子を虚ろに淀んだ紫の瞳で眺めていた。


「助けてください助けてください助けてくださいお願いしますなんでもします許してください許してください助けてください助けてください助けてください助けてくださいあああぁああああどうかお許しくださいお許しくださいがぁあああああぁああ熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い痛いぁぁああああああああッッ、おゆ、お許しくだ、お許しください、どうか、どうか助けてください、助けて、たすけて、タスケテ、タス、あぁああああああ」


 肉の焼ける香ばしい匂いが、比較的風通しの良い霊廟内に充満している。しかし、玉座の男はそんなことには興味なさげにゆっくりと足を組み替えた。


 彼が冷めた目で見つめる先には、首と手足に結ばれた鎖に吊り下げられ、じゃらじゃらと言わせながら、ぎりぎり足が着く焚き火の上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねる小太りの男の姿がある。

 男が繋がれている鎖の反対側は、かなり高い位置に横渡しになっている柱に固定されている。そこから吊り下げられる格好になっている男は、弱火の焚き火の上で、ぴょんぴょんと飛び跳ねるか、あとはせいぜいが懺悔を口にする程度の自由しか、彼には残されていないのだった。


 焚き火は焚き火で、ただの火ではない。霊廟の床に直接刻まれた、金の縁取りの魔法陣。そこから燃え上がる、深紫色の魔術の炎。何が燃えているというわけでもないので、飛び跳ねる男には焚き火を破壊するといった対処も不可能なのだ。


「あああぁああああどうか、どうか、どうかお許しくださいお許しくださいいぃぃいいぁあああああぁああ、あぁあッ」


 咳き込み、噎せる喉は炎でカラカラに乾き切り、貼りついた苦い血を飲み下す。熱い。繋がれた男の肺を満たす空気は、ただただ灼けつく熱さ。息苦しさに口をぱくぱくと動かしてみても、痛む喉から迸るのは悲鳴ばかり。

 男は、よく燃えた。じつによく燃え上がった。全身に纏った高価(たか)そうな服は防火対策が施されているのか、じわじわとしか燃え広がらない。しかし、男の肉体はさぞ脂を溜め込んでいるのだろう。ごつ、ごつ、と飛び跳ねるたびに骨がぶつかる音が聞こえだしてからは、さらに炎の勢いが上がった。


 しかしその様子を――存外にまだ余力があるようだ、と玉座に腰掛ける男は、眼鏡の奥の冷めた目で観察する。

 余力がなくなってくると許しを乞う声は再び怨嗟の声に戻り、それを過ぎれば『死なせてくれ、殺してくれ』というものになり、ついには何も喋らなくなるのが()()()()()()()()()だった。


 まあ、でもそろそろ左脚なんかはいい具合に焼けたか? と。面倒くさそうに手を動かすと、傍に控えていた人影がそれに呼応して動き出す。


「はい」


 静謐というには肉の香ばしい匂いと悲鳴がただただ邪魔な霊廟内に、凛と澄み渡った鈴の音のように透き通った声が、短く響く。


 ゆっくりと歩み寄って来る、金髪蒼眼の美女の姿から、吊り下げられた男は少しでも遠ざかろうと躍起になって嗚咽交じりの悲鳴を漏らす。まるで死神にでも行き逢ってしまったかのように、必死に骨の見えた両足を動かす。しかし、その努力は鎖によって封じられ、火の上から動くことは叶わない。熱された鎖が、小太りの男をあざ笑うかのように、じゃらりと重い音を立てた。


 男の悲痛な願いも虚しく、金の一閃によって左足首から先、良い具合にこんがりと焼けた部位が転がり落ちる。香ばしい肉の匂いと不釣り合いな、脳髄を一瞬で駆け巡る凄まじい激痛に伴う絶叫と、啜り泣きが霊廟内を満たす。


 綺麗に切断された傷口からは、一瞬後にどばっと鮮血が溢れ出た。どす黒く、汚れた血だ。が、それを察知した魔法陣が怪しく煌めいたかと思うと、傷口を焼き固めていく。再び絶叫。


 金髪蒼眼の少女はそんな慟哭にはまったく頓着しない。火の上で炙られ続ける左足をつまむと、後方に設えられた檻へと、香ばしい匂いを放つソレを放った。


 ――かろん。


 軽い音を立てて檻の中に転がった肉は、直前までは、小太りの男に繋がっていた部位。いまも泣き喚いているその男の、一部だったもの。しかし、檻の中に収監される数名の者たちにとっては、命を繋ぐためのまたとない機会。鎖をじゃらじゃら言わせながら、檻の中で醜い争いが起こる。数時間前までは同じ檻の中にいた男の左足を、血眼になって、奪い合う。これが、ザイルメリア王国の、高官だった者たちの今の姿だった。


 飢餓の苦しみというのは、生物が生まれながらにして隣り合わせのモノ。現代の人間、とくに政府高官ともなると久しく忘れていたモノでもある。しかし、その原初の記憶さえ、数日を放置されれば容易く目を覚ます。

 飢えを、渇きを満たしたい。根源的な、本能的な欲求。人間性などというものは、なんの役にも立たないのだ。


「ハッ!」


 その光景を、玉座の上から冷めた瞳で見下ろして、男は鼻で笑った。

 ――醜い。実に、醜いものだ。そして彼らが醜いからこそ、彼の精神は束の間の安らぎを得る。



 広々とした霊廟は、その広大さや荘厳さとは対照的に、その実体はただ二人の人間を慰霊するためだけのものだ。

 玉座のすぐ後ろ、ともに凄惨な光景を見下ろせる場所に、ただふたつ、隣り合うようにして慰霊碑(モニュメント)(そび)えている。

 白亜の輝きを放つ碑には継ぎ目ひとつ見当たらず、ほど高い中央部分にはそれぞれ剣と杖の浮彫(レリーフ)が施され、まるで天を衝くかのように堂々たる威容を示している。


「どうかお許しを、許し、許して、ぎぁああ、あぁぁあああッ! 許してください助けてください助け、ぁああああああぁぁ、ゆるし、ぁああああぁぁッ、ぁぁぁあッ」


「そろそろ右足も良さそうだな」


「はい」


「ひぎっ、あっ、あぁぁぁあ、ゆるして、助けて、たすけて、たすけてタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテあぁあおねがいしますあっギ、ぃぁああああああああッ」


 こんがり上手に焼けた肉片を金の一閃が切り取ると、魔術の炎が再び切断面を速やかに焼き潰していく。両の脚を失った者でもうまく炙られるよう、吊り下げられたモノの重さに応じて鎖が伸縮する仕組みだ。次は臓腑を炙られることになった小太りな男は、深紫炎の上で転がり回る。


 ぎっ、ぎっ、ぎりりっ


 鎖が締まる。悲鳴が迸る。


 こいつらは、自分たちが鎖をかけられる側に回るなどと、夢にも思わなかったに違いない。

 民の人生を狂わせて、ささやかな平穏を踏みにじっておきながら、のほほんと甘い汁を啜っていた奴ら。


 腐っている。すべて、すべて、腐っている。腐敗している。

 だから、男は今日も燃やす。孤独な玉座から濁った目を向け、退屈そうに。



 暴王。


 いつの頃からだろうか。畏怖と憎悪を込めて、そう呼ばれるようになっていた男は、強大な力で逆らうものを蹂躙していった。


 彼がまず大きな動きを見せたのは、蛮族組織『紅き鉄の団』を惨殺した時であろう。そのまま時期を連ねるように、数多の蛮族、それに関与していたと見られる貴族を皮切りに、国の中枢に関わる者にさえ、その暴虐の腕は伸びた。

 次いで彼の怒りに触れたのは、今は亡きシンドリヒト王国である。かの国は焦土となって事実上消滅し、焼け爛れた元・国土が広がるばかり。一体どんな出来事があったのかを知る者はほとんど生存していない。しかし確かなのは、その場所が、すでに生物の生存できる環境ではないという事実だった。


 周辺各国を震撼させた暴王は、旧シンドリヒト王国領の離れ小島を居城とした。

 いつのまにか建造されていた荘厳な霊廟は、ただただ白く磨き上げられ、今日(こんにち)も来る者を拒み続けている。


 なにも周辺諸国も、黙ってそれを見ていたわけではない。ただ、どうにもできなかっただけだ。

 シンドリヒトが墜ちたことで急速に纏まった周辺諸国、とくに諸王国連合と呼ばれる国々は、暴王討伐を銘打ち諸王国連合軍を組織した。

 しかし。数万からなる軍勢だったのにも関わらず、差し向けられた連合軍から母国へと帰り着いた者は、今日までただの一人として居ない。


 ――見えない壁に阻まれたかのように、矢は跳ね返され。

 ――船は底の窺えない大渦に全て沈み。

 ――装備を捨てて一目散に逃げ出した兵たちすら、生きていられる時間にはほとんど差がなかった。


 地が爆ぜ、冗談のように人が飛んだ。風が薙いで、一度に数百人の上半身と下半身が真っ二つになった。黄金の煌きをまとった女神が、わずかに生き延びた者たちを屠殺して回った。まるで麦を一房刈り取るように、簡単に、ぶちっと。遠方からその様子を魔道具で観測していた斥候も、突如苦しみ出したかと思うと次の瞬間には白目を剥いて事切れた。

 これらの、戦いとすら呼べない虐殺、その一部始終を目撃した地元の猟師や釣り人の、錯乱した報告をどうにかこうにかまとめ上げて、各国が得た情報がそれ。数万人の命と引き換えに得た情報が、たったのそれだけ。


 そんな、言ってしまえば荒唐無稽な夢物語――悪夢に違いないが――を笑い飛ばす者は、国の中枢に関わる者の中にはひとりとして居ない。

 各国の王の私室に、その部屋の持ち主たる国王の首と並べて、諸王国連合軍の将軍の首が無造作に転がしてあったという事実を知る政府高官たちにとっては、その報告を事実として受け入れる他なかったのだ。


『暴王と暴妃には、いかなる手も出してはならない』


 それが、手痛すぎるしっぺ返しを受けた各国が得た、ここ一年の教訓である。


 各国要人にとって幸いにというべきか、一度目の侵攻に対する()()のあとは、猛る王によるそう大きな動きはない。

 たまに後ろ暗い噂のある者が忽然と消えることがあるくらいで、何か手出しをしない限りにおいて、彼らがその武力をもって攻勢に出ることはなかったのだ。それに、何日か前から海は深い赤に染まり、海に近く生物を溶かすようになった。これも異常事態にして緊急事態に違いないのだが、物理的に隔離された霊廟と暴王に、どこか安堵した者は少なくない。



 だから今日も、あちらこちらで暴王についてのまことしやかな噂話が、尾ひれをつけて飛び回る。それらのほとんどは都市伝説なようなものだが、中にはそうでないものも含まれる。


 ――その日、ガムレルの町、東の酒場で杯を酌み交わす男たちの話は『そうではないもの』の類だった。たまたま、何の気なしに背中越しに聞いていた青年は、途中から耳を(そばだ)てることになる。


 それは、変わり果てた友の、現在の様子かもしれなかったから。

 だから彼は――貴族の跡取りにして、冒険者でもあるカイマン = リーズナルは、持っていた杯を静かに置いて、背中の声に耳を傾ける。


「チッ――。ったくよぉ〜。この麦酒、こないだよりさらにまずくなってねぇか? それだけじゃねぇ、まぁた値上げしやがった。毎日の楽しみすらこんなんじゃ、生きてる旨味がねぇよぉ。それもこれも『暴王』のヤローのせいだッ、ちくしょうめが」


「まぁまぁ」


「しかもだ、あンの不気味な鳥やら鼠やら……じぃっと俺らを見てるみたいで気持ち悪りぃ。ここより南の方では、海が真赤になって大勢死んだとも聞いたぞ。全部全部、『暴王』の差し金なんだろ!」


 声を荒げる男の言葉は、いわゆる噂話だ。ただ、まったく根拠がない話というわけでもない。だからこそ噂話足り得るのかもしれない。


 数万人規模で組織された連合軍は、元々が騎士や傭兵だったものたちだけで構成されたわけではなかった。

 シンドリヒトの惨状に怯えた高官によって、ただの農夫や職人までもが駆り出され、そして誰一人として帰らなかったのだ。カイマンの兄も貴族の義務として出兵の先頭に立ち、そして戻らなかった者のうちの一人に数えられる。

 作物の穫り入れの時期だというのにどこもかしこも人手不足に陥っており、それに伴い物価の上昇や粗悪化を招いているという側面も、確かにある。だから『暴王』絡みと言えなくもない。


 人手不足の煽りをモロに受けて、奴隷たち――とくに獣人奴隷たちの待遇悪化という形でも表れている。

 昼は農作業に駆り出され、夜は娼館勤め。年端もいかない子でも、そのような環境に置かれている。鬱憤の溜まった町人たちに好き勝手な扱いを受け、まるで消耗品のように使い捨てられる。それは、ここガムレルでもざらに見られる光景となっていた。

 カイマンは、ある獣人の女性を思い出していた。数日の間だけではあるが、共に過ごして共に怨敵に挑んだ者。大切な者を奪われたことに怒り、悲しみ。何かあれば驚き、呆れ。カイマンと同じものを食べ、笑った。人間同様に。

 それまで獣人に抱いていたイメージは、『多少言葉が通じて便利に使える魔物』という、世間一般のものと大差がなかったために、彼の価値観は大きく揺さぶられることとなっていた。しかし――現状の獣人(かれら)の置かれている環境は、もはや家畜以下と言わざるを得ない。どうにもならない苦い思いを振り切るように、カイマンはかぶりを振った。


 もうひとつの話のほうは、与太話の域を出ないものだ。

 海が赤く染まって人が食われるだとか、紫の目を持つ鳥が、気づけばじっと自分たちを見ているような気がする――そういう、ただ気味の悪いというだけの話も、たいてい『暴王』の仕業とされていた。


(まあ、もっとも――暴王が彼なのであれば、本当に関与していても驚きはないが)


 『暴王』の出現と時を同じくして、あれだけ頻繁だった地揺れはピタリとおさまり、一年以上が経った今、誰の口火にも登ることがない。人々の関心は、新たに出現した存在に、そっくりそのまま移し替えられた形となっていた。


「俺は……『暴王』、ヤツがそんなに悪いやつじゃない、そう思ってる」


「あァ〜? なんでだよ。『暴王』だぞ、『暴王』。麦酒をこんなに高くマズくしやがった『暴王』だぞ」


「……。俺。俺、実はな。奴隷だったんだよ。犯罪奴隷ってやつ。ああ待て待て、無実の罪だったんだが」


 男の突然の告白。

 それによって、騒がしい酒場の一区画、その場所の空気だけが張り詰めたように感じられた。男は、静かに言葉を続ける。


「俺、これでも、以前はさるお方の側仕えをしてた騎士だったんだぜ。その頃の剣技で、今も冒険者としてなんとか食っていけてるわけだが。

 ――そう畏まらないでくれよ。よくある話さ。政治のことはいまいちわからんが、その方はあらぬ嫌疑をかけられ獄中死。俺も捕まって、犯罪奴隷落ちさ」


「お、おう……それは、なんだな。おぅ……」


「ただの酔っ払いの戯言と思って聞いてくれて構わんさ。その思い出したくもない奴隷時代にな……会ったことがあるんだよ、俺は。『暴王』に。あの方にな」


「まさかお前ェ……あの話の生き残りってぇやつか」


 先に声を荒げていた男が興奮したように身を乗り出す。対する男は静かに頷きで返した。

 背中越しに話を聞くカイマンも、ごくりと唾を飲み込んだ。食事の手など、もはや完全に止まっている。


「噂はそんなに間違っちゃいない。いろいろ尾ひれが付きまくってるけどな。

 そうだな、どこから話したもんか――あるとき、ある商人が連合軍を虐殺してみせた『暴王』に取り入ろうと、貢物を大量に持ってった」


 男が語るのは、聞いた事のある噂話と大差がない内容だった。ただ、ところどころ『その場にいた者』特有の言い回しが含まれる。


 食料や、嗜好品。それに、奴隷。大量の貢物を携え、霊廟に船を着けた大商人。ただ、何か『暴王』に気に食わない部分があったのだろう。

 その商人は『すぐに首を刎ねられる』というのが温情に見えるようなおぞましい方法で()()することになったという。


 奴隷の中に紛れていたという間者や、犯した罪を声高に語っていたような犯罪奴隷たちも、その場でただ冷酷に惨殺されたらしい。


「犯罪奴隷の中にゃあ、なぜか居るんだよな。捕まる原因になった罪を自慢げに語るやつらが。

 そういう外道連中の首が、一瞬で吹っ飛んだんだ。くるくるってな。……はは、ははっ。あれは傑作だった。ははっ」


「お、おぅ……」


 楽しげに笑い声をあげる男に対して、話を聞いていた相方はドン引きである。

 あれだけ喧騒に包まれていた酒場全体が静まりかえっていることに、彼らだけは気づかない。


「生き残った奴隷の中にも、吐くやつ漏らすやつ震え続けるやつ、気絶するやつ……いろいろ居たけどなぁ。ははっ……。

 そんな俺たちを縛ってた首輪が、全部。全部いっぺんにだぞ? 粉々に砕けてな。そんでただ一言、言われたんだよ」


「な、なんて?」


「『帰れ』ってさ。くくっ」


 静まりかえった酒場の中で、男は楽しげに笑い声をあげる。


 実際、粛清された商人や各国要人の噂話は事欠かない。どこまでが本当の話かはわからないが、そんなこんながあったので、各国は暴王の討滅も利用も制御も諦めた。ただただ、その怒りに触れぬように、怯えて過ごすのが彼らに赦された生き残る唯一の道だったのだ。


 『暴王』が、その名を馳せる前。


 おそらく『暴王』である()が、カイマンの前から姿を消した、あの出来事。

 あの日、あの後。彼と交わした言葉も一言だけだった。『じゃあな』と、たったの一言だけ。


 彼は、彼の母だという、(むご)たらしい遺体を抱きかかえて、金髪蒼眼の少女と共にカイマンの目の前から去って行った。一瞬迷ったようだったが、獣人の女性もそのあとを追っていき……それっきりだ。

 カイマンは、彼を追うことも、咎めることも、何もしなかった。何も、できなかった。


「『暴王』には、きっと全てがわかるんだ。間違っていることが。正しくないことが。だから、正しくない者は消えていく。

 俺たちを嵌めたあの男ッ! あいつも! いなくなったッ!!」


 ダン!


 テーブルをしたたかに叩きつける音が、静まり返った酒場に響きわたる。話している間に昂ぶってしまったのか、その様はある種の狂気を纏っているようで、穏当な声を掛けることすら躊躇われる。


「そ、それで『暴王』ってのは、どんな奴だった。見たんだろ」


「『暴王』――あのお方を、直接目にできた時間は、長くない。全身を駆け巡る恐怖で、それどころじゃなかった。

 でっけぇ白い柱の下で、側に女神が立っていて、そして彼はただ玉座に佇んでいて……変わった色の髪の色と、あとは……」


「――」


「赤い、眼鏡のようなものを掛けていた」


 やはり。『暴王』は、彼だ。

 彼が至った、成れの果ての姿だ。

 カイマンの胸中に驚きはない。ただ、虚しさに似た穴だけがあった。

 そして同時に、罪なき奴隷をすべて逃がしたという生き証人の証言から、彼にはまだ人の心が残っている――すべてが暴虐に消えてしまったわけではないと、微かな希望をにじませた。


 ――そこに、突如第三者の声が割り込んだ。


「その話。詳しく聞かせてもらえるか」


 声を掛けられるまで、話をしていた渦中の男たちはおろか、カイマンも全く気付かなかった。

 しかし一度認識すると、なぜ気付けなかったのかが不思議なほど、()()()は強力な存在感を放っている。


 酒場に居合わせた全員の視線を釘付けにするそいつは、ボロ切れのような、赤い衣を纏っていた。



  ■  ■  ■  ■ ■ ■ ■ ■■■■■■■■■



 ――動く者のない、耳が痛いほどの無音な霊廟内部。なんの前兆もなく、青白い魔法陣が展開されて、その中から湧き出すようにして人影が二人分、姿を表した。


「夜分に失礼」


 人影の片方、赤い衣を纏った、通称『赤衣の勇者』が、声色は一切詫びれもせずにふてぶてしく非礼を詫びる。

 その姿勢には、暴王の居城に闖入を果たした気負いなど全く見られない。ただ淡々と冷静に、慇懃無礼だった。


 対する暴王も、磨き上げられた唯一の玉座に深く腰を落ち着けたまま、闖入者ふたりを冷めた目で出迎える。"転移"魔術によって突然踏み込まれた驚きのようなものは皆無だった。それは暴王の側に立ったまま控えている魔導機兵も同じ。月明かりの照らす下で、ほのかに蒼い眼が光を放つだけで、微動だにしない。


 慇懃無礼な詫びの言葉に対する反応は、無言。誰も動かず、何も言葉を発しない。痛いくらいの沈黙が、霊廟を染め上げる。

 ややあって、埒が明かないと判断したのか赤衣の勇者が口を開いた。


「少年、君の眼鏡の話を聞いて、もしやと思って見に来た」


「――。これの元々の持ち主か」


 意外にも、暴王はこれに応えた。声は、どこまでも平坦で無関心。

 『勇者』の同行者にとっては意味不明なやりとりだが、二人の間ではそれだけで、何事かのやりとりが済んだらしい。


 暴王はおもむろに眼鏡を外したかと思うと、勇者のほうに放った。赤く縁取られた眼鏡は魔術の影響を受けたのか、ゆっくりと『勇者』の手元へと移動する。片手でそれを受け取ると、まるで拍子抜けだと言わんばかりに小さく鼻を鳴らした。


「俺の目的は達した。お前はどうする」


「私は友と語らっていくよ」


「好きにしたらいい。――”其は全てを繋ぐもの(オープン・ザ・ゲート)”」


 勇者は『帰りは自力で勝手に帰れ』、とは言わなかった。勇者に同行させてくれとせがんだ男には、もとより帰るつもりがないとわかっていたからだ。共感するような感性は勇者にはもはや残っていなかったが、それでも理解はできる。

 生き物全てを殺す赤い海によって、今や完全に外界と隔離された霊廟に、いともあっさりと闖入を果たした赤い男は、来た時同様にあっさりと、足元に展開した青白い帯状の魔法陣によって消えた。またどこか、別の場所に転移したのだろう。



 消えた勇者を横目に確認したあと、同行者――カイマン = リーズナルはいよいよ暴王に『拝謁』した。


 月明かりだけが、白い霊廟を照らす幻想的な光景。己の位置よりも数段高い位置の玉座に腰を沈める暴王を、カイマンはただまっすぐに見つめる。友の姿を探すように。


 ――そして。目と目が合う。その目を見て、カイマンは悟った。

 『彼にはまだ人の心が残っている』、その考えは的外れな誤りだったということを。


 『暴王』は、もはやカイマンの記憶にある少年ではなかった。大まかな特徴は一致しているが、かつての彼と同じ人物だとは、どうしても思えない。


 深い虚のように濁った泥のような紫の瞳は深い隈に縁取られて落ち窪み、痩せこけた頬と相まって、健康的とはほど遠い。さらに暗鬱とした印象を強めているのは、ぼさぼさに伸びた髪。こちらも目同様、泥のように淀みくすんだ深紫だ。


 目が合っただけで、気圧された。

 しかし口を引き結ぶために、彼はここまでついて来たわけではない。


「オスカーに、シャロンさんも。息災そうで何よりだ」


 返事はない。


 暴王へと変わり果ててしまった彼が、本当に彼であった者なのか。暴王から彼の面影を感じ取ることにすら苦痛を覚える。いっそ嫌悪感にも似た感覚だ。


 彼が奴隷を助けたのは、彼の心が生きていたからではなかった。それが、カイマンにはよくわかった。他ならぬ、己を見る暴王の目を見ただけで、理解できた。理解できてしまった。


 暴王にとって奴隷たちは単に敵ではなく――彼にとって『どうでもいい存在』が邪魔だったから帰らせた。ただ、それだけのことだったのだろう。

 殺して後片付けをするより自発的に出て行ってもらったほうが楽。その程度の考え。濁った暴王の瞳からは、かつての友の優しさなど、微塵も感じられなかった。


「獣人の――たしか、アーニャさん、だったか。彼女はどうしたんだ?」


 きょろきょろと周りを見渡し、努めて『いつもの』調子で尋ねるカイマン。見渡した途中に、ぶら下がる鎖や血の跡の滲む空の檻が視界に入り、それらについてはつとめて無視することにした。暴王は、目を合わせることもなく、実に面倒くさそうに足を組み替える。


「お前、いつの話をしてるんだ」


「ここにはいないのかい?」


「――」


「なあ、オスカ「――おい、あの獣人はどうなったんだっけ」」


 しつこく言葉を重ねるカイマンを、暴王の無気力な瞳は見下ろし続ける。そこに少しの苛立ちと、面倒臭さが垣間見えて、それだけでカイマンの背筋には冷たい汗が幾筋も流れる。


「はい。今から153日前に死亡しました」


「だそうだ」


「そう、か」


 あくまでどうでも良さそうな暴王の立ち居振る舞いに、込み上げてくるのは諦観だ。


 カイマンにとってのかつての友は、もう居ない。彼の(こころ)は死んでしまった。共に邪悪に立ち向かった男は、もう世界中を探しても、どこにもいない。ただ、彼の怨讐を宿した精神と肉体が現世を彷徨い続けているだけ。

 かつて見惚れた命の恩人、女神のような存在も、今やただの人形のようだ。生き生きと、ころころと表情を変えていた面影はどこにもなく。ただ平坦で、作り物のように整った表情が貼り付いているだけ。


『暴王と暴妃には、いかなる手も出してはならない』


 そう言われるのも、納得せざるを得ない。対峙するふたりはかつての少年少女の延長線上になく――道を違え、終わってしまった存在。ゆえに『暴王』と『暴妃』。


 カイマンは一歩を踏み出し、二歩を踏みしめ、三歩目を床から引き剥がす。一段を上がり、二段を越え、ついに玉座に沈む『暴王』と同じ高さに立った。


「あの日。君を止められなかった友としてのつとめを、今こそ果たそう」


 カイマンの思いが届いたわけでは決してあるまい。敵意を向けられた暴王としての反射的行動によって、男はついに玉座から幽鬼めいた足取りで立ち上がった。深い紫に濁り切った両の目が、カイマンを射抜く。


「剣を取れ」


 かつての友の成れの果て、そのやや嗄れた声が、白い床を叩いた。






        『暴王』END

本編第二章『僕とけじめ そのさん』において、カイマンがオスカーの前に立ちはだかれずに外道の道へ転がり落ちた場合の分岐です。眼鏡で特定されるオスカーさん。


蛮族絶対殺すマンと化したオスカーと、それに従うシャロンによって、蛮族自体やそれに与していたり、甘い汁を吸っていた者たちが軒並み粛清されていきます。


基本的にずっと、暴王は霊廟の玉座から動きません。生体魔道具の鳥や鼠、魚を使役して、侵入者や蛮族を監視、追跡、拉致してきたりしています。"倉庫"の仕組みを応用して、生体魔道具の食べたものの一部を直接自分の胃に放り込んだりしているので、とくに動く必要がないのです。


いろいろあって国家を『ちゅどむ!』したりしていった結果、偶発的に第四章以降の陰謀の芽まで摘んでしまっています。ただし『名前のない島』のレッド・スライムを止める存在も居なかったため、水場はじわじわと侵食されていき、遠からずこの世界の生物は詰みを迎えます。

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