僕の行動指針
「わたくしは――わたくしたちは、どうやら知りすぎてしまったようなのですよぅ……」
ぽつり、ぽつりと言葉が零れた。
ようやく落ち着いてきた王都の記者を標榜する女性、メルディナ = ファル = ウィエルゾア。
普段の、やたらと高いテンションは鳴りを潜め、彼女は力無くただ言葉を連ねる。
アーシャは時折息を詰まらせ、アーニャは耳をへにゃんとさせつつ、ダビッドは何を考えているのやら、読めない表情で立ったまま、その話に聞き入った。ようやく起き出してきたラシュは僕の膝の上に座り込んで、じっと話を聞いている。
やがて一段落したところで、シャロンが言葉を発した。
「まとめます。帝国のものと思われる暗躍を調査していた折、魔物被害が人為的なものであることに気づいたウィエルゾアさんと護衛のベルレナさん。どこかで調査に勘付かれ、けしかけられたと思しき蛮族や魔物からの襲撃を受けました。結果、ベルレナさんは意識不明に。王都の情勢も不安定で、いつまで療養院にいられるかもわからないため、貴族家の力に頼ろうとするも揺れによる混乱への対処が最優先となり不発。ベルレナさんの治療手段や元凶の排除等、少しでも助力を得ようと私たちの工房を訪ねる決意をするも、途中で馬車の荷台ごと崖下に転落。運河で拾われ、なんとかガムレルの町に到着したら謎の鎧に追い回された、ということでしょうか」
時折脱線し、懺悔を口にし、肩を抱いて震え、時系列が飛び飛びになる話を要約すると、つまりはそういうことだった。
ウィエルゾアは、シャロンによって簡潔にまとめられた内容に、小さく頷いて肯定を示す。
「ねーちゃん、そいでよぉ生きとったにゃぁ〜……」
「いがいと、がんじょう?」
アーニャがしみじみとした呟き、ラシュがこてんと首を傾げる。
とくに馬車が崖を滑り落ちてからの生還は、純然たる運の賜物だろう。
「何度も襲撃を躱せたのは、この子のおかげ」
ウィエルゾアが懐から取り出したのは、いつぞやのラシュが造形したらっぴーの粘土細工だ。
ひしゃげ、半壊したそれは魔力感知の機能を持たせた魔道具だ。いや、魔道具だった。そのままでは、もはや正常に動くまい。
「ピ〜、ピェ」
その造形の元になった鳥が、変わり果てた粘土細工をつんつんと突付く。壊れてしまった魔道具を手に乗せ、ウィエルゾアは再び少し涙ぐんだ。
「で、だ。話の最後で出て来た鎧ってのはあんたらのことだろ。襲撃者ってのはどういうことだ」
逸れ始めた話の軌道修正をはかるべく、壁の飾り(しかも胡散臭い)となっているダビッドへと声を投げる。
「おっと、勘違いしてほしくないんだが、我々は襲撃者ではない。
我々、王都近衛隊三番隊は、ウィエルゾア女史に接触しようとする不逞の輩を調査し、摘発していた側だ。わざと崖下に荷台を落として逃げた御者も、すでに捕縛済みだよ。だからあまり、そう胡散臭いものを見るような目を向けないでもらえないかね」
「ちゃんと胡散臭いと自己認識できてるようで何よりだよ。
今の話は、わざわざ町中で鎧を脱がずに人を追い回して、わざわざ工房で捕縛劇をやろうって理由にはならないだろ」
「ぐうの音も出ませんな」
両の目を軽く瞑り、お手上げだとばかりに手をひらひらとさせるダビッド。白々しい。実に白々しい。
「芝居臭くて胡散臭いんだよ。あんたの目的は不逞の輩の調査じゃない。いや、それもあるのかもしれないけど、それだけじゃないはずだ。やる気はなさそうだけどな」
「ほう。というと?」
「あんた、こいつが僕らに接触しないように、なんらかの密命みたいなの受けてたんだろ」
「そんな……近衛隊三番隊――スパイ部隊が、なぜわたくしを」
ウィエルゾアが息を飲み、アーシャがその背中をさする。ダビッドのふてぶてしい笑みは小揺るぎもしない。
「でもあんたは、別の命令かなにかで、僕らとウィエルゾアとを引き合わせたかった。だから、わざとここまで逃がして、あたかも『命令に沿う努力をしてますよ』ってポーズをとった。部下たちはその証人だ。違うか?」
状況と”全知”で読み取った情報を組み合わせて考えると、あの鎧たちから、ボロ切れのような状態だったウィエルゾアが、この工房にまで逃げ切ることは到底できはしない。しかし現にそうなったということは、何らかの作為が働いた。僕はそう考える。
とくに、ダビッド。嘘は言っていないが、さりとて知ること全てを喋る気もなさそうなのだ。
「なるほど、なるほど。実に面白い。
オスカー君は、劇作家の才能もあるんじゃないかね。多芸で羨ましい限りだよ」
「わざと図星をつかれたみたいな表情作りながら言うことじゃないだろ、胡散臭い」
「表情を作っているのも見破られる前提といった立ち居振る舞いですね。胡散臭いです」
「たしかにちょーっちクサすぎるわ、そんなやからダビやん友達少ないんやで?」
「おじさんくさいの……? ――すんすん。
えと、あの。アーシャ、大丈夫だと思うの。……でも、気になるならお風呂の準備をしてくるの」
「……。ぼくのせっけん、つかう?」
ロンデウッド元男爵での一幕以降、アーシャやラシュはダビッドに対して、少なからず苦手意識を抱いているようだった。自分たちを攫った者達に与していたのだから、それは当然の反応だろう。
そんなアーシャやラシュが、やや心配そうに眉を寄せながらくんくんと匂いを嗅ぎ、おずおずと提案した内容には、さしものダビッドも想定外だったのだろう。胡散臭い表情の下で、一瞬だけ素で狼狽したのを"全知"が見破った。
「アー。……んんー。風呂は結構だ、申し出はありがたいがね。残念ながら、外に部下が待っている」
「部下も一緒に入れるくらいには広いぞ、工房の風呂は。えーと、ダビやん?」
「オスカーさん、全身甲冑の着脱はおそらく容易いものではないです。ダビやんさんは、そのあたりも加味しておいでだと思います」
「ふ、ふふ――」
近衛隊三番隊。通称、恐るべきスパイ部隊。その隊長たるダビッドが心底困った顔をしているので毒気を抜かれたのか、青白いウィエルゾアの表情が少しだけ和らいだ。
立ったまま、どこか憮然とした表情で首を振ったダビッドは、喉を潤して気分を切り替えたらしい。先ほどまでの勿体ぶった迂遠な物言いが嘘のように、直接核心に踏み込む。
茶化されるのに耐性はあっても、いわゆる天然は堪えたらしい。
「オスカー = ハウレル、ならびにハウレル家の面々を、王都へ歓迎する用意がある。
まだ内々の話ではあるが、新たなる子爵としての席も用意されるだろう」
「ハッ!」
本題であろうダビッドの、王都の提案を、たまらず鼻で笑った。
誰も彼も、なんで僕なんかを貴族にしたがる。
「王――いや、言葉を選ばず言えば、その側近だな。
彼らは王都の安全のため、君という武力を手元に抱えたくなったようだ」
「その言い草、どうやらあんたの意図とは異なるみたいだな?」
「……」
口を引き結ぶダビッド。それ自体が明確な回答、ということなのだろう。
「答えない、いや。答えられない、か」
「我が意志は王の御心のままにある」
彼のその言葉に、おそらく嘘はないのだろう。ここに来てから戯言めいた言動はしているが、明確に嘘と断じるべき内容は口にしていない。
だからこれはダビッドなりに、逸脱しないぎりぎりでの情報提供のつもりなのだ。面倒くさい上に、器用なのか不器用なのかよくわからない男である。
「悪いが、貴族の身分には興味がない。より正直に言うなら、面倒くさいだけだと思ってる上に、さして悪いとも思ってないけどな」
「言うまでもないことだが、こんな機会はまたとないものだぞ。貴族家は紛うことなく特権階級だ、それに子爵家。子々孫々まで安泰だろう」
「くどい」
子爵というのがどれほど凄いものなのか、貴族の世界を知らず、興味もない僕にとっては、さしたる魅力には映らない。ダビッドもそれがわかっているようで、むしろ断られる前提といった風にすら見える。
ウィエルゾアと接触を持たせ、王都の事情をおざなりに伝える。とくに内情、裏側の、本来見せるべきでないところまで。つまるところ、こいつはウィエルゾアの側の問題を片付けて欲しいのだろう。そして、それによって何の利があるのかというと。
「たまたま思い出したんだけど。あんたが惚れた、告白する前に振られた人。子供がどうとか言ってたが、産まれたのか?」
唐突な話題転換に、ウィエルゾアは目を白黒とさせ、アーシャははてな、と首を傾げる。
しかし、僕の推測は間違ったものではなかったようだ。ダビッドは組んでいた腕を緩やかに解くと、少し口を歪めてみせた。目はどこか遠くを見据え、優しさと寂しさのようなものが綯交ぜとなっているかのよう。
「ああ。実に元気で、可愛い女の子だ」
「そりゃオメデトウ。その子や親は、王都に住んでるのか?」
「まさか。年限とはいえ、元々犯罪奴隷。辺鄙な村で、慎ましく暮らしているよ」
王都――もっと言えば、王周辺に守りを集中する体制というのは、守られない者が出てくるということの裏返しに他ならない。
だから、こいつは王の勅命を受けつつも、問題の解決を優先したいのだろう。
惚れた女と、他人との間の子が生きていけるように。胡散臭い上に面倒臭い、そういうやつなのだ。
「そういうこと、だろ」
「さあ。どういうことなのだろうね。君が何を考えたかは知らないが」
僕の話にわざわざ乗ってきたのが答えだろうに、それでもこいつははぐらかす。そこにある優しげな顔は、恐るべきスパイ部隊の隊長のものではなく、単なるお節介なおじさんだというのに。
意を察したらしいウィエルゾアはハッとした表情となり、シャロンは優しげな目を、アーニャはニマニマとした笑みを浮かべている。
「まあ、いいさ。どうせこの揺れは、どうにかしなきゃならないんだ。放っておいて勝手に収まるとも思えない」
ガムレルに魔力灯を配備したのだって、根本的な問題の解決にはなっていない。
魔物の駆除や農作業にだって支障は出ているし、それにガムレル以外の町の状態はもっとひどいままだろう。
この町だけで、この町に生きる者全員が生きていけるだけの物資を賄うことはできない。人がこの先ずっと生きていくためには、外との交易なしでは立ち行かない。そうカイマンがボヤいていた。
当然の帰結として、ジリ貧という事実は変わらないのだ。
だから、この揺れはどうにかしないといけない。
ダビッドに意図があるように。僕も、僕の新しい家族を守るためにも。
それは僕がやらないといけないことなのか? と問われれば疑問がないわけではない。誰かがやってくれるのではないか? という思いも、無いではない。では一体、誰が?
かつて僕は力を求めた。そして託された。その責任がある。
もう居ない恩人と、ついでに勇者から、眼鏡と共に、この世界の行く末を託されたのだ。
無力さに泣くことになる者が、一人でも減るのなら。僕が得た力を使うことに、躊躇いはない。
「……?」
血の気の薄いウィエルゾアが、僕の視線に気づいて目を瞬かせる。その目は、不安に揺れる目だ。泣きはらした目だ。無力感に絶望し、どうにもならず。世界を恨んだ目だった。
僕はそれを見返して、ニッと笑ってみせる。かつてシャロンが、僕をその微笑みで孤独からすくい上げてくれたように。孤独を振り払うように、笑ってみせた。
「全部、任せとけ」
「え――?」
「あんたにそんな表情させた奴は見かけ次第僕らがぶっ飛ばしておく。なんなら、欲しけりゃそいつの爪も剥がして届けてやる」
「つ、爪!?」
驚き、手元のお茶をひっくり返しかけ、わたわたと手を動かすその姿からは、ほんの少しだけ、憂いのようなものが薄れて見えた。
「あんたが、またバカみたいに笑えるように、全部僕らが解決してやる。だから、心配しないでいい」
再び笑ってみせる。それに釣られたかのように、青白かったウィエルゾアの頬にも、さぁっと朱がさした。
「バカみたいは余計ですぅ……まったく、まったくもぅ」
目尻から溢れかけた涙の雫をゴシゴシッと力強く拭う。心なし、なんかモジモジしだした気もするが、少しでも元気が出て来たなら、なによりなことだ。
「まったくもぅ……!! なんて殺し文句を吐くのでしょう、この方はっ……まったくもぅ……!!」
もごもごと口の中で小さく呟くウィエルゾア。
何故かじーっとこちらを見てくるアーシャ、『しゃあないなぁ』みたいな苦笑いを浮かべるアーニャ、表情を伺うことはできないが、僕の膝の上で耳をぴこぴことさせて背を預けてくるラシュ。
そして、僕の隣でいつものように、どこか誇らしげに胸を張るシャロン。
「守るものがあるというのは、幸せなものだ。本当に」
らしくない呟きを漏らしたダビッドに驚いて、そちらに視線をチラリと向ける。
僕の視線に気付いた胡散臭いおっさんは『しまった』という素の表情を一瞬だけ浮かべかけ、サッと視線を逸らした。僕はしばらくの間、立ったまま商品の陳列されていない棚をじっと眺め続けるダビッドの姿を、視界に収め続けるのだった。
累計10万pvを突破しました……!!
いつもご覧いただき、本当にありがとうございます。
ご感想も、とっても励みになっています。




