僕らと鎧と胡散臭いおっさん
「たす、けて」
「っ! 大変、なのっ」
工房に入ってくるなり力尽き膝をつく女性に、すぐさま反応したのは、扉のすぐ側で棚の掃除をしていたアーシャだ。ぱたぱたと駆け寄ったアーシャは、膝をつき今にも床に倒れ伏しそうな、ぼろぼろの女性――メルディナ = ファル = ウィエルゾアの肩を支える。
「……。5人、か?」
「はい。とりあえず、今のところは」
工房の表の通りに、工房を囲むように位置する気配に僕が目を細めると、シャロンがそれを首肯する。それにほとんど間をおかずに、そいつらのうち3名が、僕らの工房へと足を踏み入れた。
ガチャガチャと硬い音を鳴らして入ってきた彼らは各人とも、揃いの鉄兜が頭全面をすっぽりと覆っており、表情が窺い知れない。
僕がその姿を見咎めて立ち上がると、僕のすぐ側で佇んでいたシャロンの姿が搔き消える。そして文字通りの瞬く間に、蹲るウィエルゾアとアーシャを背に庇うように、彼女らと鎧との間に泰然と立ちはだかった。一拍遅れて、高速移動の余波を受けた棚に並ぶ商品が、思い出したかのように小さく音を立てる。金の髪が、さらりと流れた。
鎧たちにしてみれば、突如目の前に金髪蒼眼の天使が舞い降りたかのように見えたことだろう。しかし彼らは声も上げず、表情の変化は兜が覆い隠す。わずかの動揺も感じ取れなかった。動揺を表に出さない程度の練度がある、その証左に僕は眉を顰める。ただのゴロツキ集団ではない。まぁ、全身甲冑を着込んだゴロツキというのもなかなかいないと思うけれど。
「なんの用だ?」
無言で佇み、一種異様な雰囲気を放つ鎧に向けて、言葉を放つ。タイミングからみて、蹲るウィエルゾア関連なのは明白だ。後の問題はそれが、どういう意図なのか、だ。敵なのかどうか、と言い換えてもいい。ウィエルゾアは知らない仲というわけでもないのだし、厄介事の気配に見てみぬふりを決め込むつもりもなかった。
その間にも、アーシャはてきぱきと"倉庫"から取り出した高位回復薬を飲ませて、血と泥を拭っている。周りの状況に気付いていないというわけでもなく、自分に出来ることを確実にやろうという意気だと思われる。なんとも頼もしい。
問いかけられた側の鎧たちは、僕の問いに応えない。しかし、返答の代わりに無言の圧を伴って、半歩前に踏み出そうと揃って足を上げた。有無を言わせぬ、無言ながら雄弁な意思表明。そう、本来であれば。
鎧たちが足を一歩踏み出す、その瞬間。
ズシン――!!
空気が軋んだ。
空気が粘つく重みを発し、床が突然沈み込んだかと錯覚するほどの威圧が、シャロンから叩きつけられたのだ。
彼女の白い背を見守る僕らでさえ「わぁ」と思えるほどの圧なのだ。鎧たちから受ける無言の圧力など、比べようもない。その壮絶さたるや、お昼寝中のラシュとらっぴーが揃って跳ね起き、状況を確認したのちに寝直そうとするほど……いや、彼らは彼らで豪胆すぎるだろう……。
鎧たちの反応は、ラシュとは対照的に劇的なものだ。3人ともが、限界まで後退る。それは意図しての行動というより、いわば本能的な、『思わず』の行動。
ガシャリ! ゴガン!
工房の壁と鎧が、それなりの勢いでぶつかり合う。硬質かつ重い音が、重く粘ついた空気に虚しく唱和した。
シャロンの発する威圧を、真正面からふいに叩きつけられて膝をつかない程度には、彼らは手練れであるらしい。もっとも、シャロンにとっては攻撃ですらなく、たぶん『僕の言葉を無視したからちょっと怒ってる』程度だと思われる。さすがに本気だったら、ラシュも二度寝はしない。たぶん。
『"どうしますか、オスカーさん。刈り取りますか?"』
『"カーくん、外におるやつらの頭上は抑えとるからな。気付かれてへんし、いつでもやれるで"』
相次いで届いた"念話"。
工房の女性陣、とくにお姉ちゃんズが好戦的すぎる。一体、ナニを刈り取ろうというのか。
外の者は"全知"の視界の外のため、練度を正確には測れない。しかし、佇まいからして同じく全身鎧。統制された動きからも、店内の者たちとさほど練度の差は感じられない。そんな相手に気取られないで頭上を取るなど、規格外な戦闘能力を持つシャロンはともかく、いつのまにやらアーニャもしっかりと成長を遂げているらしい。
"結界"や"念動"の魔術でどうともなりそうなので、二人にはひとまず待機を言い渡しておく。さて、こいつらは一体何者なのだろう。
『"あ。カーくん、カーくん"』
『"壁に張り付いてるのがしんどいなら撤収してもいいよ"』
『"や。違くて。お向かいさんと目があって『またなんか変なことしてる』って半笑いのあと目ぇ逸らされてそれはそれでしんどいねんけど、それやなくって。
鎧の親玉が来たみたいよ。たぶん、知ってる匂いやわ"』
待つこと十と数拍を数えたところで、アーニャからの連絡通り、新たな鎧が工房へと足を踏み入れた。
「ゔっ……。――お前たち。一体何を遊んでいるのだ」
後から入ってきた新しい鎧の男は、思わぬシャロンの威圧をくらって一瞬仰け反る。それでもなんとかその場に留まって、おもむろに兜を外した。
兜に隠れていた明るい茶髪と立派な口髭。ダビッド = ローヴィスの胡散臭い表情が露わになる。次いで、壁に張り付く鎧たちに、呆れた声を投げかけた。
「た、隊長」「今すぐ、今すぐに撤退を、隊長だけでも」「こ、ここここはわれわわれれわれわれが」
壁際に張り付けにされたように、それ以上一歩も動くことが叶わず、さりとて一言をも発することが出来なかった鎧姿の男たち。その彼らが、新たに工房に足を踏み入れたダビッドの姿に、一瞬にして浮足立つ。シャロンからの威圧が、実はなかなか厳しかったとみえる。
「何しにきたんだ、胡散臭いおっさん。かわいそうに、最後のやつ、噛みまくってんじゃねぇか」
「なにぶん、男所帯でね。ハウレル夫人のような美女に慣れていないのだよ」
所属不明の鎧姿の男たちは、ダビッド率いる隊の連中だったらしい。
当のダビッドはシャロンの威圧に表情を引き攣らせるだけで耐えているので、さすがは隊長格と言うべきか。
「ただの主婦です。私を褒めても何も出ませんよ」
呆れたように応じつつも、とりあえず話す気があるやつが現れたということで、シャロンは威圧を途絶えさせる。
それに伴い、限界まで退がって爪先立ちに近い姿勢になっていた鎧たちも、ガシャリと姿勢を落ち着けた。さっき噛みまくっていたやつにとってはあまりにも衝撃だったようで、「主婦……主婦……?」と小さく呟きながら首を振る。彼の中での主婦のイメージとの食い違いが発生しているのだろう。
そんな気分を振り払うように、ダビッドは己の顎髭を軽く撫で付ける。
「今日は良い日だ。天気も良いし、揺れも比較的穏やかだね」
「突然の闖入者に、そんな良い気分は吹き飛んだけどな。なんだそのワザとらしい話の振り方は」
「いやなに、ウィエルゾア女史が話せるようになるまでの繋ぎとしてね、口下手なりに頑張っているのだ、笑ってくれても構わんさ」
いけしゃあしゃあとよく回る『口下手』だった。
「しかしまあ……こうまで揺れが続くというのも、これまでになかったことだ。王都の方でも、そりゃあもうすごい有様でね。むしろガムレルが比較的落ち着いているのが不思議なほどだよ」
「そういうのはリーズナル家の人たちに言ってやれよ。僕じゃなく」
「もちろん謁見してきたとも。その間に部下たちが粗相をしてしまったようだね、いやはや。私としては忸怩たる思いだ」
カイマンが、どこかキラキラしたウザったらしい言い回しをしないといけないように、こいつは胡散臭い言い回しをしないと死ぬタイプなのだろうか。僕がげんなりしているのをどう受け取ったのか、ダビッドは口の端に苦笑を浮かべてみせる。
「とはいえ、王都でも揺れに苦慮しているのは純然たる事実でね。君の方でも、何か掴んでいるのではないかな?」
教えてやる義理は全然まったくこれっぽっちもない上に、あまりこの胡散臭いおっさんと関わり合いになるというのも美味くない。面倒なことになるのが目に見えているからだ。
しかし――。
ちらり、と目線を落とした先には、未だ立ち上がれないでいるウィエルゾアの姿がある。
髪は乱れて貼り付き、服もズタズタ、高位回復薬の効果でかなり癒えた表面上の傷痕に深い隈。
やたら明るく矢継ぎ早に言葉を紡いでいた彼女とは似ても似つかない、暗く沈んだ様子。
――面倒ごとというのも、いまさらな話か。
ジレットの話に乗ってやろう。これを口実にまた仕事を放り投げる先として使わせてもらうか、と僕は意識を切り替える。
君の方『でも』、とダビッドは言った。こいつらも、何かしら掴んでいることがあるのだろうから。
「この揺れは人為的なものだろうな」
「ほう。それは興味深い。根拠をお伺いしても?」
「超強力な魔力反応が揺れを起こしてるのが確認できてる。方角としては、ここから東北東のほうだな。そういうあんたたちも、何か掴んでるんだろ」
僕の返答に、鎧たちは特に反応を示さなかった。すでに知っている話なのか、それとも動揺を表に出さない訓練の賜物なのか。どちらにせよ、彼らが話に横槍を入れてくることは無いようだった。
ダビッドは『ふぅむ』と勿体ぶったように唸ってゆっくりと腕を組み、
「直接的な関係性に言及できるものではないが、それでもいいかね」
片目を瞑るようにして、こちらの様子を観察してくる。やはり、カイマンとは違う意味でウザい。
「予防線はいい」
「シンドリヒト王国から分派した、カイラム帝国が暗躍している」
かつてウィエルゾアが語ったところによると、薬物の蔓延、奴隷の脱走、果ては蛮族組織への魔道具の横流しに至るまで。かの国の興りから何から、きな臭いことが続きすぎた。
そして、この揺れさえもが彼らの仕業――少なくとも、何らかの関与はしている、というのがダビッドの見立てらしい。
そのあまりに他人事な物言いに、僕はついつい嫌味を挟んでみたりする。
「そういや、あんたも蛮族組織の黒幕だった貴族に与してたんだったっけな?」
「貴様ァ!」
「いい、アンジム隊員。彼は礼儀の話をしている」
隊長が皮肉られるのは我慢ならないのか、部下のひとりが声をあげる。しかしそれを手で制すると、ダビッドは悠々と頭を下げてみせた。そういう態度も気に食わないのだが。
「我々の見解としては、そのようなところだ。
ともあれウィエルゾア女史におかれましても、そろそろ話ができる程度には回復したのではないかな。彼女の話も、きっと今の話に関わってくるものだろう」
ダビッドから慇懃に名を呼ばれたメルディナ = ファル = ウィエルゾアはびくりと肩を震わせる。
以前までの、ウザいほどぐいぐいと来る快活さは消え失せてしまったかのようで、ただ小さく怯える姿がひどく物悲しい。
「隊長、それは……」
「接触を持たれてしまった今となっては、仕方あるまいよ。誠心誠意、彼に助力を乞うしかあるまい。
君たちはこれ以上話が漏れないよう、周辺の警護にまわってくれ」
話し合いには部下は不要、ということだろう。ダビッドは彼らに退室を促すと、鎧たちは素直に従った。
凄まじい威圧を発していたシャロンの前から離れられることで、兜に隠れて見えないはずの表情が若干ほっとしているように感じられるのも、気のせいではあるまい。
アーニャに"念話"で見張りの切り上げを伝えている間に、シャロンがへたりこむウィエルゾアに肩を貸し、その間にアーシャはカウンター前に椅子を用意する。カイマンがよく腰掛けているやつだ。
"倉庫"には椅子の予備がいくつかあるが、邪魔になるので普段はひとつしか置いていない。
椅子をすすめられるのを待っているらしいダビッドの分は、なんとなくムカつくので出さないことにした。
「そのへんの好きなところに立ってなよ。足腰が鍛えられるぞ」
「なんと、なんと。お気遣い、痛み入りますな」
これだよ。まるで堪えた様子がない。こういう人を食った態度を飄々とこなすところが、余計にいけ好かない。
椅子に座らされたウィエルゾアのほうが、青白い顔色をして若干居づらそうにしているくらいだ。
「お茶持って来たでぇ。うぉ、ラッくんまだ寝てるやん」
硝子の器をがっちゃがっちゃといわせながら、何食わぬ顔でアーニャが2階から現れる。
純度の高い、透き通った器は、運び手であるアーニャの手によって『揺れないお盆』の上に雑な置かれ方をして、波紋を生じさせた。
そうやって乱れた水面を、ウィエルゾアはどこか虚ろな目で見詰める。かと思うと、不意に目の端にじわりと涙を浮かばせた。
何があったのか。それをこれから聞くわけだが、当人の状態はお世辞にも良いとは言えまい。身体の傷が回復薬である程度癒えたとしても、精神的なダメージは深いままだ。
破れてしまって、一部などボロ布のようになってしまっている服を覆い隠すように、アーシャが甲斐甲斐しく毛布をかける。その間も、ウィエルゾアはされるがまま。ただ、静かに涙を零し続ける。
「だいじょうぶ、なの。オスカーさまとシャロンさま――ううん、ハウレル家の――アーシャたちはみんな、困ってる人の味方なのっ」
毛布が掛けられた背中を、小さな手が優しくぽんぽんと撫でる。肩を震わせ続けるウィエルゾアを慰るように、ただ優しく。
静かにしゃくりあげ続ける背中を、ただ優しく撫で続ける。
シャロンは定位置たる僕の左隣で。慣れないお茶の配膳を終えたアーニャは、僕の右隣で。
妹分の成長とその様子を、眩しいものを見るようにやや目を細めて見守るのだった。
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