僕と揺れとその対策 そのに
少し経って、しぶとく復活したカイマンと商談を再開する。
そう、今日彼が工房を訪れたのは、いつものようにぶらりと遊びに来たわけではない。商談と依頼の進捗確認なのだ。それも、緊急かつ、重要な案件である。
「依頼されてた魔力灯は、とりあえずは210個完成してる。――いや、お前がなんかダメージ受けてる間にも作ったから212個か。
夜間の蝋燭代わりって話だったから、台座から外せば明かりが消える、簡易的なものだけど」
「さすがは我が友、仕事が早いな。大いに助かるとも。
点きっぱなしにせずとも良いのも、助かるよ。市井では魔道具なんて見たことすらない者も多い。永久に使えるものだという誤解もあるほどだ。長持ちできるに越したことはない」
ぺかーっと白っぽい光を放つ魔力灯。うんうんと満足げに、カイマンは大きく頷く。商談に徹することにしたらしく、カウンターの上のカイマン仕様の宙靴には、チラチラと視線を注ぐに留めているようだ。
「あー。動力源のことを言ってるなら、心配いらないぞ。
台座に置いてる限り、揺れから少しずつ魔力を精製する仕組みになってるから――実質、壊れない限りはずっと使える」
「……。そういうところだぞ、オスカー」
「あ、もちろん揺れが止まったら、1年くらいで魔力が切れると思う」
「我が家の魔力灯は40日保たないのだけれどね。ともあれ、これで火事の心配が減らせて、少しでも治安が回復できればいいのだが」
火事の低減と、治安回復。もしくは回復までいかなくとも、現状の維持。リーズナル男爵が打ち出した方針は、かなり思い切ったものだった。これ以上悪い状況にしてなるものか、という強い気概が感じられる。
暴動とまでは行かずとも、小競り合いや犯罪の抑止のために町を警邏していた憲兵や冒険者たちのうち、まずは冒険者組合への依頼を取り下げた。
冒険者には、粗野、粗暴な荒くれ一歩手前な者も多い。彼らが武器を携えたまま町をうろつくことで町民の不安や怯えを助長してしまうばかりか、先日の魔物襲撃にあたっては、ほとんどの者がまともに戦うことさえままならなかったこと。そして夜回りをする冒険者を装った、ならず者が夜間に民家を襲った事件。これが決定打となっていた。
また、食料問題の深刻化が目に見えているために、リーズナル家が商店から買い上げた糧食の配給を行なっている。十分な量とは言い難いが、それでも餓死する者は抑えられよう。これには僕らも『島』から送られてきた魚を供給したり、倒した魔物の山を押し付け――もとい、提供して協力体制を敷いている。
そして更なる打ち手のひとつが、この魔力灯の依頼だった。その計画は、リーズナル家持ちで、魔力灯を量産するというもの。最終的にはガムレルの町中の各家庭に1つずつ、魔力灯の配備を目指すという、途轍もないものだ。
「まずは大通りから遠い家庭に配ることになる。順番について不満は出るだろうが……こればかりは、仕方がないな」
「なるべく早く作るけど、さすがに数が数だ。全部出来るまではまだ掛かるからな」
「ああ、もちろんだとも。
一日でも早く、民が暗闇に怯えなくても良いように、出来た分から配り歩くさ」
魔力灯はリーズナル家が資金を使い、僕のところに依頼を出しているものだ。本来、それで配られる順番に文句を言われる筋合いなどないはずだ。しかし、ただでさえ民衆の間には不安感が燻っていて、いつ衝突が起こるともしれない。対応には慎重を要する。
「資金面は当初の取り決め通りで問題はないか? 足りない素材があれば、そちらも伝手を辿るが」
「資金は別にどうでもいいや。今、金貨がいくらあっても大して使えないしな。
素材の方は、そうだな。あと300も作ったら、ヒュエル鉱石がなくなるかな」
もとよりお金に困っていたわけでもない。さらにお金があっても、町の商店はほとんどが閉まっている状態だ。食べ物だって満足に売っているとは言い難いので、お金だけがあったところであまり意味がないのだった。
もしレッド・スライムに海や川を支配されてしまっていたらと考えると、揺れが止まらなくなった段階で人類はほとんど滅んでしまっていたことだろう。
「ヒュエル鉱石……というと、あのヒュエルかい? 鉱山労働者が出くわすと尻尾を巻いて逃げ出すという。なんでまたそんなものを」
「それだ、それ。ヒュエル鉱石は、魔力を通すと勢いよく光を放って四散する性質があってな。だからこそ恐れられてるらしいけど。掘ってる最中に暴発に巻き込まれでもしたら、埋まって死にかねないしな」
僕が頷くと、カイマンは魔力灯を確認していた手をゆっくりと引っ込めた。そんなに恐れなくとも、きちんと安全策を講じて加工しているので、たとえ木の床に叩きつけたところで問題はない。床の方が凹むかもしれないが。
「伝手を当たってみるが、あまり期待はしないでくれないか。取り扱いの難しいものなのだろう、あまり見た覚えがないからね」
「ああ、わかってる。無ければ無いで構わないよ。僕が直接採取ってくる。ゴコティール山までならダビッドソンで行けばすぐに着くから。そのときは、シャ……アーニャ、付いて来てくれ」
「おー? んん。ええけども」
そのやりとりを前に、カイマンが僅かに瞠目する。
ちらりと僕の隣に静かに座るシャロンを横目に、美青年の顔面で均整のとれた茶色っぽい目は、『なぜ随伴が彼女ではないのか?』とありありと物語っている。より素直めに表現するならば『シャロンさんがものすごくにっこりしているんだが、おい、いいのかオスカー』といった感じだ。
僕の決定に異を唱えるつもりはないものの、シャロンとしてもあまり面白くはないのだろう。しかし、僕とシャロンのトラブルに巻き込まれる頻度を考えると、シャロンにはなるべく安全な場所で、無理をしないようにしていてほしかった。
「工房や、ガムレルが危険に晒されたときに、僕もシャロンも居ないっていうのは危ないからな。悪いけど、頼んだぞ、シャロン」
「はい。任されました」
声の調子は平坦だが、やはり不満がないではないのだろう。シャロンから見て斜めに座るカイマンの頬を一筋の汗が伝う。落ち着け中級冒険者。
しかし、話題の方向転換をはかったカイマンは、僕の思いも虚しく、より悪い方向へと舵を切った。
「そ、素材のこともそうだが、報酬の話がまだ残っているんだ。金銭にしたって、リーズナル家には、町の全戸に魔力灯を配布するだけの蓄えなんてものは、ないからね」
魔力灯は、30日ほどで魔力の補充が必要とされる一般的なもの――魔道具で一般的なものもなにもないが、比較的出回っているものという意味でだ――で金貨にして30枚は下らないものらしい。
うちの工房では普段の魔力灯は金貨5枚で販売していたし、今回の簡略版は金貨2枚くらいで売れれば十分だろうという換算だ。小振りな魔石が金貨2枚ほどで取引されているので、魔道具への加工賃などを一切考えていない価格である。そして、それも平時の話であり、この緊急時においては金銭は後回し。とりあえず作るだけ作ってしまえ、という方針だ。
それはカイマンの父、セルソン = アス = リーズナル男爵とも話がついていたはずなのだが。
「父は、君さえよければ、この件が落ち着いたらシグノサルバ子爵のご令嬢との縁談を取り持――いやシャロンさん、ちゃんと私から断りは入れています、『シャロンさんたちもいるのだし、オスカーはそういう地位とかはむしろ嫌がるだろう』と。
――っ、ほら、君からもなんとか言ってくれ、オスカー」
「当人のいないところで、なんて話が進もうとしてたんだ……」
「ほんまやで」
「なの、なのっ!」
今度こそシャロンの威圧感を正面から受けたらしいカイマンは、若干敬語になっていた。
むしろ抑えめとはいえ、シャロンの威圧を受けてそれだけで済んでいるというのは、驚嘆に値するのかもしれない。
ともかく、僕に向けてちらちらと助けを求める視線を送ってくるカイマンは、ちょっとばかりウザい。
どこかぷんスコした様子の姉たちをきょろきょろと窺っていたラシュのもふもふ髪をわしわしすると、彼は目を細めて「むふー」と満足げな吐息を漏らした。
「はぁ……なかなか心臓に悪い。いや、いやいや。もちろん私が軽率だったのだけれどね。うん。
父――いや、リーズナル男爵にしても、なんらかの形で報いたいと焦っておいでなんだ。
貴族たるもの、恩を受けっぱなしというわけにはいかないからね」
「貴族って、面倒くさいな」
「そういうものなのさ。義理、体面、格式に、見合った実績。
常に模範的で優雅たれ、と。まあそんなふうにね」
ラシュとは違う意味合いで、大きく息を吐き肩を竦める美青年は、やや疲れた苦笑いをその整った相貌に浮かべた。
その後は二言、三言言葉を交わしたあと、宙靴のレクチャーも兼ねて「ぼくが、おしえる!」とやる気満々になったラシュと共に、できたばかりの魔力灯を配るために町へと繰り出して行った。
ラシュが一緒にいるので"倉庫"から魔力灯を直接取り出すことができ、仕上がっている分はつつがなく全て配り終えることができたようだ。
――そうして。
夜のガムレルの町に、ぽつぽつと明かりが戻る。
ひとつひとつは小さな灯でも、人の心は大いに安らぐようだ。魔力灯が配備されるに伴い、些細ないざこざや憲兵隊の負傷も目に見えて減ったという。
魔物の襲撃によって受けた傷跡は深く、建物だけでなく肉体や精神にも多大な疼痛を齎した。それに相変わらず揺れも続いている。だが、それでも。町は少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。
食糧事情もわずかながら改善の兆しが見えつつある。宙靴ほどの性能はないものの、揺れを多少軽減する深靴を冒険者組合に卸した甲斐があったというものだ。
十全とは行かずとも、戦える。収穫ができる。出歩ける。暗い家で閉じ籠っていた者たちは、恐る恐る扉を開ける。
大通りでは、短い時間ながら店を開ける商店も出てきはじめた。
定期的に素材収集に繰り出す僕やアーニャを送り出すシャロン。どこか寂しそうに見える微笑みに見送られるたびに、胸にチクリと刺さるどうしようもない感覚にさえ目を瞑れば、概ね機運は上向いてきているとみていいだろう。
――そう、思っていた。しかし。心のどこかでは、なんとなく感じていたのかもしれない。このままで終わるはずがないと。
「たす、けて」
だからだろうか。倒れこむように工房の扉を叩いた女性が転がり込んで、第一声を放ったときにも、驚きよりもどこか『ついに来たのか』という感覚があった。
掠れた声で懇願する女性は、血と泥で煤け、ぼろ布のようになったウィエルゾア女史その人だ。王都で記者をしているはずの、見知った人物の来訪とともに、僕は何度目かの厄介ごとが動き出す気配を感じていた。
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