僕の鍛錬
撃破した闇狼を"倉庫"に放り込み、店主とシアンの二人組と別れた僕は、日の暮れた北壁で無事にシャロンと合流を果たした。
「すごい数だなぁ」
僕の見つめる先、穴の空いた北壁のすぐ側には、魔物の死骸がうず高く積まれている。憲兵や冒険者と思われる者が数名、魔物の屍で築かれた山やシャロンを代わる代わる窺っているようだった。これだけの魔物を討伐したであろうシャロンはというと、衣服に多少の汚れはあるものの、返り血を浴びたりした様子もない。あまりに超高速で仕留めるために、攻撃を受けた相手の傷口から血が溢れ出すよりも、シャロンがその場を離れる動作のほうが速いためだ。
山と積まれた死骸、その内訳はほとんどが小型のようだったが、中にはオークなどの中型の姿もいくらか見て取ることができる。その中に闇狼は見付けられなかった。僕と戦った一匹しか居なかったのなら良いが、それを確かめるすべはない。闇狼は”探知”魔術に引っかからない特性――”全知”によると”隠形”スキル――を有しており、潜んでいる状態では発見が極度に困難になるという。
「はい。ここに来るまでに粉砕したものを除いて、総数204体です。
いくら倒しても怯んだ様子がなかったのですが、オスカーさんのいらっしゃる直前に、突然バラバラと潰走していきました。穴の守護を優先したので、追撃はあまり行いませんでしたが」
「あまり、って……ああ、あっちの方に点々と落ちてる死骸は、石を投げたのか」
"倉庫"には、シャロンが投げるのに適した手頃な石が貯蔵してあったりする。魔道具ではなく、そこらで拾ったただの石ころだ。しかし、シャロンの膂力と命中精度を合わせると、ただの石が一撃必殺の威力を秘めた砲弾に早変わりするのだ。補充はまた河原で石拾いをすれば済むので、実質無制限の遠距離攻撃手段となる。
「はい。さすがオスカーさん、ご明察です! ご褒美にいちゃいちゃしましょう!」
「帰ったらな」
揺れる大地を物ともせずに魔物をばったばったと薙ぎ払い、獅子奮迅の働きで魔物の侵入を抑えてみせた超絶美少女が、溢れんばかりの笑顔をはじけさせて繰り出す残念発言に、近くで様子を伺っていた者たちが揃って狼狽した。いつもであれば、すげなく答える僕に対してやっかみ混じりの視線や舌打ちが飛んできたりもするのだけれど、そんな余力のある者はいないようだ。さもありなん、揺れる大地で必死に魔物に抵抗し終えたところなのだ。
「"あるべきものは あるべき場所へ いまひとたび安寧の礎となり 我らを守りたまえ"」
亀裂が入り、大きく穴のあいてしまった北壁へと右手を翳す。パッと散った紫の閃光にあわせて、周囲に散らばった瓦礫がひとりでに浮き上がって組み合わさり、壁面を埋めていく。
足りない石材は"倉庫"から取り出した石で埋めていく。ほとんど時間をかけず修復された北壁の穴は、魔力残滓を纏って、淡く輝いていた。"硬化"魔術の応用で石材同士をがっちりと固着させているので、半端な攻撃ではびくともしないだろう。
「この魔物の山も、このままにしておくのはまずいよな」
「はい。疫病のもとになりかねません。それに、揺れが始まってから食糧不足が深刻化していると聞きます。しかるべき場所に運べば、いくらか足しにはなるのではないでしょうか」
「そうだな。とはいえどこに運……うーん、いいや。カイマンに押し付けよう」
たちどころに壁面を修復し、魔物の山をふよふよと浮かべて歩み去る僕と、その腕にしがみつき、にこにこ笑顔で歩調を合わせるシャロン。ようやく緊急事態を告げる鐘の音の途絶えたガムレルの一角で、その場に居合わせた者たちはまるで夢でも見たかのように半ば呆然と見送った。
死骸が山と積まれていた場所の夥しい血溜まりだけが、今の光景は夢ではないぞと控えめに主張していた。
――
幸せそうな顔で眠るシャロンに布団を掛けなおして、そっとベッドを抜け出す。
朝というにはいささか早く、まだ空が白んですらいない。衣擦れの音をなるべく抑えつつズボンに足を通して出た廊下は、涼しいというより寒いくらいだ。これから身体を動かすのだから、すぐに暑くなるだろうと判断して、そのまま工房の屋上へと階段を登った。
工房の屋上には風呂があり、屋根の際には目隠しのための仕切りが立てられている。その向こうには、死んだように眠る、まだ暗いガムレルの町が広がっているはずだ。
「さて――やるか」
何も着ていない上半身に吹き付ける冷たい風に、一度だけ身震いすると、"倉庫"から紫剣を取り出した。魔力灯のわずかばかりの明かり。それに表面を照らされ浮かび上がった剣が、独特の光沢を放つ。
これからからはじめるのは、日課の鍛錬だ。それを、いつもより厳しめに。
まずはいつも通りに”結界”を展開する。屋上に、さらに一回り小さな部屋を作る感覚だ。
半透明で薄紫の"結界"には、強度を持たせるために、それなりの魔力が注ぎ込まれている。こうして"結界"を形成せずに飛んだり跳ねたりすれば、さすがにシャロンたちを起こしてしまうだろう。それに、この"結界"を維持し続けるのも鍛錬の一環だ。
"結界"を張り終えた僕は、床や"結界"の壁面に魔道罠を配置していく。数にして8つ。この魔道罠は手のひらより一回りほど小さいサイズの円形で、艶のない黒色をしている。発動時以外は魔力光も発さず目立たない。その性質は、動きに反応して不規則な間隔で”氷結”魔術を放つというものだ。
紫剣の重量は魔術で5倍に引き上げて、"肉体強化"を並行発動。もちろんこちらも魔力の鍛錬のために、魔石の類は使わない。
勢いよく突き出てくる氷柱を躱し、剣の表面でいなす。氷の柱はかなりの速度で伸びてくるが、尖ってはいない。そのため当たってもかなり痛いだけで済む。が、当たるつもりはない。
最初のうちは4つからしか出ていなかった氷の柱は、やがて6つから伸びてくるようになり、残りの二つは氷球を放つ。それに伴い、紫剣にも魔力を通して重量を6倍、7倍と上げていく。
強くなる、そのために。
仮定の話にあまり意味はない。それでも、剣を振るう側で、僕はあまり意味のない思考に耽る。
母親の慟哭が、まだ僕の脳裏にこびりついている。僕にもっと力があれば、あの子供は救えたのだろうか。
もっと早くに闇狼を見つけ、倒せていたならば、魔物たちの襲撃の規模は減らせたのだろうか。シャロンの話では、闇狼を討伐した時刻と魔物の群が潰走をはじめた頃はほぼ一致する。詳しいことは定かではないが、闇狼が魔物襲撃を指揮し、従わせていたのではないかと僕は考えている。
もっと普段から町の防備に気を配っていれば、災厄に見舞われる人は出なかったのだろうか。
――なんでもわかるはずの”全知”は、答えをくれはしない。
ぎゃりぃっと甲高い音を立て、剣の先に当たった氷の柱が削れ、きらきらと白い破片が宙を舞った。
「はッ――!」
毎日繰り返し、慣れてしまった鍛錬では、闇狼のような搦手も使う強敵相手にはあまり役に立たなかった。魔術や肉体の瞬発力の強化という面では一定の効果もあるだろう。しかし、それ以上を求めるにはまだ不足だ。
こうして"結界"の中で鍛錬を行うのも考えものだ。空間を固定している"結界"内では、地揺れの影響を受けない。僕はまだまだ弱い。強敵との実戦を経て痛感した。
「くそっ」
氷柱の被弾は一度もない。しかし、暗澹たる気分は晴れはしない。
顔面目掛けて飛来する拳大の氷の球を、間半身になり避ける。"結界"に阻まれ跳ね返った氷球を紫剣で叩き落としつつ、新たに射出された氷球が氷柱や"結界"に乱反射して迫りくる。それを"念動"で軽く逸らし、躱し、斬り払う。
魔力で形造られた氷は、魔術を途中で打ち切るか、砕け散るなどして内包した魔力が尽きれば、たちどころに霧散する。しかし、一度奪った気温がそれによって戻ったりはしない。僕は玉のような汗を流しながら白い息を吐き、鍛錬をし続けた。
僕は、強くならなきゃいけないんだ。いまよりも、もっと。もっとだ。
焦っていた。そう、僕はいつまでも無力感に苛まれ、焦っていた。
シャロンの不調は僅かずつだが、確実に進行している。
これまで頼り続けたツケは、僕ではなくシャロンに降りかかってしまった。
「……くそッ――!」
もっとだ。まだ足りない。
あと2つくらい、射出タイプの魔術罠を追加するかなと、片手で握った紫剣で氷柱をいなし、"倉庫"を探る僕に待ったが掛けられた。
「あんま無茶すりゃええってもんちゃうと思うで?」
そんな、ともすればやや呆れ気味な声。見れば、屋上と二階を続く階段から、赤毛の耳がぴこぴこと覗いている。いつからアーニャは、そこにいたのだろう。
「おはよう。まだ寝てていいんだぞ?」
「あいあい、おはよーさん。や、おはようってより夜更かしのほうが近い時間やと思うけど。
カーくんこそ、張り切りすぎちゃう? いつもはもうちょい、ちゃんと朝に近いやん。頑張るんは偉いけども、頑張り過ぎは怪我すんで。お姉ちゃん、そういうのよーないと思う」
仮に怪我をしても、治す手段は幾つかある。が、そういうことを言われているのではあるまい。そんな風に反論するほど、僕も愚かではない。
ちなみにアーニャが自分のことを『お姉ちゃん』と自称して何事かを主張するときは、聞き分けのない者に言って聞かせようというとき特有のものだ。らっぴーがたまに言われている。もっとも、その効果のほどは微妙なところだったが。
「あ、なんかしつれーなこと考えとるやろ」
「そんなことないけど」
「ウチにはわかるねんで? どんなけ普段からカーくんのこと見てると思っとんのよ」
図星を突かれて動揺し、僅かに乱れた剣筋が甲高い音を立て、勢いよく伸び出てきた氷柱を削る。
はらはらと舞い散る魔力の残滓。それに隠れるように飛来する氷の球を、僅かに首を傾けて躱す。直後に背後から飛んできた別の球を紫剣で跳ね上げ、氷球同士をぶつけ合わせて相殺させた。
一体何が楽しいというのだろうか。アーニャは鍛錬を続ける僕の様子を、階段に腰掛けて、飽きもせずにただ見守っていた。
しばらくそうやって見続けられるままに鍛錬を続けたあと、少しの休憩を挟む。休憩を挟まずともまだ動き続けられるし、被弾箇所は依然無い。間に休憩を挟むことで、動き続けるよりもよりキツいトレーニングができるという、シャロンの知識に従った形だ。
「ほい、おつかれさん」
「ん、ありがとう」
魔道罠を停止し、"結界"や"肉体強化"を順次解除した僕を、アーニャが軽く労ってくれる。差し出されたのは、硝子瓶に入れられた水だ。
アーニャは薄い寝巻きに身を包んでいるだけで、首輪も手に持っている。夜風に赤い髪がさぁっと流れる。
受け取った水はひんやりとよく冷えており、動き続けて火照った体にはありがたい。口に含むと果物の酸味と、わずかな甘みが感じられた。
「ジーレオの果汁と地獄姫蜂の蜜に……あとはヒメリの実かな?」
「ウチにはわからへんけど、アーちゃん特製の『がんばれ♡どりんく』やで」
無色透明な液体から"全知"で読み取った内容の答え合わせを求めると、アーニャは首を振った。
冷えた水分が乾き切った喉を潤していく。控えめな甘さが全身に染み渡り、心地よい。喉を鳴らして『特製どりんく』を飲む僕を、アーニャは優しく見つめ続ける。なぜだか気恥ずかしくて、正面から見返すのが憚られた。
「ずっと起きてたのか?」
「んー。そういうわけやないんやけどね。やっぱ揺れで眠り浅いし。どうにかならんかなぁこれ」
「揺れで眠りが浅いところを、僕が起こしちゃったか、わるい。音も立てないようにしてたんだけど」
「んー。気にせんでええって。ウチが勝手に起きてきただけやねんし。それと、音ってより匂いやな。カーくんの匂い」
「ぅえっ!?」
滴り落ちるほどの汗をかいて上半身裸の状態でアーニャの横で呑気に水を飲んでいた僕は、その指摘に驚き声をあげてしまい、次いで跳び退る。"肉体強化"は解除済みだが、我ながらすごい反応速度と跳躍距離だった。
急いで"剥離"で汗を取り除き、自分で匂いを嗅いでみるが、よくわからない。しかし、そうする側からすぐに汗が湧き出てくるので、半ば躍起になって取り払う。
「あー。言い方悪かったわ、カーくんすまん。別に臭いってわけやないよ。むしろ好きな匂いやし。
――猫人族は鼻がええからな。獣人がほっとんど奴隷として捕まったこのご時世でもなんとか里を保っとったのは、たぶんこの嗅覚のお陰なんやろな」
アーニャのフォローする言葉に、大丈夫? 臭くない? と目を向けた僕に、アーニャは困ったような苦笑いを返してきた。
「ごめんて。そんな顔せんとって。
カーくんのは、なんていうかな。安心できる匂いやで。……うにゃぁ。なんか恥ずいな」
「……。そういうもんなのか?」
「ん。そういうもんやの。
遠かったり、微かな匂いでも、猫人族はわりとしっかり匂いを嗅ぎ分けられんで。好いた相手の匂いならなおさらやね。ま、風向きにもよるんやけど。ちなみに、アーちゃんも食材とか嗅ぎ分けて使っとるみたいよ」
近頃のアーニャはこうやって、僕への好意を明け透けにするようになってきて、なんだろう。面と向かってそんなことを言われると、やはり面映ゆい。どこかうっとりとした様子で僕を見つめ続けるアーニャの表情にも、若干照れが浮かんでいた。
「あんまり見られてても、なんか恥ずかしいんだけど。見てて楽しい?」
「たのしいでぇ。カーくんの腹筋引き締まっててめっちゃええなぁ、とか。胸板広いなぁ、とか。照れとんのも可愛えぇなぁ、とか」
「う……ぐ。勘弁してくれ」
「にゅっふふ」
降参だ、と示すように手をあげてみるも、アーニャは楽しげに目を細めてみせるだけだ。
その目を見返すのを諦めて、僕は早々に休憩を切り上げることにする。受け取ったままになっていた水を一気に飲み干した。
「そんなら、やろか!」
「え、なにを?」
鍛錬のために"結界"を張り直そうとしていた僕は、唐突なアーニャの言葉に出鼻を挫かれた。
呆けた声を出した僕に、アーニャは楽しげに告げる。
「ウチがカーくんの相手するって言うてんの。強くなりたいんはウチも一緒やしね」
言うが早いか、アーニャは手に持っていた首輪をパチンと嵌めると、階段からしなやかに跳び上がり、音もなく屋上へと降り立つ。かと思えば、流麗な動きで拳を構えてみせる。薄くふわふわとした寝巻きがやや捲れ上がり、彼女の濃い肌の色が魔力灯の下で艶かしく浮かび上がった。
「え。待て待て。なんでアーニャが。というかその格好でやるつもり?」
「んー? んにゃぁ。脱ごっか? カーくんみたいに。さすがに、ちょっと恥ずかしいねんけど」
「違う、そういうのを求めてるわけじゃないっ! ていうかわざと言ってるだろ!」
「にゃはは、バレた? てかカーくん、あんまり大声出すとシャロちゃんたち起こしてまうよ?」
「う……ぐぅっ……!」
それを言われると弱い。アーニャは実に楽しげに、からからと笑った。
"結界"を張り直すのはさほど時間がかからないが、屋上で陣取って拳を構えるアーニャごと形成すると、相手をすることが避けられなくなってしまう。
「体術やったらウチもそこそこやるもんやで。首輪の抗魔もあんねやし。
ま、ええやん。朝までふたりで楽しも? それともカーくんは、ウチの相手するんが怖いかにゃぁ〜?」
「……しょうがない。そこまで言うなら、ちょっとだけ相手してやるか。
――あっ、違うぞ!? そんな見え見えな挑発に乗せられたわけじゃないからな、だからそんなニマニマするのをやめてくれ」
「カーくん、声、声」
「ぐぅ……!」
適当にあしらってやるつもりが、僕はなんだか結局アーニャのペースに乗せられてしまい――このあと滅茶苦茶組手した。
飛んで、跳ねて、ふたりで汗だくになるまで動き回って。いつしか、一人で鍛錬していたときに感じていた焦燥感は、空が白みはじめる頃にはどこぞかへと霧散していた。
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