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僕とナイフと闇狼

「少年、構えろ。――来るぞ」


 路地に一度戻り闇と同化しているかに見えた、漆黒の大きな狼の魔物。その禍々しい威圧感たるや、いつぞや蛮族が連れていたようなものが可愛らしく見えるほど。


 我知らず息を飲み、僕は一歩を後退ることもできず、かといって攻めに転ずることもできずに立ち尽くす。漆黒に染まった獣の足元に、カランと小さな音を立てて、血に濡れたナイフが転がった。先ほどまで右前足に深く突き刺さっていたはずなのに、手も使わず引き抜かれたナイフ。その埋まっていた箇所は闇色の魔力に包まれて、どうやら治癒すらされつつあるらしい。


 こんな魔物は見たことも聞いたこともない。また、”全知”でも名前が判別できない。


 またも新種だとでもいうのか。もしくは、かのレッド・スライムのように、”全知”で伺い知ることのできない、何か理由があるのか。


 それ以上のことを考えている余裕は、なかった。


「グルルゥ……」


「な、速ッ――なにっ!?」


 正眼に『紫剣』を構える僕は、その魔物――仮に闇狼としよう――から片時も視線を切ってはいなかった。赤黒い瞳から目を逸らさず、互いに出方を伺っていたのだ。しかし、突如僕の右側面から生じた低く殺気を感じる唸り声に、咄嗟にそちらに身を捻ってしまう。闇狼が目にも止まらぬ速度で動いたのか、それとももう一匹がいるのか!? しかし視線を向けた先には何もない。闇の帳に閉ざされつつある通りが広がるばかり。


《”残響”スキル:異なる場所に音を発生させる》


「上だ」


「――ッ!!」


 僕が何に騙されたのか、答え合わせを”全知”が(つまび)らかにするなか、振り向く時間も惜しんで”結界”のための魔力を練り上げる。妖精亭の店主(マスター)が発した短い助言に従い、一方面、即ち上方へと集中展開する――!!


 僕の周囲すべてを埋めるように”結界”を張り巡らせるには、わずかとはいえ時間が掛かる。ある程度以上の強度を保とうと思うと、なおさらだ。その瞬間を逃す手合いでなかった場合、あの幼子の亡骸のように次に(はらわた)を食い破られるのは、僕ということになるだろう。


 もともと闇狼の潜んでいた路地側――僕からみて左側――から放たれる首筋を粟立たせる殺気に、そちらに”結界”を置きたい気持ちが逸る。しかし、此度は自分の感覚よりも咄嗟に店主(マスター)を信じた僕が、賭けに勝ったようだ。


 ガギィン!!


 発動から一拍も間を置かずに、硬質な音を響かせて闇色の爪が集中展開した”結界”に阻まれる。咄嗟に首を振り、見上げたすぐ上には獰猛にぎらつく赤黒い眼が僕を射抜いている。レッド・スライムのように魔術の効かない相手であれば、いまの攻防で僕は倒れることになっただろう。しかしそうはならず、無詠唱でやや過剰なほどの強度を持たせて発動した薄紫色の”結界”は、僕と闇狼の間をしっかりと隔てていた。ふ、と口元を歪めた僕へ、低い唸り声が咎めるかのように漏らされる。


 しかし、この拮抗した睨み合いは一瞬のこと。見事な後ろ宙返りをきめて一気に剣の間合いから離脱する闇狼に、銀の光が立て続けに迫る。1本、2本と躱され3本目が鋭い牙に弾かれた。店主(マスター)の投擲した投げナイフだ。一体何本持っているのかが気になるところだが、いまはそんな問答をしている猶予はあるまい。


「ほう」


「グルゥ」


 感嘆の吐息と、忌々しげな唸り声が響いたのはほぼ同時だ。闇狼の前足には薄紫色の帯がまとわりつき、完璧ではないものの動きを阻害していた。それは闇狼が”結界”に当たりにきたときに、接地面から仕込んだ”粘着”魔術が効果を発揮している証だった。なにも僕だってやられっ放しというわけではないのだ。


 無論、先ほどの突き刺さっていたナイフさえ抜け落ちて治癒してみせた異質な魔物が相手なのだから、”粘着”魔術だってナイフのように無効化され得るものだ。しかし、それならそれで、無効化する時にも隙ができればそれでいい。


 強力な魔物相手にポーズなど気にしていられる状況でもなく、睨み合いの続くうちに、無詠唱で”肉体強化”の魔術を掛けなおす。店主(マスター)には紫剣を取り出す様や”結界”の展開をも目にされているので、気にしたところで今更だろう。僕の身体を強い紫の光が覆ったところで、剣を構え直すよりもわずかに早く闇狼が地を蹴った。


 地が爆ぜる。狭い範囲で、石畳の敷かれていない通りの路面が、踏み固められた土を巻き上げて破砕されていく。


 音もなく地を蹴り、不規則な軌道でこちらに迫る闇狼、その足を狙って乱れ打たんばかりの”剥離”の魔術が、魔術が効果を発揮する前に的確に回避されているのだ。”剥離”よりもなお発動の遅い”氷結”などでは奴を捉えるよりも先にこちらが餌食となってしまうだろう。


 肉薄する闇狼に先制攻撃を決めることを諦め、飛びかかってきた爪を紫剣で打ち払う。その間に飛来する銀の閃きは闇狼が巨躯を(たわ)めただけで難なく躱す。地を這うような低い姿勢から鋭い角度で跳ね上がった顎門(あぎと)に構えた剣を弾かれ、僕は弾かれた勢いを転化して回転斬りを放つ。が、これも腹を浅く切りつけたに留まり、剣を振り切った姿勢で死に体となった僕の左脇目掛けて闇色の爪が振り下ろされる。とっさに剣を投げ捨て、頭から突っ込むようにして転がり逃れた僕へのさらなる追撃は、二連続で飛んできたナイフに阻まれた。本当にあのナイフは何本あって、どこから出てきているのやら。


 しかし、初老の店主(マスター)にツッコミを入れるのも、転がったままでいるのも、この局面では自殺行為に過ぎる。腕の反動を利用して跳ね起きると、僕は再び”倉庫”から紫剣を抜き放った。意図せず僕の手から離れると自動的に”倉庫”に収納されるように術式を組み込んだのだが、存外に便利だった。置き忘れ防止機能のつもりだったのだが。


 再び対峙する闇狼と僕。こちらを諦めて店主(マスター)のほうに行く素振りを見せたり、踵を返して路地の向こうに消えようというならば、僕としては魔術を練ることに専念できる。手こずるかもしれないが、徐々に範囲を狭めた”結界”で捕縛することも可能だろう。だが、闇狼はこちらを諦めてはいなかったようだ。赤黒い瞳は憎悪すら浮かべて僕を睨んで逸らさない。


 ――強敵だ。


 こいつは、レッド・スライムとはまた違うタイプではあるが、一瞬の油断さえ命取りとなる強敵だ。常人とは比べるべくもないほどの魔力貯蔵量を持ち、”全知”由来の知識で作成された魔道具に無詠唱魔術を駆使する今の僕にとってさえ、だ。”神名開帳”という強力無比な手段も残されているものの、これを万が一凌がれたり、そうでなくともまだ他にも魔物がいた場合、完全に無防備になって対処ができなくなってしまう。だから、あれは本当に最後の手段だ。


 北壁までの距離は、僕がシャロンとの合流のために動いていたこともあり、さほど離れているわけではない。穴付近の警護を一時的に打ち切ってでもシャロンに助けてもらうべきか。


 僕と店主(マスター)で闇狼に拮抗しているこの状況は、いかな強敵と言えどもシャロンに助けてもらえば容易く動くだろう。


 そう、シャロンに助けてもらって。


 いつものように、彼女に頼って。


 そうやって。

 また、シャロンに負担をかけて。


「――馬鹿か、僕は」


 独り、吐き捨てるように言ちた言葉に闇狼は反応を返さない。ただ、次に飛びかかる隙を狙うのみ。そんな闇狼を、精一杯に睨み返す。


 いつまで僕は、彼女に守られっぱなしでいるつもりなんだ?


 強くなりたいと願ったのは何のためだ?


 甘ったれるな、オスカー = ハウレル。


 もう、二度と。

 家族を失いたくないのだろう?


 音もなく急迫する闇狼を迎え撃つべく、僕はいま一度、握った剣に力を込めた。


 ――やってやる。


 シャロンの助けを借りなくたって、僕が強ければそれでいいのだから。僕が強くあらねばならないのだから。だから、こんな相手に躓いている場合ではないんだ。


 僕は意識を新たに、闇狼の攻撃に反撃のタイミングを合わせるべく、深く踏み出して重心を落とした。


 ――が、ここで。

 僕にとっては間の悪いことに、少し強めの揺れが、町を、大地を、揺さぶった。


「くッ……!」


「ルルルルァァァアアアア!!」


 足を取られて僅かに体勢を崩した隙を、闇狼は狡猾に突いてくる。肌に粘りつく大音声に、幾度も振り下ろされる鋭い闇色の爪が、なんとか間に割り込ませた剣の腹を打つ。片足が滑りかけた状態で踏みとどまれているのは”肉体強化”によって膂力が底上げされているからに他ならない。


「っつぁああッ!」


 気合いとともに吐き出された声を、獣臭い息を吐き出す鼻っ柱に叩きつける。

 それに伴い、押し込まれつつある紫剣から冷気が迸った。異常を嗅ぎ取ったか、素早く跳び退ろうとした闇狼だったが、剣に触れた前足を凍てつかせられ、離脱に失敗する。血走らせた双眸が見開かれ、そして確かに――僕と目があった。


 そして次の瞬間には無防備を晒したその頭部、横腹にそれぞれ一本ずつ、横合いから飛んできた銀が突き立った。


「グギャウッ」


 さすがにこれは堪えたようで、どう、と地に落ちた闇狼。致命的で、決定的な隙だ。


 振り上げた紫剣に刻まれた溝が、眩く澄んだ蒼の輝きを放つ。溝は、片刃である紫剣の、刃以外の剣身全域をびっしりと覆っている多重紋様だ。魔力を流すパターンによって、活性化する陣が変わる仕組みで、三多重までの魔術行使ならびに、僕が発動する魔術への支援(ブースト)が掛けられる。魔石自体を合金と混ぜ合わせて無理やり剣のカタチをとらせているというのが実態をよく言い表していると言えるだろう。


 まだ試作段階である紫剣は、蒼く発光する剣身からビキリと一際不吉な音を響かせる。だが、一撃は保つ。そういう”全知”の見立てだ。だから、躊躇いはなかった。


 紫剣の周囲には魔力が螺旋の渦を巻き、”剥離”の魔術を”断絶”にまで昇華させる。目前に迫った破壊の兆しに、はじめて闇狼の赤黒い瞳が怯えに揺れたかに見えた。


「グルゥッ!」


「”大切断”――ッ!!」


 背後から怖気を喚起する猛る唸りが轟くが、”残響(それ)”はもう、僕と”全知”にとって、一度視た技術(スキル)だ。


 振り向きたい本能から込上げる衝動に抗うと、一閃。解き放った大技によって、ついに魔物の胴と首とが綺麗に分断された。

 その余波で通りに深い亀裂が入ったのは――誰かが足を引っ掛けたら大怪我をしかねない。あとで塞いでおく必要があるだろう。


「……は。はぁ、はぁ……ふぅ」


「上出来だ」


 肩で息をしてようやく脱力する僕の背に、落ち着いた声が掛けられた。そちらに振り向くと初老の店主(マスター)は僕へ向けてニッと笑みを浮かべ、トテテテテッと僕に駆け寄ってきたシアン――妖精だからか、実際には足音はしていない。ただ、そういう動きだったのだ――は僕を見上げ、小さな花が咲いたように、にっこりと笑みを浮かべる。


 思わぬ襲撃に疲れ切ってはいるものの無事だった僕の顔を見て満足したのか、シアンはひとつ頷く。それでもう興味が別のところに移ったらしく、真っ二つとなった闇狼の側にしゃがみこみ、「"ぉゎぁ"」と口を手で覆い、どこから取り出したのか木の棒でツンツンとつつき出した。でろり。光を喪った赤黒い瞳が瞼から零れ落ちる。


「”ぉゎぁ”」


「つつくのやめなよ」


「”それは むりだー”」


「無理なのか……」


 気の抜けるやりとりをする僕とシアンの様子を、くつくつと忍び笑いをしながらナイフを拾い集める初老の店主(マスター)


「助かったよ、ありがとう。店主(マスター)がたまたま居合わせなかったら、どうなってたことか」


「たまたまってわけでもないんだが。シアンが久しぶりに泣いたもんだからよ。様子を探ってたらお前さんが危なかった、そんだけだ」


 そういえば、幼子――妖精、シアンの泣き声のあと、すぐに闇狼から襲撃を受けたのだったか。未だ闇狼の亡骸をツンツンすることに忙しいシアンの後ろ姿は、若干透けて視えるものの、それ以外ではただの幼子そのものだ。


「こいつは身近な人間が死にそうになると泣き出すんだよ。種族特性ってやつらしく、本人はよくわかっちゃいないみたいだがな。昔は誰彼構わず泣きまくって大変だったもんだが」


「”ぼるばろ どんまい”」


「てめえの話だよ。――ま、気にすんな。

 得意客が居なくなっちゃ、シアン(こいつ)がしょぼくれるからな」


 町が騒がしくなってから、シアンが泣き出したり、その予兆が見えていたために、どうやら店主(マスター)は僕と同様に町の見回りをしていたらしい。それでも本人はただの気分転換だ、などと(うそぶ)くのだが。


「欠けたりしたナイフは工房(ウチ)に持ってきてくれたら手入れさせてもらうよ。もちろんお金は取らないから」


「少年、これは年長者としてのお説教だがな。あんまり手前ぇの技術を安売りするもんじゃあないぞ。――っと、ありがとよ」


 闇狼から引き抜いたり、地面に落ちていたナイフを拾い集め、”剥離”で汚れを落として渡していく。その数、12本。自身で拾い集めていた分もあるので、投げた本数はもっと多いはずだ。


 手渡されたナイフは店主(マスター)が手を反すと一瞬で消失した。手首の動きで服の内側に隠したらしい、というのは”全知”がないと気付くことすらできなかっただろう。小洒落た料理屋を営む初老の男としては、謎の技術(スキル)であった。


「今回助けてもらったんだから、それでチャラだよ」


「そうかい。助けと言えば――嬢ちゃんはどうしたよ。呼ばなかったのか?」


 店主(マスター)の声音は責めるでもなく、ただ確認といった風の色合いが強い。僕がシャロンを呼び出す手段があることは教えていないはずなのだが、店主(マスター)はアーシャの料理の師でもある。ある程度のことは知っていてもおかしくはない。この分だと、シャロンの強さも見るなり聞くなりしているのだろう。


 声音(こわね)は淡々としているものの、生死の掛かった戦いにおいて、出来る手段を取らなかったのは油断や迂闊と糾弾されても仕方ない。僕はシャロンへの負担のために呼び出したくはなかったのだが、もし僕がやられていたら次に標的となったであろう店主(マスター)には、僕を咎める正当性はあろう。

 それでも、僕はシャロンを呼ばなかったことに後悔はない。


「野暮なこと聞いちまったな、忘れてくれ。意地があるもんな、オトコノコにはよ」


 僕が一瞬口籠ると、そこから何を感じ取ったのか。店主(マスター)は目を伏せ、やれやれといった調子でニィと笑うのだった。


いつもご覧いただきありがとうございます。

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