僕と市街戦
地揺れが止まらなくなってから、はや10日ほどが経過した。その間、混乱は収まるどころか、増加と悪化の一途を辿っている。
町には武装した憲兵や冒険者、果てはごろつきのような者たちまでもがうろつき、それ以外の者たちは必要最小限しか家の外に出ない。厳重に戸締りをした上で閉じこもる人が多く、そんな状況なので大通りでさえ商店を開けているものは少数派だ。いつもは賑やかな通りも、今やまるで別の町のように活気がなかった。
揺れは大きくなったり小さくなったりを繰り返し、しかも次第にその間隔が短くなってきているような気がして、人々の不安はとどまるところを知らないのだ。不安を発端とするいざこざや小競り合いが頻発するため、町の住人が外出を控えるのも当然の成り行きと言えるだろう。
そんな人通りのほとんどない夕暮れのガムレルの町には、今、けたたましい鐘の音が鳴り響いていた。それだけでなく時折怒号や悲鳴が響き、町のあちこちで煙が上がっている。
『オスカーさん、北壁添いに亀裂、というより穴ですね、これは。穴を確認しました。中型の魔物くらいなら通り抜けられそうです』
『わかった。新たな侵入を防いでくれ。無理はしないで』
『了解です。では今夜はご褒美を期待しています』
こんな時でもいつも通りのシャロンと"念話"を交わしながら、僕は北の空を仰ぎ見た。今夜はというより、今夜『も』だろう、なんてことはわざわざ言ったりしない。この異常事態にもかかわらず『いつも通り』でいてくれるシャロンによって僕も平静を保っていられている面もある。見つめた先の北の町並みは、他よりも多く煙が立ち籠めている。ところどころで火の手が上がっているのだ。
異常事態を知らせる鐘の音が鳴り始めたのは少し前。揺れが始まって以降客足もまばらな魔道工房で、アーシャがそろそろ夕飯の準備を始めようかという頃に、突如その音は響き渡った。すわ何事かと広域型の"探知"の魔術を発動した僕と、同じく索敵をしていたのであろうシャロンが顔を見合わせたのは同時だった。そして辿り着いた結論も同じもの。すなわち、町に魔物が侵入している、というものだ。
『アーニャ、工房を頼んだ。僕もちょっと出て来る』
『あいにゃー、任されたでぇ。カーくんも無理しなや? ほんまにな?』
『気をつけるよ』
『約束やで!』
シャロンと同じようなやり取りをアーニャとも行うと、しっかりと念押し気味に釘を刺された。
日頃の行いによる評価は厳しいな、と苦笑いをひとつ零す。
工房周辺の安全は確認したし、それでも仮に魔物が近付くことがあったら発動する魔道罠も設置した。木剣を取り出してやる気を見せるラシュには、工房でアーシャたちを守るように言いつけておいたし。僕も事態の収拾へと動くべきだろう。
直後にやってきた少し強い揺れに顔を顰めると、僕は"肉体強化"を発動して屋根伝いに夕暮れのガムレルの町へと飛び出した。揺れる地面では走るどころかまっすぐ立つだけでも一苦労だが、屋根を足場に跳んでいる限りにおいて――少なくとも身体が中空にある瞬間は――揺れの影響は受けない。
近隣の魔物のもとへ"探知"魔術を駆使して急行した僕の目にまず飛び込んで来たのは、倒れこんでぐったりとする冒険者風の男と、魔物を寄せ付けまいとへたり込みつつも震える腕で短剣を握りしめる女の姿だった。
対する魔物は、アグニベアが一体。人間の子供ほどの大きさで、赤熱した体毛の一部からは血が滴っており、これ以上ないほどに気が立っている様子だ。僕が屋根伝いにそちらを目指すさなか、勢いよく飛びかかったアグニベアによって女性が路地の硬い地面へと背中から叩きつけられた。
「かはっ、っっつ、うぅ――ッ……!」
衝撃によって肺の空気を無理に吐かされた女性は息を詰まらせ、再び眼前に迫ったアグニベアに怯え、固く目を閉じる。しかし、女性が覚悟した更なる衝撃は訪れない。
「"凍てつき 閉ざせ"」
「ギュ、ギッ――!!」
僕は屋根から路地へと身を踊らせながら、狙いを定めて"氷結"の魔術を発動する。
鋭い牙を向き、身を竦める女性に致命の一撃を与えるべく跳び上がっていたアグニベアは、そのずんぐりした肉体を、路面、壁面から突如突き出た二本のギラリと尖った氷の柱に貫かれた。短い獣の悲鳴が路地に耳障りに残響して、赤く染まった氷柱に磔にされた骸がひとつ出来上がる。
「おっとと」
"肉体強化"の燐光を靡かせたまま路地に着地した僕だったが、直後の揺れに足を取られ、たたらを踏むことになった。
これは、思った以上に戦いにくい。とくに、近接戦闘しか手段のないものにとっては尚のことだろう。
未だにきつく目を瞑ったままの女性も、見れば軽装を身につけているようで、冒険者かそれに準ずる者だということが伺えた。近接戦闘に慣れていたようには見受けられなかったので、駆け出しか、もしかしたら魔術師かもしれない。
町中で予告なく魔物に遭遇したことによる動揺は深いものだろう。しかし、それを加味しても冒険者が二人掛かりで小型の魔物一体を相手にして、手傷を負わせただけで競り負けそうになるというのは、かなり深刻な事態だ。これは彼らの戦闘能力の優劣もさることながら、地面の揺れの影響も大きいのだろう。
剣は、なにも腕の力だけで振るものではないのだ。しっかりと地面を踏みしめて腕を引き、地を蹴り踏み込んだ勢いと体重、剣の重みを上半身の捻りで支えた上で、初めて剣を振るう。いかに優れた運動神経を有していたとしても、揺れる地面ではまともに戦えまい。
「……? ひぅっ!?」
いつまでも衝撃がやってこないことを不思議に思ったのか、ようやく目を開けたらしい冒険者風の女性は、自らの眼前で氷の柱に貫かれて絶命しているアグニベアにまず驚き、短く悲鳴をあげると背中を地面につけたままずりずりと後ずさった。困惑に染まったタレ目気味の茶色っぽい揺れる瞳が、魔物の死骸の後ろから歩み寄る僕を見据えている。
僕は手早く"倉庫"から回復薬茶の小瓶を2つ取り出すと、困惑する女性の手に握らせた。
「……。え、あの――?」
「回復薬だ。あっちで倒れてるやつにも飲ませてやるといい」
ここはもう大丈夫だろう、となれば次だとばかりに、"探知"魔術を再度展開。ここから一番近いのは、路地を二つ挟んだ向こう側か。
腰を屈めて再び屋根へと跳躍する。いたるところで煙が、悲鳴が上がる町は、夕暮れの朱に沈みこんだ、どこか見知らぬ場所のように感じられた。
「あの、そのっ! ――ありがとう!」
僕の背中に感謝の声が掛けられる。それにひらひらと手だけで応じると、僕は振り返ることなく次の屋根へと跳び移る。
魔物は見つけ次第粉砕し、怪我人には回復薬茶を与え、燃えおちそうな建物を消火してまわる。魔物はブォムやアグニベアといった小型のものがいるだけで、直接戦闘となってもさほどの脅威ではない、はずだった。否、実際のところ、僕にとってはさほど脅威にはなっていない。それはあの場所でインチキなレベルにまで高められた魔力量と、"全知"に裏打ちされた正確無比な、乱発可能な遠距離攻撃手段を多数有していることに起因する。
しかし――町で魔物に出会った多くの人にとっては、そんなわけにはいかない。
ある町人は焼け落ちる自身の家を前に呆然と立ち尽くした。侵入した魔物にアグニベアが複数いたのが痛い。アグニベアは気が立つと身体から可燃性のガスを撒き散らし、魔力で起こした火花を用いて着火してまわるのだ。
ある冒険者は、揺れに足を取られたところをブォムの鋭い牙に足を穿たれ、目の前で齧り取られた自らの指が咀嚼される様を、絶叫とともに見ていることしかできなかった。回復薬でも"治癒"の魔術でも、欠損してしまった部位を元に戻すことはできない。
そしてまたある母親は――食い千切られた我が子の亡骸を抱きかかえて慟哭した。
「――なんで!?」
憎しみと悲嘆に染まりきった叫びが僕の耳朶を強かに打つ。本人も浅くない傷を負っているが、亡骸を抱える指先は白くなるほどに力が込められていて、それに伴って肩口から鮮血がだくだくと腕を伝い、地を濡らしていく。
「なんでっ!? もっと早く来てくれなかったのッ!?」
嗚咽まじりのその訴えは、理不尽なものには違いない。僕やシャロンは誰に乞われたわけでもなく、事態の収拾のために動いているだけだ。こうして怨嗟のこもった視線を浴びせられて嬉しいわけもない。すぐ側で項垂れる憲兵と、四散した2体のブォムに1体のアグニベア。すんでのところで僕が割り込めていなければ、ここで生き残っていたのは魔物だけになっていただろう。
払い除けられる手を再度翳して最低限の"治癒"を施し、憲兵には"倉庫"から取り出した回復薬茶、ジレットのものを観察して試作した魔物除けの香を渡して、遣る瀬ない気持ちのまま次の場所へ向かおうとする僕に、ぽつりと声が届いた。
「なんで私だけ、助かっちゃったの――?」
誰に語りかけるでもなく、呆然と呟かれた名も知らぬ母親の言葉が、僕の胸にじくりと刺さった。
その場を後にして残った魔物を狩ってまわっても、胸はじんわりと痛みを発したままだった。
"探知"に引っかかる魔物の数は増えていない。たまに北壁付近ですさまじい轟音が響くので、新たな魔物の侵入はシャロンが防ぎ続けてくれているのだろう。東側でも『黒剣』による魔力の波動を感じるし、魔物の数も減っているようなので、カイマンも健在らしい。
ついに魔物の反応を狩り尽くしたかというところで、僕は暗くなりつつある周囲を見渡した。
翳した手の先には氷に貫かれたブォムの姿が2体分。すでに絶命している。
「ふぅ……」
今回の騒動で見た魔物は、ブォムに、アグニベア。なぜか一匹だけエムハオも見かけたが、あれは追い詰めさえしなければ大きな害はない。あたりを穴だらけにしたり、蓄えを食い尽くしたりする害ある魔物ではあるが、生命に直接関わるような攻撃性を有しているものではない。問題は、前者の二種の魔物だ。いずれも群れるタイプで、人間に対して敵対的。そしていずれも、縄張り意識が強い種族だったはずだ。それがなぜ、同時に人里へ大規模に侵入をしたのかが気にかかる。
魔物を狩り尽くしたと認識していた僕は北壁付近にいるはずのシャロンと合流すべく歩みを進めながら思考に耽る。"肉体強化"も既に解いており、足取りは重い。『なぜ魔物たちが侵入したのか』という疑問に呼応するように脳裏に浮かぶのは、助けられなかった命。脳内に反芻する『なんで私だけ、助かっちゃったの――?』という呟きが、頭を掻き乱す。
そんな、有り体に言えば油断した状態で、すぐに『反応』ができたのは、頭に響くように聞こえた幼子の泣き叫ぶ声故だった。
「やぁ、少年。少し、動くなよ」
泣き声に続いて背後から投げかけられた渋みのある声にハッと振り向いた僕の視線の先には、初老の男――『妖精亭』の店主の姿があり、その足にしがみ付いて直前まで泣き声をあげていたであろう、『妖精』シアンの姿があった。店主は左手を前に、つまりは僕の方に突き出した変な姿勢をしている。まるで、何かを投擲した直後みたいに。
僕が疑問を口に乗せるよりも早く、重たい何かがドサリと音を立てて僕のすぐ近くに落ちた。それは僕が足を止めていなければ確実に衝突していたであろう場所だ。
「え――うわッ!?」
「グゥルルル……」
どうやらそれは考え事をしていた僕を狙い、路地の暗がりから飛びかかってきたところだったようだ。さらに銀の何かが飛来し、地に落ちたそいつを追撃する。思いっきり驚きの声をあげた僕から少し離れた路地まで舞い戻って、そいつは忌々しげな唸り声を響かせた。
おかしい。このあたりに"探知"魔術に掛かった魔物の反応はなかった。しかし、その存在は確かにそこに居た。
"全知"が捉えた視界の先で闇から染み出すように浮かび上がるのは、狼のような魔物だ。しかし、それは狼ではありえないほどの体躯を有している。全身は艶のある闇を塗り固めたような漆黒で、唯一その眼だけがぎらつく赤黒い光を宿している。右前足あたりに埋まった銀色の煌めきはどうやらナイフの柄の部分のようで、店主が狼の襲撃から僕を守った際に投げつけられたものだろう。体長はゆうに大人を超えていて、鋭い爪に牙を闇色に光らせながら、負傷を感じさせないおどろおどろしい哮り声を上げた。
「少年、構えろ。――来るぞ」
短く促す妖精亭の店主は、視界の端で銀のナイフを構えたようだった。その言葉に応じて、僕も"倉庫"から試作の『紫剣』を抜き放った。
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一人称視点で書き続けることに筆力の限界を感じつつあります。
突然三人称視点になっていたら察してください。