閑話 - 僕と思い出の味
2019年度シャロンちゃんの誕生日記念のほのぼの話です。
(あとから差込投稿しています)
ある日のハウレル家のお話。
宵闇が町を包み込む頃、一日の仕事を終えた僕らはそれぞれ工房への帰路についていた。
今日はシャロンとふたりで町の各地に避難所を作ってまわっていたのだが、これがまた結構大変な仕事なのだ。
倒壊した建物の瓦礫を取り除き、でこぼこした地面を整え、資材を運び入れ、組み上げる。場合によってはこれらの間に大地の神に祈りを捧げる一幕が入る。
普通にやったら何人もの人を動員して何日もかけてやる仕事を、今日1日だけで3棟もの避難所を建設した。
リーズナル家から土地活用全般の信託を受けているとはいえ、住民たちの不満や不安の声が消えるわけではない。
壊れたとはいえ住み慣れた家を喪うことになった者たちの悲哀は察するに余りある。その悲しみを少しでも緩和するために、なるべく使える家財を運び出したり、時には恨み節を聞いたりと、気苦労も絶えないのだ。
そんな忙しさと精神的疲労が積み重なる仕事でありながら、優しい表情でうんうんと住民の話を聞きながらも、すさまじい速度で避難所を作り上げていくシャロンに、終いには手を合わせて拝み始める見物人まで続出していた。
日を追うごとに『熊殺しの女神』の土着信仰が高まっていくガムレルの、ここ最近のよくある光景である。
民家の窓からささやかに漏れ出た魔力灯の薄明かりが路地に淡い影を刻み、すでに人通りはまばらだ。
表通りに軒を構える酒場も、開店状況はまばらではあるけれど、開いているお店は盛況な様子だった。
自宅に調理場を持っている家ばかりではないし、揺れの影響もあって火を使うのはリスクがある。
そのため、開店している食事処はどこも客足を捌くために、料理人たちは厨房でてんてこ舞いに働き続けていた。
肉を炙る香ばしい匂いが、一日の仕事を終えて疲れた体を刺激する。
そんな中で帰路を辿っていれば、自然とお腹がすいてくるというものだ。
くぅ、と小さくなった僕の腹の虫に、シャロンがくすりと小さく微笑んだ。
少し照れくさくって、こほんと咳払い。
「今日のご飯は何になるんだ?」
「マロルローニェなの。めぇー」
ちょうど帰り途中に一緒になったアーシャに問いかけると、彼女はシャロンと反対側の僕の隣をてこてこと歩きながら、羊の鳴き真似をした。
頭に添えた両の人差し指は、羊の角のつもりなのだろう。
「もう出来上がってるから、帰ったらすぐ食べられるの。今は明日のぶんのお買い物をしてきたところなのなの」
「そっか、それは楽しみだ」
マロルローニェは新鮮な羊肉で作る蒸し料理だ。
多めの油で表面にパリッとした焼き色がつくまで焼いたあと、網籠の上にあげて蒸気でじっくり熱を加えていく。
羊肉の内側には香草が詰め込んであり、染み込んだ独特の風味と共に特性の甘辛ソースでいただく、手の込んだ料理である。
家庭料理としては大変な部類に入り、そもそも羊肉が手に入ることも稀なので、母も滅多に作ってくれなかったご馳走だ。
香辛料を卸している関係上、近頃アーシャは『妖精亭』だけでなく高級肉料理屋にも出入りしているらしく、そこでもいろいろと技術を仕入れているのだろう。
いろんな料理を学んではレパートリーを増やし、僕らが食事を楽しめるように手を変え品を変え、日夜研鑽に余念がない。
初めて見かける露店の屋台があれば目を輝かせてすっ飛んで行くので、彼女の料理に対する熱意は筋金入りだった。
めぇめぇ言ってるアーシャの『つの』を指でつんつんと突つくと、ぴょこぴょこ跳びはねて僕の脇腹に反撃を仕掛けてくる。
「えいえいなのっ」
「ぐえぇ」
「あ。いいですねそれ。私もやります。えいえいっ!」
「ぐぁあ、ちょっ、シャロンまで!? なんか手つきがやらしいんだけどっ!?」
アーシャと違い、シャロンはフェイントまで織り交ぜて僕の防御を巧みに躱し、肋骨や鎖骨をさわっと撫ぜるように触っていく。両手がわきわきと開閉されており、角っぽさは皆無だ。
日中ずっと動き回っていたというのに花が咲くような満面の笑顔で、元気爆発シャロンちゃんである。
工房が近くなってくると、僕らのこの手のじゃれ合いは行き交う人たちにとってさえ、もはや物珍しいものではないらしい。『ああ、またやってるのね』くらいの感じで誰も彼もにゆるーくスルーされる。
「ふっふっふー! 蝶のように舞い、」
「蝶のように刺すの!」
「蝶は刺さないよ! あと羊どこいった!! ぐえぇ」
そんなこんなで空きっ腹を抱えて僕らの『工房』に帰りついたとき、同じく空腹な姉弟が同じようにらっぴーをつんつん突ついて僕らの帰りを待っていた。
つんつんもふもふされるらっぴーと『お前も大変だな……』と視線を交換する。
アーシャは帰り着くや否や、前掛けを装備して細やかに料理の仕上げをし、瞬く間に食卓が整えられた。
日中は皆、それぞれ自分に出来ることを頑張っているので、顔を合わせる時間はそう長くない。
それでもこうして夕飯時には『家族』揃ってテーブルを囲む。僕らはそれぞれ、今日あったことや頑張ったこと、料理の美味しさについて思い思いに語らい、舌鼓を打つ。
町も人も、大変な状況だ。これでもガムレルはマシなほうで、運河を登ってくる舟人から聞く話では随分酷いことになっている地域も多いらしいとカイマンが嘆いていた。
それでもこうやって、楽しく和やかな時間は守らなきゃな、と僕は何度目になるかわからない決意を密かに刻んだ。
そこでふと、僕をじぃーっと見つめてくる視線に気付いた。アーシャだ。
どうした、と目線で問いかけると、彼女はくりっと小首を傾げる。
「おくちに合わなかった?」
「いや? 美味しいよ。なぁアーニャ」
「めちゃんこ美味いに決まっとるやん。なぁラっくん」
「ん。おねーちゃんのご飯は、ぜんぶ美味しい」
肉表面のパリッとした香ばしさと、アーニャたちが採ってきたばかりのキノコ類の醸し出す深い味わい。
また、一緒に蒸された小蕪は臭みも全く感じられず、ほくほくホロリと舌の上でほどけるようで、これならチュルズまみれでげんなりしているカイマンだっていくらでも食べるに違いない。
色鮮やかさだけでなく盛り付けにも拘りが見られ、味・量ともに申し分ない。物資不足の中でこれだけの料理が用意できる手腕に感服しこそすれ、口に合わないなどということは想像だにしない。
かなりの分量が用意されていた大皿もすでに半分以上が平らげられており、過保護姉の言う通り『めちゃんこ美味い』という表現に全会一致で間違いはない。
それでもアーシャはどこか納得がいっていない様子で、上目遣いで僕をじぃ……っと見つめてくる。
「うーん。本当に美味しいと思ってるんだけどな」
少し困って頬を掻く僕に、隣で真剣に骨から肉を取り外していたはずのシャロンが思わぬ追撃をかけてくる。
「たしかにアーシャさんの仰る通り、咀嚼から次の一切れを取り分けるまで、これまでの他の料理より平均でコンマ8ほど遅くなっています」
「こんまはち」
え、なに、僕が食べるの、これまでそんなに細かく観察されてたの?
それまでとは違った意味で、僕の頬が若干引き攣る。
「ねえウチはウチはー? なんかちがう?」
「アーニャさんが食べているところを、私がそこまで細かく観察しているはずないじゃないですか」
「それもそうやなー」
さしてなんの不思議もなさそうに引き下がるアーニャ。特に期待があったわけでもなく、単に聞いてみただけ、ということなのだろう。
いや待て。僕は観察されてるっぽいんだが、それにはとくにコメントはないのか。アーニャだけでなく、アーシャからもラシュからもツッコミが入る気配がない。
思わぬ形でシャロンから追認が出てしまった形となったが、僕としては本当に思い当たるフシがないのだ。それでもアーシャは納得してはくれなさそうだった。
いつも通りに空腹だったし、途中で買い食いをしたわけでもない。さっき散々突つかれまくった脇腹にダメージが残っていたりするわけでもない。
かつて母さんが作ってくれた思い出の中の羊蒸しよりも、今のアーシャのほうがほぼ確実に腕も良い。
野菜の切り揃えは丁寧、"全知"によれば火の通りが均一になるように工夫が凝らされているらしく、間違いなく美味しいのだ。
それなのに、なぜ僅かに物足りなさのような、引っ掛かりがあるのだろう。
「……………………あ」
「なのっ!?」
「そうか。たぶん、後味が違うんだ」
「『後味』、なの?」
ほかほかと湯気の湧き立つ羊肉を口に放り込み、しばらく悩んだ末、僕はそう結論した。
問い返すアーシャに、小さく頷きで返す。
「あれはいつだったかな。もう何年も前だけど、母さんがまだ生きてた頃に作ってくれたことがあったんだ。僕の誕生日だったっけ。父さんが子羊を丸ごと買って来たことがあって。あんまりしっかり覚えてるわけでもないんだけどね」
いつかの『幸せだった』食卓を思い出す。
もう、絶対に戻ることはない、こことは別の食卓のこと。
ラシュははぐはぐと骨の周りを綺麗に食べ尽くし、アーニャは麦酒の杯を傾ける。
シャロンは――うん。これは"全知"を使わなくてもわかる。瞬きすらせずこちらをガン見している、つまりは録画されてる。完全に記録を撮られている。冷や汗が流れた。
珍しく『思い出』を語る僕に、皆思い思いのやり方で、静かに耳を傾けているようだった。
「その時に食べたのは、ちょっとだけ爽やかな酸っぱさが後味に残るような。そんなだったような気がするんだ」
自分でさえ、問われなければ思い出すこともなかったであろう記憶。
色褪せて、朧げで。それでも確かに幸せだった、幼き記憶。
僅かの寂寞を覚えるのは確かだ。それでも、思い出せてよかったとも思う。
父や母との思い出は、どうしてもつらい記憶を一緒に引きずり出してしまう。
だからできるだけ蓋をして、思い出さないようにしていた。今を生きるのにも精一杯なのだから、余計な感傷をしている暇なんてない、と。
それでも、僕の体は味覚を通して無意識にでも覚えていてくれたみたいだ。
それが父母の生きていた確かな証のような気がして――彼らからの愛情のひとつのような気がして――少し、胸が暖かくなった。
懐かしい、記憶の中の『思い出』の味。
僅かな痛みと郷愁とを感じさせる、母の味。
――そこで終わらない、終わらせないのが工房の料理担当、ちびっこ看板娘である。
「酸っぱさ。後味。爽やか。ヒメリ……はたぶん違うの。色が着いちゃうし、香草の苦味が出ちゃうの。リュメの花弁は保存が効かないし手に入る期間が短いから、わざわざ用意するのは難しいの。優先度は低いなの。岩豚の背脂で炒めたコルベ草は酸味と苦味が特徴、でも後味じゃなくて全部すっぱくなっちゃうから多分これも違うの。えーっと、うーんと他にはトルペスの鱗茎と、うーんと」
ぶつぶつ呟きながら、頭の中で『酸っぱい』に該当するレシピをひっくり返しまわっているのだろう。
うーん、うーん、と唸る表情は真剣そのものだ。
「シャーねーちゃん、あにうえさまっぽい」
「せやなぁ。道具作ってるカーくんにそっくりやわ」
「ええ……。僕、あんななのか? ほんとに?」
「はい。さらに付け加えるならばオスカーさんの場合は、没頭していらっしゃる時はもう少し姿勢が悪いです。骨盤の歪みは加齢と共に大きなダメージとなりますから、改めるよう心掛けてください」
「ぐふぅ」
思わぬところから僕にダメージが入った。
これまでも、アーシャやラシュの細かな仕草は、シャロンに似てきたと感じることがたまにあった。が、どうやら僕に似てきている部分もあるらしい。
そうか……僕はあんななのか……よくわからないことをぶつぶつと、ああでもない、こうでもないとしている様は、傍から見ると少々怪しいものかあった。
「アーシャのほうが美味しく作れるんだから、何もそこまで真剣にならなくたって……」
「諦めるのは、できる努力を全部した後でも遅くないなの」
「アッ、はい」
自身が発端であるだけに、まあまあ、と宥めようとした僕に、ずい、と身を乗り出してアーシャはぴしゃりと言い返す。くりっとした大きな瞳の中にはメラッと炎が宿っているかのよう。
これは僕だわ。何がなんでも諦めたくないときの、僕そのものだわ。
「シャロンさま。あとでオスカーさまの食べた反応から近いのを探すの。手伝って欲しいの」
「合点承知です。オスカーさんに関することであれば、瞳孔の収縮から心拍数の変化、呼吸の間隔に至るまで、全て見落とさないことをお約束します」
「心強いの」
「勘弁してくれ……」
そうして。
『思い出』の味を再現せん、と使命感に燃えるアーシャのもと、正解と思しき『山マモ』に辿り着くまで、数日に渡って僕の食べ物は手を変え品を変えた『酸っぱい』が必ず一品は用意されることとなった。
そんなこんなの経緯があって、アーシャの特製マロルローニェは他で食べるのに比べ、少しだけ後味が爽やかなのだった。
受け継がれる愛情