僕らと兆しと そのに
獣人用魔力固着飴(仮名)の効果のほどは"全知"越しにもはっきりと確認できている。
ただ、継続利用するには体への負担がありそうなのは難点か。元から魔力を扱う因子がほとんど無いところに、その能力を後付けするのだ。まったくの無負担とはいくまい。
それだけでなく、物理的な問題として顎が疲れそうだというのも盲点だった。飴はアーシャの口に対して少しばかり大きいので、ちゅぱちゅぱころころと、けっこう舐めづらそうにしている。
内容物の含有量を考えてあの大きさになっているのだが、無理に圧縮を掛けて変質してしまうのもまずい。うむむ。
そんな風に飴の改善作を思案していると、一緒にアーシャの様子を観察していたアーニャが、疑問を挟んでくる。
「カーくん、いまの玉みたいのんはなんなん?」
「ああ、魔力の受容体がない獣人、アーニャたち用の、まぁポーションのようなものだよ。
試作品だけど、一時的に少しずつ魔力を充填してくれる。
ほら、前に話した島での戦利品のうち、シャロンが読み取ってくれた獣人のデータを元に作ったんだよ」
アーニャの疑問ももっともだ。信頼の賜物か、害あるものという心配は全くされていないようなのだが、それでも気にはなろう。
地獄姫蜂の、至宝と名高いとかいう帝蜜。そこにラクトバル鉱(蓄積した魔力を少しずつ放出する働きがある)の粉末を練りこむ。あとは魔力回復茶にも使っているヒヒ草の新芽をシアンに預けて"妖精の祝福"をかけてもらい、煮出した溶液をゆっくりと混ぜながら、少しずつ少しずつ冷やし固めた獣人用魔力固着飴である。
名前は鋭意検討中だ。シャロンにかっこいい命名を頼もうとしたら危うく『ねこまっしぐら飴』になりかけた。
この飴自体は僕が作ったものだが、着想はアーニャに語った通り、別にある。
島で手に入れた、なんとかいうチップから手に入れた情報のなかには、ヒトと動物の遺伝子とやらを掛け合わせ、肉体的に優れた種族を作るという計画――獣人の誕生に纏わるであろうデータも内包されていた。それらを紐解き、獣人の体にも適合するように、少しでも魔力を滞留させるために作り出したのが、この試作品の飴である。
「それ食べたら、ウチらにも魔術が使えるってこと?」
「ずっと舐め続けるわけにもいかないから、現段階では難しいかなぁ。身体への負担もまだ実測できてないし。
でもこれがうまく行けば、一時的にでもそれなりに体内に魔力がある状態にできるから、"治癒"魔術や回復薬なんかが使いやすくなるはずだ」
「それって、あの、その。もしかして、カーくん、ウチの、ウチらのために?」
「ん? そりゃそうだけど」
"治癒"や回復薬は体内の魔力に働きかけて傷を癒すものだ。
これが気軽に使えるようになれば、不慮の事態にも慌てることなく対処できるだろう。
それはもちろんとりもなおさず、僕の家族の――アーニャたち姉弟のために開発したものだ。
ころころちゅぱちゅぱしているアーシャの隣で、アーニャの様子も若干おかしいな? と遅れ馳せながら僕が気付いたのは、実にこの瞬間である。
《アーニャ = ハウレル: 心拍上昇》
顔は真っ赤だし、”全知”のお墨付きもある。
なんでだ? と僕が首を傾げるよりもはやく、アーニャの両目からぽろりと大粒の涙が溢れた。たまらず狼狽える僕。いやそりゃそうだろう、女の子の涙に平然としていられる男なぞ、出来立てのカサブタを服に引っ掛けてビッてなればいい。
「ウチ、これでカーくんのこども、産めるねんな……?」
「あ、え、う、うん、そうなる……かも」
僕の狼狽と混乱をよそに、アーニャは感極まり、堪えきれなかったというかのように涙を零し、ぐしぐしと目元を拭う。
獣人の女性は魔術師の男性との間に子を成すことが出来ないという話は、誰から聞いたのだったか。ああ、たしかやかましい記者の女だ。
獣人には魔力の受容体が、もう呪いかと思うほどにほとんど存在しないため、胎内で魔力欠乏症に陥って育たずに死んでしまうのだという。
一時期、その事実を知ったアーニャは表面上はつとめて明るく振舞っていたものの、ふとした瞬間に塞ぎ込むようにしていたのを、僕も知っている。
――感極まっているアーニャに、この飴を作ったときにはそのことを完全に忘れていたとは言えようはずがない。おそらく、僕の表情は混乱が多少収まった今以て引きつっていることだろう。
あけすけな好意をこれでもかとぶつけられること、それ自体は、うん。悪いものではない。いや、より正直に言えば嬉しいさ。そりゃ。
でも僕には、シャロンという伴侶がいる。共にあり続けることを誓った伴侶が。
仮にアーニャたちがどんな相手とも子を成せるようになったとしても、僕とシャロンが夫婦であるという関係性は動かない。シャロンのほうは、なぜかアーニャたちを僕にけしかけようとする時もあるのだが……。
思わぬ事態と降って湧いた希望に茫然自失となっているアーニャと、これをどう傷つけずに躱したものかと苦慮する僕の間に、小さな影が割り込む。アーシャだ。
アーシャはまだ口の中でコロコロするものが残っているようだが、だいぶ舐めやすい程度には小さくなったらしい。
それに伴い、顔色はいつもの調子に戻ってきている。
よかった、と僕が安堵の息を吐いたところで、アーシャが僕をじぃっと見上げていることに気付く。コロコロ、小さなほっぺが少し動いた。
「あの、――アーシャ?」
僕の呼びかけには応えず、アーシャはふんす、と気合いを入れるように一度頷くようにして小さく拳を握った。
かと思うと次の瞬間には、僕の腰あたりにぎゅーっと小さな体全部でしがみついてきた! いっそ組み付いたとも言える。
「!?」
「!?」
突然の行動に驚く僕やアーニャをよそに、アーシャはぎゅっぎゅと僕の腰あたりに抱きついたまま、優しく柔らかい――それでいて、どこか蠱惑的な声を漏らした。
「オスカーさま。やっと、アーシャの身も心も、ぜんぶ捧げられるなの」
「待て待てアーシャ。僕はべつにそういうつもりでッ!?」
そういうつもりでそれを作ったわけではないし、そもそもそういうつもりでアーニャたち姉弟を助けたわけじゃない――だからそんな潤んでうっとりした目を向けるのはやめてくれぇええ!?
混乱から立ち直ったはずの僕の余裕など完膚なきまでに吹き飛ばし、そんなことは知ったことかとばかりに抱きついたままでアーシャは少し身じろぎし、顔を伏せる。顔色も戻って、良かった、元気そうだ、とはさすがにいかな朴念仁でもこの状況からは言い出さないであろう。――誰が朴念仁だ。誰が。
「オスカーさまの寿命、伸ばしてあげられる、なの。
でも――はじめては、優しめにしてほしい、なの」
アーニャもアーシャも少し落ち、落ちつ、え? 寿命!? なんの話――って、ああロンデウッドのやつが言ってた迷信のことか!?
獣人の長の長寿の秘訣はハーレムを築いて、いわゆる獣人娘のいわゆる『初モノ』を食らうことだとかいう、そういう迷信。アーニャが以前一笑に伏していたものだ。
その話もアーニャの感極まった事象同様に、記憶のかなたへ追いやられていた。しかし、それ目当てで攫われて一生分もの怖い思いをしていたアーシャにとっては、忘れるどころではなかったのかもしれない。
それにしても、どうして突然アーシャがこんな状態に。潤んだ黄色い瞳を”全知”越しに見返すと、アーシャは小さく可憐な花のように、ふんわりと微笑みを返す。
《アーシャ = ハウレル: 睡眠不足 魔力酔い 発情》
こら”全知”、発情とか言わない! たまらず眼鏡にツッコミを入れる僕。
魔力酔いは、思考が緩慢になったり、反対に感覚が鋭敏になったりする状態で、普段より濃度の高い魔力に接しているとなる場合がある。
ある程度は慣れで罹らなくなるが、そも魔力の受容体のほとんどなかったアーシャが魔力慣れしていないのは当然だ。
はじめてシャロンに会った際、彼女の背中に不用意に指を突っ込んでしまい、魔力を思いっきり吸い上げられたときにも、そういえばこんなとろんとした表情を向けられたっけなと現実逃避気味の朧げな記憶が刺激される。
「よいしょ、ん、しょ」
「待て待て、待って」
「なの?」
アーシャは僕に抱きついたまま、背中側にまわした小さな手で僕の服を捲り上げていた。
外に出るわけでもないし、まだ店も開けていないので簡易な服しか来ていなかった僕の腹筋あたりは簡単にむき出しにされ、アーシャが嬉しそうに顔を埋めようとするのを腕尽くで阻止。
しかし当人は、なぜ止めるのかと怪訝そうな顔を僕に向けるのだ。
「ちょ、ちょっと待ち、待ってやアーちゃん!」
「アーニャ! そうだ! 止めるの手伝って」
ようやく混乱から立ち直ったらしいアーニャが声を掛けてくる。
すでに張り付かれている上、普段の大人しさをかなぐりすててむぎゅうと全力でしがみつくアーシャを引き剥がすのに存外に苦戦する。
"念動"魔術でやんわり持ち上げようとする僕の努力は、バヂッ! という紫の火花を散らせて抗魔される。そうか、首輪の機能か。我ながら良い仕事をする魔道具を作ったものだが、こと今の状態においては完全に裏目だ。
たまらずアーニャに助けを求める僕。しかし。
「せめて! せめてウチが、おねーちゃんが先にっ!」
「やぁなの〜! はやいものがちなの〜!!」
「なんでそうなる!?」
この場に僕の味方はいなかった!
なるべく早く帰って来てくれと”念話”でシャロンを急かすものの、前から後ろから服を捲り上げられそうになっている現状、もはや一刻の猶予もない。
「っていうかアーニャは別に魔力酔いしてないだろ!?」
「知らんもん知らんもーん! カーくんさっきのウチにもちょうだい? おっきいのちょうだい?」
「いま必要ないだろう!」
あとなんか言い方! 言い方を考えて!
真っ赤な顔で、涙のあとがあるその瞳は、しっかりと僕を見据えている。
「要るし! カーくんの子ぉ産むんやもん!
カーくんにはわからへんもん!
結界で声は聞こえへんけど地揺れとはちゃう小刻みな揺れが伝わってきて、朝にはシャロちゃんがめっちゃツヤツヤしてるし、惚れた男のほうも満足そうにシャロちゃんに微笑みかけてるのを素知らぬふりでハタから見るウチの気持ちはわからへんもん!」
うがーっ、と半ば涙まじりで訴えられると、僕としては視線を逸らす他ない。しかし回り込まれてしまった。
背中からはアーニャがむにむにと肉感を感じさせる身体を押し付け、前面からはアーシャが頬ずりしながら腹筋に手を這わせてくる。
いっそ上階で寝ているラシュに”念話”で助けを求めるべきか? いや、姉たちのこんな状態を見るのは、あまり幼子の教育によろしいものではないだろうが……。
というかラシュまで参戦してきたら、いよいよもって収拾がつかないか――頼みの綱は、シャロンだけだ。早く帰ってきてくれ――!
そんな僕の混乱した思考に応えるかのように、
ズドォオオーン……!!
何かが工房の前に勢いよく着弾したかのような、腹の底にまで轟く音。次いで、
「オスカーさんっ!? 大丈夫です――」
飛び込んで来たシャロンは一瞬固まった。
良かった、シャロンだ。どうにかしてくれ、と視線で訴えかける着衣の乱れた僕と、その僕に縋り付くふたりの状態を確認した彼女は――扉を蹴やぶらん勢いで入ってきたのを巻き戻すようにそのまま扉の外に出る。
「お邪魔しました」
「――シャロォーン!?」
そしてそのまま、一言だけ申し添えて、ぱたんと扉を閉めた。
未だ細かく揺れを続けるガムレルの町の西地区のとある工房に、なんとも言えない僕の声が、やけに虚しく響いた。
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