僕らと兆しと そのいち
第四章開幕です。
その日は、比較的大きな揺れから始まった。
昨日と同じ、普通の一日。それがこれからもずっと続くと、多くの人は信じていた。
だから、多くの者は少し気持ち悪い揺れが続くなと思った程度であり、その時点で異常を察知した者はほとんど存在しなかったと言っていい。どこに居るのかすらわからないが、何事かに気付ける者がいるとしたら、あの『勇者』くらいのものだろう。
それくらいに、その時点で僕らは地面が揺れることにあまり違和感を持たなくなっていた。
そして。誰かがおかしいな? と思い始め。
誰もが異常かもしれないと気づきはじめたのは――弱まった揺れが半刻、半日と続き、ついに一日が終わっても細かな揺れが収まらないという事態に直面してからのことだろう。
「うぷ……きもちわるい、なの」
「ぅなー。カーくん、これまだ揺れとる?
なんかもうよーわからんようになってきたわ」
げっそりとした顔で起き出してきたアーニャたちに、まだ揺れてるよ、と応じて僕は手元の魔道具から視線を上げた。
細かに紫色の目盛りが刻まれ、その一点を赤い石が指し示す球状の魔道具は、急造した揺れ計測器だ。
揺れの強度を感知して球体の表面を赤い石が移動する仕組みになっており、10の段階に分けた揺れ度数のうち現在は1を指し示している。
揺れ度数が5や6になったら、置いているものはおろか建物にさえ被害が及ぶかもしれないので、計測器に連動して自動で"結界"を生成する魔道具も設計中だ。
「ふたりだけか?
ラシュとらっぴーはどうしてる?」
「あの子らはまだ寝とるわ。
いくら揺れとっても熟睡しとるし、大物なんかもしれへん。さすがウチの弟」
「ある意味すごいな」
アーニャの言う通り、なかなか大物なのかもしれない。かく言う僕も少しばかり寝不足気味だ。
揺れが止まらなくなってから、はや3日。
町ではあちこちで被害が出はじめていた。
ガムレルの北地区では火災が発生し、巻き込まれた何棟かが焼失。
南地区では老朽化した建物が、町の防壁を一部巻き込んで倒壊。
石畳が引かれた中央大通りには亀裂が入り、物流が妨げられている。それに伴った不安やら、揺れによる寝不足からあちらこちらで諍いが絶えない。
陸路・水路ともに物流が機能不全に陥り、町に暮らす全ての人が暮らしていける食料がいつまで保つのかも不明という現状。憲兵団に一部の冒険者まで動員されて沈静化に向けて動いているらしいが、効果は芳しくない。
それらは昨日時点での問題なので、今日はさらに問題が増えているかもしれない。
さらにここに来て、もうひとつの問題が発覚している。
「んー、あれ、シャロちゃんは?」
「憲兵詰所に行ってもらってる。
さっき戻るのが遅れるかもしれないって"念話"があった。
ちょうどいい、ふたりもちょっと見てくれ」
「んー?」
「なの?」
こいこい、とカウンター前に手招きをすると、アーニャとアーシャがちょこちょこと寄ってくる。アーニャは欠伸をかみ殺し、アーシャのほうはそれ以上にあまり顔色がよくないようだ。
二人の目の前に置かれているのは、一枚の銀貨だ。
「これが、どうかしたん?」
「シンドリヒト銀貨、なの」
シンドリヒト王国の、何代か前の女王様が象られた銀貨。はて、なんて名前だったか。ある程度使用感があり、見えている面は全体的に燻んでいる。
使用されている銀の純度が粗悪なことや、かの国の近年における経済的不安から、相互の貨幣使用協定が結ばれている諸王国連合内でも価値が低く見積もられている、その硬貨。
アーニャたちはなんの変哲もなさそうなその銀貨を、眺め、ひっくり返し、はてな? と首を傾げた。
先ほどアーニャが言ったように、これがどうかしたのかと表情が物語っている。
「これ、偽物なんだよ」
「えっ」
「なの!?」
「で、こっちが本物」
新しく取り出したシンドリヒト銀貨を、最初の硬貨のすぐ真横に置く。
今も続く微細な地揺れのために、硬貨はカタカタと小さな音をたてた。
「あっ。この偽物のほう、いくつか字がさかさまになってるなの」
「ほんまや。掠れてて読みにくいけど」
「うん。あと、偽物のほうは中身が鉄で、表面だけ銀で覆ってあるみたいなんだ。
少しだけど、重さも違うよ」
「うわ、こんなん、よー気付いたな」
アーニャは目を丸くして、ふたつの硬貨を持ち上げてみて、再び頭を捻った。
僕がこの偽物に気付いたのは、"全知"を使って魔道具を作っていたときに、たまたまそちらを視たからだ。
偽硬貨があると思っていなければ見逃してしまうような出来のものであり、しかしいつかは見つかる類のモノ。
「なんでこれ作ったヤツは、文字逆にしたんやろな? 間違うたんか?」
「いや。おそらくわざとだ」
「そりゃまた、なんで?」
「一見してそれとわからない偽金をばら撒いて、あとになって偽物を発見させることによって貨幣経済を混乱させるのが目的だと思う。……って全部シャロンの受け売りなんだけど」
「かへいけーざいのこんらん?」
貨幣経済だけでなく、アーニャも混乱している!
「だれかがお金を勝手に増やしちゃったら、お金の価値が信用できなくなっちゃうなの」
「うん。その通り。
銀貨1枚には銀貨1枚分の。
金貨1枚には金貨1枚分の価値を国が担保しているから、僕らは貨幣をモノや労働力と交換できる。
この信頼が揺らぐってことは、貨幣を介した取引がやりにくくなるってことだ。
端的に言うと、同じような価値同士の商品の交換なんかをする羽目になる」
「んにゃ〜。つまり、えっと、お酒買うて来よ思ったら、同じぶんくらいの塩とか持ってかなあかんってこと?」
「うん、だいたいそんな感じ。
しかもその場合、相手が塩がいらない場合は、お酒は買えないことになる」
具体的に想像してみることでアーニャは、がーん! とばかりにショックを受けたらしい。
しばし呆然としたあと、非難がましい視線を偽硬貨に投げかけた。
偽物を作ったヤツは、偽物を使って買い物をするのが目的ではなく、偽物がバラ撒かれることによる混乱を狙っている。
そうでないと、わざと見つかるような粗を残す必要がない。
「この偽物がいつから出回ってるのかはわからないけど、少なくない枚数があるのは確かだ。工房だけでも数枚見つかったし。
シャロンは、そのうち一枚を持って憲兵のところまで報告に行ってくれてる」
地揺れによる混乱は、これからどんどんと増え続けるだろう。地揺れ自体が収まらない限りは。
このタイミングで貨幣の信頼失墜というのは、かなり厳しい。扱いを間違えれば暴動に発展しかねない。
いまのところ偽物を見つけたのはシンドリヒト銀貨のみだが、この混乱が流通量の多いヤーム銅貨や、価値と信頼の高いオルレイ王金貨、オルレイ王銀貨にまで波及しようものなら手がつけられなくなってしまう。
このため、シャロンが戻るまでは今日はまだ店を開けないことにしている。町中が混乱しきっているのだ、どうせあまり客など来ない。
「オスカーさま、ごめんなさいなの」
「ん?」
「アーシャがちゃんと見てたら、偽物に気づけたかもしれないの」
とくにお客さんの相手を担当することが多いアーシャは、工房にある硬貨の中から偽物が出てきたことで責任を感じてしまっているらしい。もともと体調が悪そうだったのに、その上さらに表情を曇らせる。
「気にしないでいい。
気付かないのが普通だし、今回に関してはむしろまだ大事になってないんだから、その場で気付いてなくてよかったくらいだ。
アーシャがいつも真面目にやってくれてるのもわかってるから」
「オスカーさま……」
「それよりも今は、顔色が悪いことのほうが気になるな。
んー。熱は無い、のかな」
「なのっ!? あ、あっ、あぅ」
硬貨を見つめて俯いていたアーシャの額に掌を当てて、こちらを向かせて黄色みがかった瞳をまっすぐに覗き込む。
どことなく青白い顔は目の端に涙を浮かべていたが、耳と尻尾が瞬間的にピン! と逆立ち、頬には朱が射す。少し驚かせてしまったらしい。手が冷たかっただろうか。
最初から"全知"で視たほうが良かったか、と反省。
何でもかんでも視ようとせず、体調などのように視る範囲を絞れば、比較的魔力を消耗せずに"全知"を扱うことができる。とはいえ、それでも常時軽い魔術を使い続ける程度には魔力を使うのだが。
そうして改めて視てみた"全知"の視界には、思いもよらぬものがあった。
《アーシャ = ハウレル: 睡眠不足 魔力欠乏》
「魔力欠乏症……? え、なんでだ」
「ふやぁ」
額に手を置かれたままのアーシャは、なんとも不思議な声を漏らした。
魔力欠乏症。
魔術を使ったり、魔力を吸い出されたりなんかしたときに、体がどんどん怠くなっていって力が入らなくなっていき、そのまま放っておくと昏倒までする症状だ。
というか、このあいだ僕自身もそれで倒れたばかりである。
寝ていたはずのアーシャが、なぜ? という疑問はあるが、顔色が優れない現状とは一致する。睡眠不足のほうは、揺れによるものだろう。それはアーニャも同じだろうな。
ちょうどいいやとばかりに"倉庫"からアルミで固めた、てのひらサイズの箱を取り出し、そこから一つの球体を取り出す。それをどこかぼーっと眺めているアーシャ。
「アーシャ、口を開けて?」
「う? はい、なの。ぁー……んむっ!?」
「ゆっくり舐めておいて」
親指の爪よりも一回りくらい大きい、その澄んだ水色の玉をアーシャの口に放り込むと、小さい口がほぼいっぱいになってしまったようで、アーシャは目を白黒とさせながらこくこくと頷いた。
「んぁむ、ちゅぱ……れろ、ちゅ、んぁ、おっきぃ、なの……ちゅ」
コロコロと口の中で玉を転がしながら、アーシャが吐息を漏らす。
しばらくすると顔色が少しましになったようで、というか若干上気してすらいるように見える。
大きさも含めてまだ要調整だな。若干苦しそうだ。どことなく艶かしい声に聞こえるのは、気のせいだ。きっとそうに違いない。うん。
若干潤んだ黄色い瞳で僕を見上げ続けるアーシャから、なんとなく直視していられなくてふいっと目を逸らしてしまう僕だった。
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この物語も、いよいよ終盤です。