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幕間 - 悪意、あるいは種明かし

 簡素な調度品が揃えられた室内には、柔らかな朝の日差しがカーテン越しに入り込んでくる。

 港町とは言えども、高級な部類の宿屋の一室であり、朝早い時間にあっては喧騒とは無縁である。だというのに、むくりと身体を起こした男の顔色は険しい。


 男はベッドボードに置いた眼鏡をそのままに部屋を横切ると、やや大きめの鏡の前に立つ。

 久しぶりに柔らかなベッドがあり静かな環境で寝られたというのに、男の目覚めはいつも通り最悪だ。


「お前は誰だ」


 鏡の中の男は、灰色がかった髪に青白い顔色を貼り付けて、じっとりと淀んだ目が見返してくる。ああ気持ち悪い。

 室内には依然として彼ひとりしか存在しないが、鏡に向ける胡乱な目線は微塵も揺らぐことがない。


 もちろん鏡はただの宿屋備え付けの鏡であり、なんら応えを返したりはしない。

 応答なんてないことは男にもわかっている。わかっていて、なおも問いかける。お前は一体誰なのだと。


 部屋を出、階下で港町自慢の海産物という触れ込みの朝食を終える頃には、男の気分も幾分ましになっていた。少なくとも、外にそれと気取らせない程度には。これも、いつものことだ。

 もっとも、ここ数日で魚は食傷気味ではあったので、自慢の朝食とやらもただただ咀嚼して胃に食物を送る以上の意味を見出せはしなかったのだが。


 今日には迎えが来る手筈が整っているので、着替えたあとは部屋を引き払う準備をする。

 とはいえ、男の持ち物はもとより数もさほど多くはない。最後に眼鏡を鼻の上に乗せると、男は白いローブを靡かせて部屋をあとにする。


 その寸前、たまたま目に入った鏡に映る男の姿に顔を顰め、彼は再び口を開く。


「お前は誰だ」


 気怠げに顔を顰めた鏡の中の男の名は、ジレット = マグナ = ランディルトンという。


 超常の存在に魅入り、魅入られてからというもの――彼は自分という存在がわからない。

 思った通りに身体は動くし声も発せられるのだが、いつもどこか他人事のようで。いつも他人の目を通して世界を眺め、他人の手足を動かして歩いているような気分。言うなれば、人形師と同じような感覚かもしれない。

 あまりに強大にして深淵、未知たる存在に近付いておいて、それまでとなんら変わらない余生を過ごせる者は、おそらくどこかもともと欠陥があるに違いないと彼は考える。


 そう、余生。ジレットは今生を、彼自身の人生を、もはや余りものだと認識している。

 そんな認識なので、彼が真に熱中するようなことはないし、正直な話、何がどうなってもいいと思ってさえいる。成功も、失敗も。隆盛も、滅びも。彼にとっては等しく価値がない。


 そんなジレットにも、苦手な人物というのは存在する。無感動ではあっても無感情というわけではないのだ。

 そして残念なことに、迎えの馬車から姿を見せた男は、その数少ない苦手のうちの一人であった。


 内心では苦虫が口に入りきらないほどにげんなりとしているのだが、表情は素知らぬもので、ジレットはその人物を出迎える。


「チーファ殿が直々にお迎えとは。驚きましたね、ええ」


「そう、私だ!」


 真新しい白いマントを靡かせ、彼は言う。

 ガラティン = チーファ将軍閣下。そうそう表に出てきて良い人物ではない。

 四十代半ばという年齢に、大仰な剣を帯びた姿、よく響く声。

 道ゆく人々は冒険者だと解釈してくれるかもしれないが、なかなかに人目につく。

 だというのにわざわざジレットの迎えに足を運ぶというのは、一体誰の意図によるものなのだろうか。少なくとも嫌がらせとしてはかなり効果的である。


 にこりとも笑わずに礼で迎えるジレットの姿は、相手によっては慇懃無礼と映るかもしれない。

 しかし、表面上だけでも取り繕っておけば立つ角は少ない。というかこの相手には何をどう取り繕っても無駄である。


「痛み入ります」


「――無い!

 無いな! いつ聞いても貴公の言葉には! 重みが、無いな!」


「いつでも貴方は元気ですね、ええ……」


「それはまあ、私だからな!

 貴公こそ、いつまでそのような喋り方なのだ。

 こう、なんというか、ムズムズするぞ!」


 豪快磊落といったふうでありながら、その実、細やかなところにまで目端が利く。

 いかに傾国といえ、元・シンドリヒト騎士団長という役職は伊達や酔狂で務まるものではないということだろう。

 これだからこの御仁は扱い辛い。ただの馬鹿であれば、まだ制御は簡単だというのに。

 それでいて部下からは『ガラティンさんちーっす!』とばかりに親しまれていたというのだから、まったく解せないことだ。


 ジレットは緩く頭を振る。この御仁の相手をするのは得意ではない。なんというか、疲れる。


「数日間この調子だったものでね、そのうち戻るだろうよ」


「そうか! お疲れ様だな!!」


 貴方との語らいがさらに疲労を蓄積させるのだが、とはさすがに言わない。


 しっかりとした作りの馬車に誘われ、チーファの対面に腰を降ろしたジレットは深くため息を吐く。

 このまま数日かけて移動せねばならないことを思うと憂鬱でしかない。

 しかし迎えに来られている以上、別の経路で帰還するわけにもいかない。

 とはいえ、しばらくは海路はこりごりである。なんだというのだ、あのイカは。


 ――ああ。まったくもって鬱陶しい。

 直接の恨み言を伝えるわけにいかないジレットは、代わりに疑問を呈する。


「にしても、なぜ貴方直々なのかが解せないのは本当だよ。

 てっきり金狐(ルナール)あたりが来るものだとばかり」


「あの娘は貴公の言いつけにより謹慎中のままであるからな!」


 ああ、そうだったか。まだやっていたのか、謹慎(それ)


「使えないやつだ……」


 ガラガラガラ。


 馬車の振動が伝わってくるなか、「ん?」と首を捻る偉丈夫。

 口の中で呟いた言葉は、傍らの人物――チーファ殿には聞き取れなかったようである。まあ聞こえないように言ったのだが。


「謹慎の原因だとかいう、くだんの魔術師はどうだったね? 会ったのだろう!

 そういう報告があったと聞き及んでいるぞ」


「ああ。会ったとも。色々と想定外、予定外なことだらけだった。それも順を追って報告させてもらうが。

 まず――あの規模の揺れの予定はなかったはずでは?」


 くだんの魔術師と船に乗り合わせたのは、本当にただの偶然だった。

 その時点では、内陸にまで向かう手間が省けたということで、時間を浪費せずに済んで喜ばしいと思っていたくらいだ。船に乗り込んだ、その時点では。


「あれで仕込みは無駄になるし、散々な目にあったものだ」


 彼の力のほどを見るために、馬鹿な商人に薬を与え、影に日向に唆したまではよかった。

 しかしあの揺れによる大波で、海賊船が突っ込んでくることになるなどとは全くの想定外である。


「そう言ってくれるな。

 原因についてはルカ卿主導で、目下調査中とのことだ!

 しかし、より詳細な調査のために、貴公の早急な帰還が希求されているのだ!」


 まったく、人遣いの荒いものだ。我らが()()の台所事情が垣間見える瞬間である。

 あの少年を引き込めれば、ジレットも多少は楽ができるだろうか――そんなことをうっすらと考え、いや無理だなと否定する。


 アレは制御するには手に余る。

 今回の一連の顛末だって、後始末を買って出なければ、遠からず、真相にも行き当たっただろう。そんな予感がある。


「では、将軍閣下もご興味がおありの少年についての報告をしましょ……するとしようか」


「おうとも!

 貴公の目から見て、こちら側に引き込めそうかどうか、そして障害となり得るか……!!

 興味は尽きぬ!」


 かっはっは、と哄笑をあげる偉丈夫に呼応するように馬車が小刻みに揺れる。

 小さな地揺れだろう。この程度の規模であれば、もはや子供でも驚きはしなくなった。

 もっとも、それも今の間だけの話だが。


 ジレットは口の端を吊り上げる。

 彼に特段笑っているつもりはないのだが、世界が瓦解する音が聞こえるようなときには、なぜか口端がヒクついた。


「彼は神名持ち(ネームド)だな。ほぼ間違いない。

 運用は杜撰だが、力はホンモノだ。まったく、タチが悪い」


「ほう。して、分類は?」


「不明。おそらく非戦系と思われる。

 彼が知るはずのないブラフにも幾度か反応があったから、嘘を見抜く権能はあるだろう」


「ふむ、ふむふむ! なるほど興味深い!

 我らの障害となりそうな神名でないのは重畳といったところか。

 しかし、聞いたことのない権能だな!

 新種の魔術、というわけではないのか?」


「もちろん、絶対とは言えない。

 彼は人間として度を越した魔力量をしていたからね――少々の魔力の発露であれば、揺らぎと見紛うほどだった」


 ほんとうに、タチが悪いにも程がある。

 あまり魔術に馴染みがない民草に、アレが一般的な魔術師や魔道具技師としての標準だと思われては、同業者はさぞ仕事がやり辛かろう。


「それに、あとは妙な魔導機兵を一体、従えていた」


「魔導機兵とは、()()魔導機兵か?」


「間違いない。あの魔導機兵だ」


 それまで豪快な笑いと大きな声を交え実に愉快と振舞っていた将軍閣下は、警戒すべき存在の情報となるや否や瞬間的に目つきを鋭いものへと変じさせ、纏う威圧感も武人然としたものとなる。

 ギラリとした闇が目の奥に光り、口には好戦的な笑みが浮かんでいる。


 対面しているのが若い手合いであったならば、その威圧感に呑まれてしまうこともあろう。

 ジレットとしては、熱苦しいのでやめてほしい程度の感慨しか抱かないけれど。


 戦意を滾らせた武人は、それでもできる限り淡々と、話の続きを促す。


「それで――妙というのは?」


「いやに人間くさいというか――何なのだろうな、アレは。

 肉体や技能は間違いなく魔導機兵、だが中身は少し馬鹿なただの小娘、というのだろうか」


「それは不可思議だな!」


 不可思議。その通り。

 実に違和感だらけの存在だった。


 人間と異なる存在であることを、隠す気があるのか無いのかすらよくわからなかった。

 これまで人を見続けてきたジレットを以ってして、意味不明の存在と言わざるを得ない。いや、アレはヒトではないのだけれど。


 持ち主の――あの少年が知らないということはまずあるまい。それこそ神名持ち(ネームド)であるならば。

 が、それにしたって。あの魔導機兵は、自らの主に対して明らかな好意を示したり、それどころかダメ出しすらしていた。意味がわからない。まるで本当の人間のように――感情を持つ者の振る舞いのようですらあった。


 ……。

 なにを、馬鹿なことを。

 ジレットは己の考えを振り払うようにかぶりを振る。


 ふは! と一声笑い声をあげると、将軍閣下は闘気を霧散させてジレットを労う。

 本人としては良かれと話を振っているのだが、ジレットとしてはできる限りそっとしておいてもらいたいという部分の食い違いが少々物悲しい。


「よほどお疲れのことと見えるな!」


「いろいろあったもので」


 迎えが貴方でなければ、まだもう少し疲れ具合もマシであったろうに。

 ジレットは眼鏡の位置を直すフリで小さく嘆息する。


「それもこれも、あともう少しの辛抱であるがな!

 計画も、もう間もなく最終段階に入るのであろう?

 我らが帝国の礎は、これにてより盤石なものとなろう!」


「盤石、か」


「どうかしたかね」


「いや」


 避けようのない破滅、逃がれ得ぬ終焉。

 決定的な終わりを前に、ヒトの本質が紡がれよう。

 願いも、祈りも無為であり――決着のときはもはや遠くない。


 ()()()()は、帝国の繁栄を約束した。

 否――帝国以外の滅びを予言した。

 その後のことは好きにするといい、と。

 メッセンジャーが、感情のない声音でそう神託を与え賜うた。


 無為だ。全ては露と消える。

 それは、産声をあげたばかりの帝国さえ。


 単純に、国力の問題がある。

 帝国だけが存続したとして、誰が田畑を耕し、獣を仕留め、火を興すというのか。

 皇帝陛下直々に魚でも釣ろうというのか。


 正面の武人は、ギラギラとした闇色の瞳で、まだ見ぬ明日を盲信している。

 目先の勝利に拘泥し、戦略眼を曇らせるような御仁ではないはずだが――彼も、かの存在の影響を受け、どこかしら狂っているのかもしれなかった。


 オスカー = ハウレル。君なら全てが虚に消えゆくその狭間で、一体何を見出す?

 絶望の中で光を見出すことができるのか?

 我々は、一足先に特等席で待つこととしよう。


 計画が成ってほしいのか、瓦解してほしいのかも、もはやジレットにはわからない。

 しかし、どちらにせよかの少年はひょっこりと首を突っ込んでくるのだろう……そんな予感がある。


「"狩魔(カルマ)"にも、報告せねばなるまいね」


 ジレットは再び、無意識のうちに口の端を吊り上げる。実に嬉しそうに、愉しそうに。


 揺れる馬車は内部の物騒な話をすべて覆い隠し、のどかな街道をガタゴトとゆく。

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