僕の思いと黄金の彼女の想い
薄赤い壁を突き抜けると、なんの抵抗もなく、入った時と同様そのまま結界の外へ出ることができた。
そこには、拳を引いた姿勢で、あっけにとられた表情のまま固まるシャロンがいた。
今まさに結界を殴りつけていた最中だったのであろう。彼女の拳の表面は、血こそ流れていないものの、痛々しい擦過傷ができていた。
「オスカー、さんーー?」
身長も伸び、髪なんかはめちゃくちゃ伸びた上にすごい色になってしまっている。その上今の僕は眼鏡をかけており、以前の僕と同一人物だというのはパッと見た限りでは難しいのかもしれない。
僕は、ぽりぽりと頬をかきながら。
「ただいま、シャロン」
バツがわるい感じで、帰還を告げたのだった。
その後。
幾度目かになる、所長室である。
骨さんにはお騒がせしてほんとうに申し訳ないとは思っている。あなたのお仲間かもしれない子に会ったよ。
さらに骨さんにおかれましては重ね重ね申し訳ないことながら、彼が腕を載せている、しっかりした造りの机の上に、僕は腰掛けていた。
より正確性を記すならば、シャロンによって半ば無理矢理に座らされていた。
要件としては、僕の伸び伸びになっている髪を切るためである。
「もう絶対、絶対離してあげませんから」
「本当に不用意だったって反省してるから許してくれ。
常時腕を組んでるのはさすがに動きにくすぎる」
「やです」
「勘弁してくれ」
髪を切られている間も、がっしりと腕を組まれたままである。不用意に結界に触れてしまった僕の信頼は地に落ちているのだ……。
《シャロンぷんぷんモード》
"全知"的にも、シャロンのなかに情状酌量の余地を見出せないらしい。精一杯可愛めに表現してくれているようであるので、この”全知”、割とお茶目なのかもしれない。
そんな問答をしている間にも、僕の髪の毛はばっさりばっさりとどんどん切り捨てられていく。
鋏などは無い。ではどうやってそれが為されているかというと、僕を抱えている側ではない方のシャロンの手が、ヒュンヒュンと眼前を掠めており、その度に髪の束がばっさりと散っていく。
"全知"を介した僕はその軌道を捉えることが出来、人間などゆうに死ねるそのエネルギーも判別できる。しかも、それが眼前数センチ以下を飛び交っている現状は、なかなか心臓に優しい状態ではない。なんの抵抗もなく、はらりと切り落とされていく髪に、無情さが漂う。
「丸々3日ですよ、丸3日!」
ひゅんひゅんとその左手を振るいながら、シャロンはぷんぷんモードを継続している。
「結界の中でオスカーさんが倒れて! 私は何もできなくって!!
それが3日続いたんですよ!」
ばっさばっさと切り捨てられていく紫色の部分。机の下には、毒々しい色の髪が山と積もっている。
そうしている間も、シャロンの叫びのような独白が続く。
「もう駄目だって何度思ったことでしょうか。
でも、壁の中にはオスカーさんを含めて生体反応が2つありました。そうである限り、私は、私はずっとーー!!」
ここまで戻って来る道すがら、閉じ込められた経緯、力を得たことなどのあらましはシャロンに伝えている。
閉じ込められていたのが3日ではなく僕にとって3年だった、というのはまだしばらく伝えられないな、と思う僕である。
「それでオスカーさんが奇跡的に戻ってきてくださったと思ったら、肉体年齢が14歳から17歳になっていらっしゃいますし、体内はひどい損傷を受けて復元したような傷だらけ。
これで安心してくれと言われても土台無理な話です!」
しかも簡単にしっかりバレていた。
「その。でも、僕もシャロンと一緒にいられるように、強くーー」
「強くなくたって! あなたが元気で側にいてくれさえすれば私はそれで満足なんです!
反省してください!!」
「はい……」
強くなっても形無しの僕である。
彼女が怒るのも無理はない。フリージアが結界から出してくれなかった、というのはもちろんある。
しかし、力を得られるという彼女の申し出に対して、外でずっと心配してくれていたであろうシャロンを結果的に蔑ろにしてしまっている。
シャロンは僕のために動いてくれていても、対する僕は『シャロンとともにあるため』という言い訳で、自身の力を得たいという欲求を優先してしまっていた。
「いいですか! オスカーさんは、よくわからないものに今後一切近寄らないこと!」
「"全知"で、もはやよくわからないものとはほぼ無縁になると思う」
「むぐぐ。手に負えない、危険なものにも近寄らないこと!」
「今の僕の力がどの程度かはわからないけど、少なくとも魔力量は以前の何千倍らしいから、あまり危険なこともないと思う……」
「む、むむむむ。むぅー!!
私を置いて、どこかにいかないこと!」
「本当に申し訳ない……」
髪も、口撃もやられっぱなしである。
全面的に僕が悪いので、為すすべがない。
「本当に。ご無事で、良かったです。
手遅れだったらどうしよう、と気が気ではなかったんですよ。
あの壁は私が全力でいくら叩いても小揺るぎもしませんし」
「それで、手を痛めるまで……」
僕の左腕に絡められている方のシャロンの腕、その拳には、未だ痛々しい傷跡がくっきりと残っていた。
自らが傷付くとも厭わず、全力で。
僕らはお互いに、自分の身体に対して無頓着であるのかもしれない。
「はい。とはいえ、ある程度自動修復が働きますので、半日くらい間を置けば、お見苦しくはなくなると思います」
「見苦しいとかどうとか、そういう問題じゃあない。ちょっと見せてみて」
「はい。あまり綺麗でない部分をお見せするのは憚られるのですけれど」
《裂傷及び打撲。治癒魔術により回復可能》
僕のやりたいことに連動した回答が"全知"から得られた。優秀な眼鏡だ。
僕の知る治癒の魔術が魔導機兵たるシャロンに効果を発揮するのか不安ではあったが、お墨付きを得られれば是非もない。
治癒魔術はかなりの高等技術である。部分的に傷付く前の状態に戻すもの、個人の治癒力を底上げするもの、傷付いた組織の代替を魔力で補うもの。かつての僕であれば、そのどれもが手の出せる代物ではない。
しかし、今の僕、ひいては"全知"の前で、高等技術は単なる作業だ。今の僕ならできる。そう、確信ではなくこれは"できるということを識っている"。
「"治癒"」
詠唱すら必要としない。
魔術の名を呟くだけで、その現象は始まった。おそらく、強くイメージすれば名すら不要となっているだろう。
見る間にシャロンの右手を、薄紫色の靄が包んだかと思うと、その場に一瞬留まったあとすぐに霧散した。
そして、そこには傷一つない、きめ細やかな右手の柔肌があった。
「これはーー」
シャロンは驚いた様子で自らの右手をさすり、そしてあの笑顔でにっこりと笑いかけてくれた。僕の大好きな、蒼い瞳で。
「ありがとうございます。
とても、温かな魔術でした」
「どういたしまして、というのも何か違う気がするな。
僕を助けようとしての怪我なんだから」
「いえ。見た目が変わってしまわれても、私の大好きな、優しいオスカーさんのままでいてくださったことが、私にとってはとても嬉しいんです」
そう言われてしまっては、僕としては黙るしかない。
頬をぽりぽりしてみるが、もちろん照れ隠しである。
そこからシャロンも畳み掛けてくることはせず、ただ静かに散髪を再開したのだった。
数分して。
髪を切ってもらい終わった僕は、シャロンが指先から壁に投影する光でもって、今の僕の背格好を見ていた。
もはや離さぬ、と言っていたシャロンだったが、少しは怒りが晴れたのだろうか。彼女は一時的に手を離してくれていた。たとえ、半歩踏み込むだけで僕を捕まえられる距離とはいえ。
「本当、便利だなシャロンのそれ」
「そうでしょうとも。オスカーさんのシャロンですからね」
僕が姿勢を変えると、映し出された方の僕もそれに従って動く。"全知"によると、シャロンの眼で見たものをリアルタイムで投影しているらしい。光なのに『投影』というのも"全知"情報である。
本当に自分の姿なのかが疑わしいくらいの逞しい身体付きに、引き締まった腹筋から胸板にかけてが、ズタズタになっている服から垣間見えている。
なお、シャロンの視界と同期しているため、気付くと胸筋が大写しになっていたりするので、これが本当に僕の身体なのだなという実感に一役買っていたりする。シャロンの見る目がおかしい可能性に関しては、ひとまず考えなくとも大丈夫だろう。たぶん。きっと。
足首まで伸びきっていた髪は、ある程度清潔感を保つくらいまで切り揃えられており、その先端はまだ若干紫がかってはいるが、気にするほどではないだろう。
「うん、このくらいがいいかな。
ありがとう、シャロン」
「お安い御用です。
身体中に付着している髪の毛は、この間のようにまたお拭きいたしますね」
「いや、大丈夫だよ。
"剥離"」
僕とシャロンとに貼り付いてしまっていた髪や汚れだけを、まとめて弾き飛ばす。
剥離魔術のキレも健在である。加減がわからなかったらどうしよう、と不安がなかったわけではないのだが、先の治癒が思った以上に自然に使えたため、僕はわりと気楽に構えていた。
だというのに、なぜかシャロンは若干ジト目であった。
「本当、便利ですよねオスカーさんのそれ」
《私が拭きたかったぁぁああ!!》
「お、おう。これでもシャロンのパートナーだからな」
「!
そうですね、私のパートナーのオスカーさんですもの!」
《オスカーさん大好き!!》
「あ、ああ。僕も、シャロンを大切にするよ。もう置いてけぼりにしたりしない」
「はい。できる女は後まで引きずらないものです。すっぱり許します」
《オスカーさん大好き!!》
「お、おう。ありがとう」
《腹筋撫で回したい》
「!!?」
「どうかされましたか、オスカーさん」
《胸筋に顔をうずめたい》
「い、いや。なんでもない」
ある程度考えまで読めることは、しばらく黙っていよう。
僕の心労が倍加しているだけな気もする。
「それにしても。
オスカーさんの髪、一本一本にも結構な魔力が蓄積されていますね」
床に落ちていた紫のそれを一本摘み上げ、シャロンは言う。
もともと髪というのは魔力を蓄えやすいもので、魔術師の切り札ともなり得る部位である。
魔力の籠もった髪を使った呪いや呪具を専門で作成する術師もいる。これは、実物を見たこともある。
僕の両親が所属していた冒険者パーティのうちの一人、魔術師のミモザさんは、そういった道具作りに長けていた。
僕が小さい頃に、健康に成長するお守りとして、髪を編み込んだ組紐をもらったことがある。
「そうだね。このままにしておくのは勿体ないかも」
「はい」
《食べたいって言ったらさすがに引かれると思うから、どうしよう》
シャロンさんのメンタル面が大変心配だが、絵面もきっとドン引きなものになってしまうから、そんなことを許すわけにはいかない。
魔力を貯めこんでおきたい、という意味での『食べたい』なのはわかる、わかるけれど。さすがに駄目だ。
僕の髪を嬉しそうに一本一本食べるシャロンの図が浮かびかけるが、ぶんぶんと頭を振って否認する。怖い。怖すぎる。
「とりあえず。"収集"」
魔術の発動にあわせ、床に落ちた髪の毛だけが机の上にこんもりと山積みになる。
骨さんが頭を抱えている先に大量の紫の髪。この現場だけを見るとなんの儀式かと不安になること請け合いである。
そして、これをどうしようか。
《抽出魔術と結晶化を組み合わせ、魔力結晶を生成》
「万能かよ」
「はい? どうかされましたか?」
「いや、なんでもない」
抽出や結晶化の魔術など、僕は存在さえも知らなかったが、今ではその方法まで手に取るようにーーいや、まるで"見てきたかのように"理解できる。
これが"全知"の力の一端。これはもしかしなくても、とんでもない宝具なのではないだろうか。国宝級の宝具であろうと、これほどのものはあるかどうか。
「"抽出"、そして"結晶化"」
髪の山に手をかざすと、手のひらから紫の光が溢れ出る。
そして、積み上げられた髪の紫色がすぅっと抜けたかと思うと、数センチ上で球体状の紫の渦となる。
色が抜けた髪の束は白くなり、カサカサと音を立てて崩れてゆく。髪自体の重みに耐えかねて、崩壊したようだ。
球体となった紫の魔力の塊は、その渦の回転を次第に早めていく。ぎゅるぎゅる、ぎゅるぎゅると渦巻くエネルギー体。
そして、徐々にその体積を縮めていく。最初は掌大の球体だったものが、どんどんと圧縮され。次第に握りこぶし大となり、やがては親指の第一関節くらいまでの大きさとなり。そして、止まった。
カランーー
硬質な音を立てて机の上に転がったそれは、どこまでも深く、鈍い輝きを放つ紫の結晶体である。
あたりの光を吸い込むかのような、深い光を帯びた結晶は、名のある宝石かのように机の上に堂々と鎮座していた。
ごくり、と喉を鳴らしたのは僕かシャロンか。
「とても綺麗、です」
宝石を見つめ、ほぅ、と息を漏らすシャロン。僕も同意見である。
「ーー食べる?」
摘み上げた宝石を、シャロンに差し出す。
"全知"によると、シャロンの保持する魔力と同等か、それより多いくらいの魔力を秘めているようだ。
形見だった宝玉と、ばっさり切られた髪から無造作に作った宝石が同程度の魔力量。
強くなりたいという願いは叶ったが、それが人外レベルにまで達してしまっていることに、この時点での僕は無自覚だった。
「うっーー食べーーうぅ。
んん。いやちょっと待ってください」
目の前の差し出された宝石に、蒼い瞳を爛々と輝かせ、見えない尻尾をぶんぶん振る勢いで食いついて葛藤していたシャロンだったが、何かが引っかかったようで怪訝な表情になる。
何か機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうか。さすがに、いきなり『食べる?』は無いか。
《オスカーさん大好き》
脈絡なく、突然シャロンの思念が視えた。
《オスカーさんラブです、超絶ラブです》
うろたえるえる僕。
《そういうことでしたか》
「え」
やれやれ、という様子で首を振るシャロン。もしかして。
「本当、便利ですよねオスカーさんのそれ」
《タネは割れましたよ!》
再度、先ほどのセリフを繰り返すシャロン。
どうやら、ある程度考えを読めることまで見透かされてしまったらしい。
シャロンには"全知"のような能力は備わっていないはずなのに、なぜだ……。
隠しごとには向いていない僕だった。
「その宝石はオスカーさんのほうが有効活用できそうですし、ひとまずは辞退します。
それにしても、"全知"の眼鏡ーー神名持ち、ですか」
「はい……」
べつに責められていたわけではないが、なぜか丁寧語になってしまっている僕だった。
なお、"全知"はずっとシャロンから僕に対する愛の囁きを届けてくれている。勘弁してください。
「神名についての一通りの知識は、私の中にもありますよ。
相当珍しいもののはずですけれど」
「はい……そうらしい、です」
「なんで畏まってらっしゃるんですか、オスカーさん。らぶです。あ、間違えました。いえ間違ってはいないですけれど。らぶです。
神名というのは、"世界"に認められたものが持つ。それを指しているので間違いないですか?」
「そうらしい、です……」
「であれば、私の知っている定義と同じようですね。
先天的ないし後天的にでも、"世界"という格に認められた際に付けられる神の名。
平たく言えば神話級の産物ですね、その眼鏡は。
能力を持っているから神名が付けられるのか、神名によって能力が与えられるのかはわかっていないみたいですが、どちらにせよ規格外・破格のモノであることに違いありません」
副音声でずっと愛を囁き続けられつつ、器用に会話をするシャロン。
先ほどは許すと言われたものの、置き去り事件でまだ"ぷんぷんモード"なのかもしれない。少なくとも、僕にはその口撃は効く。よく効く。
「僕は神名という言葉さえ初耳だったのだけれど。シャロンからも今初めて聞いたし」
「生きている間に遭遇することのほうが稀な存在ですから。
簡単に言うならば、世界の格が『うわお前マジすげぇ神じゃん! 名前つけたろ』みたいになった結果というものですので、それは珍しいですよ」
「そんな軽い感じならもっといそうな気がするよ」
ニュアンスをわかりやすさ重視で伝えてくれたのはわかるが、えらくチャラいな、"世界"。
「その"全知"の能力の全貌はわかりませんが、"全知"と言うほどなのです。
きっと、この施設からの脱出もできますね」
「うん。それに関してはあまりもう心配していないんだ。フリージアも大丈夫だろうって言ってたし。
それより、出た後のことを今は考えようかと思うんだ」
「むむ。結界内で出会ったという存在のことですね。女の名前ーー。
まあ。それはいいです。私の元に帰ってきてくださいましたし」
「う、うん。何か浮気男みたいな扱いを受けている気がするけれど」
ちなみにその間も"全知"を通してシャロンからの愛の囁きは絶賛着弾中である。怖い。かなり怖い。
「それで、出た後のこと、というのはどういった意味合いですか?」
「うん。えっとね、まずここから近くの街までは距離がけっこうあるはずなんだ。
馬車での移動でも、あと一回野営を挟んで昼ごろの到着予定だったから」
「なるほど。私がオスカーさんを抱えて走りましょうか。
馬車なんかよりは早いと思いますが」
「うん、図的にすごい感じになりそうだし、なるべくなら却下したい。
移動に難があるというのがひとつと、問題はそれだけじゃないんだ。
僕がここに来たときに持っていたのは、身につけている服以外には、いまはシャロンの中にある宝玉だけ。つまり」
「つまり?」
「無一文だね」
まるで甲斐性なしな僕である。
完全な素寒貧というやつで、硬貨一枚持ち合わせてはいない。
「それも私が何かしら稼げば問題ないと思います」
「いやいや」
パートナーの女の子に背負ってもらって移動し、さらに養ってもらうというのはいくらなんでも駄目すぎるだろう。
可能不可能のはなしではなく、人として。僕ももうちょっと頑張りたい。死ぬ思いをして得た力は何のためなのか。
「そこで、なんだけど。
ここは過去研究施設であったと同時に、人の手が入っていない遺跡でもある。
出る手段の模索と並行して、お金になりそうなものを集めようと思ってね」
ニヤリと笑う僕。意を得たりと微笑むシャロン。
さあ、ここからはトレジャーハントの始まりだ。
壁殴り代行シャロンさん。
さすがに"勇者"考案の多重結界は破れない。
次話で第一章ラストとなります。