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僕と彼女の帰る場所

 一夜あけて。

 あくびをかみ殺す僕は、どこかつやつやした表情のシャロンをダビッドソンの後部座席に乗せて、平野をひた走っていた。

 ひやりとした空気が頬を撫ぜ、朝露に濡れ(こうべ)をたれる葉がきらきらと日の光を反射させる。


 とりあえずのところ、襲撃してきた蛮族くずれの輩はすべて、半ば押し付けるように若い憲兵に引き渡した。

 前口上を上げられはしたものの、こちらが一方的に叩きのめしたようなものなので、罪を問われないにしても無駄に拘束されて面倒なことになるのでは、という考えは結局のところ杞憂であった。『紅の鉄の団』討滅の武勲により投げて寄越された翠玉格勲章は、暗黙のものながら町の憲兵団程度であれば意を汲んで動いてもらえるくらいの権威あるものらしい。


 ダビッドのやつが僕を叙勲に捻じ込んだのは、ロンデウッド男爵の顛末を表沙汰に出来ないから、その分の補填という理由が大きいと聞いていた。しかし、実際のところはある程度の揉め事は自身で対処できるようにという計らいだったのかもしれない。

 そんな思いは聞かされていないゆえに知ったことではないので、これまでは面倒ごとはこれ幸いとばかりに『王都近衛隊三番隊長のダビッド = ローヴィス宛て』で後処理を放りなげていたし、これからもそうするつもりではある。かの御仁には大いにため息を吐かれそうだが、似た名前のすごい乗り物を作ったので許してほしいものだ。


「この先、3km先、右方向です」


 シャロンの案内に従い、ダビッドソンを走らせること数時間。

 シゼの町を出た時にはまだ長かった影が短くなる頃には、見慣れた街道に、ついに町の外壁が遠目に見え始めた。

 すぐ脇を流れる運河を降る船は、ガムレルを出て南に向かうところなのだろう。ようやく帰ってきた、という気分が実感を伴いだす。


 地図上では、大掛かりな荷物と日数を必要とするような旅路でありながら、ダビッドソンを駆り港からこのガムレル近郊に至るまでに要した時間はたったの1日である。

 相応の魔石を消費するものの、従来であれば10日からの旅路をこうも圧縮できるのは、実に爽快だ。


 馬車を用いての旅路は、定期的に馬を休ませる必要がある。日数が増えれば、その分の食糧も必要だ。そしてこれには馬の食べる分も含まれる。戦えない者の場合はさらに、護衛をつけるか乗り合い馬車を待つ等、様々な制約が付く。

 多くの食糧を含めた荷物や護衛まで運ぼうと思うと、馬車の速度はさらに下がる。途中の町で食糧を買い付けるのが前提となるが、それにしても馬車の中にある程度の備えは必要だし、買い付けるために貨幣を持ち歩くというのは旅路に蔓延る野盗の類にとっては格好のご馳走となり得る。


 そこいらの『旅人あるある』である煩雑なあれやこれやといった事情は、これまでも"倉庫"によってかなり楽ができていた。が、実際に移動に掛かる時間自体を大幅に減らせたことによる快適さはさらに格別だ。なにより尻や腰が痛くならないのが大変良い。


「ようやく久しぶりの我が家だね」


「はい。

 ――オスカーさんは、待ち遠しいですか?」


「うん、それなりには。やっぱり残してきた()()は気にかかるし」


「ふふ。オスカーさんは、心配性ですものね」


 僕の腰にしがみつきながら、背中でシャロンは楽しげに笑う。


 毎日のように"念話"で無事を確認しつつも、それでもなんやかんやと不安に苛まれていると、シャロンはいつものように微笑んでそんな僕を見守るのだ。

 ただ寝ているシャロンの呼吸をどうにか確認しようとしていたなどと彼女が知ったら、どんな表情(かお)をされるだろうか。


「それだけじゃないぞ。

 溜まってる仕事もあるだろうし、新しい素材で試してみたいこともある。

 それに、ゆっくりとお風呂にも入りたい」


「お風呂リベンジですね! 任されました!」


「できれば、ゆっくり、という意図を汲んでほしい」


 シゼの町で、苦笑いする憲兵から教えられた宿では、しっかりとした風呂が壊れていたのだ。なんでも地揺れによって、石作りの風呂に亀裂が入り、ついに一部が割れてしまったのだとか。つくづく不運続きである。


 すでに部屋へと通された後だったこともあり、他の宿を探すのを諦めた僕らは、貯めた湯を使って体を拭くにとどめることとなったのだ。そもそも汗や汚れは"剥離"や"抽出"の魔術を駆使して清潔には保っているので、ただの気分的なものでしかないのだが。

 そこでも、自分で体を拭こうとする僕と、じりじりとにじり寄るシャロンとの攻防が勃発したりとまた一悶着があった。結局競り負けてベッドに押し倒されたり、部屋を遮音用の"結界"で覆っておいたはずなのに今朝顔を合わせた宿の主人からは『昨夜はお楽しみでしたね?』みたいな意味深な目配せをされたりといった一幕もあり、いま僕の中では自宅のお風呂でゆっくりしたいという気持ちが大変高まっている。宿の主人に対してはうるせぇとっとと風呂直せ、という気分だ。


 ともあれ、我が家が恋しく思っているのは事実である。

 旅も嫌いではないが、僕は勝手知ったる室内で、ちまちまと魔道具を作っているのも好きなのだ。

 ことによると、いつも側でにこにこと控えているシャロンにとっては、退屈なのかもしれない。


「シャロンは」


「はい?」


「シャロンは、待ち遠しくないか?」


 背中越しに、シャロンが少しだけ考え込む気配が伝わってくる。


 そうこうしている間にもガムレルの町を取り囲む壁はどんどんと近づき、街道を行き交う人々は唖然とした顔で僕らを見送る。そのなかにちらほらと『ああ、またハウレルのとこか』みたいな反応で歩みを続ける者たちがいるあたり、帰ってきたのだなぁという思いをより一層深めてくれる。嬉しい評価かどうかは微妙なところだが。


「そうですねぇ。

 やっぱり私たちの愛の巣は落ち着きますし、アーニャさんたちとの生活は楽しいものです。

 なので、待ち遠しくはありますが――」


「うん」


 愛の巣。

 ――ツッコまないぞ、そういうのにツッコミを入れはじめるとキリがないのだ。僕は詳しいんだ。


 どことなく、いつもより歯切れの悪い彼女を頷いて促すと、シャロンは腰にまわした腕にきゅっと力を込めて、より僕の背中に密着する。

 ふいに昨夜のシャロンの『少しでも多く、あなたを感じさせてほしいんです』なんて声や表情を思い出してしまった僕が、熱い頬を冷ますために握り込んだ掌に応えるように、ダビッドソンはさらに速度を上げた。だから、シゼの町のときには考慮していた『このまま町に乗り付けると騒動になるのでは?』なんて考えは、このときの僕の中からスポーンと勢いよく抜け落ちてしまっている。


「それと同じくらい――いいえ、比べるものではありませんね。

 オスカーさんとふたりでの旅路も、私は楽しかったです」


 ずっとこのままで居たいと願ってしまうくらいに。

 呟きとともにシャロンは顔を埋めると、僕の背中には彼女の温かさと柔らかさがじんわりと浸透してくる。


「また行こう」


 気付くと、そっぽを向きながら、僕の口からはそんな言葉がまろび出ていた。どこか上ずった声なのが、なんとも気恥ずかしいが、一度出た言葉は戻らない。


「また、ふたりで。

 いろんなところに行って、いろんなものを見よう」


「オスカーさん――」


 まだ帰り着いてもいないのに、僕らはもう次の約束をする。

 次も、次も、そのまた次も。

 いつまでも傍に在り続けると。どこまでも共に在ると。そう言ってくれたパートナーに、僕はまた約束をする。


 家族との時間も大切にだけれど、ふたりの時間も大切に。大事に、大事に育もう。

 なかなか面と向かっては言えないけれど、背中越しなら伝えられる。そんな、気がする。


「次は、どこがいいかな」


 ついてきてくれる? と以前の僕なら聞いたことだろう。


 僕が自分に自信を持てないのは、相変わらずだ。

 自分の体を酷使したりする悪癖も健在である。

 それでも、ことシャロンにおいては――僕の伴侶(パートナー)にそう問うのが愚問であることは、いい加減に学習してもいるのだ。


 ガムレルの南門が目前に迫り、ダビッドソンはようやく動きを止める。

 けれど、シャロンは僕の腰を掴んだまま。僕の背中から離れ難いと全身で訴える。


「オスカーさんと一緒なら、私はどこでもいいのです」


「ああ、僕だって。

 シャロンと一緒なら、どこに行ったって楽しいさ。

 これまでも、そしてこれからも」


 それは、シャロンと初めて出会った、地下研究所から外の世界へと向かうときのやりとりの焼き直し。


 振り向くと、あの頃と同じ蒼い瞳で、僕を見上げる彼女と目が合う。

 あの頃は素直に出来なかったけれど、今は素直にシャロンの手をとり、指を絡め合うことだってできる。

 あの頃にはなかった金の腕輪が重なりあって、かちゃりと小さな音を立てた。


 ――うぉっほん!


 うぇっへん!


 ごほん、ごほん――んん”っ!


「帰ってきたと思ったら、いったい何をやっているんだ、君は。

 いや、普段通りと言われればそれまでなのだが……」


 いつの間にやら、ふたりは門番や応援に駆り出された憲兵隊に囲まれており、だというのにふたりの世界に入り込んだ結果全く気づいてもらえない彼らが局所的に流行り始めた咳払いを偶発する。

 さらなる増援として呼ばれた、防壁補修作業の護衛として駆り出されていた冒険者にして"黒剣"を背負う男爵家の三男坊が呆れた声を発しても、かの友人夫婦の意識が現世に帰ってくるには今しばらくの時間を要するのだった。



 ――



 門番たちに、ダビッドソンは新種の魔物ではないこと、僕たちふたりは住民として登録された者であること、バカップルではないことなど、諸々を言い含め、カイマンの執り成しもあって、ようやく僕とシャロンは南門をくぐるに至った。変なところで思った以上に時間が掛かってしまったが。


 "倉庫"にダビッドソンを仕舞い込んだあたりで、南門近くまで出迎えに来てくれていたアーニャに僕は左腕を抱えられ、反対側である右腕はシャロンが抱え込み。いまは3人でぷらぷらと家路を歩んでいる最中だ。


「そんでな? 今日はアーちゃんがご馳走作るって言うからな、買い(モン)しててん!」


「そりゃ楽しみだ」


「はい。島でのお土産もお渡ししないといけませんね」


 合間合間にごろごろと喉を鳴らしつつ、あれこれと近況を報告してくれるアーニャ。

 毎日のように"念話"で連絡を取り合っていたものの、やはり直に顔を合わせると安心する。それはアーニャのほうも同じらしい。

 時折、左肩に頬を擦り付けてくる際に首筋あたりを、ピンと立った彼女の耳がこしょこしょとくすぐってくる。


 片や町娘のような格好で、この世のものとは思えないほどの美しい金の髪、見る者全てを癒す微笑みを傍の一人だけに注ぎ込むシャロン。

 片や、薄着にその豊満な肉体を包み、尻尾をくねらせる赤髪のアーニャ。人懐こくも芯の強さと優しさを兼ね備えた視線は、同じく腕を抱く一人にがっちりと固定されている。

 そんな二人に両脇を固められて歩く街並みは、あまり快適なものとは言いにくい。

 こそばゆいやら歩きにくいやら、あとは周囲からの殺意かと見紛うほどの視線とか。


 ほとんど居ないがわざとぶつかってきたり、足を掛けようとしてくる手合いにはシャロンが器用にも僕の右腕に頬ずりしながら威圧(しょり)している。

 南門近くこそそういう反応だが、工房近くにまで戻ってくると『またか』とか『ああ、帰って来たのね』みたいな視線が大部分になるあたり、周辺住民も大概に毒されていると言えるだろうか。


「帰ったらまず何するん?」


「はい。まずはオスカーさんとお風呂に入って、旅の疲れを癒そうかと思います」


「そりゃええなぁ。今日なんかは天気もええし」


「はい。絶好のお背中流し日和です。

 ――アーニャさんもご一緒しますか?」


「え、ほんまに? 行く行く!」


「ではオスカーさんの上半身はアーニャさんにお任せするとしましょうか」


 そもそもシャロンが一緒に入るのはいつのまにか確定事項になっていただけでは飽き足らず、勝手に僕の割譲案が提案されている。割譲した側のシャロンさんは一体どこを担当するつもりなのかというのは、聞かないほうが良いことだろう。


 たまに矢のような嫉妬の視線を受ける程度のたわいのないやりとりをしつつ、大通りを曲がる。慣れ親しんだ路地へと踏み込むと、いよいよぼくらの家である『オスカー・シャロンの魔道工房』が見えてくる。


 たった数日のことなのに、この場所がなんだか懐かしいと感じるのは、なんだか不思議な感覚だ。

 なぜか滲んだ涙は、無詠唱で展開した"抽出"魔術で取り除く。僕にとっては意識が囚われていた期間が相応にあるので、その関係かもしれない。

 魔力感知能力を備えたシャロンが、右腕を抱きながらもちらりと上目遣いで僕を伺うが、なんでもないよと目線で促す。だって、戦いも、冒険もくぐり抜けて、無事に帰り着くことができたんだから。


 一瞬立ち止まった僕の腕を抱くふたりも必然、そこで一旦停止する。

 開店中を意味する工房の扉の前に立つと、ああ、ようやく帰って来たんだ、と。実感を伴って、じんわりとした温かさが胸中を満たした。


 そして僕ら3人は誰ともなく顔を見合わせ、笑い合い。そして声を揃えて、扉を開けた。


「ただいま」

これにて第三章終了となります! 長かった……。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


伏線を撒くだけ撒ききった感があります。

展開が雑な部分は、ちょいちょい直していけたらなぁ……。

もうちょっとこうしたら読みやすい、ここ描写足してほしいよ、ここくどいよ、などのご指摘もお待ちしております。優しめにお願いします。


このあとは、いくつか閑話を挟んだあとに第四章、終章と駆け抜けようと思います。

今後とも、オスカー・シャロンの魔道工房をよろしくお願いいたします。

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