僕と彼女とやっぱりトラブル そのいち
ガムレルの町まであと半日といった程度までダビッドソンを走らせたところで、僕らはこの日の宿を探すことにした。
ここ数日は簡易な天幕や船の上での寝起きだったために、しっかりしたベッドで眠りたかったし、"剥離"で清潔に保っているとはいえ、いい加減風呂にも入りたい。
それに、いかなダビッドソンと言えども日が落ちてからの移動には支障がある。
多少の段差であれば物ともしない車輪を備えているが、壁にぶつかったり穴に突っ込んだりしたら、さすがにどうしようもないのだ。馬車や徒歩より格段に楽だが、それでも高速な移動による気疲れや"結界"の維持にも力を割いていることもある。
そういうわけで僕らは、日の暮れる前にはちょうど近かったシゼの町へと立ち寄ることにしたのだ。港町で周辺地域の地図を覚えたシャロンに掛かれば、近場の町を探すなど容易いことだという。いつもながら、実に頼もしい。
いい加減、トラブルに巻き込まれやすいことにそろそろ自覚もあることだし、少し安全方向に気を使っても困ることなどあるまい。しかし――僕らがトラブルを避けようとしても、残念ながらトラブルの方が僕らをそっとしておいてはくれないらしい。本当に嬉しくない。
町がまだ見えないあたりでダビッドソンを3つに分解。"倉庫"に収納し、シャロンとふたり、連れ立って徒歩で町へと向かう。
シゼは防壁などもない、どちらかといえば寂れた町のようだが、出入りを検める門番の姿はある。ダビッドソンに跨がったまま町に乗り付けたのでは、余計な騒動を巻き起こすことは想像に難くない。
近隣には小さな村や民家がぽつりぽつりとある程度でありながら、男女ふたりが徒歩で、しかもかなりの軽装で現れたとあって、門番には多少ではあるが奇異の目線を向けられた。旅人っぽく見えるように、鞄をわざわざ出したりしたのだが。
門番は若干、いや。ややしつこくシャロンに見入っていたようではあるけれど、結局とくにモメることもなく、僅かな通行税を支払い、僕らはシゼの町へと足を踏み入れた。
僕らがくぐった南門のすぐ近くには冒険者組合に、装備品消耗品の類の店舗が軒を連ねている。ここより少し南にあった渓谷まで出稼ぎに向かう者が多いのだろう。
あまり繁盛している様子ではないが、時間帯の関係もあるかもしれない。
反面、冒険者組合の真正面の飲み屋の並びには人の姿がちらほらある。店先にテーブルを並べてオープンテラス状になっているところもあり、かなり出来上がっているのか路上に蹲る者の姿もあった。
「さて。ここから、どうされますか?
夕飯を探しますか?」
僕の右隣、彼女の定位置から澄んだ声が耳朶を打つ。
シャロンは僕の右腕を抱えるようにぎゅっとしがみつくと、すぐ近くから僕を見上げてくる。
「いや、先に宿を探しちゃおう。
まだ少し時間が早いし、無理に探さないで部屋で食べてもいいし」
「わかりました。
ベッドが広くて、ふかふかなところがいいですね。
――今夜はひさしぶりに、いっぱい可愛がってくださいね」
シャロンは相変わらずのあけすけな態度で、少し頬を染めて僕に笑い掛ける。
僕としてはもう少し恥じらいのようなものを期待したいところだ。難しそうだが。
近くで陽の高いうちから酒を飲んでいた男たちが妬ましそうなじっとりとした視線を投げかけ、時折舌打ちまで聞こえてくる。
が、シャロンと出歩いていればわりといつでも見られる光景として、もうすでにあまり気にならなくなってきている。
シャロンのほうは、もとより周りのことなど気にしていたためしがない。知覚はしているようなので、人にぶつかるようなことはないが、周囲の視線を気にしたような素振りを見せること自体がない。
だから、僕らの進行方向にフラッと男が割り込んだときも、僕もシャロンもそちらを見もせずに避けようとした。
やっかみからか、たまに足を引っ掛けようとしたりする輩がいるのだ。
あまりしつこいようなら"剥がす"ことも辞さないが、僕はこれでも善良な一般人だ。
あくまで自然な動作で一瞥すらせずスルーされそうになった男は、僕らの態度に面食らったのか、慌てたように話しかけてきた。
「ちょい、っちょいちょいおふたりさん。
見ねぇ顔だが旅人だろ? 当たりだろ? ナハハハ」
ひょうきんな態度で、一度避けられたことにもめげずに男は再度正面へと回り込む。
どうも酔っ払っているわけではないようだが、妙に明るいやつだ。
こうまで明確に絡まれては、さすがに僕も多少鬱陶しいながらもそちらに視線を向けたりはするけれど、シャロンは全く気にせず僕の右腕に頬ずりしたままだ。豪胆すぎる。
「だったら、なんだ?」
「べっぴんさん連れちゃってまぁ、羨ましいもんだな! ナハ、ナハハ!
――ああ待て待て素通りしようとしないでくれ!
あれだ、宿探してんだろ? いいとこ知ってんだよ! 聞いてってくれよ、ナハハ」
「……」
「部屋は広いし寝床だってこぉーんなでっけぇ、風呂だって馬鹿でけぇ!
それなのに値段は超安っすい! どうだ、気になんだろ、ナハ、ナハハハ!」
「胡散臭すぎる……」
さほどお金に困っているわけではないので、そんな話にいきなり飛びついたりはしない。うまい話には裏がつきものだ。
だいたい、なんでそれを僕らに言う必要があるというのか。
「ニイさん、ひっでぇなぁ!
そこはそれ、理由ってモンがあんのよ、り・ゆ・う!
――ああ待て待てすまん、無視しないでくれ! おっちゃん泣いちゃう!
ホレ、そこの通りからちょっと西に入るとわかんだけどよ、ちょぉっと荒れてんのよ。
古い建物が多かったからな、ここんとこの地揺れでぺちゃんこよ。ナハハ……」
「それで?」
「そこで困ったのが、つい最近建て直して綺麗ンなったばっかりの高級宿屋よ。
西側一帯が寂れてるとあっちゃあ、商売上がったりってやつでさ。
そこに人を呼び込む代わりに、俺は駄賃を貰って飲み代を稼いでるって寸法さぁ、ナハ、ナハハハ!」
話の筋は通っている。が、この男はすごく胡散臭い。話の筋を補って余りある胡散臭さだ。まずもって話し方が胡散臭い。呼び込みに使うにしては、いまいち向いてないんじゃなかろうか。
ようやく頬ずりをやめ、ほとんど興味なさそうに男を眺めていたシャロンの意見も仰いでみる。
「どう思う? シャロン」
「はい。あなたのシャロンです。
そうですねぇ。おおきいベッドは魅力的です。
あ、そうです――その、おっきなお風呂というのは、貸し切って混浴にすることはできますか?」
いいことを思いつきました、とばかりにポンと手を打って、シャロンは男に問いかける。
いきなり何を聞いちゃっているのか、この子は。
僕らのやりとりに耳を攲てていたと思しき男たちの舌打ちや、歯軋りする音、ダァン! と勢いよくカップを机に叩きつけるような音が散発的に上がる。面倒なことになりそうで、そちらを振り向いたりするのは憚られる。
「ナ、ハハ……。いや、それは、いや……?
で、できんじゃねぇか? できるできる! ナハ、ナハハハ!」
胡散臭い男も頬を引き攣らせたが、ここが勝負所だと思ったのだろう。すぐに態度を取り繕う。
そうまでして駄賃とやらが欲しいのだろうか。こういうところも、どうにも胡散くさい。
「そこにしましょうオスカーさん!
洗いっこしましょ――んん”! 立派な宿屋が寂れて行くなんて勿体ないです。
人助けのつもりで!」
「全然本音が隠せてないからな……」
隠す気もなさそうなシャロンさんだった。いつも通りだが。
男たちの視線がいっそ物理的な攻撃力でも持ちそうなくらい僕を睨みつけてきているのを感じるが、ぐいぐいと僕の右腕を抱き込むシャロンさんにとっては知ったこっちゃなさそうである。
「ナハハ。まいどあり!」
胡散臭い男は、僕がシャロンの意を汲むつもりであることを見てとると、宿屋のある場所を僕らに伝える。
さすがに周囲の視線が嫌だった僕は、いっそ"認識阻害"でもかけようかと思いながら、いそいそとその指事に従った。
南門から飲み屋の通りを抜け、すぐに西の路地へ。
そちらへ折れると、男の言っていた通りに、崩れた廃墟の町並みがあった。
「おっふろー、おっふろー、オスカーさんとおっふろー♪」
シャロンは上機嫌だ。無邪気な表情で欲にまみれた歌を口ずさみながら、僕の手を引いて人気のない道をずんずんと進む。
瓦礫の山のようになっている場所、まだ形を保っている建物、壁がなくなり屋内が完全に丸見えになっているもの――。
ところどころ、すえたにおいが漂ってきたりするかと思えば、崩れた家屋で寝起きしているような人や、動物の姿がちらほらと見受けられる。
人目をひく金の髪は廃墟のただなかにあっても燦然と輝き、眩しさに耐えられんとばかりに、うらぶれた者は目を逸らす。
路地を曲がり、廃墟の間を抜け。
少し進んだあたりで、突然シャロンが深く息を吐き出した。
どちらを見ても崩れた建物や、剥がれた土壁、腐臭を発するゴミと、それに集る羽虫があるだけの光景に、そろそろ疑念が隠しきれなくなってきている。
シャロンは上機嫌を邪魔されたことに顔を顰め、短く告げる。
「囲まれていますね」
「ん? ――ああ、ほんとだ」
広域型の"探知"魔術を発動すると、シャロンの忠告はすぐに確認ができた。
次に交差する路地の影に、隠れている者がいる。それも二人。
たまたまかと思えば、先ほど曲がってきたところや脇道にも人が配されているようだ。僕らの動きに合わせて、付かず離れずの距離を保つように、それでいて進路を塞ぐように。
立ち止まった僕らは互いに頷き合う。またトラブルか、と。
胡散臭い男から聞いていた通りなら、そろそろその高給宿屋とやらが見えてもおかしくないはずだ。しかし、"探知"を使ってみても、そんなものの存在は気配すら知覚できない。
まだ日の高いうちからそんな面倒には巻き込まれないだろう、あれだけ人が居れば、何かしらの問題があるなら誰かが止めに入るだろう、なんてのは都合の良い解釈にすぎないということだ。
「おう、お前ら止まれぇ!」
待ち伏せしていた男が、足を止めた僕らに痺れを切らしたのだろう。二人組が、路地の奥から姿を現す。
大振りなナイフをチラつかせながら、にやにや笑う男。そして油断なくこちらを見据える、黒ずくめの男。
すでに足を止めている僕らに対して、この上さらに『止まれ』とはいかなることか、と思わなくもない。アドリブが苦手なタイプなのかな。僕が場違いな感想を抱いている間にも、ナイフ男は言葉を続ける。
「聞いた以上に上玉じゃァねぇか!
こりゃ高く売れそうだ……ッ!」
汚らしく唾を呑む音が聞こえるくらい、ナイフ男は喜色満面だ。
反面、傍らのシャロンは先ほどまでの上機嫌さが嘘のように、不機嫌そのものだ。不快感を顕にすることすらなく、ただただ興味がなさそうに男たちを眺め、ため息をついた。
その反応を、絶望した女が我が身を儚んだものと受け取ったのか。ナイフ男のにやにやが、さらに深いものになる。
「そんなナヨッちぃ男なんぞ捨ててこっちへ来いよ!
愉しませてやるぜぇ!?」
男はナイフをこれみよがしに突き出しながら捲し立てる。
対するシャロンの反応は、"威圧"を叩き付けることだった。
「あなた如きの相手をするくらいでしたら。
このあたり一帯の瓦礫を片付けるほうが、よっぽど楽しそうです」
ビリビリと空気を震わせる音が聞こえるほどの、壮絶な"威圧"。対する反応も顕著なものだ。
黒ずくめの男は、瞬間的に顔を引き攣らせ、一気に後ろへ飛び退いた。視線を切ることも恐ろしいのか、こちらを視界におさめたまま、そろりそろりと後退りしていく。
ナイフ男のほうはドシャリと音を立てて路地の真ん中にへたり込み、何が起きたのかわからないと無理解を表情全体に貼り付けている。顔中から汗が吹き出し、握りしめたナイフなんてとっくに取り落としてしまっている。
「こっ、このッ、なん!? なんだぁ!?
おいテメッ、おい! 何しやがった!?」
「お風呂の恨みです」
「あぁあ!? わけわかんねぇ、わっけわかんねえよ!!
何余裕そうな顔してやが、おい女ァ!
その可愛い顔をボコボコにして、お人形みたいに何も言えなくしてやったっていいんだぜぇ!?」
「予備もありませんし、ご遠慮申し上げます」
状況がわかっていないのか、口角泡を飛ばし、尻もちをついたままの状態でナイフ男が喚く。いや、もうナイフも放り出してるし、なんだろう、ただのいけすかない、汚らしい男か。
その言葉が、僕の記憶の痛いところを的確に突いた。
胸に穴を穿たれ、手足を喪い、動かないシャロン。まるで人形のように。
慟哭し、絶望し、懺悔した日々の記憶。僕の記憶にしか存在しない出来事だが、決して忘れ去ることなど出来ない記憶。
「ナメやがって!
おいテメぇら出てこい、身の程を弁えさせてやる!
『紅き鉄の団』をナメたやつがどうなるのかをなァ!!」
男が喚いたその名が、開戦の、そして蹂躙の合図となった。
「ぁグッ……!?」
「ぐぉ!!」
「うッ、がァァ、何だァ!?」
「がッ――あぁあぁぁあ!?」
くぐもった声があちこちであがる。
待てど暮らせど、姿を現す者は誰ひとりとして居ない。
一人だけ対象から外された目の前の男は、目に見えて狼狽する。
「ざっけんじゃねぇぞ! なんで誰も来ねぇんだ!?」
「さてな。足の爪でも"剥"がれたんじゃないか?」
「な、なんだオマエ、なんなんだオマエらは!?
殺す、ちくしょうぶっ殺してやる!!
おぉィ、テメェもいつまで蹲ってやがんだ! 元レベル2の冒険者だって言ってたろォが!?
高い金払ってんだぞクソが、クソがぁぁあああ!!」
ついにシャロンの"威圧"に耐えきれなくなったのか、這いつくばって喚く男は股間を濡らして目を血走らせる。
見据えた先は、一人だけ後退していた黒ずくめの男だ。こいつも、未だ路地に現われない者たち同様、突然発した激痛に蹲り、混乱と焦燥を顔全面に貼り付けている。
レベル2といえばカイマンと同レベルか? うわーそれはこわいなー。念のためもうちょっと"剥が"しておこう。てい。
「ぎゃッ――!!」
もう一枚。
「ァがッ――!? あ、あぁ、あぁぁあ――!!」
「ひィッ――!?」
瓦礫しかない場所に蹲り、時折びくんびくんと身体を震わせ、叫び声を上げる黒ずくめの男。
悪態をついていた元ナイフ男のほうが、若干引いている。
「あの。オスカーさん、怒ってらっしゃいます?」
「そりゃまあ」
直前までの淡々とした態度はどこへやら。
"威圧"を引っ込めて、傍のシャロンは僕の顔色を心配そうに見上げる。
途中までは"肉体強化"でも使って逃げてしまえば楽でいいかな、なんて思っていた。僕とシャロン以外が敵というこの場では、身の潔白が証明出来ない。こいつらをぶちのめして、後でさらなる厄介事に巻き込まれないとも限らない。そしてそうなっては、さらに工房への帰りが遅くなる可能性があった。トラブルを避けられるなら、避けるに越したことはない、と。
しかし、最愛の者を貶されたうえ、『紅き鉄の団』の名を聞いた今となっては――ぶちのめしても捕まらなきゃいいよね、捕まっても(力ずくで)出てくればいいよね、の精神である。
「オスカーさんも私とお風呂に入るのを楽しみにしてくれていたのにっ。万死に値しますね」
ぷぅっ、と頬を膨らせてシャロンが賛同する。
僕が怒っているのはそこではないのだけれど。
「おい、やめろ、なんだ、なんなんだお前らァ!?
来るんじゃねぇ、誰か、誰か来い! 早く、誰ぁあああ、あぁぁああああああああああ?」
僕とシャロンの見ている前で、男が、回転を始める。
ぐるぐる、ぐるぐる。
へたり込んだ姿勢を無理やり宙吊りにしたような格好で、独楽のように、回る、回る。
「あぁぁああああ!? なング、ぁあああああ、うごっ、あぁあぁあああッ!?」
「うるさいよ」
"念動"で持ち上げられ、回転を加えられる男は、狭い路地でひたすら回り続ける。
たまに、朽ちかけた壁面に勢いよく腕をぶつけたり、膝を打ちつけたりしているのはご愛嬌だ。
「それで、『紅き鉄の団』がなんだって?
お前、それとどういう関係だ?」
「あぁぁああああ、あがっ、あぁああああああ――!?」
「おいおい、それを聞くためにお前だけまだ"剥がれ"てないんだぞ。
さっさと吐いてくんないかな」
「あぁぁあああ、お前ぁぁあ、あぁうぷっ……うぼぇ、ぉろろろろろ……」
回り続ける男は吐瀉物を撒き散らし、廃墟をより荒廃した場所へと塗り替えていく。
情報を吐かせるつもりだったが、そんなものを吐けとは言っていない。言葉って難しい。
「あぉぉぉぉぇぇ……」
「オスカーさん、新手が来ます」
「まだ居たのか。数は?」
「一人です。もう、すぐ隣の路地まで到達します」
「ぉぉぉおおおおおお、ぉぁああああああああ」
「うるせぇ!」
理不尽にも力で女性を手に入れようと企んだ男は、理不尽な力の前に呻き声を発し続ける。
そしてその声に引かれるようにして、男が一人、新たに姿を現した。