僕と彼女と島でのやりのこし そのに
枕元のすぐ上あたりにそっと置いてあった僕の眼鏡を"倉庫"送りにしつつ、欠伸をひとつ。
2日寝続けていたはずの僕の身体は、それでもまだ寝足りないらしい。フリージアにはじめて会ったときにも年単位で寝こけていたので、寝汚い性質なのかもしれない。
心なしか冷やっこいシャロンの手に引かれるようにして天幕の外に踏みでると、ちょうど昇り始めた本物の太陽の朝やけが眩しく海を煌めかせるところだった。
さてどこへ連れて行かれるやら、という疑問は一瞬で解消されることとなる。
天幕から一歩踏み出た僕とシャロンを、ずささささっと3つの影が取り囲んだからだ。
すわ何事か、と僕が構えるよりも早く影はそれぞれザッ! と音を立てる勢いで平伏し、僕の隣に立つシャロンが小さく嘆息した。
「ご快復をお慶び申し上げます、我らが主様!」
「「主様!!」」
僕らを取り囲んだのは、獣人たちだ。
フレステッド商人からルーダーへと所有権が移りその後僕が"隷属の首輪"を壊して今に至る。
「奥様も益々ご機嫌麗しくお慶び申し上げます!」
「「申し上げます!!」」
「どことなく卒業の挨拶みたいなノリですね」
珍しく頭を抱えながら、シャロンが呟く。
僕の父ほどの年齢だろうか。片耳の欠けた獣人が代表して、少しだけ頭を起こして言葉を紡ぐ。
「先ほどお出でになられた際はご挨拶できず、申し訳ございませんでした!」
「「申し訳ございませんでした!!」」
「なぜか体の内側から締め付けられるような寒気に突然襲われ、動けなかったのです……」
代表の証言に、こくこくと頷く獣人たち。
あ、これ多分シャロンが威圧を放ったやつだな? と彼女のほうを見やると、さも偶然かのように、ふいっと視線を逸らされる。
「いま残りの2人を、呼びに行かせております!
揃ってのお出迎えが出来なかったことをお許しください!」
「「お許しください!!」」
えーと、なにこれ? とシャロンに説明を求めるも、彼女もどこか困り気味というか諦め気味といったふうに見える。
突如取り囲まれて許しを乞われる覚えは、僕にはないのだけれど。
「そもそも、僕は君たちの主じゃないし」
「そんなご無体な! せめて挽回の機会をお与えください!」
「「お与えください!!」」
「いや、挽回もなにも。
あんたらの主人だったフレステッド商人と、ルーダーは死んだ。
"隷属の首輪"があのままだったらあんたらも死んでたから、たまたま僕が解除した。ここまではいいな?」
「つまり、あなたが我らの新たな主様ということでしょう!」
「「主様!!」」
だめだ、言葉は通じるが話が通じない。
僕が眠っていたあいだも概ねこんな調子だったのだろう。シャロンも対応に苦慮したはずだった。
「あんたらを縛る首輪はもう無いんだから、どこへなりと好きに行けばいいだろ。
こんな島に放り出されても困るっていうなら町に戻ってからだっていいし」
「我らは、恩ある主様にお仕えしたいのです!
それに――もう帰る場所もありませんからな……」
片方だけ残っている耳がしゅんと垂れ、尻尾も力なく垂れ下がる。
掛ける言葉が見つからず、僕は平伏する彼らを見下ろすしかできない。
僕より年上の男の獣人が、感情表現に合わせて尻尾を動かしている様は、なんだろう、どことなくシュールな光景だ。
種族特性だから、彼らにとっては謂れのないことだろうけれど。
「判断はオスカーさんにお任せするつもりで、彼らが仮で過ごす住居は建築しておきました。
片時もオスカーさんのお側を離れたくはなかったのですが、そうでもしないとこの方たちは私たちの天幕に張り付いて離れようとしませんでしたから」
それでも結局常時4人ほどは張り付いていますが――とシャロンはじと目を向ける。
「我らの住居まで用意していただき、感謝にたえません……!
しかし主様と奥様をお守りするのも我らの役目ですから!」
「安全も何も、私とオスカーさん以上に強い者は、おそらくもうこの島にはいませんよ」
レッド・スライムのことがあるので言い切ることはできないが、もし何か未知の脅威がいたとしても、僕らで歯が立たないような相手に獣人の彼らが敵うことはあるまい。
彼らは栄養状態がさほど良くないことが一目でわかるほどには痩せている。ここ数日は食べるものがあるようである程度血色は良いのだが、筋力とそれを支える肉体は一朝一夕で手に入るようなものでもない。
獣人の残りの3人が合流するのを、わざわざこの場所で待つというのもなんだか落ち着かないので――ずっと平伏されたままというのはかなりしんどいのだ――僕らは連れ立って、獣人たちの仮住まいのほうまで向かうことにした。
その途中で無事に残りの3人と合流を果たし、また平伏されて同じようなやり取りを経てくたびれたあと、僕らは彼らの仮住まいに辿り着いた。
浜と森が混じり合う、ちょうど溝の端と炉を設けたあたりの場所に、その仮住まいは用意されていた。
レッド・スライム戦を通して、人々の間での獣人への恐怖感のようなものはかなり薄れたらしいのだが、これまでの軋轢が帳消しになるわけでもない。
お互いに落ち着かないだろうということで、人間用の天幕とはほど離れた位置に建設したとはシャロンの談だ。
「でもこれ、仮住まいっていうか……実に見事な木の家なんだが」
「はい。余った木材や、この場を均すため伐採した木材を使いました。
木造平屋建てという建築様式です」
「モクゾウヒラヤダテ」
人間たちの寝起きする急造の天幕や、僕らが先ほどまで寝ていた小型の天幕よりも、俄然しっかりとした住居だった。
壁面は丸太を積み上げて作られ、窓枠には格子状に組んだ太い枝が使われている。
雨風しのぐ屋根には傾斜がつけられており、雪が積もりにくいようになっている。
出入り口と思しき部分は毛布で内と外が区切られており、同じ様な出入り口が一定の間隔を開けて3つ並んでいた。
「6名いましたので、四角く区切った平屋を6戸分繋げています。
裏に回ればあと3部屋がありますよ」
「思った以上にしっかり家だった!」
むしろ、漂着当初にあれだけ頑張って天幕を作っていた人々が心中複雑なのではなかろうか。
あの時点ではどれだけ島に滞在することになるかわからなかったから、帰る目処がついた今とは精神的余裕も大きく異なるだろうけれども。
僕の反応をどう受け取ったのか、シャロンはどこか申し訳なさそうに言葉を続ける。
「オスカーさんの寝床を豪華にすることも検討したのですが――」
「あの天幕にはもともと魔術的な守りも施してあったし、なにより僕の側にいてくれたんだろ。
ありがとう、シャロン」
「――っ、はいっ!」
頭をぽんぽんと軽く撫でると、シャロンは実に嬉しげに僕を見上げてくる。
すぐ側で言葉を発さずにじっと見つめてくる獣人たちの視線がなければ言うことなしだ。
獣人たちの家は基礎までが木で組まれているようで、海に近いこともあり長期間使っていると問題が出てくるだろう。
ここで暮らすとなると、すぐ側に竃や厠を作ってやる必要もある。魔物対策だって必要だな。
そのへんにさえ手を打っておけば、彼らが今後生きていくのにはなかなか理想的な環境ではないだろうか。
動植物は豊富だし、基本的に人間は居ないときた。
「あんたたちの処遇は追々考えるとして。
ちょっと島を見て回ろう」
「はいっ!」
るんるんと弾む足取りで僕の手を引くシャロンに連れられて、島のあちらこちらを見て回る。
なおもついて来ようとしていた獣人たちは一時的に彼らの家で|"結界"《じっとして》てもらう。
しっかりと休んだおかげか魔力も充填されており、魔術の行使にはなんの問題もない。
僕らがまず向かったのは、獣人たちの家からすぐ近い大穴だ。
大穴、とはレッド・スライムの終着点。
炉が設けられ、かの魔物を蒸発させた穴である。
木の板や大楯を被せかけて作られた蓋を、僕らふたりが通れる程度に少し横によけて覗き込む。
魔力光を穴の底に放ってみても、特に動くものはない。
「シャロン、もうちょっとこっちに来て、僕にしがみ付いてくれる?」
「はい。服はどうしますか? 脱ぎますか?」
「なんでだよ。はいじゃないよ。
ちょっとそこの大穴に降りるから。くっついてた方が効率がいい」
「では少し失礼して。むぎゅー!」
「あの、シャロン。
シャロンさん。ちょっと。締め付けすぎ。あと胸を擦り付けすぎ」
「当ててんのです!
というよりもですね、胸を当てずにしがみつくのは難しいです」
「そうかもしれないけど、腹筋に顔を埋める必要はないよね間違いなく」
やいのやいの言いながら、"念動"の魔術で僕らふたりを吊り下げて、穴の内部へと降りる。
念のためにレッド・スライムの生き残りを警戒しつつ、ゆっくりと下降する。
やがて、硬質で独特な足音を、鉄の床が奏でた。
「シャロン、ついたよ。一旦離してくれる?」
「いいえ。提案です、オスカーさん。
どうでしょう、このまま探索をするというのは」
「いやいや。どうでしょうじゃねぇ。
動きにくくてしょうがない」
真剣な声音で提案してくるシャロンの申し出をすげなく断る。
仮に動けたとして、自分の腹筋に顔を埋める少女をぶら下げたまま動きたくもない。
「そんなに無理して動く必要もないのではないでしょうか」
名残惜しげに僕の腹筋から剥がれたシャロンは、ぷくぅっと頬を膨らせる。
魔力欠乏症で倒れた僕の心配をしたり、側でずっと見守っていてくれたりして、寂しかったのかもしれない。
申し訳ないことをしたな。心配かけないようにしないとな。
頬を膨らせながら蒼い瞳で僕を見上げるシャロンを見やり、少し反省する。
とはいえ何度反省をしたところでまた心配をかけてしまうので、よくよく僕も救えない。
魔力光に照らされた空間には、様々なものが散らばっていた。
レッド・スライムの『河』で運ばれて来たであろう大小様々な石に、ナイフ、首飾り、鎧の欠片。
ルーダーや海賊の持ち物も含まれているのだろう。
そして、残留物の中でなんといっても目を引くものがふたつある。
ひとつは、石に混じってそこいらに転がっている魔石だ。
小さな魔力光と、天井から差し込む朝の日差ししかないこの場所でもわかる。目を見張るほどの純然たる赤い魔石だ。
魔石は小石程度の大きさのものから、拳ほどの大きさのもの、一番大きいもので僕の顔よりも大きなものもあった。
「これはあのスライムの、成れの果ての姿なのですね」
「うん。そうみたい」
レッド・スライムが取り込んだ動植物や膨大な魔力が、水分が奪われるなかで魔石として析出したのだ。
あとでじっくり鑑定してみるつもりで、全部"倉庫"に放り込んでおく。
誰か他にも欲しがるかな? ジレットとか。彼も魔道具技師らしいし。
そして数多くの魔石と並んでもうひとつ、目をひくもの。箱だ。
赤と黄色の神聖文字が、箱の前面に書かれている。
この箱には見覚えがある。かつて僕は読むことができなかったが、"全知"がある今となってはこれらの意味するところも理解できる。
「"時間凍結済み。警告。緊急時以外の開封を禁ずる。開封には専用の鍵を利用すること。一度開封すると効力を失う"、か」
なんだか、懐かしいな。シャロンも覚えてる?」
「はい。もちろんです。
というよりオスカーさんとの記憶を忘れるはずがありません。
オスカーさんが私を見て頬を染めた回数も、私を撫でてくださった回数も、すべて。すべて、覚えています」
当たり前のことです、とばかりにシャロンは頷く。
ひさしぶりに愛が重い……!!
「箱はふたつありますね。
ひとつは破損しているようです」
「そうだね。おっきな亀裂があるし。
あ、中にも魔石がある。その他は何も入ってなさそうだ」
"緊急時以外の開封を禁ずる。"と書かれた神聖文字は上から線が引かれ、かわりに"永久凍結"と書き殴ってある。
しかし、中身を示すような表示は何もなく、中には小さめの赤い魔石がいくつか転がっているだけだった。
もうひとつのほうの箱を持ち上げ、全ての面を確認してみる。
亀裂のようなものはない。軽く振ってみても何の音も鳴らず、軽い。
「中身は"記録"って書いてあるけど、こっちも空かもしれない。軽いし」
「開封しますか?」
「そうしよう。
念のため、"結界"で覆って開けるから下がってて」
なぜか首を傾げつつもシャロンは僕の言葉に従い、僕の隣にまで下がってくる。
それを確認し、"結界"魔術で覆った箱の上面を、"大切断"で切り落とした。
音もなく両断された箱からは何かが飛び出してくるわけでもなく、灰色の物体――"全知"いわく緩衝材――が見えるのみだ。
「どうやら、危険はなさそうだ。
ん。どうしたの、シャロン」
「いえ。――オスカーさんは本当に強くなられたなぁ、と思いまして」
胸に自らの腕を抱きかかえるようにして佇むシャロン。
どうしたのかと目を向ける僕を見て、彼女は眩しそうに目を細める。
はじめてこの箱と出会ったとき、僕はまだ無力だった。
ずっとシャロンに頼りきりで、箱だって彼女に開けてもらった。
そのあたりが彼女にとって、感慨深かったのだろう。
そして同時にそれは僕にとっては、何もできなくて頼りきりで情けない記憶でもある。
少しばかり、気恥ずかしい。それも大事な記憶だけれど。
気恥ずかしさをごまかすように、僕は箱の確認を始める。
中は緩衝材が敷き詰められていて、その中央に、ぽつんと小さな黒い板。それだけだった。
「光粒子フェムトチップですね」
箱を覗きこむ僕を後ろからぎゅっと抱きしめる要領で、僕の肩に頭を乗せたシャロンが耳元で囁く。
「4ゼタバイトの情報しか入らない、化石のような記録媒体です」
「この小さい板に、何を記録するんだろう」
指先で裏返してみても、ところどころが金色の輝きを持っている以外は、ただの小さな黒い板だ。
何か文字が書かれていたりもしない。
"全知"で見てもつるっとした表面からは新しい何の情報も見出せず、ただシャロンが言った通りに《光粒子フェムトチップ》という名がわかっただけだ。
「解析してみましょうか?
内容物があるかどうかはわかりませんが」
「そんなこともできるのか。やっぱりシャロンは凄いな。
それじゃ、お願いしよ――いやいや。
いやいやいや。ちょっと待って」
しゅるりという衣擦れの音が僕の背後から伝わり、目一杯のツッコミを放つ。
どうしてだ。どうしてそうなった。
「はい。ああなるほど、オスカーさんは脱ぎ掛けがお好みだったのですね。
ようやくわかりました」
「違うから! そういうのじゃないから!
えっちなのはいけないと思う!」
「いいえ。べつに安易なエロに走っているわけではありません。
必要にかられて仕方なく、です。えへへ」
とってつけたように可愛く笑ったところで、僕の背後でシャロンが突然衣服を脱ぎ出したであろうことは変わりがないのだ。
もうちょっと、こう、なんというか恥じらいというか、そういうのが欲しいよ僕は。って、そういう問題でもないか。
「ふぅ。では――いきます」
「いくってどこにだよ……」
狼狽つつ、おそるおそる振り向く。
まず、やはりというか何というか、服をはだけさせたシャロンの白い肌が、魔力光に照らされ美しく浮かび上がっていた。
シャロンも僕に背を向ける格好で座っており、髪が前に流されているために剥き出しのうなじが眩しい。
そして。彼女の背中にあたる部分が、手のひらサイズに四角く開いていた。
「オスカーさん、きてください。
それを、私の中に――」
「このやり取り、なんかすごい既視感がある」
白い素肌の真ん中に、ぱかりと開いた四角い空間。
中は赤く半透明で、液体と固体の中間のような物質で満たされている。
そしてその中央には、橙紅に光を放つ宝玉の姿がある。
「オスカーさん、さしものシャロンちゃんも大事なところを凝視され続けるのはちょっと、その、恥ずかしいです」
「シャロンの羞恥ポイントが全然わかんない……」
頬に自らの手のひらを当てていやんいやんくねくねと恥ずかしさを表現するシャロン。
僕はため息をひとつ残すと、チップを持って向き直る。
でも、やっぱり――
(宝玉、こんな色だったっけ)
微かな引っかかりが消えない僕は、ひとり首を捻るのだった。