僕の願いと白銀の彼女の望み
2週間を待たず、累計1000PVを突破しました!
連載前は10PV/1日を目指すぞー、とか言っていたというのにありがたい話です。
評価や感想もお待ちしております!
今後も頑張りますのでよろしくお願いします。
ドガカッ
固いものが、何かにぶつかる音が聞こえる。
これで、何度目かになる。
しかし、まだ目覚めたばかりの意識では、はっきりとはわからない。
横たわったまま、目をしばたく。
白い部屋と、赤灰色の部屋が、レンズ越しにダブって見える。
《視覚操作・幻覚 使用者:フリージア = ラインゴット》
目ーーいや、脳に直接情報が届けられる感覚。"全知"の視界。
白い部屋のほうは、フリージアによる幻覚であるらしい。
魔術ではないようだが魔力を媒体としているようで、似たようなものだろう。
「あ。ようやく完全に目覚めたかな〜」
頭のすぐ上から、間伸びた声が出迎える。
骨が見下ろすのにダブって、同じ姿勢の少女が覗き込んで来ている。
その少女は、長くうねる銀髪をそのままに、肩を剥き出しにしたワンピースから溢れんばかりの胸元を晒し、何を考えているかわからない紅い瞳がーー
《心配している》
あー、心配そうなのかどうなのかわからないが心配しているらしい紅い瞳が、僕を見据えている。
本体は骨のほうで、少女の見た目は部屋と同じく幻覚である。
その少女は
《フリージア = ラインゴット "夢見" "不滅" 魔術 言語理解》
……。その人である。
"全知"とテンポが合わない……。
「おはよ〜。そしておめでと〜。
オスカーくんは見事生き延びて、"全知"を普通に扱えるまでの魔力と体力を手に入れたはずだよ〜」
「ーー」
掠れて、声が出しにくい。
怪訝そうな顔をしていたであろう僕に、骨と少女は言う。
「いきなり喋るのは難しいんじゃないかな〜。
魔力を使って念話を飛ばしてみたら?
こうやるんだよ〜」
『やっほー』
《念話 使用者:フリージア = ラインゴット》
やって見せられたところで、そしてそれが看破出来たところで、出来るかどうかは別問題である。
『そんなホイホイ新しい魔術が使えたら世話ないよ』
『大丈夫〜、ちゃんと使えているよ〜』
できていた。
魔術の発動イメージどころか、こうなったらいいな、程度の考えで、"念話"は正しく発動していた。
『それが"全知"で仕組みまで理解した状態ってことだよ〜。
仕組みを識っていて、実現できるだけの力があるなら、あとはやるだけだから。
実物を識っているんだから、それっぽいイメージなんかよりも的確で速いでしょ〜』
『そういうものなのか』
『そういうものだよ〜』
『"全知"で視てもわからないものがあった場合、たぶん深度が足りないだけだから、そのわからない一部分に絞って集中すれば、詳しいことがわかったりすると思うよ』
《フリージア = ラインゴット "夢見" "不滅" 魔術 言語理解》
目線を骨に合わせると、その情報がわかる。
しかし、"夢見"とだけ言われてもよくわからない。そういう場合の話だろう。
ちなみに、じぃっと見つめ続けられる形になっている骨は恥ずかしがるように自らを抱きしめるようにし、若干くねくねとしている。骨だけども。
《"夢見": 第13階位の神名のひとつ。
夢を通して、未来のもっとも高い可能性を見る能力を有する。
常に発動するわけでもなく、普通の夢との区別もつかない。
フリージア = ラインゴットは起きている状態でも随意発動でき、単一ではなくいくつかの確率の高い未来を見られるまでその能力を昇華しており、第7階位相当》
頭に直接ぶち込まれる情報が増えた。
便利、なのか? わからない単語が増えただけのような。
《階位: 神名の珍しさ・強さを総合したランク分け》
お、おう。
「あはは〜。
慣れるまではテンポが合わないかもしれないけど、そのうち自然に使えるようになるよ〜。
意識は曖昧だったかもしれないけど、この1年くらいは部屋からの魔力補充がなくても十分な魔力量を保持してたみたいだし」
肉声に切り替えたらしいフリージア。
その肉声自体も幻覚なので、ややこしい。
『そうなのか。んん。この1年?
僕は、1年以上も転がっていたのか?』
どれくらい眠っていたのかというのは気になってはいた。しかし1年以上とは。声も出なくなるわけである。
無論、結界内の時間で、ということであろうが。
「ううん〜。
オスカーくんがそこに転がっていたのは、ざっと3年とちょっとだよ〜」
重ねて衝撃の事実。
結界内部での3年は、外部ではどのような年月としてあらわれるのであろうか。
「最初のうちは、もう大変だったよね〜。
血とかいろいろ吐いたりして窒息しかけたり〜。魔力増強に肉体がついていけずに筋肉が千切れ飛んだり〜。
血の塊は取り除いたり、筋肉も変にくっついちゃう前に治したりしておいたから、そこは心配ご無用だけどね〜」
そういえば、耳元でぶちぶち、ぷちぷち何かが千切れる音がずっと響いていた気もする。筋肉か、あれ。
今更ながらに背筋が寒くなる。
転がっている間は、主に痛みでそれどころではなかったが。
「後遺症として想定してた重篤なものも、なさそうだよ。運が良かったね〜。いや、オスカーくんの実力なのかな。
ただ、何か"夢見"でも見なかった変な後遺症はあるみたいだけど〜。たぶん問題ないない」
『え。なにそれは。
ものすごく不安になるんだけど』
「え〜。問題はないよ、たぶんね」
伏せられれば伏せられるほど、気になるものである。
『どんな後遺症?』
「実物を鏡で見てみたほうが早いんだけど、ここにはないからね〜。
髪の先に行くに従って、なんか色が変。先端なんかは毒々しい感じの紫になってるよ〜。あはは」
『ええ。
また何とも微妙な』
笑い事ではない。
いや、笑い事で済むくらいで良かった、というべきなのかも知れないが。
『最初から、3年も掛かるってわかってたのか?』
「そうだね、だいたい識ってたよ〜。
それ伝えた場合は生還率とかが下がっちゃってたから、言わなかったけどね〜。聞かれもしなかったし」
たしかに聞きはしなかった。
勝手に、そんなに酷いことにはならないだろうと油断していた部分があったのは確かだ。その結果がこれだよ!
和やかに話をしていても、フリージアは利害が一致しているだけで、決して僕にとっての味方というわけではなかったのだ。
ただ、自身の望みのために、僕が力を得る必要があるという、ただそれだけで。
僕が3年もの間、魔力の鍛錬のために血反吐を吐いて寝こけている間。結界の外は。ーーシャロンは、どうなったのか。
腹筋を使ってガバッと跳ね起きる。
驚いたことに、身体は全く衰えていない、どころか以前よりも力が湧いて出るようだ。
さらに、自分の視界の手足の長さが、記憶にあるものと一致しない。
手足はそれぞれ掌ひとつ分ほど伸び、ズボンの裾が心許ない感じになってしまっている。
服なんかは、前面が縦一直線に鋭利なもので切り裂かれたような跡があり、がっちりした胸筋や腹筋が覗いている。
おそらく身体の成長を阻害していた服を、フリージアが切ったのだろう。
そして、服やズボンから伸びている手足のその太さもーーもともとある程度は鍛えていた状態よりもーーはるかに逞しくなっていた。
筋骨隆々、とまではいかないかもしれないが、がっしりとした太腿はまるで若いが力強い木の幹のようで、少々のことでは揺るがなさそうである。
髪も足首くらいの長さまで伸びており、起きたことによってバサァっと目の前に前髪の壁が出現する。ものすごく鬱陶しい。もともと茶色かった髪は、フリージアの言う通り、自分から見える範囲では茶色混じりの紫から、先端に行くほど毒々しい紫色に染まっている。
「こ、れは……いったい……。なんで、こんな、ムキムキに」
掠れながらではあるが、声も出るようになってきた。
手足が長くなっていること自体は、3年掛けて純粋に成長したのであろうと予測が立つ。
しかし、こうも立派に筋肉まで発達しているのは、どういうことか。
自分の意思に従い問題なく手足は動く。
しかし、その見た目はまるで、自分の手足ではないかのようだ。あたかも、自分の意思で他人の手足を操作しているような、不思議な感覚である。
「魔力を溜め込むために、肉体も強くなったということだよ〜。
魔力だけ強くなる、というのは結構難しいんだよね〜」
「そんな、ムキムキな……魔術師、僕は、知らないんだ、けど」
つっかえつっかえ、異議を発する。
喉も、声を発することを思い出したかのように、その機能を段々と取り戻してきていた。
数刻前まで痛んで掠れて喋れたものではなかったのだが、この回復力も結界の力によるものだろう。
この勢いで消耗した魔力や、ズタズタになった筋肉が回復したのだとすれば、それはたしかに鍛錬としての効果は絶大であろう。
「う〜ん。わたしがまだ結界の外にいたときは、まだ魔術という概念がなかったからわからないけど。
魔力を扱う因子を持ってる人の数も、その濃度も全然ダメダメだったからね〜。
濃縮実験は成功例少なかったらしいし。そのうち一人はそこで骨になっているし」
つい、と部屋の端に目をやるフリージア。
少女の姿も重なって見えてはいるが、骨が骨を見やっている図はなかなかにシュールである。
「推測になっちゃうけど〜。
いま外界にいる魔術師は、肉体の強さがそれほどなくても大丈夫なくらいしか、魔力を貯められてないだけなんじゃないのかな〜。
がっちり分厚い木材でしっかり作られた木樽と、貧相で薄い木材でガタガタに作られた木樽。
たくさんの量の水を入れても壊れないのはどっちか、わかりそうなものじゃない?」
都市国家軍にいるお抱え魔術師が聞いたら激怒するのではないだろうか。
言わんとすることはわかる。わかるけれども。
「そのぶん、量が少なくても効率的にやりくりするすべに長けているのかもしれないけどね〜。
大量に蓄えておけるのと、それをうまく使えるのとは別問題なわけだし。
もちろん、できることの幅は全く異なるはずだよ〜」
「それも、そうか。
ちなみに。僕はどれくらいの魔力量を貯められるようになったと考えればいいんだろう」
自身の力を正確に把握しておきたい。
というのも、いざというときになって魔力切れで血反吐を吐いても、後悔を命で支払う羽目になっては遅いからだ。
そう、かつての両親のように。そうなってからでは、遅い。
しかし、この部屋の中で何か魔術を行使してみたところで、即座に空間から補給され続けるのであれば、測定には適していない。
僕を魔力枯渇による死から守ってくれていた機能ではあるけれど、いまの目的とは合致しなかった。
「ん〜。詳しいことはわかんないな〜。
ちょっと"全知"貸してくれる〜?」
前かがみになって、(文字通り)透き通る素肌を見せつけつつ、それに重なった骨がこちらに手を差し伸べてくる。
そういえば、僕の強化が終わったのであれば、眼鏡を返さねばならない。
僕はまだ掛けたままになっていた眼鏡を外し、少し迷って、床に置いて受け渡しをした。
眼鏡を外した段階で、ダブって見えていた骨や、荒廃した赤灰色の部屋は見えなくなっている。
その代わりに、白い部屋と、よいしょと膝を曲げて眼鏡を拾う少女の姿が見えていた。
今の僕ならば、この光景は幻覚であることを知っているし、この光景の核を為しているものも"視"て"識"っている。
そして、やろうと思えばこの幻覚を解除するだけの力もあるだろう。
もっとも、そんなことをする気は僕にはこれっぽっちもなかったが。必要もないのだし。
「ごめんね〜、気をつかってくれてありがと〜。
やっぱり、わたしの肉体はもう骨だけだし、この状態で触れられて、驚かれたら嫌だなぁっていうのはあったからさ〜。
幻覚で触覚まで再現できているはずなんだけど、これまで誰かで試す機会なんて、なかったからね〜」
眼鏡を指で押し上げる仕草と共に、フリージアはぎこちなく笑った。
表情が嘘っぽく見えていたのは、何のことはない。
彼女にとって2万年ぶりに話す相手に、表情の作り方や、話し方がうまく取り戻せていなかっただけなのであった。
ちょうど、起きてすぐの僕が喋ることが困難だったように。
僕が起きてからも、若干ちぐはぐな彼女の印象に対して、"全知"の眼鏡は的確に情報を添えていてくれたのである。
ーーあれ頼りになっていては、相手の表情と内面が一致していないとき、疑心暗鬼になりそうである。
相手の秘めたる考えまで露見してしまうのだから、疑心暗鬼どころの話ではないかもしれないが。
「んん。えーっと。あ〜」
眼鏡越しに僕を見つめるフリージアから、すごく不安になる感じの声が聞こえる。
思ったほどの成長にならなかったということだろうか。
「ざっと3500人かな〜」
「うん?」
「3年前までのオスカーくんの、だいたい3500人分くらいの魔力があるんじゃないかな〜、いま」
「それは。なんというか」
以前の僕が弱すぎたのか、それとも今の状態がおかしいくらいに強いのか、実際の数を聞いたところでわからないのには変わりなかった。
3500人。だいたい、町中全員が以前の僕くらいの出力で魔術を使うとしたら、どういうことになるだろうか。
うん。"剥離"で汚れが剥がされまくるだけで終わりそうだ。
「思ったよりもかなり強くなってるね。100倍くらいになればまあいいよね、くらいのつもりだったんだけど。うーん。
その影響かな〜、髪先のほうが変色しているのは。
シャロンちゃんとのらぶらぶ魔術で、シャロンちゃん側の魔力がオスカーくんに逆流していたのが関係してるのかな〜」
「らぶらぶ魔術」
なんだろう、その、なんだろう。
すごく微妙なネーミングをされた。
おそらくは、二人で発動した強力な魔術のことを言っているのだと思うが。
「出力が安定するまで、しばらくは控えたほうがいいかもね〜、らぶらぶ魔術」
「いや、僕とシャロンはそういうのじゃ……」
「指を絡めあって、お互いの魔力を循環させ合うなんて。そんな現象、子作りの時稀に起こるくらいだよ普通〜。
ある程度コントロールできるようになるまで、らぶらぶ魔術は控えること。シャロンちゃん壊れちゃうよ〜」
「う。はい」
そう言われては、是非もない。
シャロンとともにあるために強さを手に入れて、それでもって彼女自身に危害が及んでいては本末転倒もいいところである。
「ーーそうだ、要件がすんだなら、僕はシャロンのところに帰らないと」
僕が強くなったのであれば、フリージアが僕をここに留めておく理由はなくなったはずである。
思った以上に時間が掛かってしまっているのだ。一刻も早く無事な姿を見せなければならない。
3年以上が経過しているので、1分1秒などもはや大したことではないかもしれないが、僕のなかでは少しでも早く、という気持ちがあった。
そして何より、はやくシャロンに会いたかった。
「あ〜。ちょっとまって、これ」
ちょいちょい、と僕を手招きして、フリージアは再び外した眼鏡を指す。
「ここからのーー施設からの脱出に必要だと思うから、持っていって。
わたしが持っている必要もないしね〜」
フリージアは、ぎこちなく笑う。彼女の若干陰のある表情は、"全知"がなくてもわかる。
それは、彼女とは圧倒的に長さも濃度も違いすぎるが、その一端を自分も味わった辛さだから。
また孤独に戻ることへの、怖さと諦めがあるから。
だから。
「あっ」
再び、眼鏡を床に置こうとするフリージアの手をとり、直接眼鏡を受け取った。
すでに"全知"の視界から外れており、僕の考えを読み取れなかった彼女が、驚きと戸惑いの声を漏らす。
「わかった、借りていく。
またそのうち、返しに来るから」
そのうち、がいつになるかはわからない。
とくに、結界内部においてはどれほどの時間が経過するのか見当もつかない。
ここに入ってきたときの、むせ返るほどの濃度の魔力は若干薄らいだ気がする。
単に慣れただけかもしれないが、ある程度は僕が消費したからだろう。
それでも十分な量の魔力が依然として空間に渦巻いている。
流れる時間の差もそれなりにあることだろう。
僕が触れた指先は、おそらく幻覚の効果であろう、ちゃんと温かく柔らかかった。
フリージアは眼鏡を渡したあと、触れて居た指をその胸に抱え込むようにして、こくりと頷いた。
「か、帰るまえに一応、言っておくけど〜。
わたしのこの姿は無理に若作りしているわけではないんだよ、ただこの結界の中には鏡がなくてね?
わたしがわたし自身の姿を最後に確認できた姿を形作っているだけなんだからね〜!」
「なんの弁解なんだ」
僕は苦笑いをする。フリージアも、それにつられて苦笑いを返した。
「待っているよ、オスカーくん。
100年や200年待つのだって、あんまり苦じゃないし〜。
最近1年過ぎるのが早いのよね〜」
別れを和やかに済ませようとするためか、フリージアは軽口を叩く。しかしわりと冗談になっていない。
「お帰りはあちら〜」
「ああ。ありがとう。それじゃ」
フリージアはふりふりと手を振っている。
僕も、手を振り返して白い部屋を後にする。
「あ、そうだ、ひとつ聞き忘れてた」
「ん〜? なにかな〜」
「フリージアのいう、望みって一体何だったんだ?」
伊達や酔狂でただ僕のことを鍛えてくれたわけではない。
それは、フリージア自身も再三言っていたことである。
「うーん。えっとねぇ。
それはまあ。次にあったときに教えてあげるよ〜」
「ん。わかった、それじゃ。
ありがとう」
「はーい。またね〜」
今度こそ、僕は部屋を後にする。
手にした"全知"の眼鏡を掛けてみても、もはや倒れることもない。
壁までの距離が判然とせず、ともすればいつまでも歩き続けることになりそうだった白い部屋も、"全知"にかかれば薄赤い結界の壁が目前にまで迫っているのが確認できる。
最後に、僕は振り返って彼女の姿を視た。
そこには、荒廃した部屋と白い部屋が重なり、その中で同じように、うっすらと透ける少女と骨が重なり合った状態で手を振っている。
そして。
《わたしの望みは、死ぬことなんだよ、オスカーくん》
結局僕が部屋を出るに至るまで、彼女が言い出せなかったその望みもまた、視えてしまっていた。