"月影"の冒険 そのいち
「マジかよ……」
生き残っていた方の冒険者、自称"月影のクロウ"は慄き、絶句した。
普段はキャラを保――ンン。普段であれば口走らないような砕けた文句が口から漏れてしまったのも、致し方あるまいと彼は自身を慰める。
だって、自分が今まさに決死の覚悟で攻防を繰り広げていた存在が、一瞬で消し飛んだ。
あの蛇の親玉のような魔物のあの強さ、おそらく――いや確実にこの島の主であろう。
それを、一瞬で現れた女神のような美貌を持つ少女が、一瞬で何かをして、一瞬で魔物の上半分が吹き飛んだ。
魔物――この島の主がどちゃりと倒れ込むときには、すでに少女は身を翻して後ろ姿が小さく見えるのみ。未だビクリビクリと尾を震わせる魔物の亡骸が無ければ夢でも見たかと疑うほどの光景だったのだ。
実に――
「美しい……!」
"月影のクロウ"は見惚れていた。
その光景に。
その強さに。
そして唐突に理解する。
そうか。そういうことだったのかと。
あのままではさすがに――さすがにこの"月影のクロウ"でも苦戦は必至、いやいやそれでも最後には勝つけどね? 勝つけれどもだよ。
それでも心配性な神様が、このクロウのためにと送り込んでくれた助っ人、勝利の女神が先ほどの少女なのだとすれば――全て、全ての辻褄が合うじゃあないか! と"月影のクロウ"は勝手に解釈する。
なんとな〜く、昨日浜で見た少女と、勝利の女神はどことな〜く似ていた、ような気がする。
いや浜で見た娘のほうはチラッと見ただけだけれどね。そんなガン見なんてしてないけどね。
あくまでたまたま、たまたま視界に入ってしまったくらいの感じで見ただけなんだけどね。そんな、少女をじーっと見つめるみたいな不躾な真似はできはしないさ。
たとえとびきり極上のすごーく美人さんだとしてもだ、そのようなことでは"月影のクロウ"は紳士な態度を崩したりはしないんだ。
というか少女がいつ自分を見てもいいように、格好いいポーズをキメるのに余念がなかったためにね、あまりしっかりと見られていないのだけれどね。
それでも今も目に焼き付いている、太陽を彷彿とさせるような美しい金の輝きと、勝利の女神はよく似ていた。服の色が全然違ったような気がするから、たぶん別人、いや別神だろうけれど。
本当に一瞬すぎて、ほとんど目で終えなかっ――いやいやいや。"月影のクロウ"たるもの、島の主から一瞬たりとも視線を切るわけにはいかなかったから、あまり見えなかったのだ。そうだ、よしそれでいこう。
そういうことになったならば、早いこと後を追わねばなるまいよ。奇しくも女神の向かった先は、今の自分の雇い主、かなーり狂っちゃった感じの男が向かった先だ。
警戒しつつ進むも、あたりに魔物の気配はない。ただ無残に千切れ飛んだ魔物の残骸がいくつかあるのみだ。
もう少しで木々の間隔が広くなり、少し開けたところに出そうだ――というところで、彼の鋭敏な感覚が、人の気配を察知する。
「待たせたなッ!!」
登場シーンというのは肝要なものだ。
この"月影のクロウ"が来たからには――と続けようとした言葉は、しかし途中で遮られるようにして途切れる。
「ゲフッ……ゴ、ッ……ゲハッ……ッ! ハ、ハァッ、ハァッ……!」
「うッ……ゴホッ、ゴハッ……!!」
目に涙を浮かべ、咳き込む獣人たちがそこに居た。
今まさに、登場したクロウの目の前で、カチャリという小さな音とともに地面に落ちたのは、獣人の戒めの楔――"隷属の首輪"だろう。
咳き込み、えづく彼らに手を翳しているのは昨日浜で視界の端っこあたりに見切れていた魔術師ではあるまいか。
「え、なに、え、"隷属の首輪"は――?」
このクロウともあろうものが、驚きのあまり間抜けな声を発してしまった。
木立の中では、蹲る獣人たちと、魔術師、そしてその後ろに控えるようにして悠然と佇む女神の姿があった。
どういう状況なのかまったく不明ではあるものの、周囲に危険はなさそうだ。
ということは、勝利の女神から格好良く見える角度を模索しなくてはっ!!
「ルーダーの置土産というか……アイツ、"隷属の首輪"発動したまま死にやがったからさ」
ぽりぽりと頭を掻きながら、なんてことなさそうに衝撃の事実を伝えられ、ポーズを考えていた"月影"びっくり。
仮初の雇い主、ルーダーが死んだ。え、ちょっと待ってこのままだと俺タダ働きになるの?
「えっと、君、や、貴方が、やったの、ですか……?」
「ルーダーをか?
いや。海賊がな」
「あー」
この"月影のクロウ"が島の主と死闘を演じていた頃、あの男たちも戦っていたのだ。なぜだかは知らないけれど。
「それで海賊は?
逃げたので?」
「いや、二人とも溶けて消えたよ」
「マジかよ……」
カチャリ。最後の獣人からも"隷属の首輪"を外しながら、魔術師は事も無げに答える。
「ガハッ、ガフッ、――ッッ! ハッ、ハッ、げほ……」
「もう大丈夫です、よく頑張りましたね」
咳き込む獣人の背を擦り、女神が柔らかな声音で告げる。なんて羨まし……いや、でも溶けて消えるってオイオイ。なんだそれ。
一体何がどうなればそんな死に方をするってんだ。この"月影のクロウ"をからかっているのだろうか。
あ。また女神の前で砕けた言葉遣いをしてしまった。
いかん。驚いている場合ではない。”月影”ここに在りということを示すためには、この俺が主導権を握らねばならないのだ。
この場の支配者が誰なのかということを、女神にもわかってもらわねばならない。
オホン! 咳払いをして、"月影のクロウ"は獣人の相手を続ける魔術師に問いかける。
「少しばかり疑問だったのだがね」
「お、おう。
……口調が安定しないな、あんた」
"月影のクロウ"としては魔術師に慄いてほしいわけではないのだが。女神にこの勇姿を見ていてもらいたいのだが。
「"隷属の首輪"は、そんなに簡単に外せるものなのかね」
純粋な疑問を、目の前で"隷属の首輪"を外してのけた魔術師にぶつけてみる。
そんな簡単に外せるのであれば、クロウ的には町中で獣人たちが暴れて危ないと思うのだが。
「ん? ああ、わりと簡単に外れるぞ。
これは一種の契約魔道具だからな」
「契約魔道具?」
「そう。首輪が嵌められた相手に一種の契約を強制させるもので、抗魔力の著しく低い獣人たちには抗うすべはほぼないって代物だ」
「ほ、ほう……?」
それは簡単に外せることと関係があるのだろうか。この"月影"、ちょっとわかんない。
魔術には詳しくないのだ。使えたら格好いいナー、とは思うのだが。
「そんでまあ、外すには契約を破棄してやればいいだけだよ」
な、簡単だろ? みたいな調子で魔術師は言う。
その契約とやらがそう簡単に破棄できるものなのだろうか。
「――どうやって?」
「んー。正規の方法なら、契約主――今回だとルーダーなのか、ブレステッド商人だったのか……ルーダーが"隷属の首輪"を発動できたってことは、あいつが契約の依代となる魔道具を持ってたんだろうな。
その依代を使えば契約は破棄できるはずだぞ」
「はず、とは?
そうやって今外したわけじゃないのかね」
現に、獣人たちは一匹残らず首輪を外されている。
彼らは今の今まで締め付けられていたのであろう首元を擦り、涙目になっていた。
「いや、今回はルーダーが溶けて消えたっつったろ。
たぶん、魔道具も溶けたか、溶けてなくてもレッド・スライムの『河』に流れてったよ」
ちょっとクロウ、ついていけなくなってきた。
なん――河? レッドスライム?
「契約の依代は、要は鍵みたいなもんだよ、鍵。
んで、首輪側が鍵穴な。
鍵が手に入らないなら、同じ形のモノを突っ込んでやればいい」
魔術師は、女神と揃いの紫色の鎧を光らせてニカッと笑う。
な、なんだよぅ。羨ましくなんてねーぞ!
というか魔術師と女神はどういった関係なのだろうか。よくわからない"隷属の首輪"の話より、そちらを先に質せばよかったかもしれない。
「鍵穴――つまり契約の形がわかれば、それに合う形の魔力を流し込んでやれば、強制的に破棄できるってことだ」
再び、簡単だろ? とでも言うように、魔術師は事も無げに答える。
「ま、マジかよ……」
そんな簡単にできるのか。できるのか?
クロウには魔術がわからぬ。しかし格好良さに関しては、人一倍に敏感であった。
――ちなみに。
この所業は一般的には戯れ言で片付けられても仕方のない領域の話である。
魔術を少しでも齧ったことがある者であれば不可能だと一笑に付すだろうし、目の前でそれが行われたとしても認めようとはしないだろう。
契約系の魔術師――調教師や精霊術師――がこの所業を目にすることがあったなら、呆れを通り越して卒倒しかねない。
「それじゃ、あんたもひとまず獣人たち運ぶの手伝ってくれ」
「えっ。獣人をか。"隷属の首輪"無しなのにか」
大丈夫? 噛まない?
おっかなびっくり――いやいや、当然の警戒をするクロウを、女神は一瞥する。
あれぇ、勘違いかな……なんだか羽虫を見るような視線だぞぅ。
まるで『この方の指示が即座に行動に移せない存在に、価値はあるのでしょうか』みたいな視線だぞぅ。
でもなんだろう、ゾクリとするようなこの蔑みの視線も、なかなかこれで、悪くないのでは――?
いやいや。いやいやいや。
落ち着け"月影のクロウ"。お前は格好良くあらねばならないのだ。
「フッ……仕方がないな、掴まりたまえよ」
このままだと変な性癖に目覚めそうだったクロウは、仕方がないので比較的力のなさそうな老いた獣人に肩を貸すことにする。
――驚くほど、軽い。
重労働に従事する、肉体面で優れた力を誇る獣人が。
島の主との戦いを経て成長したクロウの膂力をもってすればこの程度造作もないこと――というわけでは、どうやらなさそうである。
腰に挿した大ぶりなナイフは未だずっしりと重い。単にこの獣人が軽いだけのようだ。
ちゃんとモノを食ってるんだろうか。
いや、そんなことはこの"月影"の知ったことではない、ないのだけれど。
獣人に対して抱いてしまった、なんとも言えない感情に振り回されまいと、俺は魔術師に声を掛ける。女神に直接声を掛けて、もし万が一にも無視されたりしたら泣いちゃうかもしれない。
「どこへ向かうってんだ?
あんたらの拠点にしてた浜か?」
「ああ。――って、待て待て。そっちは駄目だ。
森を突っ切っていくか、反対側の崖に出るかだ」
「なんでだよ。
この先もう少し行ったら開けた場所みたいじゃないか」
"月影のクロウ"は不機嫌に鼻を鳴らす。
獣人に肩を貸した状態で、何を好き好んで歩きにくい森を行かねばならないのか。それに、視界の開けているところの方が魔物からも急襲されにくい。
はっはぁ〜ん、もしかして、この魔術師は戦い慣れていないな?
魔術師は木の陰なんかからポイポイと魔術を撃ってたらいいのかもしれないが、遮蔽物が多いという事は魔物からの不意打ちを食らいやすいということとも同義だ。
緊急時でもない限り、冒険者がわざわざ鬱蒼とした森をかき分け行軍することなど、ない。ないのだよ、わかるかね歳若き魔術師くん。
「そっちの開けたところに、ルーダーや海賊を溶かした魔物が居るからだよ。
アレを居るって表現していいのかどうかは、ちょっと怪しいけど。
おそらく、その魔物にフェッチャーもやられた。残骸が残ってたからな。ほら、あんたともう一人いた冒険者だよ」
「マジかよ……」
ごくり、唾を飲み込む。
フェッチャーなる冒険者とはこの島に来てからの付き合いだ。"月影のクロウ"よりもちょっと、ちょーっとだけ強く、経験豊富なレベル2の冒険者であったはずだ。
その彼も、溶けて消えたのか。
そんな危険な魔物が、まだ近くに居るなんて。
「それを討伐するために、僕たちは早いとこ浜に戻らないといけない」
「マジかよ……」
しかも戦うのかよ。
冒険者たるもの、逃れ得ぬ場合を除いては格上と戦ってはならぬ。これは生き延びるための鉄則だ。これを守れない者から順に死んでいくと言っても過言ではない。
「なんでだよ……逃げりゃあいいじゃねぇかよ、そんなヤバイ奴!?」
「逃げていいならそうしたけど。今回ばかりはそうもいかない。
なにせ、ヒトの世が滅んじゃうからね」
魔術師は苦笑いで、冗談とも本気ともつかない、そんなことを言うのだった。