僕と彼女と無人島 そのご
くりくりした瞳で僕らを代わる代わる見上げているふたりの幼女は、"全知"によると《妖精種:アルセース》という種族であるらしい。注意深く観察してみても、名前を見取ることはできない。無いのだろうか。
背丈は僕の腰より小さいくらいで、草むらのような明るい緑色の髪が腰あたりまで伸びている。体の表面は、鱗のような、樹皮のようなものでところどころが覆われている以外は裸のようなものだ。服を着る文化がないのかもしれない。『妖精亭』のシアンは簡素とはいえ服を纏っていたのだけれど、あれは店主の意向なのかな。
「どうも、妖精で間違いないらしい」
「微弱な魔力反応がふたつ。
現時点で、とくに害は無さそうです。何らかの情報を得られそうですか?」
「やってみよう」
屈んで、目線を合わせる。くりっとした深緑色の目が4つ、僕を見つめ返してくきた。
「君たちは、どこから来たんだ?」
虚空に話しかけている(ように見える)僕を、ジレットは眼鏡を押し上げて見ているようだが、特に何か口を挟んでくる様子はない。
「"どこー?"」
「"ずこー"」
対する妖精幼女たちの応答は、いまいち要領を得ない。魔物とはそもそも意志の疎通ができたためしがないので、同じ言語でそれらしく会話を試みることが出来るだけマシなのか。
何か言葉を発するたびに、妖精たちはきゃっきゃと手を打ち鳴らし、笑い声を上げる。話すこと自体が楽しいかのようだ。
「君たちに、名前はあるの?」
「"なまえあるのー"」
「"あまい?"」
「いや、あまいじゃなくて名前」
「"あまえー"」
「"あまいー!"」
言葉が通じるのに話が通じない。というか、これは本当に言葉が通じているのだろうか。僕の言ったことを復唱して喜んでいるだけなのではないか。僕は頭を抱えた。
そんな反応が面白いのか、幼女たちも真似をして頭に手をのせ、大いにはしゃぎまわる。
「たしかにここら辺に、何らかの魔力の流れがありますね。
まるで見えない人物がいるかのように。実に……実に驚くべきことです、ええ」
白いマントを翻してしきりに頷き、興味深げにそれっぽいことを呟いてるジレットだが、いま貫通されてるぞお前……。
「"おどろく!"」
「"あまいー?"」
二人できゃいきゃい追いかけっこを始めた妖精たちは僕らの周りをぐるぐるまわったり、時折ジレットを貫通したり……透過するんだな、妖精の身体って。
警戒心のようなものもどこかに吹き飛んでしまったのだろう。妖精たちは見た目通りの子供らしさで、少しもじっとしていない。
「僕らが魔物の相手をしている時には居なかったよな。
一体どこからやって来たんだろう」
彼女ら自身から情報を得ることを、僕は半ば諦めていた。
「ふぅむ。推測になりますが。
妖精という種はかなり強力な力を持っているか、ないしは強力な魔物と共棲関係にあるのやもしれません、ええ」
走り回り、転び、煙に咳き込むその様子は、大きな力を秘めているようには全く見えない。
"全知"越しにも力の兆候はなんら認められない。
「共棲関係っていうと?」
「簡単に説明させていただくと、強力な魔物にとって有益な存在であることで、他者から襲われにくくしようという働き、ですかなぁ」
まずもって目に見えない相手が、果たしてそのような策を弄する必要があるのかどうかはわかりませんが、とジレットは続ける。
「魔除けの香は、ある種の魔物の体液に特殊な香木を漬け込み作製します。――具体的な名称についてはご勘弁願いたい、なにせ大事な飯の種なものでして、ええ」
「つまり、強力な魔物の縄張りか何かだと認識させることで、それより弱い魔物を寄せ付けないわけか」
実際のところ、ジレットがそうやって伏せようとしている材料も、"全知"に掛かれば全てが審らかとなっている。
なになに……岩盤亀涎香に、黒沈香、テンタラギオスの髄液、か。思わぬところで見知った名前が出てきたな。今度遭遇することがあれば体液まで搾り取ることにしよう。
「ご理解が早いですな、さすがです。
ですので、妖精がそういった強者に寄り付く性質を持つものならば、香に惹かれてやってきたという可能性はあるのではないか、と。そう考えた次第です」
たしかに、それは状況とも反しない。
妖精たち、煙には定期的にすごい噎せてるけどな。
そんな妖精ふたりは、話す僕やジレットを盾にして追いかけっこに精を出していたのをやめ、突然固まった。くりくりの瞳をまん丸に見開いた視線の先にはシャロンの姿がある。その手に持っているのは、
「ヒンメル夫人から貰ったマントか」
「はい。妖精がいらっしゃるというのであれば、効果があるかと思いまして」
《"妖精の祝福"》という効果が付与されたそのマントは、シャロンのお気に入りの服と一緒に着用されることが多い。町娘のような服とは合わないので一旦"倉庫"に仕舞われていたものを、引っ張りだしたらしい。
フリージアとの激戦を経てなお、そのマントだけは傷どころか汚れひとつ付いていない。《"妖精の祝福"》、地味だがすごい効果だ。下に着ていた服はかなりズタボロになっていたので、使いどころは微妙だが。
若草色のマントを装備するシャロンを、目を見開いてじぃっと見ていた妖精たちは、じりじりとにじり寄って行き……
「"?"」
「"!"」
「なんか、はしゃいでるぞ」
幼女たちは互い違いにぴょんこぴょんこ飛び跳ねながら、マントを装備してきょろきょろするシャロンのまわりを、くるくるくるっと回り続けている。
困惑しているらしいシャロンの様子まで含めて、天使と妖精が仲良く遊んでいるような光景は、なかなかに和やかなものだ。たとえ、森の奥からは断続的に魔物のわめき声が響いてきていたり、護衛に付いて来た男達がこちらを怖々と伺っていたとしても、だ。
しばらく回って、満足したのか。
幼女たちはそろって、シャロンを見上げて手を差し出した。
しかし、やはりシャロンにはふたりの姿は見えていない。
「シャロン、何かをくれるみたいだぞ」
「あら。なんでしょうか」
屈んで、両手を差し出したシャロンの白い手のひらに、幼女たちはどこから取り出したのか、ぽとりぽとりと何かを置いた。
「これ、は――」
確かに何かを受け取ったらしいシャロンだったが、反応は芳しくない。
悪戯で虫でも乗せられたのかと思ったけれど、どうもそういうわけでもないようだ。
えへん、と胸を張る幼女たちから受け取ったものを、シャロンは僕らにも見えるように掌を広げてみせた。
「妖精からの贈り物とは、なんとも興味深いですな、ええ。
む……。これは、これは。なんとも」
そこに乗っていたのは、小さな金属がふたつ。
凹んで穴の空いた銀貨と、同じく小さな穴の空いた、親指ほどの大きさの銀色の板。
板の材質は特に珍しい素材というわけではなく、ただの鉄の板である。
ただし、その小さくさほど厚みもない板に、書かれている事が肝要だ。
それと同様のものを、僕は見たことがある。カイマンが持っていた。
何の因果かリーズナル邸でお風呂を借りたとき——彼と裸の付き合いをするハメになったときに、彼が首から下げるそれを目にし、一体何かと尋ねたのだ。
それは、彼のような者が肌身離さず持っている類の物だという。
冒険者組合に登録した支店と名前が刻印された、この世に同じものは2つずつしか存在しない物。
ひとつは組合の支店で保管し、もうひとつは冒険者本人が持つ。
これが破棄されるのは、組合員としての資格を剥奪されたときと、もうひとつだけ。
冒険者本人が死亡して、その鉄板を支店に持ち帰った者に報賞金が与えられたとき、である。
それを見たジレットの歯切れが悪いのも無理はない。
シャロンの手のひらに鎮座している板には、小さく、だが確実に『ムム = フェッチャー』と刻まれている。それはとりもなおさず、目下の探し人の名であった。
僕らが絶句していても、幼女たちは変わらずくりくりとした緑の瞳を輝かせ、ニコニコとしている。
本当にジレットが言うようにこの妖精たちは強力な力を持っており、冒険者であるフェッチャーを倒し、この板を奪った? そんな馬鹿な。
「これ、どうしたんだ?」
「"したんだ?"」
「"んだよ?"」
ううん。やはりうまく伝わらない。
恐る恐る尋ねた僕に返って来る言葉は、やはり僕の発言を真似たもの。
"全知"によると、彼女らはどうも言葉を真似る遊びか何かだと認識しているらしい。再び僕は頭を抱えた。
「ふふっ」
「むぅ。なんだよシャロン。何かおかしいか」
「すみません。オスカーさんの動きが可愛らしくて」
いま、そういう場面でしたか!? とジレットは一人でつんのめりそうになっていたが、僕の知った事ではない。
「じゃあ、シャロンがやってみてよ」
「はい。任されました。ええと、この辺ですか。
こほん。これを——、どこで——、手に——、入れましたか?」
見えていなくても、そこにいることはわかるのだろう。
シャロンは幼女たちのほうを見つめて、身振り手振りを交えながらゆっくりと尋ねる。
幼女と戯れるうちの嫁の可愛さは異常。
「ふふ」
「むっ、なんですかオスカーさん。何がおかしいのですか」
「ごめんごめん。シャロンの仕草が可愛くてつい」
二度は耐えられなかったジレットが「いま、そういう場面でしたか!?」とツッコミを入れるのを脇目に、シャロンの動きから何かを汲み取ったらしい妖精のふたりはお互いの顔を見合わせ、小さな指をびしぃっと指し示した。それは、僕らのキャンプがあるのとは反対側の岸壁のほうであり。
「"ばめん!"」
「"めん!"」
発言は、最後まで真似っこだった。
――
護衛についてきていた男たちはキャンプ地まで帰らせた。
彼らはフェッチャーの遺品と思しき板を見て、いよいよ半狂乱となってしまったためだ。
「こんな魔物だらけのところにいられるか! 俺はキャンプに帰らせてもらうぞ!?」
みたいな感じでゴネる男たちと、その様を見て面白がって転げ回る妖精ふたりが対照的であった。
「どう聞いてもフラグですよね」
引きつり気味の表情で新鮮な魔物の肉を担いで森を足早に後にするシュールな絵面を見送りながら、シャロンが呆れ気味に言う。冒険者でもない一般人が、次々に湧いて出る魔物たちに包囲されるというのは一生経験したくない出来事ではあろうので、それを責めるのも酷ではある。
彼らは森から戻るときに僕らが護衛につくことを所望し、少なくとも森から出るのが見えるところまでは送るということで納得を得たために、少し時間を無駄にしてしまった。そんなこんなをしている間に妖精たちの姿は見えなくなってしまっている。あの調子でどこぞへと遊びに行ったのかもしれなかった。
「べつについて来ることはなかったのに。
僕とシャロンだけでも十分立ち回れるのは、さっき見てただろう」
「それはそうなのですがね。
先ほど妖精たちが指したという方向が気にかかります。例の商人、ルーダーたちの本拠もそちらの方に構えているはずですから。
それに――何か島を脱するのに役立つものが見つかるかもしれませんからね、ええ」
「まあ、好きにすればいいけどさ。
さっきくらいのやつなら大丈夫だけど、もっとずっと強い魔物が出てきたら守れないかもしれないからな」
「あの魔物の軍勢に対抗し得るならば、あなた方の側が一番安全ですよ。案外、あの中にこの島の主が居たかもしれませんしね」
ジレットは飄々とした風で、歩くのに邪魔な蔦を断ち、背の高い草をかき分け、僕らの後を迷い無く付いて来る。
彼自身は戦えないという触れ込みをしていたが、なかなかどうして場慣れしている風だ。
目に見えて魔術を使って戦っていた僕はまだしも、自らの拳や脚で魔物を数多く粉砕していたシャロンを見ても、彼には大きな動揺は無いようだった。表面上は驚いているふうではあったのだけれど、なんだろう。どことなく、嘘くさい、というのだろうか。
「それに、あなた方を打倒しうる者など、そうそう居はしませんよ。
落ち着いて寝てもいられなくなってしまいます、ええ」
「それに関しては、わりと短期間にふたりほど思い当たる人物がいたから、なんともな……」
「ははは、それは怖いですな」
シャロンとの二人掛かりで完敗した『勇者』やフリージアのことは、まだ記憶に新しい。
僕の返答を冗談だと受け取ったらしいジレットには笑われたけれど。
「おふたりとも、お静かに。
この先42歩の距離、地下に建造物があります。
動体反応、魔力反応ともにありませんが、注意して進むべきです」
シャロンの警告に従い、出来る限り警戒して進む――とはいえ、魔物避けの香の効果も絶対ではない。
襲い来るモノは排除して進んでいくことになるので、必然無音とはいかない。
しかし、シャロンの警告した位置に近付くにつれ、周囲からは魔物はおろか――鳥、虫、それどころか植物さえも減っていく。
最初は気のせいかとも思ったが、そこに着いてしまえばそうも言っていられない。
そこには、のっぺりとした一枚の石が地面に埋まっていた。
継ぎ目などが少しもない、まるで建物の屋根ほどの大きさの石だ。
事実、それは屋根なのかもしれない。石の真ん中には人が一人通れるほどの穴がぽっかりと空いている。
そして。
「あれは……冒険者の装備、でしょうか」
「どうやら、そうらしい」
ジレットが後ろから声を掛けて来たように。
のっぺりとした石の上には、剣の先の部分、ベルトの留め金と思しき部分、鎧の金具、銅貨、矢じり、割れた硝子なんかがあちらこちらに散乱していた。
アルセースの妖精ふたりは、ここから先ほどの板や銀貨を持ち去ったのだろう。
「金属ばかりだな。いや、硝子は違うか?」
「はい。あの場所には有機物に類するものがひとつもありません。
石面の穴から下には階段があり、地下空間が広がっているようです」
明らかに嫌な気配がする。異質な気配がする。
そんな地下への入り口を前にして、僕らは一時、立ち尽くした。