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僕と彼女と無人島 そのいち

 ばちばち、ばちばち。


 がちがちがちがち。


 爆ぜる火の音に、歯の根の噛み合わぬ小さな音が重なる。それをさらに波の音がかき消していく。

 僕やシャロンは大丈夫だけれど、他の者たちはしばらくずっと、こんな調子だ。


 花の月も終わりに差しかかりつつあり、日も高い時間帯だというのに、海辺の風は冷たく吹き付けてくるのだ。

 濡れて弱った身体にとっては寒さはとくに大敵であり、容赦無く体力を奪う。

 水分を"抽出"したり"剥離"で弾いたりしても、冷え切った体がすぐに温まるわけでもない。


 ばちばちと燃え盛る焚き火を囲み、虚ろな瞳で凍える身体を抱く者たちのほとんど――おそらく、縄で縛られた海賊たちも含めて――が、今後の展望に不安を感じて塞ぎ込んでいた。

 まだ朝の早い時分に突然海面に投げ出され、泳いだり流されたりして命からがら辿り着いた場所が見渡す限りに文明の気配すらない浜であったのなら、さもありなんといったところだ。


 ぶっちゃけ、いろいろ起こりすぎだろう。

 『赤衣の勇者』が運命に、世界に向けて恨み事をぶつけていたのも記憶に新しいけれど、僕だって一言二言くらいは小言を言いたいくらいである。



「これから、どうなるんだ……」


「……」


「……」


 一人が不安を吐露する。

 その声に応える者はない。

 応えるような余力のある者は周囲の探索に出ているし、そうでなくとも不安に思っている者がほとんどなのだ。どうしても優しい返答などできはしない。

 怪我を負っていた者は、その傷の大小に応じて僕が順次"治癒"で治してまわっているため、肉体面では今すぐ処置を必要とするような者はいない。

 しかし、精神的な負荷に関しては僕にもどうしようもないのだった。

 肉体的な面での安全が保たれているために、現時点では暴動なんかも起きずに済んでいる、と好意的な解釈ができなくはないけれど。


 しかしそれでも、人々には決して余裕があるわけではない。



「獣人なんか放っておいて……もっと他にできることがあるんじゃないかよ……」


 誰かの恨み節が僕の耳にも届くが、そんなものは無視だ。無視。

 僕は僕のやりたいように――助けたい気持ちに従って、力を使う。


「いい、シャロン。余裕がないんだろ。放っといたらいい」


「――はい」


 腰を浮かしかけたシャロンを押し留め、僕は"治癒"に集中する。

 僕の前には、治療を待つ獣人の一人が苦しげな息を吐き出している。


 打ち上げられていた怪我人たちはシャロンをはじめとして、数名のまだ元気な者たちがこの場所まで運んできてくれた。

 他にもちらほらと怪我をしている者も居るけれど、今残っている者はほとんどが軽傷である。


 不満を口にしたのも、もしかしたらこの軽傷の者だったのかもしれない。

 いかに怪我の度合いが重くとも獣人を優先するなんて、と思う者がいたとしてもおかしくはない。


「大丈夫、落ち着いて」


 僕より一回り以上年上であろう男の獣人だが、座り込み、僕を見上げる表情には困惑と怯えのようなものが見え隠れしている。

 すでに幾人にも"治癒"を施したけれど、やはり彼らにとっては僕は怖い存在らしい。

 魔力をほとんど持たず、同様に抗魔力もほとんどない獣人にとってみれば、魔術師は恐怖の対象には違いない。


「大丈夫」


 僕は、再度繰り返す。



 僕らの乗っていた船の、動力を担っていたらしい獣人奴隷。その獣人たちも、船の残骸と共に6人が漂着していた。

 6人で全員なのか、それとも一部なのかはわからない。それなりに大きな商人の大きな船だったから、あれを動かすにはそれなりの人数が必要だったことだろう。


 僕と同じか少し年下くらいから、皺が深く刻まれた者まで。すべて男の獣人だけれど、種族はばらばらなのだろう。耳や尻尾、角なんかの形状がそれぞれ異なっている。

 そして、獣人であることを示すその部位を筆頭に、彼らは一様に酷い有様であった。


 鞭で打たれたような痕のある者、痛々しい火傷跡のある者、片耳が半ばから断ち切られた者、眼に薄汚れた布を巻く者。劣悪な環境であったことは想像に難くない。

 たとえ犯罪奴隷相手でも、人間相手にこんなことをやっていてはいずれ問題にもなろう。しかし彼らは獣人であり、獣人を守る法はない。

 あくまで道具としてしか扱われない彼ら自身も、自らを癒す魔術師に対して、恐怖の次には不思議そうな目を向けてくるほどだった。


「怖いことは何もないから」


 冷たい海風が吹き付けるなか、僕の額には汗が浮かんでいる。

 たまにシャロンが横合いから、優しい手つきで汗を拭ってくれるけれど、それでも"治癒"を使い続ける限りにおいて、あとからあとから汗は湧き出てきて、時折眼球を掠めていく。


 僕の真剣な眼差しの先では、淡い紫の光が患部を包み、繋ぎ、活性化させ、癒していく。

 船内で打ち付けられたと思しき内出血に、海に投げ出された時に何かで切れたであろう傷。また、それ以前の傷に関しても。

 欠損した部位を元に戻すことまではできないが、それでも痛々しい鞭の蚯蚓腫れなんかは、できる限り癒していく。

 それに伴い、不思議そうに僕を見上げていた瞳は驚きに変わり、そしてそれはやがてまどろみに変わり――そして、眠りについていく。


 獣人は魔力をほとんど持たない。そのため、体内の魔力に働きかけて傷を癒す高等魔術である"治癒"魔術を受けた彼らは、抗いがたい眠気に支配されることになるのだ。

 それは大の男の獣人でも変わりなく。温かな光に包まれて、やがて横たわる彼らを見て、隣のシャロンも優しげに目を細めている。


 だというのに。険のある声が、そんな限られた温かい空間の邪魔をする。


「オイオイオイ、魔術師サンよぉ。

 オレの奴隷(どうぐ)になァにしてくれてんだよぉ」


「彼らは眠っているだけだ。

 そもそもあんたのじゃなく、フレステッド商人のだろ。」


 "治癒"もほとんど終わりに差し掛かったあたりで、男がのっしのっしと歩み寄ってきた。


 浜の少し離れた位置を見回り、物品を集めていた男。

 フレステッド商人――船の持ち主の商会主――の腹心だった男だが、そいつはニヤついた笑みを浮かべる。

 僕に難癖をつけつつも、ニヤついた視線の先にはシャロンの姿があり、そんな目で僕の嫁(シャロン)を見られるのは実に不快だった。


「フレステッド氏は死んだ。

 卑劣な海賊どもの手によってなァ。

 だからそいつらは、フレステッド氏の遺志を継ぐ、商会のナンバーツーたるオレの奴隷なんだよ!」


 男の名は、ルーダーという。歳はカイマンと同じくらいだが、体格はでっぷりとしており、似ても似つかない。

 それなりに高価そうな服に身を包み、豊かな顎髭を撫で付ける癖がある。

 ルーダー自身は、全然、全く、これっぽっちも強そうではない。しかし後ろには剣を背負った冒険者二人を従えており、それが自信となっているのだろう。

 彼はニヤついた笑みと高圧的な態度を崩そうとしない。



 僕とシャロンが乗り合わせた船は、フレステッド商人が貿易ついでに客を乗せて運ぶ定期便であり、そのような用途のために当然のことながら食料や嗜好品などの商品が満載されていた。


 ルーダーは、この場に流れ着いたそれらの商品全ての所有権を主張しており、恵んで欲しければ配下に降れと要求しているのだ。

 後ろに控える冒険者たちは、ルーダーの下につく判断をしたのだろう。いついかなるときも生き延びることを重視する冒険者らしい判断とも言える。


 ルーダーは当然のように、僕やシャロンをも配下に引き入れようとしていた。

 他の者に提示したものよりも良い条件でだ。――といっても笑ってしまうほどお粗末な提案ではあったのだけれど。


「もうすぐ"治癒"が終わるから、後にしてくれないか?

 といっても、あんたの下につくことはないけどさ」


「ハン、魔術師サンは損得勘定が苦手と見えるなァ」


 ルーダーはニヤついた笑みのまま、豊かな顎髭を片手で撫で付ける。

 背後に控えた冒険者たちはこちらと目を合わせようとしない。

 彼らの片方は、漂着時に僕が"治癒"魔術をかけたので、少し後ろめたく思っているのかもしれない。べつに彼らがどういう判断をしようが、僕としては好きにすればいいと思っている。


 しかし、僕とシャロンには、この男――ルーダーのことを信用できない理由があった。


 フレステッド商人は、海賊の剣が深々と突き刺さり、冷たくなった状態で浜に打ち上げられていた。

 海賊船が衝突したどさくさで、その凶行に及んだ人物こそがルーダーである。誰もその現場を見ていなくとも、そんなことは"全知"の前では関係がない。

 その事実を示す証拠などは無いために、それを知るのは僕とシャロンだけである。が、どんな条件であったとしても、僕らが彼の下につくことはないだろう。


「フレステッド氏も、草葉の陰で泣いてそうだな」


「ああ? 死人が泣くかよ。

 ――おら、起きろてめーら。起きて商品を拾い集めろ。

 お、おぉっ……っと!?」


 獣人たちを踏みつけようと足を振り上げ、ルーダーが言う。


 片足をあげたところで"念動"でちょっとバランスを崩してやると、盛大に尻餅をついた。いい気味である。

 男は恥ずかしげにすぐに立ち上がるが、焚き火の周りで虚ろな目をする者たちは自分たちのことで頭を悩ますので手いっぱいであり、誰もルーダーの無様な姿に反応したりはしない。


「この獣人たちがあんたの持ち物だっていうなら話が早い。

 治療費払え」


「ああァ? てめぇが勝手にやったんじゃねーか。

 むしろ治療させてやった金を払ってほしいくらいだぜ、こっちは」


 どんな理屈だよ。


 半ば呆れるも、商人というのはこういった図々しさがないとやってられないのかもしれない。

 ヒンメル氏のようなお人好しのほうが、むしろ異端なのだ。


「悪いことは言わないから、あんまり横暴をしないほうがいい。

 とくにここでは獣人奴隷を雑に扱わないほうがいいと思うよ。

 獣人の体力で、6人がかりで襲われたとして生きてる自信があるなら好きにすればいいけど。

 ここには取り締まる憲兵も、制圧する魔術師もいないんだ。僕だって手伝ってやる気はこれっぽっちもないしね」


 むしろ、商人を殺した相手に表立って敵対しないだけありがたいと思ってもらいたいくらいだった。


 すげなく告げる僕と、話している最中も僕だけにしか興味を示さないシャロンに思うところでもあったのだろうか。

 ルーダーは「けっ」と唾を吐き捨てると、くるりと踵を返した。


「頼む、食べ物を……せめて飲み水だけでも分けてくれ……」


 そのまま去ろうとするルーダーを幾人かが取り囲み、懇願する。

 ある者は地に頭を付け、ある者は手を合わせて拝み。しかしルーダーはそんな人たちを胡乱な目つきで眺めるだけだ。


 この非常時においても、船に積み込んでいた積荷はすべてルーダーが所有権を主張している。

 そして積荷に手を出した者は容赦無く斬る、と人々は脅しをかけられている。

 食料や水に至るまで独り占めして、である。

 今でこそ体力の低下から俯く者たちがほとんどだが、いずれ飢餓が限界となれば不満が爆発するのも時間の問題と思えた。


「オレも商人の端くれなんでなァ、悪く思うなよ。

 もちろん金さえ払うってンなら、譲ることもやぶさかじゃねぇ。――商人だからな!」


 ルーダーは言い切ると、絶句する人々を押しのけて今度こそのっしのっしと去って行った。

 その後ろに冒険者二人が無言で付き従っていく。


 ルーダーの提示したところでは、海水に濡れてぐちゃぐちゃのぶよぶよになったパンが金貨2枚だというのだ。それを聞いた人々は憮然とする他ない。

 それが嫌なら手下や奴隷になることで食料を分けてやると居丈高なルーダーに、冒険者たち以外にも靡く者が出るか、もしくは不満が爆発するのが先か。どちらにせよ、あまり時間の余裕はなさそうだ。


 一般的に金貨2枚といえば、100日くらい働いて、食費なんかも切り詰めて、娯楽にも全く手を出さないことを前提に生活を続けたら、やっと手が届くかどうかといった金額である。

 命を張るような仕事をしている冒険者などはもっと稼ぎが良い場合もあるけれど、彼らは彼らで消耗品や装備を整える必要もある。

 とてもじゃないが、一食に満たないモノに支払える金額ではないのだ。とはいえ、こんな場所でいくらお金を持っていたところで、他に使い道もないのだけれど。

 そんな状況だからこそ、冒険者たちは早々にルーダーに付き随う道を選び、少なくとも命を繋ぐことを優先したのだろう。



「やな人間ですね」


 ルーダーが去った方へ向けて、べーっと舌を出してシャロンが言う。


「まあ、わかりやすくはあるけどね。欲望に忠実で」


 欲望に忠実な結果、刺し殺されることになった商会の主人にとってみれば、たまったものではないだろうが。

 不躾で下卑た視線をシャロンに注ぐことを隠そうともしないので、僕の中での印象も最悪に近い。


 彼と僕との間に、まがりなりにも会話が成立するのは、僕が"治癒"をはじめ高等魔術を使える者だからだろう。

 そうでなければ、奴はもっと高圧的な態度に出るだろうという予想には、半ば確信めいたものがある。

 しかし、そんな嫌な相手に関わっている時間や、精神的余力が勿体無い。



「一通りの"治癒"も終わったし。

 次は雨露や海風から身を守れる場所の確保かな。

 僕やシャロンは身の安全はどうとでもできると思うけど、他の人たちはそうも行かないだろうし。

 奴に頼らなくても凌げるように、食べ物なんかの調達を並行してアーニャに頼んで……ん、何かおかしいかな?」


「いいえ。ちっともおかしくなんてありません」


 少し前まで不満げに男の去った方を向いていたはずの双眸。

 いつのまにか、優しい蒼が僕を見つめていることに気付いた僕が問いかけると、シャロンはこてんと小首を傾げ、口元に微笑みを湛える。


「世の中には、やな人間もいますから。

 私の主人がオスカーさんだったことの幸運を再確認していたところです」


「なんだそれ」


 少しぶっきらぼうな言い方になってしまったけれど、視線を逸らした僕は耳まで赤くなってしまっているだろう実感がある。

 照れ臭いだけではない。フリージアの"童話迷宮"に囚われ、シャロンの亡骸と長い間を過ごしてから、こういうふとしたシャロンの動作で、視界が滲んでしまう。


 そんな僕の様子を知ってか知らずか、シャロンは周囲の暗く沈んだ空気には一切染まらない、とびきりの笑顔を振りまくのだった。

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