閑話 - ウチの弟と人間の子供 そのよん
全てが終わった後、再びウチらは工房に引き上げてきた。
保護した子供は、ぐったりとはしとったものの命に別状はないらしくって、憲兵の詰所に運ばれてった。
後日にウチらに詳しい話を聞く必要があるかも、だとか言われたけど今日のところは特にお咎めなしってことらしい。悪いことなんもしてへん上に子供まで見つけてんから、当たり前っちゃ当たり前なんやけど。
ぶっちゃけ、町の外壁の一部が壊れてたことのほうが大問題になってるらしくって、ウチらのこととかはわりとどーでもいいらしい。
壁が補修されるまでの間は昼も夜も見張りが立てられることになるんやって、おっちゃんがボヤいとった。大変やなぁ。
「おそらく、度重なる地面の揺れのせいで亀裂ができていたのだろう。
同様に、崩壊の恐れがあるために退去せざるを得なくなっている建物もいくつもあるからね」
「はーん。大変やねんなぁ。
いうても飛び越えられるような高さの壁やねんから、そんな見張りとか立てなあかんもんなんかにゃぁ」
「——私は何も見ていない、見ていないとも」
「せやったせやった」
"肉体強化"状態のラッくんが、布の匂いを頼りに子供を追跡したまではよかった。
ただ、それで行き着いた穴は、子供はともかく、後を追ってたウチやカイくん、憲兵の人らが通れる大きさではなかった。
——憲兵の人らはわりと本気めで走ってるラッくん、ウチ、カイくんからめちゃくちゃ引き離されとったから、そもそも穴を通る通らんの以前の話やってんけども。
だもんで、ウチは側の家とかを足場にしたりして壁をよじ登って向こう側に降りたんやけど、それはカイくんから後で怒られた。何も見ていないが、と前置きされた上でしっかりめに怒られた。穴通るんはよくて上越えたらあかんってのは、シャクゼンとせんものがあるけども。
そんなわけで、もろもろ面倒なことは丸投げして帰ってきたウチらを、なんだかんだ心配して待ってたアーちゃん。
急に呼びつけた上に、ひと段落するまで付き合ってくれたカイくんも交えて、アーちゃん特製のソルテリを食べたウチらは、ようやくまったりとした時間を過ごしていた。
「相手はブォムとはいえ、実戦でも物怖じしない胆力は実に大したものだよ。
そのうえ、一度も攻撃を受けていないというじゃないか」
「そりゃまぁ、ウチの弟やからな」
「それに群れのボスを的確に撃破していたのもいい。とてもいいね。
ブォムは性質上、群れのボスが一頭でまわりを纏め上げている。そいつを潰せばたいていの群れは瓦解して潰走するんだ。
脳天への一撃で決めるというのも、実にスマートだ。力の差を知らしめるという意味で最適な行動だった。言うことなしだ」
「ウチの弟やからな!」
自らの弟子のような位置づけでもあるラッくんの活躍を、カイくんは我が事のように喜んでくれとった。
夕飯と一緒に飲んでた麦酒のせいもあるかもしれへんけど、いつもよりカイくんは饒舌やった。
「お姉ちゃんたち、静かにするの」
「すまん」
「すまない」
昼寝もせずに動き回り、"肉体強化"の呪文紙まで使って大活躍した今日の主役は、ばくばくとしっかりご飯を食べたあと、満足げに眠りについていた。
「ビェ」
「なんだろう、鳥殿から潰れたような音がしているが……」
「思いのほか頑丈やからへーきやで」
「ビェ……」
非難するような鳴き声が聞こえるけど、無視や無視。
頑張ったウチの弟を癒してやってくれや。
結果だけみると、ちょっとドタバタしたけれど何事もなく。
カーくんたちに迷惑を掛ける心配もないやろ、たぶん。あっちはあっちで大変なはずやし、余計な心労は増やしたくなかった。
明日からも工房を開けられる。
獣人が嫌われているのは今に始まったことではないのだし、気にしていたって仕方がない。
——気にしたって、何がどうなるわけでもないんやから。
「はぁー」
「——お疲れのようだね」
「そりゃあ、まあにゃぁ……」
思わずため息をこぼしたウチに、カイくんはお茶を一旦テーブルに置くと、ゆっくりと指を組む。
「体力はぜんぜん大したことないけど、やっぱ疲れるわ。
子供が無事やったんはええことやし、壁のほうがおおごとなんはなんとなくわかるんやけど。
あのおばちゃん、あんなけ喚いてたのにラッくんに礼の一言すらないねんもん」
腹を立てるだけ無駄なのは身にしみているところではあるんやけど、そいでもムカつきはする。
ウチのことやなくて、がんばったラッくんに対してくらい、謝るとか礼を述べるとか、せめて一言くらいあるんが筋ちゃうんか、という思いがある。
「そうだね。
人間相手と考えるならば、あの態度は非礼にあたる」
苦々しげに、カイくんも息をつく。
わざわざ『人間』と限定するあたりに、彼の実直さが見えるようやった。
人間相手には失礼、ならば獣人相手には。
「ウチら——獣人が何したって言うんやろなぁ」
「……」
二人の視線の先で、暖炉の赤を照り返すお茶。
アーちゃんが淹れてくれたそのお茶は、カーくんが謎の技術で作ったカップによって温かさが長時間保たれる。
「——たぶん、何かしたのは獣人のほうじゃなく、我々人間のほうなのだろうけれどね」
答えようもない問い。
パチリと暖炉の薪が爆ぜるのに合わせて消えてしまう、答えられない問いだと思ったそれに、彼はゆっくりと。彼なりの答えを返した。
薪の爆ぜる音、アーちゃんがラッくんを撫でる音、時折聞こえる苦しげならっぴーの鳴き声だけが、静かな工房内を満たしている。
やがて、ぴくりとウチの耳が動いたのを合図に、カイくんがゆっくりと話を続けた。
「推測になるけれどね。
我々人間は、獣人が怖いのだと思うよ」
ウチら獣人側から見れば、人間はたいてい恐怖の対象やった。
でもその逆は、あんまり聞いたことがないように思う。
「我々なんて言うのに、随分他人事みたいに言うんやね」
「私は君たちを怖い存在だと思っていないからね。少なくとも、今の私は。
——ああいや、戦力的な話ではないよ。勘違いしないでほしい。
いまの君を相手にするとしたら黒剣有りでも苦戦は必至だろう。
事によると——ハウレル家に敵対するようなことがあれば、黒剣自体が爆発するような機構が組み込まれていたとしても、あまり不思議がないとまで思っている」
「それ、ウチの強さとはあんまし関係ないやつやな」
とはいえ、それが絶対に無いとまで言い切られへんのは、カーくんの家族愛と茶目っ気による普段の言動に依る。
そういうとこまでわかった上でカーくんの道具を使ってんねんから、なんだかんだ言うてやっぱり二人は仲良しやなぁ。
「私は——今の私は、君たちを知っているからね」
「ウチらの? 獣人のことを?」
「ああ、そうだとも。といっても以前よりは、という程度だけれどね。
私は知っている。我々と同じように喜び、悲しみ、憤る君たちのことを知っている。
私にとって、獣人は未知なる隣人ではない。だから、怖れを抱くことはない」
「知らんから怖いん?
人間同士でも、知らへんこととかいっぱいあるやろに」
世の中怖いことだらけんなってまうで。
まぁ、世間の人間様ってやつらはウチみたいに知らんもんだらけじゃないんかもしれへんけども。
「それは確かにね。
ただ、我々人間は君たち獣人と呼ばれる種族——これもきっと大きすぎる括りなんだろうけれどね。獣人に対して、人間は人道的とはとても言えない扱いをしている。
これは覆しようのない事実だろう?」
「——んー。せやなぁ」
奴隷。
法の外側。
嬲られ、追われ、迫害され、人間相手に目を背けたくなるような所業をされても、誰からも咎められない存在。
それが、ウチら獣人を取り巻く不変の環境やった。
ウチらがヒト並みの——ともすれば、そこらの人間よりも幸せな人生、ニャン生か? を送れてるのも、ウチらの持ち主、飼い主たるカーくんシャロちゃんの意向によるところなのは疑いようがない。
カーくんシャロちゃんの庇護がなくなったらすぐにでも壊れて消えてまうような、そういう幸せ。
「だからこそ、怖いんだと思う。
かつての私だったら、そういう部分をこそ怖れたのだろうと、そう思うよ」
「んん。もうちょいわかりやすく……」
はは、すまない、とカイくんは指を組み替える。
町の権力者の息子が獣人相手に注文をつけられ、それを詫びるというのも、本来であれば有り得べかざるものだ。見る人によれば目を剥くものであろう。
しかし、これは友人同士の会話。獣人と人間ではなく、ただの対等な友人同士のたわいないやりとりである。
「我々人間は、君たち獣人に対し、ひどい扱いをしている。これは先ほども言った通りの事実だね。
これは獣人が、我々とは違うもの——考え方も、感じ方も、価値観も、すべてが相容れないものでないと、成り立たない部分——ひずみ、ゆがみのようなものが出てくる」
手元のお茶の水面を見ているっぽいカイくんの視線は、どこか遠くを眺めているようであり。
その口調はどこか悔恨を含んでいるようでもあった。
「アーニャさんも、馬車には乗ったことがあったね」
「あるでぇ。シャロちゃんが動かすやつも乗ったし、まるっこいおっちゃんの馬車もな。なんやの突然」
突然の話題転換についていけないウチに、カイくんは優しげに目を細める。
「まるこいおっちゃん……ヒンメルさんかな……。
あの馬車にしても、馬に車を引かせているだろう?」
「そりゃ、馬車やからな」
シャロちゃんが引っ張ったらシャロ車になるんかもしれへん。めっちゃくちゃ速そうやった。
カーくんが頼んだら、喜んでやってくれそうでもある。
「その馬が、我々や、アーニャさんたちのように趣味嗜好や感じ方、価値観などが同様で、話す言葉まで同じだったら。どう感じるかな」
「めっちゃ便利やと思う」
そのウチの返答に、カイくんがずっこけた。
テーブルの上に置かれたお茶が、愉快げな波を刻む。
「いやー、『あっち行きたい』って言ったら伝わる馬とか、便利やと思うんやけどにゃぁ」
「おねえちゃん、たぶんそういうことじゃないなの。
ヒドいことした相手が自分と同じようなモノだってわかったときに、たぶん人間は苦しくなるの。
きっと——心が苦しくなるの。そういうことだと、思うの」
それまで会話に加わってこなかったものの、しっかり聞いていたらしいアーちゃん。
その、若干呆れの混じった呟き声が、ウチの猫耳を叩く。
「私が言わんとしていたのは、アーシャさんの言った通りのことだよ。
道具だと思って使っていたものが、自分たちとなんら変わらない存在だ、ということを認めてしまえば……。
それまで行なってきた非道が全て、罪悪感として自身に却ってくる」
「そういうもんなん?」
「馬が『こんな扱いには耐えられない』と言ったら。
武器が『もう相手を切りたくない』と泣いたら。
魚が『食べられるのは嫌だ』と命乞いをしたら。
心根の優しい者ほど、余計に心に傷を負うだろう。
同族が異種族に行なった非道の全てが、苦しみに感じるかもしれない——だから、蓋をする」
「蓋をする」
「そう。心に蓋をして、考えないようにするのさ。
怖れることで。下等な相手と見下すことで。自分たちとは違う存在だと思うことで。
そうやって苦しみから逃れるんだ」
なんか、あんまり意味はわからんけどかっちょええこと言うなこいつ。
カーくんがいたら、盛大にうげぇって顔をしそうやった。
「人間の心は、あんまり強くないなの」
「それはまあ……ウチらのことですぐ取り乱すカーくん見てると、納得するとこはあるけどな」
本人はいつも冷静に振舞えていると思ってるフシまであるし、そういうちょっと抜けた部分もかわいいところやと思ってるけど。
「だから許せ、なんてことは言わない。——言えないし、思ってもいないとも。
ただ、知らないから怖れ、迫害し、虐げるというのはこれまでの歴史を見ても明らかだ。
それは獣人相手だけに留まらないからね。ときに異教徒相手だったり、商売敵相手だったり、同族が相手でも様々さ。
今の我々には想像するべくもないが、ずっと未来では魔物とだって仲良くする未来があるかもしれない」
「どうかにゃあ……子供食う相手とは仲良くするん難しそうやけど」
「そうとも。難しい。
あのご婦人も言っていただろう、『獣人は非道だから弱いものを狙う』と。
君たちのことを知らない者にとっては、魔物とも大差がない存在、と思われていたりもするのさ。
服を着て、喋るだけの魔物のようなもの、とね」
耳とか尻尾とか、種族によってはツノとか。
ヒトと違う部分が目に付くからこそ、同じ存在と思ってもらえない。
や、べつにウチの大事な人たちがわかってくれてたら、べつにそれでええやんとも思うから悲しくはないんやけどね。
「知ろうって努力もせーへんのに、わからんから怖いってのはなぁ……。
わかってまうと苦しいからって、わからんままにしてんのは自分らやん」
悲しくなんてないけれど。
それでも恨み言の一つや二つくらいは、溢れるときだってあるのだ。
酒飲み友達相手であれば、三つや四つくらい溢れることもある。
「そうだね。実に身勝手なものなのさ」
静かにそう締めくくるカイくんは、まだ温かみの残るお茶を口に運んで。
暖炉に焼べられた薪が崩れ、うにゃうにゃ言うラッくんと、潰されるらっぴーが諦めの声をあげるさまを、ウチらはただ静かに見ていた。
後日談。
あのあと、壁が直されるだとかどうとかいう話を聞いた以外に、この件でウチらにお声がかかることはなく。
その後時折、子供達が遊びに来ては、工房内か、すぐ外の通りで遊ぶラッくんの姿が見られるようになった。
最初はおどおどきょろきょろと周りを伺うようにしてたラッくんとウチやったけれど、おばちゃんが子供を連れ戻しにくるようなことはなく——一度、日が落ちたときにあのおばちゃんが迎えに来たことはあったけど、遊ぶラッくんたちに何を言うでもなく、ご飯だからと普通に子供の手を引いて帰ってった。
少しは、ほんとの『獣人』を知ろうと思ったんかもしれへんな、なんてことをウチはぼんやりと思ったりして。それを勝ち取ったのは、ラッくんの頑張りのタマモノなんやろな。さすがウチの弟。かわいくてつよい。
あと、もう一個。子供たちの中での、ラッくんのアダ名? 二つ名? が"ひかりのけんし"になっとった。獣人やからとか関係なく、子供たちは今日も素直に遊びまわる。
——これは彼が後に獣人でありながら腕の立つ冒険者となり、"四ツ牙"と二つ名されるようになった後も、彼と同年代の者たちの間では"ひかりのけんし"という呼び名が根強く残っていったりするのだが——それはまたずっと後の話である。
第三章ももうそろそろ終わりに近いです。
リアル忙しい事情がしばらく継続するため、更新頻度は週1、2回が限度ですが、完結まで頑張っていきます。