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閑話 - 少年とひかりのけんし

 少年は、震えていた。

 遠く沈み往く夕日は、木々に隠れて見えなくなり、すでに少なくない時が経っている。


「ひぐ……」


 嗚咽が漏れる。


 木の上は少し寒い。それに、不安定だった。

 細い枝の上に跨がるように座り、太い幹にしがみつく指もすでに白くなってしまっている。血の滲んでいた頬の傷は固まり、じくじくとした痛さだけが残っている。


 くらい。

 こわい。

 さむい。

 おなかもへった。


 だけど、帰れない。


「う、うぅ……」


 少年は緩みかける腕に、指に、再び力をこめた。


 木の下には、赤い目をした、黒い四本足の何かが、何匹か。

 ずっと、木の根もとあたりをうろうろとして、時折、がりがりと木を引っ掻くような音を立てては少年を震え上がらせていた。

 諦めずに、うろうろ、うろうろ。


 うろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろがりがりがりがりうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろうろ――


 もう、おうちに帰れないんじゃないか。

 少年の思考がそんな暗い方向に誘われてしまったのも、一度や二度のことではない。


 なんでこんなことになってしまったんだろう。

 もう帰れないかもしれない我が家を思い、涙が木の下にまで落ちて行く。

 きっと、今日も温かいご飯があった。きっと、安心して寝られる場所があった。


 がりがりがり。木を削るような音が、否応無しに少年を憔悴させていく。


 いつも、人を差別するのはいけないことだというママ。

 ママの教えに従ったのもあって、今日は新しい子に声を掛けた。

 あたらしい、ともだちができたんだ。

 頭の上に耳があって、ふかふかの尻尾の、ともだち。

 怖がる子もいた。だけど、少し遊ぶうちにそんな思いなんてどっかに吹き飛んでったんだ。


 優しい、いい子だった。いろんなことを知らないけど、ぼくらの知らないいろんなことを知っている、魚の絵が上手な、もふもふの子だった。

 でも、ママは怒った。見たこともないような顔で、声で、僕を、その子を、怒鳴りつけた。


 家に帰ってからもそんな調子で、そんなママを見ていたくなかった僕は、家を飛び出した。

 食べられる木の実に、お手伝いしたときにもらった銅貨3枚を握りしめて。はじめての家出だった。


 家出した先は、ひみつのばしょ。

 大人は知らない、子供も知るものは少ない、ひみつのばしょ。


 欠けた壁に、地面の穴。子供ひとりが潜って通り抜けられるようなその穴の向こうは、町の外、小さな花畑が広がる場所だった。


 そこで少年はひとり、悲しさを、寂しさを紛らわして遊んだ。

 ちいさい、角のあるぴょんぴょんに黄色いお花を食べさせたり、綺麗な小石を選り分けたり。家から持ち出した木の実はすぐに食べ切ってしまった。


 雲行きが怪しくなったのは、この辺りだった。

 何匹かいた角ぴょんぴょんが、いつの間にかほとんど居なくなっていた。

 いや、一匹だけ。逃げ後れたものが、悲しげな声を出して食らいつかれるところを、少年は目撃していた。


 赤い目、白い牙、鼻息の荒い、黒い獣。大きさは少年よりも一回り以上は小さいだろう。


 冒険者組合ではブォムと呼称されている魔物で、駆け出し冒険者が小遣い稼ぎに狩ったりする程度の手合いだ。

 しかし、それが先ほどまで戯れていた動物のうち一匹を捉え、喰い千切っているとあれば、幼心に与えるその恐怖度合いは並のものではない。

 喰われている方も、冒険者組合でエムハオと呼ばれる魔物の一種なのだが、そのどちらも少年にとっては知ったことではなかった。だって、その赤い目が自分を捉えたのを感じ取ったのだから。


 そこからは、無我夢中だった。


 引っ搔き傷ができ、銅貨を落とし、木の枝に頭をぷすぷすと刺され、大きな闖入者を嫌った虫に噛まれても、少年は登った。

 そして、そのまま日が暮れた。


「うぅぅぅうう……!」


 震える片手で細い枝を折り採り、下を徘徊する獣に投げつけてみたりもした。

 しかしその行為は相手を怒らせるだけであったようで、少年のしがみつく木に体当たりを掛けるものが出る始末だった。


 こわい。

 くらい。

 こわい。

 さむい。

 こわい。

 おなかがへった。

 こわい。こわい。こわい。


 きっと、獣たちもおなかが減っているんだ。そういうふうに、少年は思った。

 角ぴょんぴょんがぐっちゃぐっちゃと食い尽くされるまでをつぶさに見ていたわけではなかった。それどころではなかったから。

 でも、ここから落ちるようなことがあれば、自分もそうなるんだ。そんな予感がある。

 さっきまで座っていた、座り心地がまだマシだった枝は、しばらくミシミシ嫌な音を出したあと、ついに折れてしまった。

 危機感を覚えて少し手前の枝に移っていたことで事なきを得たけれど、この枝はしがみつきにくいし、さっきのよりも細い気がする。それに、ちょっと低い。太い幹にしがみつく指もすでに白くなってしまっている。指の感覚が弱くなってる。こわい、こわい、こわい。


 まだ幼い少年が絶望するのには、2万年の時など必要ない。

 数時間に満たないであろう逃避行で、少年は確実に、着実に蝕まれていた。


 暗闇に、がさがさという獣の動く音、少年の嗚咽、少し離れた町からの喧騒が、入り交じって響く。


 ――だからこそ。

 少年は、自分以外の優しい声が聞こえて、光が闇夜を切り裂いたときの。

 その光景を、生涯忘れることは、ないだろう。


「"おひさま ぽかぽか、ちからを かして!"」


 紡がれたそれは、短文詠唱。

 虚空から引き抜かれたのは、光の剣。

 それを正眼に構えるは、薄紫の光をその身に纏いし、ふわふわ白毛。

 少年の、新しい友人。

 その名を、ラシュ = ハウレル。


 木の根元をうろうろとしていた獣たちが光を取り囲み、威嚇の声を上げる。

 が、しかし彼はそんなことには露ほども動じることはしない。それどころか、剣を構えたまま、少年に向けてにこりと微笑みすらしたではないか。


「もう、大丈夫、だよ」


 光の剣に照らされたその頼もしい笑顔が、少年に与えた安堵はいかほどのものだったか。

 たったそれだけのことで、少年は自らが生き延びたことを確信したほどだ。


 依然として魔物の脅威が去ったわけではない。少年を見つけ出したのは同年代の子がひとり。

 それでも、なんというか、安心したのだ。安心できるだけのものを、彼に感じたと言ってもいい。


 ――グルゥゥウッ


 ――グルゥェウァア……


 ――グルゥゥァアアア……ガァアアッ!!


 魔物が口々に悍ましい声を上げ、飛びかかる。

 しかしタイミングを合わせて三頭同時に殺到したそこには、彼の姿はすでにない。


 とん、とん


 軽い足取りで、飛びかかる魔物を横合いに躱す彼は、そのままの流れで前に踏み込む。

 木の上からその様子を伺う少年の目には、まるで光の帯が一筋、舞い踊っているように映った。


(きれいだな)


 先ほどまで、生命の危機さえ感じていたにも関わらず。指の痛さも、身体の芯から忍び寄る寒さも忘れ、少年は息を飲む。

 闇に落ちた花畑を、彼の剣が、彼の光が切り裂いて、まるでそこだけ色を取り戻したかのようだ。


 ――ッググゥォォァア!?


 取り囲んでいたはずの魔物たちは、光を引くラシュの動きについて行けずに一瞬の間、見失う。

 暗がりから突然光を浴びせられたために、まだ目が慣れていないのだ。

 光の位置からある程度の場所の割り出しはできるのだろうが、しかし白いもふもふ自身の動きを追うには至らない。


 そして、彼を相手にその隙は、致命的なものである。

 魔術と剣術を使う兄貴分からの教え、インチキじみた機動力の姉貴分と実姉、そして現役冒険者からの剣の手ほどき。


 なにも、彼は全部が全部、遊びのつもりでそれらの教えを受けているわけではないのだ。


 いつも矢面に立ってくれていた姉の助けとなりたくて。自らの慕う兄貴分たちに近づきたくて。そういった気持ちで鍛錬を行なってきた。

 彼は彼なりに真剣なのだ。

 そして、彼の師たちはその真剣さに応えてきた。——やや過剰とも言える熱心さで。


 上位者から伝授される各々の技をもとにした彼の剣術は、歩法は、戦術的に裏打ちされたものとなっている。

 彼自身がそれを意識的に行なっているわけではない。日頃からそういう動きが身体の節々にまで染み込むほどに、剣を振り、打ちのめされ、また剣を振っているのだ。


 ゆえに。彼の動きは攻防一体。

 回避するということは、次の攻撃に繋げるということ。

 位置どりが。呼吸が。足捌きが。すべてが一連の動作として流れるように繋がっている。


 木の上からは、その淀みのない動きが光の帯として幻想的に見えており。

 そして——対峙する側としては、理解不能な軌道で光が舞い踊り、迫る光景に他ならない。


 ——すとん


「グルゥ——?」


 光の帯を引いてラシュが一歩踏み込んだ先には、魔物たち——ブォムの群れの(かしら)が居た。


 少し離れた、安全な場所にいる、大きめの個体。

 そいつは、突然目の前に迫った光の剣に、大上段に振り下ろされた美しい光の軌跡に、最期まで反応することができなかった。


 ふぉん ゴス


 軽い風切り音のあとに、鈍い音。


「あ。えい」


 暗闇とともに、ブォムの親玉の脳天を打ち砕いた木剣を再び構え直したあたりで、彼は思い出したかのように掛け声を放つ。ちょうど同じタイミングで、打たれたほうの魔物はどさりとその身体を横たえた。

 その掛け声は攻撃時にすべきなのでは、だとか、それにしたって『えい』はないだろう、だとかそんなことを考える余裕は、このときのほぼ唯一の目撃者である少年には存在しなかった。


 ブルスクォフォァァアア——!!?


 ブルォォァァ!!?


 どちゃっ どさっ


 次いで、もう一人の目撃者が、残ったブォムを蹴散らしつつ現れる。

 そのひとは燃えるような赤い髪を闇夜に馴染ませ、小さく銀に煌めくもので魔物を薙ぎ払っていく。


 ボスがやられたことで及び腰になっていた魔物たちは、これで完全に戦意を喪失したらしい。

 少年がしがみつく木の根元にいたものまで含めて、その全てが闇に紛れて散り散りに消えていくまでに要した時間は、数秒に満たない。


「おねーちゃん」


 今しがた自身が撃破した魔物のことなどまるで眼中にないかのように、ラシュはくるりと振り返る。そして、こてんと小首をかしげるのだった。


「ともだち、みつけた」

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