閑話 - ウチの弟と人間の子供 そのさん
「おい、あれ」
「マジかよ、"黒剣"が現れたぞ」
「リーズナル家の?」
「"黒剣"だ、事態の収拾に定評のある”黒剣”だ」
「一体何マンなんだ……」
囲いがざわめく中、カイくんは落ちてる槍、涙目の憲兵、そしてそれの前に立ちはだかるウチを見て、若干引き攣った笑みを浮かべた。でもそれは一瞬のことで、すぐに平静を取り戻し、パンパンと短く手を打つ。
「ここは私が預かろう」
落ち着いた声音でゆっくりと歩み寄ると、見物人たちはそれに従ってそそくさと道を開けていく。
「君から"頭の中に直接"をされるとは思っていなかったから、驚いたよ」
「すまんすまん」
ほど近くまで寄ってきたカイくんに開口一番で詫びながら、ウチはようやく一息を入れる。これでとりあえずは、いきなりヒドいことになったりせんやろう。
「いや。ただ驚いただけさ。
オスカーの留守中、君たちを気に掛けるよう頼まれているのは確かだからね。問題はないとも」
とはいえ、問題が持ち込まれたことにげんなりしてるのは確かなようで、カイくんはやれやれと肩を竦めてみせた。
「リーズナル卿、危険です!」
「そいつがうちの子を誘拐したの!」
憲兵から、件のおばちゃんから、警告が口々に投げかけられる。ざわざわする見物人たちに、肩を竦めるウチ。カイくんはやれやれと頭を振ると、鷹揚に手を広げた。
「まずは状況を整理するためにも、落ち着いて話せる場所に移ろうか」
ーー
落ち着いて話せる場所として関係者が集められたのは、さっきの騒動があった目と鼻の先。
つまりは『オスカー・シャロンの魔道工房』の、一階部分に設けられたテーブルやった。戸口には閉店を示す看板が下げられて、新たに来店する者を静かに拒み、室内は重苦しい空気に包まれっぱなし。いつもの明るい工房が、別の場所みたいに感じられる。
人数分のお茶を運んで、ぺこりとお辞儀をした後、アーちゃんが振り返り振り返りするラッくんを連れて二階へと退散していったのも、ちょっと前のことになる。
それに対して強張った表情で応じる者、蔑みの視線を浴びせる者……そういう人らの前に置かれたお茶は一口も手を付けられることなく、冷たくなった表面に細かな波紋を刻んでる。カイくんやないけど、やれやれと肩を竦めたい気分や。
「つまり、こういうことかい」
カイくんがゆっくりと指を組み替えて、話をまとめる。
「『自分の子供が獣人と遊んでいたのを見つけて連れ帰った。子供を叱りつけ、昼食の片付けや家事で目を離したら居なくなっていた。獣人の腹いせで攫われたに違いない』と」
それまで喚き続けていたおばちゃんの、横道をばっさり切り捨てたら、そういうことになる。
おばちゃんの中では、もっと確信を持って獣人の仕業やってことが決まってるみたいやったけども。
「獣人は卑劣だから、子供を狙うのよ!」
「ご婦人、落ち着いてくれないと話が進められない。ただ事実確認をしたいんだ」
唾を飛ばして身を乗り出し、捲し立てるおばちゃんに、カイくんは至って冷静や。
その態度のおかげか、おっちゃんを含め、憲兵も大人しい。
「君たちが聞いていた情報とも相違ないかい?」
「はい――いえ……。獣人にご子息が攫われたから、助けてくれ、と……」
一人は目が泳ぎ、一人がしどろもどろになりながら答える。
その間もおばちゃんはウチを睨み続けており、べつに怖くもなんともないけど嫌な気分にはなる。
見た目はそこらへんを歩いててもおかしくない、というかそこらへんを歩いてるやろう、普通のおばちゃんでしかない。
肩くらいまである茶色い髪を、動きやすいように後ろでひとつにまとめていて。
服やって、大通りに出たらすぐ売ってるような、ふつーのやつや。シャロちゃんが好んで着てるようななんかすごい一張羅やなくて、もっとふつーの、汚れてもええようなかんじのやつ。
ちょっと痩せた頬っぺたの上あたりには皺がいくつか刻まれている。そんな、そこらにいるただのおばちゃんでしかない。
それが、獣人のことになると、目を血走らせんばかりに吠えて、猛る。
カーくんと行った『お買い物』で、とっちめたクスリの売人の人たちみたいに、普段からヘンやったりするわけやない。
ただ、獣人の話の時だけ、こうなる。まるで――どこか獣人に怯えてるみたいやなぁ、なんて他人事みたいにウチは思う。
ぎゃいぎゃい騒がれてもうるさいだけで、全く脅威を感じへんからこそ、そう思うんかもしれへんけれど。
カイくんの仕切りで、比較的静かに淡々と問答は進んで行く。
若い憲兵も、おっちゃんも、ウチも軽く話をした。
若い憲兵って言っても、それはおっちゃんと比べると若いってだけの話や。実際はたぶんカイくんと同じか、それよりちょっと若いかってとこやと思う。ウチのほうが断然若い。ウチのほうが、断然、若い。大事やから二回言うた。
やというのに、カイくんの落ち着いた様に晒される二人の憲兵は、まるで大人に叱られる子供のようにしゅんとしとった。
もっとも、彼はそれを評価されるたびにどこか遠い目をして『あれだけとんでもない友人を持つとね、少々のことでは動じなくなるね』と乾いた笑いを零すのだが……。
「皆、それなりに冷静になってくれたようで嬉しいよ。
それで、どうすべきだと思うね」
「その獣人をすぐ捕まえて!」
「憲兵に手を出したんですから、それは正当な理由となりますし……」
「リーズナル卿はこの獣じ――この、あー。この方と親交があるようですので、肩入れしたい気もわかりますが」
自信なさげに、それでも若い憲兵たちはウチを捕まえようという意見に賛成らしかった。
公衆の面前で面目を潰されたってのがおっきいんやろなぁ。面倒くさいにゃあ。
「卿はやめてくれないか、私は家を継ぐわけではないからね。
確かに、彼女は私の友だし、私の友の従者でもある。だから肩入れしたい気はもちろんあるとも。それは否定しない。
しかし、私はそんなことをしている場合ではないと思うのだけれどね」
「あー、俺もこの店にゃ入り浸ってるクチだから肩入れしちまってるかもだが。
お前らが吹っかけたことに頭ぁ下げて収めてもらったってのに、それを蒸し返してやっぱ捕まえますってんじゃあいい噂話の的んなるだろうよ」
ウチのことを捕まえたいおばちゃんと、若い憲兵ふたり。
おっちゃんとカイくんは、いちおう庇ってくれるみたいやった。
「はぁ〜。めんどっくさいにゃあ。
ウチのこととか後でええやん。
子供がおらんなってんのやろ? まず探さなあかんやろ」
「獣人が、どの口でッ……!」
顔を真っ赤にして憤るおばちゃんは話が通じんから置いとくとして、憲兵ふたりは互いに顔を見合わせる。
ウチを捕まえたら全部解決やと思ってたんやろな、というのがその態度からありありと見て取れた。
「アーニャさんの言う通りだ。
その後のことは後で考えてもいいだろう。まずは行方不明となった子供の捜索。違うかい?
――できれば、そういう意見は憲兵団の誰かから出てほしかったものだが」
カイくんが手をひらひらさせて首を振ると、おっちゃんも若いほうの憲兵たちも、ちょっとバツの悪そうな顔をした。
「反対意見はないようだね。まずは子供の捜索だ。
オスカーやシャロンさんがいれば話は早いのだが。いかに普段から頼っているかに気づかされるよ。
ともかく今は私たち、ないし憲兵団や冒険者を動員して探し出すしかあるまいね」
「なんでよ! そいつを捕まえて、どこに攫ったか拷問して吐かせたらいいじゃない……!」
おばちゃんはどうしてもウチを犯人にしたいみたいで、いっそウチに恨みがあるんかと勘繰りたくなる。
まあ、ウチとしても妹弟やカーくんたちを守るためならいざ知らず、どこぞのガキんちょのために拷問されんのなんてご免なので、そうなったらさっさと逃げよう。
「アーニャさんが犯人でない場合、無実の相手を拷問にかけることになる。
まあ、彼女は獣人だから法的な問題としては、他人の所有物に手を出すというものの他にはないのだけれど。
ただ、それは君の人生にも禍根を残すことになると思うがね。
それと仮にアーニャさんが本当に犯人であった場合も、拷問の末に居場所を喋らなければご子息は見つけられなくなってしまうよ」
「獣人にそんな根性があるわけがないでしょう!?」
唾を飛ばし、真っ赤な顔でおばちゃんは叫ぶ。
ウチのことを言われてんのに、獣人への恐れっぷりや、かと思ったら馬鹿にされっぷりに、なんとも自分のこと言われてる気がせぇへん。
「それに現実的な話をするとね、おそらく彼女が本気で逃げたら、この町で捕まえられる人間はいない」
「まあ、捕まる気はせーへんなぁ」
「そういうこともあって、子供本人を探すべきなのさ。もう日が暮れるまで間もないしね」
カイくんはウチのほうを見て肩を竦めてみせた。
以前のウチなら、何人か掛かりやったら、普通に捕まってたと思う。そんで、カーくんたちと出会わへんかったら、きっとそうなってたんやろうなとも思ってる。
でも、カーくんとシャロちゃんに出会ったあとの、今のウチやったら、そうそう捕まることなんてあらへん。
靴も首輪もカーくんの特別製で呪文紙やっていっぱい持たされてる。
シャロちゃんとの訓練もあって、さっきの槍の攻撃やって、なんの脅威も感じんくらいにゆっくりはっきり見えた。
だから、ウチは捕まらへん。捕まってあげへん。家族を悲しませるようなことは、させたらへんもんね!
「何か、子供を見つける手立てはあるかい」
「あー。こう言っちゃなんだが、家の中に隠れてるだとか、もう帰ってきてるだとか、そういうことはねーのかい? それだと、いくら外を探しても見つかんねぇぞ」
「なるほど、確かに。周囲の家の人が保護している可能性もあるしね。
他にはあるかい?」
おっちゃんの意見に、カイくんは頷く。
それを皮切りにして、若い憲兵たちからもぽつぽつと意見が出始める。
おばちゃんは、ただそれを茫然と見ているだけやった。ウチの勘違いというには無理があるくらい、顔が青白くなってる。あの人ん中ではウチを捕まえたら万事解決で子供も戻って来るんやということになってたんやろから、どうやらそうはならないと思い至り、ようやく現実問題として子供への不安感が大きくなって来たってとこやろか。
「冒険者に手伝わせるのはどうでしょう」
「残念ながら、夕方から新たな依頼を受諾する冒険者はかなり少数だ。
緊急依頼となると依頼料が跳ね上がる。朝一番であれば、それも有用な手なのだけれどね」
「とりあえず、詰所間での連携を」
「門番からの目撃情報を」
ああでもない、こうでもないと、ようやく子供を捜索する話が動き出す。
我関せずで、ただこの場を去るわけにもいかへんかったウチに、カイくんが話を振ってくる。
「ときに、アーニャさんになら見つけることができるかい」
「無理やな。だってその子供、どんなのか覚えてへんもん」
もし仮に覚えてたとしても手伝いたいかどうかというとまた別問題やし、正直なところ放っておきたいという思いもある。
悪し様に言われ続け、どつかれかけた上で、なお協力的なやつがおるんやったら見てみたいもんやわ。ウチは、ウチのご主人様たちほどお人好しやない。
「そういうカイくんはどうなん。
なんかいい感じの魔石貰ろてへんの」
「残念ながら、探索に向いたものはなくてね」
「そりゃ残念」
肩を落とすカイくん。元から大して期待しとったわけではないんやろうけど、それでもカーくん謹製のフシギアイテムやったらあるいは、という気持ちやったんやろう。
そんなウチらの耳を、小声やけど、それでもハッキリとした声が突いた。
「――ぼくが」
階段の隅に隠れるようにして、顔だけをこちらに覗かせて。
おばちゃんに、悪意をもって怒鳴りつけられたのもつい先程のことや。怖い思いや、嫌な思いもまだまだ強くあるやろう。それでも、彼は言う。
「ぼくが、みつける」
ラシュ = ハウレル。
ウチの弟は、泥に汚れた布を手にしっかりと握りしめ、宣言した。
一体何マンなんだ……