閑話 - ウチの弟と人間の子供 そのに
「またどうぞー」
大量の毛布を買い求め、毛布おばけみたいになってるウチにもにこやかに挨拶する布屋さんに尻尾で返事して、店を後にする。
前も見辛いくらいに両手に毛布を満載してるので、足音から通りを歩く人たちのほうが避けてってくれてるのが察せられた。
「んー。さすがにいっぺんに買いすぎたにゃぁ……」
ぴょーい、ぴょーいと水桶、壁を足場に屋根にまで飛び上がり、人目のなくなったところで"倉庫"に毛布をぜーんぶ叩き込むと、ようやくウチは息をついた。
周囲の人々からしてみれば毛布を満載した謎の獣人が、軽々と屋根に飛び乗って去っていくという状況なのだが、驚きの声も、ざわめきもとくに起こったりしない。
皆、すでに『ああ、ハウレルさんとこの子がまたなんかやってる』くらいの認識なのだ。
「パンも買うたし、カーくんのお使いとしてはこれで十分かなぁ? まあ、何か必要ならまた連絡してくれるかにゃ。
おまけで付けてくれた端切れとかも入れとこ」
手ぶらでぷらぷら、もうすぐ赤く染まるお日様を背中に受けて、屋根から屋根へぴょいっと飛び移る。
首輪のおかげもあってか、通りを歩いてても面倒事に巻き込まれることは、案外少ない。むしろカーくんたちの巻き込まれっぷりが謎なくらいや。
そいでも、ウチは特に遮られる物のない屋根の上を歩くのが好きやった。
靴も脱ぎ捨てて"倉庫"に放りこみ、ぺたぺた歩く。ぺたぺた、ぺたぺた。ひんやりした石がお日様に温められて、足の裏から独特の気持ち良さを伝えてくる。
町の真ん中を十字に通ってる大通りのほかには石造りの道もほとんどないから、下の道で靴脱いだら足が泥どろんなって、あとでアーちゃんに怒られる。わりとがっつり怒られる。
でも、屋根の上は雨や風で砂や葉っぱが溜まってたり、そういうところに虫がおることはあれ、それさえ気をつけてたらあんまし汚れへん。そんなとこも屋根の上が好きな理由の一つやった。
一回アーちゃんを抱えて上がったらめっちゃ嫌がった上にしばらく膨れられたから、屋根の上の散歩はウチとラッくんだけの楽しみやった。
「ラッくん、大丈夫かなぁー……」
あのあと。
子供らと遊んでたんをおばちゃんに強制的に中断されたあとも、けんぺーのおっちゃんに相手してもらったりして表面上は楽しそうに遊んでるようやった。
でもやっぱり、どこか気にしてるのは確かなようで、いつもやったら日向ぼっこしてらっぴーと一緒に昼寝しとるような時間になっても、工房の内外をうろうろしとった。
あとをおっちゃんたちに任せてウチはお使いを先に済ませたわけやけど、それでも心配なことに変わりはなかった。
「ん? ん、んん〜……」
屋根から屋根に飛び移り工房に戻る道すがら、喧騒がウチの耳を打つ。
喧騒の中心は、ちょっと前に散々わめき散らしてたあのおばちゃんのもので間違いない。
喧騒の方に近づいて、ひょっこり下を覗き込む。
やっぱりさっきのおばちゃんやった。内容やってさっきと代わり映えせーへん。「子供が」とか「獣人が」とか、そんなん。
いっつも何か喚いてる変な人なんかな? とも思ったけど、どうも様子がおかしい。
おばちゃんは喚き散らしながら、ずんずん歩いていく。その後を、二人の男が付き従うように追っていく。あの格好は、けんぺーさんやな。
ずんずん歩く何区画か先には、『オスカー・シャロンの魔道工房』――ウチらの家がある。嫌な予感しかせーへん。
そして、嫌な予感ほどよく当たる。残念な事に。
「また来たんかいな。ウチらになんか用?」
工房前の通りでおっちゃんと一緒になって木剣を振り回してたラッくんと、それに詰め寄ろうとしていた若い憲兵二人、おばちゃんが、背後から声を掛けたウチに一斉に振り向いた。
「こ、こいつ! この破廉恥な格好をした獣人です! こいつがうちの子をッ!」
おばちゃんの反応は劇的やった。
誰がハレンチやねん。お買い物に出るにあたって、ウチはいつもの動きやすい短めのズボンに、薄めのシャツを着てる。シャロちゃんがおらんでも、ちゃんとぱんつやって穿いてる。屋根から降りたときに靴やってはいた。
失礼なやっちゃな、なんてツッコミはその後に続いてた話のほうが衝撃的すぎて、掻き消えてしまった。
「はァ? え、あんた自分の子供引き摺って帰ったやん」
我ながらどうかと思うような素っ頓狂な声が出てもーたけど、気にせーへん。
どうかと思うような声は、おばちゃんのほうがいっぱい発してるし。
「どうも、アルノーさん。先に来られていたのですか?」
若い憲兵のうちの一人が、ラッくんと遊んでいたおっちゃんに声を掛ける。
「俺は非番だよ。そこの坊とちゃんばら遊びをしてるだけだ」
明らかにおばちゃんの再来で表情を曇らせ、おっちゃんの影に入るラッくんを顎で指し、おっちゃんは言う。
「そうでしたか。このご婦人からの通報で、息子さんが獣人に誘拐された、と通報を受け……」
ラッくんとウチを交互に見る、もうひとりの若い憲兵。嘲りと蔑みと、少しの恐怖みたいなのが見える。なんとも嫌な感じの目線や。
おばちゃんは、昼頃と同じようにぎゃーぎゃー喚き散らしているのは変わらんけど、もっと必死な感じに見える。
「はぁ……? いつの話だ、それは」
「つい先ほど。少し目を離した隙に、と」
「なんで目を離してたのに獣人が攫ったってわかるんだ? 他の証言は?」
若い憲兵をじろりとひと睨みするおっちゃん。
普段、工房でウチらに見せるようなのんびりしたモンやなく、仕事人としての厳しい視線。まだまだ働き盛りとはいえ、けんぺーさん達ん中では年季が入ってるおっちゃんの睨みに、若い憲兵の人は見るからにしどろもどろになる。
「獣人だったら、そういうこともあるのかな、と……」
「魔術も使えねぇのにか」
「いえ……はい……」
「だいたいお前、……」
そのまま軽くお説教に入ると思われたところを、おばちゃんの金切り声が引き裂いた。
「そんなのどうだっていいのよ! うちの子が攫われたの!」
おばちゃんは喚く。
それはどうも適当抜かしとるふうでなく、本気で取り乱しているようで——この人ん中では、本気で獣人に攫われたと思ってるっぽかった。
そしてその目は、ずっとウチを凝視している。
「あいつ! あいつが犯人よ!」
ビシッと指を突きつけられたので念のため、後ろを振り向いてみる。壁。
うん。おばちゃんが指しとるんはウチやな。もちろんながら、人間の子供をどうこうしたことはないし、これからもするつもりなんてない。
人攫いともなればアーちゃんラッくんが攫われた時のことを否応無く思い出すし、しかもその嫌疑が掛けられてんのがウチときた。わけわからん。どういうことやねん。
「あ、おい……!」
「お話はあとで伺います! いまは犯人確保を優先します」
「おねーちゃん……!」
言うや否や、若い憲兵が二人がかりでじりじり、じりじりと近付いて来た。
ラッくんがおっちゃんの後ろで悲痛な声を上げる。こちらに走り寄ろうとしたところを、おっちゃんに阻まれてるらしい。ラッくんが来ても話は好転しなさそーやし、いい判断やと思う。わざわざ巻き込まれに来ることもない。
「犯人て。ウチ、なんもしとらんけど」
ウチはあからさまに顔を顰めてみせる。
誘拐ともなれば心配やけど、その嫌疑を掛けられ犯人呼ばわりされる不快感とはまた別やった。
でも、いわゆる『獣人』の主張に耳を傾けてくれるけんぺーさんじゃないらしい。若い二人は、後ろからおばちゃんがぎゃいぎゃい言うなか、一歩、また一歩と距離を詰めて来よる。片方は刃の部分が二又の形になってる槍みたいなのを持ってる。それを前に——つまりウチのほうに翳しながら、一歩を踏み出す。
「いやウチなんもしてへんし。ただの買い物帰りやし」
無駄と知りながらも、一応主張を繰り返してみる。
逃げるのは簡単やった。屋根に登れば追っかけて来られへんやろし、”肉体強化”の呪文紙かて、いくつか予備まである。
でも、逃げてもあんまり良いことにはならなさそうやった。むしろ、今ウチに向いとる敵意がアーちゃんやラッくんに向かんとも限らへん。
「白々しい。何も持っていないじゃないか!」
若い憲兵のひとらもおばちゃんと同じくウチを犯人と決めつけてるらしく、威圧するように怒鳴りつけてくる。いうてシャロちゃんの威圧に比べたら春のそよ風みたいなもんやし、何の怖さも感じへん。
毛布はカーくんが使うために、もう"倉庫"に入れてある。もしかしたら、あっちでもう取り出されてるかもしれへんかった。
なにより、"倉庫"のことは秘密ってカーくんとの約束やし、魔術の使われへんウチらがそういう方法を持ってるってのを教えたる義理もない。
けど、地味に面倒やな。これ。この状況。
「子供本人をはよ見つけて、話聞いたらええやん」
「それはお前を捕らえてからだ!」
「獣人風情が生意気な!」
若い憲兵が口々に、ウチに向かって怒鳴りつけてくる。一人は槍を振りして、一人は侮蔑の表情を隠そうともせず。
後ろではおばちゃんがその尻馬に乗ってやいのやいのとがなり立て、騒ぎを聞きつけた人たちが、何だ何だと狭い路地にちらほらと様子を伺いにやってくる始末やった。
「うーん……ウチが買い物しとったんも、大通りの、西のほうの布屋さんとかパン屋さんとかで聞いたらすぐわかると思うねんけど」
まあ、この雰囲気やと、そういう手間を割いてくれそうにはない、か。
なまじ調べてくれたとして、買うたのが大量の毛布やパンってのもあんまりタイミングがよーない。子供攫ったことと結びつけて考えられかねへんかった。
ぶっちゃけ、いかに気に食わんおばちゃんの子供やと言うても、よその子供なんてどうでもいい。それなのに難儀なことに巻き込まれてもーた。
ウチはカーくん一筋のつもりやし、子供を気にするにしてもウチかアーちゃんとカーくんとの間にできた子か、それかシャロちゃんとカーくんの子くらい……ってそんな場合やないわ。
「あー。おい、お前ら! ちょっと待て」
おっちゃんが助け舟を出そうとしてくれるけど、側でぎゃいぎゃい喚き続けるおばちゃんによって遮られとる。もーちょっと頑張ってくれたらウチ、とってもうれしい。でも、その願いは届きそうになかった。うにゃぁ……。
『ちょっと困ったことになったにゃー』
ため息をして伸びをするウチを、従う意思なしと見做したのか、それともちょっと痛めつけてやる、くらいのノリかは知らん。じりじりと近付いた憲兵ふたりが身構えた。槍の範囲にまで入ったからや。
さっき考えた通り、逃げるん自体はべつに難しくない。
壁のほうに追い込まれてはいるけど、ちょっと跳んだら窓があるし、そっからもうちょい跳んだら屋根もある。
そいでも後のことを考えたらカーくんにも迷惑が掛かるのは必至やった。
一発くらい槍でどつかれるのも、しゃーないかー。なるたけ受け流そう。
こんな、しょーもないことでカーくんたちに頼らなならんかったら、もう二人はおちおち工房を留守にできへんくなるし。
なんてウチが考えて、いかに受け流すかを考えてると。
槍を持ってない方の憲兵が、言うたらあかんことを、言った。
諦めとか今後のこととかを全部吹っ飛ばしてウチの怒りを呼び覚ますくらいには、あかんことを言うた。
「頭のおかしい変人に囲われて、獣人風情が図に乗るから!」
怒鳴られた内容が耳から入って意味を理解して、もう一回考えて。うん。ウチは、怒った。そして、目一杯低い声が出た。
「あァーー? 今、なんて?」
「こいつ、反抗的な態度をッーー」
「遅いわアホ。ちょうちょでも止まらせる気ぃか」
ウチの頭に目掛けて振り下ろされた槍。そんな使い方するんやったら二又になってるとか関係ない。アホやな。
もっとも、本来の使い方とは違っても、固い棒には違いあらへん。まともに受けたら大怪我するやろな。”肉体強化”を使うまでもなく、絶対当たらんけど。
がごっ!!
避けるのも簡単な、見え見えのその攻撃を、横合いに回し蹴りして吹っ飛ばしたった。
槍は憲兵の手を離れて少し滞空したあと、路地にがらんと音を立てて転がってく。
槍の落ちたあたりに居た囲いの人らから、どよめきが聞こえ、そのさらに後ろの方で、ラッくんを抑えたままのおっちゃんが、空を仰いで頭を抱えた。
「なぁッ!? 貴様、獣人風ぜーー」
「なぁ」
槍を持ってへんかった憲兵が、腰に付けた短めの剣を抜こうとした手を踏みつける。
驚きに見開かれる目が、なんとも滑稽やった。
「もっかい聞くで。なんつった?」
「あの、獣人ーー」
「それやない。それはどうでもええ。その前や、前」
槍を蹴り飛ばされ手が痺れているらしい憲兵に、もう片方の憲兵が顔を向ける。片手を踏みつけられたまま、身を乗り出して目を覗き込むウチから目を逸らしたかったんかもしれへん。
その、どこか縋るような視線を受けて、槍を持っていたほうは、ふるふると首を振る。心当たりは無い、と言わんばかりに。
おばちゃんだけが、「獣人が!」「人殺し!」と喚いてる。あんたは別にどうでもええ。誰も死んでへんわ。
ざわざわというどよめきとおばちゃんの喚き声とで、ちらほらいただけやった見物人が、いつのまにやらどんどん増えて人垣になっとった。ウチらの周りと、落ちてる槍と、おばちゃんの周りにだけは、あんまり近寄ろうとする物好きはおらんみたいやったけど。
「——ウチはええ。別に何言われようがどうでもええ。興味もない」
踏みつけにしていた足で軽く押すと、若い憲兵はそのまま尻餅をついて倒れる。
槍を持ってた方が剣を抜こうか、どうしようか、というような困り顔でおっちゃんの方を見てるけど、そっちからの助けはなさそうやった。
ウチは、倒れた憲兵と、もう一人の顔を覗き込み、続ける。
「でもあんたら、言うに事欠いてウチの、ウチらの御主人を馬鹿にしおったな?」
唖然。
そういう他ない表情で、若い憲兵はお互いの顔を見合わせる。
まるで記憶にないとでも言うように。その態度が、またウチをイラつかせる。
「あんたらさぁ。首まで土に埋めて歯ぁ全部ぶち折って、目の前に一本一本並べたろか?」
囲いから、短く悲鳴があがる。
そういえば、ここは工房の目の前やった。
工房にお客さんとして来てくれる人らがいるかもしれんことを忘れとった。
尻餅をついた若い憲兵は、おどおどと立ち上がる。また剣を抜こうとはせーへんらしい。また踏まれるのがわかったんかな。
それでもやられっ放し、言われっ放しなのは沽券に関わるらしい。
「法がっーー」
「ウチらを守らん法を、ウチが守るとーーなんでそう思うん?」
なんとか言い返された言葉に完全に被せて、迫る。
ウチが一歩詰め寄ると、二人揃って二歩下がる。一歩詰め寄ると、二歩下がる。人垣が、ウチらを中心にするようにして歪な形で割れていく。誰も、何も言わへん。おばちゃんさえ、後ずさりをして黙ったままやった。
憲兵の片方が、その背中をおっちゃんにぶつけるまで、ウチは5歩ほど進むだけやった。
「あ、アルノーさっ、あ、あいつ、……」
「はぁ……」
おっちゃんは頭をがしがしと掻くと、おもむろにげんこつを振り下ろした。
ごちん! と痛そうな音がした。
「お前もだ」
ごちん!
おっちゃんがウチの相手をしてくれるはず、と期待してたっぽい若い憲兵二人がどつかれる。
そして、周囲が見守るなか、おっちゃんがウチのほうに一歩歩み出る。
「あー。すまん。今回のは憲兵側の落ち度が大きい。これで手打ちにしてやってくれんか、嬢ちゃん」
「大きい?」
「い、いや。今回のはこっちの落ち度だ。すまん」
おっちゃんが頭を下げる。べつにウチはおっちゃんに謝ってほしいわけではないねんけど。
囲いに、おばちゃんに、若い憲兵に、動揺が広がった。
たかが『獣人風情』に、町を守る憲兵がいなされ、非番とはいえ熟練の憲兵が頭を下げたのだから。
なにより若い憲兵ふたりが、おっちゃんが頭を下げる様を、信じられないものを見るような目で見ている。いや謝るんはあんたらやろ、とウチとしては思うんやけど。
「何事だ!」
周囲のざわめきに、鋭い声が飛んだのはこのときやった。
次いで、人の囲いをかき分け、男が現れる。
騒ぎを聞きつけた憲兵の増援やない。その男を目にした瞬間、おっちゃんも、若い憲兵も、囲いの人らも、そしてウチも、少し気を緩めた。
カイーーんー。んー。ずなる。
この町の、えらいとこん家のぼんぼん、カーくんの友人にして苦労人、通称カイくんのご登場やった。
……いやまぁ、通称って言ってもウチしか呼んでへんみたいやけどね。おっかしーなー。