閑話 - ウチの弟と人間の子供 そのいち
カーくんやシャロちゃんが旅立ってからも、工房はちゃんと毎日開けるようにしている。とはいえ、まだ3日のことやけど。
カーくんは休みにしていいって言うとったし、当面生活するのに困らへんお金も渡されとる。
けど、ウチもアーちゃんもラッくんも。ウチら誰も休業する気はなかった。らっぴーは知らん。
カーくんの作ったモンを欲しがるお客さんがせっかく来たのに、店が閉まってたらガッカリするよなー、そんなふうに思って。
『うん。うん。ウチらは元気にやっとるよ。
あー、お昼前のやつ? うん。揺れた揺れた。大っきかったなぁ。でも大丈夫やで。
ウチとアーちゃんは店番、ラッくんは表の道で遊んどるわ』
それに、寂しさだって――無くはないけど、でも大丈夫。
こうやって、かなり離れとっても"念話"で連絡できるんやし。
『だーいじょうぶやって。ウチが見てるし、相手は普通の人間の子供みたいやわ。
てかまだ出て3日と経ってへんのにカーくんってば心配性やなぁ。そっちはどうなん?』
遠く離れたはずのカーくんの、いつも通りの優しさが心地良い。
そんな我らが旦那様やからこそ、安心できるんやとも思う。アーちゃんもラッくんも、そしてもちろんウチも。
『ふんふん。もともとの目的は達成――って早ない?
んで、魔物退治して冒険者助けた? と思ったら冒険者じゃなくて魔物を町にけしかけようとしてた蛮族だった? うわぁ』
いつも通りと言えばいつも通りのカーくんたちやった。
数日でどんなけ事件に巻き込まれとんねん……と、げんなりするウチの様子を見て、隣でお客さんの相手をしとるアーちゃんがふふっとちいちゃく笑う。その笑い方、なんかシャロちゃんぽい。
『え、要件はそれじゃない?
ふんふん。船便? 海かー。でっかかったなー、海。
うん。で、近くまで戻るのに5日――えっと、えーっと。今日が花の月の、えっと?』
「今日、何日やっけ」
「花の月、下の29日目なの、お姉ちゃん」
打てばアレするように、アーちゃんから答えが返ってくる。
やっぱりウチの妹はしっかりしとる。すごい。
カーくんたちもすごいけど、違う方向でアーちゃんもすごいと思ってる。
『んじゃー、言うてた予定よりもかなり早いこと戻ってこれんちゃう?
え? そうも行かへんの? 海賊? 地震? でっかい波で――遭難?』
「オスカーさまにシャロンさま、また何かに巻き込まれてるなの?」
「そうみたいやなぁ……」
「やれやれなの」
アーちゃんが仕方ないなぁって調子で肩を落とす。
アーちゃんのその反応も無理はあらへん。あの子らはトラブルに巻き込まれるというか、わざわざ正面衝突しに行くようなところがあるような気ぃする。
今回は、たまたま帰りの船が海賊に襲われ、そこでちょうど地震が起き、海賊船がカーくんたちの乗ってた船に突き刺さり――どことも知れない島に漂着、と。どんなけ不運やねん。
山の祟りでも憑いとるんちゃうやろか。山壊してたし。うにゃあ……祟りからは守れる気がせーへんで……。
『ふんふん。
そりゃまあ船は壊れるわな――そんくらいならふたりとも無事やろけども。
うん。うん。大変やん。うん。毛布。温かい食べ物。あいにゃー、わかった。
ご飯はアーちゃんに頼んどくね。毛布は"倉庫"と地下にある分と、足らん分はちゃちゃーっと買うてくる。
え? いやいや、そういうとこもカーくんやシャロちゃんの良いとこやん。ウチはそう思うよ』
あのふたりは、ちょっとやそっとのことやったら簡単に切り抜けられる。
それこそ、祟りを受けてもたぶんへっちゃらなんちゃうかな。
それはそのぶんの力があるってことで、べつに構へんと思う。そしてカーくんたちは、まわりの人もできれば助けようとする。
カーくんはそういう気質を悪癖だと思ってるところがあるみたいやけど、ウチはそうは思わへん。
ふたりがそのような気質――お人好しというやつやなかったら、ウチら姉弟は今ここでこうして――きょーだい揃って幸せに過ごせるなんてことはなかった。感謝こそすれ、呆れたりなんかするはずない。
『そいじゃ、気ぃつけてなー。……ん。待っとるね』
ふぅ……。
カーくんとのやりとりは、じつに3日ぶりになる。
名残惜しいような、もっと話してたいような気持ちだってちょっと――ううん、かなりある。
でも、今も彼は怪我した人を治したりしながら、それでも連絡してくれてた。あんまり、邪魔はしたくない。話してたいのもほんまやけど。
帰ってきたらいっぱいおはなししよ、うん。
"念話"を終えてふと我に帰ると、こちらを見てにまにまと笑みを浮かべるアーちゃんと目が合った。
魔力の温存のためってことで、今回はカーくんとウチの直通で"念話"をしとったからどんな会話をしてたかはわからんはずなんやけど。――仮にわかったところで、そんなにまにまされるような会話はしてへん! してへんよ!
心なし、お客さんたちも興味津々といった様子やった。なんでや。
「え、なになに? なんなん?」
「ううんー、何にもないなの。
ただ、お姉ちゃん、とっても嬉しそうだったの」
「えー、ふつーやって、ふつー。
――にゃあ! なんなん! なんでそんな笑うん!」
どこか微笑ましいものをみるような、そんな視線に晒されるのがこそばゆい。なんやねん。むぅ。
ぶんぶん左右に頭を振ってみても。こそばゆいような、ほっぺがあついような感じがなくならへんかったので、ウチはアーちゃんに頼まれごとを伝えておく。
「そや、アーちゃんに伝言、というかお願い。
スープとかソルテリとかそういうあったかい料理を、いーっぱい作ってほしいって。
何十人もお腹減らしてるヒトがおるんやって」
「わかったの。ひもじいのは悲しいの」
ウチの急な話題転換にも、むん、と手を握りしめて気合いを入れるアーちゃん。
ウチらは何日も木の根っこを齧り、泥水を啜って過ごした経験から、飢餓の苦しみは身にしみている。思い出すだけでお腹がキリキリするくらいに、身に沁みてる。
そんな苦しみを、ウチらの旦那様に味あわすわけにはいかへん。絶対に。
そう思ってるのはウチだけやなくて、アーちゃんの目も使命感に燃えてるようやった。
「お姉ちゃんは?」
「ん、ウチはちょっとお買い物かな。毛布もいっぱいいるって言うてたから」
「じゃあ、パンも買ってきてほしいなの。ケルクトとミルクがあるから、ソルテリをつくるの。
パンがあったら、きっととっても幸せになるのー」
「それはええなぁー」
じゅるり、と涎が出そうになるんを慌てて押し留める。
そんなウチらのやりとりを、数人のお客さんたちがほんわかした視線で見守っていた。
魔道具を見に来る人もいるけど、今いるお客さんはアーちゃんの作るお菓子とお茶を目当てに来てのんびりしてる人たちだけやった。
おかわり付きのお茶が銅貨1枚。お菓子付きで2枚。儲けは出ぇへんけど、アーちゃんの趣味みたいなもんやった。お客さんは喜んでくれるし、ついでに何か買ってってくれたりもするしで、カーくんとしては問題ないって言ってた。
栄養剤を買いに来て、ほっと一息お茶して帰る農家のおっちゃんや、たまの非番のたびに様子を見に来るけんぺーのおっちゃん。朝のお仕事を終えてお昼まで休憩にくるおばちゃん。
今はウチら『獣人』しか店員がおらん工房内でも、和やかな空気を保ってる。カーくんたちが旅立ってからも、平和なもんやった。
そりゃ、たまには嫌な人間が来ることもあるけど、カーくんシャロちゃんがそーいうのはバシバシ追い出すから、ウチらにとっては優しいお客さんだけが残ってると言っていい。
本当に、平和で。幸せで。きれいで。あったかくて。
ウチらが居てもいいって場所がある。
大好きな人たちと一緒にいられる場所がある。
大好きな人の役にも立てる。
とっても、こころがぽかぽかする。
そんなふうな居場所を、カーくんたちが作ってくれた。
だから、ふたりが帰ってくる居心地の良い場所を、ウチらは守っていく。
でも、残念ながら。
たまには、今みたいなそういう金切り声が聞こえることだって、ある。ウチらを責め立てる、そういう声を。
「お姉ちゃん……」
「ん。ウチにまかしとき」
ほんわかした笑顔がサッと掻き消えて、不安げなアーちゃん。
ウチも、和やかな空気を引き裂く声に顔をしかめる。
お客さんたちも、表通りのほうを、なんだなんだと気にしてるようやった。
ウチはアーちゃんに頷き返すと、そのままカウンターを飛び越え、くるりと宙返り。1回転。2回転。そのままテーブル、棚の上をも飛び越えて、目測通りに扉の前にスタっと降り立つ。
スカートが捲れるようなヘマはせーへん。そういうのは『嗜み』なんや、ってシャロちゃんが言ってたから。
「おぉ〜」
お客さんから感嘆の声が漏れる。
普段やったら決めポーズでもするとこやけど、残念ながらそんな場合やなさそうやった。
工房の前の通りから聞こえた金切り声が、今まさに甲高い怒鳴り声に変わったから。
「ウチの弟になんか用?」
扉を開けると、すぐ目に飛び込んできたんは、ウチの弟――ラッくんをすごい剣幕で怒鳴りつけるババ――んん。おばちゃんやった。
片手で人間の子供、ラッくんが遊んでた相手の一人やと思うけど、その子を無理やり引っ張り上げてる。
他の子供は通りの端の方まで避難して、そこから怖々と様子を伺ってるようやった。賢明な判断やと思う。
おばちゃんは、工房から出て来たウチの方を見て、さらに何か喚き声を撒き散らす。わぎゃーってすごい勢いで叫んでるから、耳が痛いわりには何言うてんのかほとんど伝わって来ーへん。
ウチがその喚き声を気にせず、困惑してるラシュの前に庇うように立つと、そのがなり声はさらに激しくなった。やかましいやっちゃにゃぁ。息継ぎ以外、全部叫んどるやん。
なんとなーく聞き取れたところやと「獣」「うちの子」「身の程」「家畜」「汚い」「泥棒」「責任」だとかを、延々とわめき立ててるらしかった。
――人間を敵に回したらあかん。それは、カーくんシャロちゃんの、ハウレル家の不利益に繋がることやから。
でも、話の通じひん相手に怒鳴りつけられ続けるのも、ウチらにとっての不利益。だから、ウチは物怖じなんかせーへん。したらへん。
物凄い剣幕で喚いとるおばちゃんを黙って睨むと、一瞬だけウッて声を詰まらせた。そんな風にしてしまった自分が悔しいのか、一瞬後にはより一層うるさなったけど。
「うにゃ〜……」
げんなりして息を吐く、ウチの態度も気に食わなかったらしい。
喚き立てるおばちゃんの顔が、どんどん真っ赤になっていく。
大丈夫やで。
そっと、ラッくんの頭を撫でる。
完全に垂れ下がっとる耳がぴくりと震え、茶色っぽい目がウチを見上げてくる。だいじょーぶ、おねーちゃんがついとるからな。
おばちゃんは自分が相手にされてないのをしっかり感じ取ったらしく、どんどん顔が赤く、いやもうだんだん紫っぽくなっていってる。
カーくんが魔術を使うときの、きれーな宝石みたいな紫やない。なんかもっときちゃない、濁った感じの紫色。
「なんか問題か?」
いつまで経っても収まらない悲鳴にも似た怒号に、あたりの店先からもちらほらと顔を出す人たちがおる。
工房からも、くつろいでたはずの憲兵のおっちゃんが出てきて、ウチに問いかけてきた。問題なのはわかってるけど確認、みたいな感じやね。
第三者の介入に、一瞬固まったかと思ったけど、すぐにおばちゃんは喚く、喚く。
ウチらではなく、おっちゃんに訴えかけるかのように「獣」「そいつ」「あたしに向かって」「うちの子」「無礼」「泥棒が」なんて当たり散らすもんやから、おっちゃんは「お、おぅ……」とげんなりした顔を見せた。たぶん、ウチも同じような顔してると思う。
自分が出てきたら話が着くだろう、なんて考えてたやろうにアテのはずれたおっちゃんが、口を開く。すっごい面倒そうやった。その気分はよーわかるけどな。
「嬢ちゃん、大丈夫か? なんなら詰所まで引っ張ってくけど」
その言葉をどう受け取ったんか。
息継ぎのタイミング以外では喚き続けていたおばちゃんが、勝ち誇ったようににんまりした。
まさか引っ張っていくと言われているのが自分のほうや、なんてことは夢にも思ってないんやろうな。たぶん。しらんけど。
「や、ええよええよー。ウチらが引っ込めばええし。
そのうち疲れるやろし放っといても問題ないんちゃうかな」
「そうか。嬢ちゃんもなかなか辛辣だなぁ」
顔を覗かせたけんぺーのおっちゃんは苦笑いをする。姉妹揃って強かだ、と。
『けんぺーさん、けんぺーさん。教えてほしいの。
けんぺーさんたちが守ってくれる住民に、お姉ちゃんたちは入ってるの?
アーシャたち、みんなのお名前、オスカーさまが届け出てくださったって教えてくれたの。でも、あんなにわーって言われてると、やっぱり不安なの……』
なんて、ちょっと困り顔で他の客の前で圧力を掛けられた彼は『今日は非番だから』なんて断りを当然入れられもせず、工房の外に顔を覗かせたのだった。
そんなウチらのやりとりを、自分が馬鹿にされたと思ったのか。
おばちゃんは真っ赤に染まった顔を、怒りすぎたせいか逆に真っ白になってぷるぷると震えた。
「まったく話にならない!」
なんて吐き捨てているのが聞こえるけど、ウチもそれには同意見やった。
そもそも、ウチらは馬鹿になんてしてへん。相手にしてへんだけやったというのに。
おばちゃんはまだ何か喚き立てながら、足元で不安そうにしていた子どもを再度ぐいっと強引に引っ掴むと、そのまま足早に大通りのほうへとずんずん向かってった。
途中、ウチらに向かっておもっきり舌打ちするのも忘れない。なかなかマメやな、なんてウチが余裕を持ってられるのは、もっと怖いのをいっぱい目の当たりにしたからなんやろうと思う。あれと比べたらむしろ可哀想になるくらいなんの怖さも感じへんな……。
「あの、これ」
「あ……」
子供を掴んだおばちゃんが、ウチらの横をめいっぱい睨みながら通り過ぎるとき、ラッくんが何かを渡そうとしたらしかった。
見覚えのない、少し泥のついた布。
半ばおばちゃんに引きずられていた男の子は、それを受け取ろうと手を伸ばした、けど――
「汚い!」「獣が!」「そんなもの!」なんて喚くおばちゃんに、受け取ろうとした手をはたき落とされ、「ぅあ……」と涙目になってしまう。
そのままあれよあれよという間に、子供を引きずったままおばちゃんは角を曲がって見えなくなった。最後に思いっきり路地に唾を吐き捨てて。うーん、マメやな。
最後までラッくんに向かって手を伸ばし続ける男の子が、なんとなく哀れさを誘っとった。
「おねーちゃん……」
耳と尻尾がぺたんと力なく垂れ下がり、誰の目にもしょんぼりとしているのが明らかなラッくんが、ウチを見上げてくる。
たぶんウチの弟が悪いことしたわけじゃ、ないんやと思う。姉の贔屓目かもしれんけど、ラッくんはいい子やった。
猫人族の里から出たのは、ならず者にアーちゃん共々捕まって、カーくんたちに助け出されたあの時が初めてやったし、こういうウチらの種族を目の敵にする人間に晒されることは殆どなかったはずや。
ウチなんかは、正直なところ「またか」くらいに思ってげんなりして。それで終いやけど、心優しい弟のこと、そういう理不尽なことでも気にしてしまうんやないか。そう思うと、ちょっと心配やった。カーくんのことを心配性やと笑ってられへん。
他に集まっていた子供たちも、喧騒を伺っていた町人たちも、やがて騒動の終わりを感じ取ったようやった。一人消え、二人去り、通りにはウチらだけが残される。
「あー。災難、だったな?」
気まずそうにぽりぽりと頭を掻くおっちゃんの声を皮切りに、ウチもラッくんに声をかける。
「中、入ろか」
「うん、でも……どろぼうって」
自らの手に握られた、泥で汚れた布を見下ろし、悲しそうにしているラッくん。
ウチの弟に、理不尽な言いがかりでこんな顔させる婆なんて、どつき回したりたい。そしてきっと、それはあんまり難しいことでもない。
でもそれは、きっと良い手やない。
ウチらだけやなく、カーくんたちにもめーわくが掛かってまう。
あんまり後先考えるのが得意じゃないウチかって、そんなことくらいはわかる。
「ああいう人間もおるよ、悲しいことやけどな。
べつにラッくんが悪いわけやないよ。
ほら、ウチらを助けてくれる人間やっておるやろ。
カーくんたちや、けんぺーさんみたいな優しい人」
「ん……」
それでも、ラッくんはひどく気落ちしている。
わかっててもショックは受ける。当たり前のことやった。
とくに、ラッくんにとっては同年代の子供と遊ぶのは、ほとんど初めての経験やった。
それが、こんな形で邪魔されるのは残念で仕方ない。
ウチらが元々暮らしとった里は、ラッくんと同年代の子はおらんかった。
仲間はどんどん捕まるか死ぬかしとったから、そもそも子どもが少なかったし。
だからアーちゃんラッくんの遊び相手は、基本的にウチやったり、子守を担当する大人が相手やった。
その点、この町には人間の子供がいっぱいおる。
ウチらが店番をしてるときにも、子供が工房を珍しげに覗き込んでいることはこれまでも何度かあった。
そしてついに今日、工房の前の通りだけ、という約束でラッくんも一緒になってはしゃいでたのに。
ままならへんなぁ。
ウチらが『獣人』なばっかりに。
見かねたおっちゃんが剣の相手を提案し、ラッくんが少し機嫌を持ち直した頃になっても、ウチの気持ちはなかなか晴れてはくれへんかった。
しれっと更新しました。次はたぶん土曜日になります。