僕と感傷
途切れた雲が再び勢力を伸ばし、虹はかき消え、雨粒があたりを、僕らを濡らす。
その頃になって、ようやく『勇者』は立ち上がった。
物言わぬ、フリージアだった存在を、その腕に抱えたまま。
――恩人が逝った。
それは、もはや覆らない。"全知"をもってしても覆せない、世界の法則だった。
先ほどまで問答を交わし、バトルを繰り広げ、笑顔を、本気の顔を見ていた相手が死んだ。終わりを迎えた。
にも関わらず、とくに涙を流すでもなく、僕も、シャロンも、そして『勇者』も。淡々と立ち尽くすのみ。
これから悲しくなることは、果たしてあるのだろうか。
『勇者』が抱える抜け殻を、雨粒が少しずつ侵していく。
「世界を壊す……」
「え?」
突然、ぼそりと呟いた赤い衣に聞き返すと、彼は振り向きもせずに言葉を続けた。
「少年の言うことも一理ある、そう思ってな」
『"世界を壊せ"』という詠唱。
"童話迷宮"を脱するために、僕の心象と合致した、力を引き出すための言葉だった。
「――君は」
誰にともなく、『勇者』は呟く。呟き続ける。
「君は、世界の被害者だ」
雨が僕らの身体を濡らしても、ボロボロの赤衣が泥に塗れても。彼は独白を続ける。
彼の言う『君』は、僕らではなく。ここには居ない――いなくなった、逝ってしまった彼女に向けてのもの、だろう。
「きっと君は。少年を強くするという役割のために。ただそれだけのために。
永き時を封じられた被害者だ」
俯く表情は見えず、ただその大きな背中が雨を受けるのみ。
「君の意思、君の苦痛なんて。
単なる筋書きとしか勘定しない世界によって」
僕もシャロンも、彼に言葉を返さない。
返すことができない。
彼からは、明確な感情が発されている。
それは、まごう事なき怒りの感情。
「たくさんだ。もう、たくさんだ。
配置され。むごたらしい運命を押し付けられ。
一方的に試練を押し付けられ。
そうして飽きれば打ち切りだ」
『勇者』が憤る、運命とは、きっとフリージアのことだけを指しているのではあるまい。
僕は、彼自身がどういった宿命を背負い、傷を背負い、戦ってきたかを知らない。
知らないけれど――おそらく、平易な道ではなかったのだろう。
腕を失い、足を失い、――友を失い。それでもなお生き続ける。
本人の言葉を借りるなら『死んでいないだけ』の状態。
それが『死んでいる』より楽な道だと、単純に考えることはできない。
「――もう、たくさんだ」
再度、吐き捨てるように『勇者』は怒りを吐き出す。
腕の中にはフリージアの残滓。抜け殻たる骨格が、物言わぬ残骸が、雨に濡れている。
彼は、一言も言葉を返せない僕らのほうに、向きなおる。
「少年。君が、両親を奪われ。孤独に震えたのも。
魔導機兵と出会ったのも。
世界の意思の筋書きだとぼくは思う」
「――」
世界の意思。
そういう存在がおり、意思が介在していることを、半ば確信的に『勇者』は語る。
怒りに燃えるその黒目がちな瞳は、ともすれば狂気的な光を灯しているようにも見受けられた。
その怒りの対象が僕ではないのに、身体が竦む。指先すら動かない。雨があたりを濡らすのと対象的に、口の中が乾いていく。
そんな僕の様子に頓着することなく、『勇者』は語る。語り続ける。
「そんな劇的なたまたまを。
手軽な楽しみとして演出するのが世界のやり方だ」
たまたま、岩場から穴に転げ落ち。
そこでたまたま、シャロンと出会った僕は、たまたま閉じ込められていた久遠の存在の助けもあり、力を得た。
それが、『勇者』の考える、世界の意思。
この偶然が『できすぎだ』と感じたことはある。
ともすれば、すべて夢なのではないか。
"童話迷宮"のなかに限らず、いままで何度も僕の頭を掠めた考えだ。
両親を見捨てて逃げた段階で、矢に貫かれるか魔物に噛まれるか、もしくは岩場で潰れるか、地面に叩きつけられるか、それとも暗闇の孤独に震えて狂気に堕ちたか。
シャロンやアーニャたちと工房を開いてどたばたしながらも幸せに暮らしているのは、『幸福なユメ』なのではないか。
そんな風に考えたのも、一度や二度のことではない。
そんな『たまたま』は、世界の意思だと『勇者』は言う。
その瞳を、怒りに、狂気に歪めながら。
「でも、あの"六層式神成陣"も『世界の災厄』ってやつも、その時代の人がなんとかしようとした結果――なんじゃないのか?」
「ああ。しかし。ある種の流れのようなもの。
目には見えない、大きな力に流されるままに、物事が動いている。
そう感じることが、何度かあった」
意外にも、というと失礼な話かもしれないが『勇者』から答えがあった。
今までに彼が見せた面倒臭そうな態度ではない。
だからこそ、その考えのほどがただの思いつきではなく、積年の疑問の集大成のようなものなのだろう。怒りを交えた昏い狂気の瞳が、そう伺わせた。
「それまで全く動かなかったはずの研究が、なぜか進む。
なぜか力のある者が突然産まれる。
そうやって、世界は大きな流れに沿うようにして、動いているんじゃないかとね」
「あんたも。
『赤衣の勇者』も、そのうちのひとつだって、そういうのか」
彼はゆっくりと頷く。
「『勇者召喚』も、俺がこれまで戦ってきたのも――かつて俺たちが敗れたのさえも。
世界のやつが面白おかしく引いた線をなぞっているだけなんじゃないか。そう思うことがある」
もはや、『勇者』は応答を求めていない。
彼の中では、きっともう『そういうこと』として筋道が立ってしまっている。
彼の抱えているフリージアの抜け殻も、それに拍車をかけるのだろう。
「俺は世界を守った英雄だと言われている。
でも、世界の側は俺たちを守ってくれたことは、なかったな」
どこか寂しそうに呟く彼の表情を、しとしとと降り募る雨が覆い隠していく。
――おそらく大事な場面だというのに、僕が雨に濡れるのを厭ったらしいシャロンがいそいそと"倉庫"から出した皮の雨具とかを被せてくるものだから、微妙に格好がつかない。
「きっと――ぼくは、世界に復讐することになるだろう」
そう呟いたのを最後に、『勇者』は口を閉ざした。
しとしと、しとしと。
雨だけが、静かな音を立てて、僕らを包んでいた。
――
「オスカーさん、オスカーさん。
服がボロボロな上に雨に濡れたせいでイケナイ感じが強まっているこのシャロンと名実ともにイケナイ感じに突入しませんか?」
「早急に着替えて」
シリアスな状態を保てないとみえるシャロンに"倉庫"から取り出した予備の服を手渡しつつ、僕は"結界"に向きなおる。
"六層式神成陣"――眼前にその威容を収める位置にまで、僕とシャロンは戻ってきていた。
「はい。生着替えをご所望ですか。全力でお応えしましょう」
「あっちで着替えて、あっちで」
「はぁい。むぅ」
"全知"の眼鏡で"六層式神成陣"を観察する僕の視界に、ひょこひょこと『イケナイ感じが強まっている』シャロンが見切れていたのだが、多少頬を膨らせた彼女はそれでも僕の言葉に従う気はあるらしく、服を受け取ると少し後ろに離れた。
"六層式神成陣"は一部の機能――ヒト以外の出入りを禁じる機能が破損したままとなっているが、修復機能は健在であり、間を置けばまた元の形となるのだろう。
その内部に閉じ込められた生者は、もはや誰一人として居はしないけれど。
僕とシャロンが最下層たるこの場に戻ってくるまでに、『勇者』とは別れている。
『少年には報酬をやろう。
――友達を看取ることができたからな』
そう言って、ぽいと投げ渡されたのは、永き時を経てフリージアから返還された眼鏡。
『全てのものを見通すって触れ込みの水晶玉から、かつて俺が作ったモノだ。
そこそこ、役には立つだろ』
そう言い残し、彼は消えた。
亡骸を抱きかかえたまま、青白い魔法陣に包まれて。
目を瞬かせる間もなく、彼は消えた。
去り際に"全知"越しに見えた『勇者』には、相変わらず名が無く――
《"守護"》《"調律"》《"雷帝"》《"超越"》《"薬楽"》《"略奪"》
そして新たに加わった《"不滅"》の神名。
その神名でもって、彼が世界とどう折り合いを付けるのかは、僕にも、"全知"にもわからない。
きっと『勇者』自身にも。
『勇者』を見送って、あとに残された僕とシャロンは、僕の希望で再びこうして研究施設にまで戻ってきたというわけだった。
今度は岩場を少し広げ、"念動"魔術で吊り下げる要領で侵入を果たした僕ら。
出た先は、真っ暗闇。僕が命からがら逃げ出して、シャロンと出会ったあの空間である。
シャロン命名の『出会いの間』を感慨深く見渡す僕ら二人の視界に、一刀のもとに破壊された魔導機兵の胴体が映る。
シャロンの足や、『勇者』の手足として使われるためにパーツを奪われ、なんとも無残極まる姿になっている。
思えば、あの胴体に深々と刻まれた斬撃の跡は『勇者』によるものだったのだろう。"童話迷宮"で混線したフリージアの記憶や、シャロンの耐久力をも上回る『勇者』の攻撃力が、名も知らぬ魔導機兵の末路と符号する。
過去に起こったであろうことに対する複雑な心境を抱えつつも、僕とシャロンが連れ立って"六層式神成陣"のある最下層にまで降りてきたのは、フリージアのかつての仲間たちを埋葬するためだった。
いまとなっては意味をなくし、さらに主さえなくした"結界"、その中に置き去りになっている散乱した骨たち。それに加えて所長室に置き去られている人骨も、外界に埋めてやろうと思う。
川が近くに流れていることもあり、植生も豊かだ。景観もそれなりに良い。
僕も同じ閉じ込められ仲間として、何かしておいても罰は当たるまい。
「まぁ、死後どれだけ経ってんだって話だし、僕の余計な感傷でしかないんだけど」
「はい。でも、私はオスカーさんのそういうところも好きですよ」
「ありがとう、シャロン。着替え終――わってないし!」
僕の独り言に返答があったので振り向くと、絶賛着替え中のシャロンの白い素肌が瞼の裏側に焼きついた。
振り向いたときの数倍の速度で正面の"結界"に向きなおる僕。首が痛い。
「私としてはもっとじっくりねっとり見ていただきたい気持ちもありますが、オスカーさんのそういうところも好きですよ」
「勘弁してくれ……」
先ほどの言葉をなぞり、くすくすと笑い声を漏らすシャロン。
それを背に受ける僕は、何故か目頭が熱くなるのを感じていた。
いつも通りの、シャロンとの他愛のないやりとり。物言わぬ、壊れてしまったシャロン相手にはどれほど望んでも叶わなかったそれ。
それができるということがようやく実感として広がり、胸の内側からじんわりとしたものが込み上げてくるかのようだ。
平静を取り戻そうと、少し深呼吸。
客観的にいまの自分をみると、シャロンの半裸姿を目にして感極まっているように見えなくもない。シャロンにそんなふうに思われるのは、それはそれで何か嫌なのだった。
が。
「大丈夫ですよ、オスカーさん。
私はずっと、あなたと共にありますから」
僕のそんな反応をどう受け取ったのか。
まだ呼吸が落ち着かないうちに――背中から、あたたかな両腕に抱きすくめられ、硬直する。
僕の服もフリージアとの攻防でところどころが破れ、素肌が見えてしまっている。そこに、ふにゅりと当たる柔らかな素肌の感覚。
「――」
だから、服を着てってば。
そんな風に誤魔化そうとしたのに、震えて掠れた僕の口は、意味のある言葉が出てはくれなかった。
「大丈夫ですよ、オスカーさん」
シャロンは再度、繰り返す。僕の背中に自身の耳を当てるようにして、優しく僕を宥める。それは、まるで僕の心の声を聞き取ろうとしているかのよう。
僕の腹筋あたりに回された、彼女の白い細腕が僕を優しく締め付け、金の腕輪がひんやりとした感覚を伝えて来る。
いつもだったらこのへんでシャロンの残念極まる発言が飛び出して、それにツッコんだ僕によって空気がうやむやになるところだ。
「大丈夫、大丈夫です」
しかし、背中越しに伝わるあたたかさからはそんな気配は皆無であり。
シャロンは、どこまでも優しく僕を包み込む。
"六層式神成陣"の前、打ち砕かれた壁のすぐ側、魔力光に照らされた部屋で、半裸のシャロンに宥められる僕。
なんともコメントしづらい現場に違いないが、ここには僕ら以外に生者はいない。いなくなってしまったから。
「だいじょうぶ、です」
とん、とん。
肋骨あたりを、ゆっくり、優しく、規則正しく、撫でるように。
まるで幼子を寝かしつけるような、慈愛に満ちた彼女のぬくもりに触れられて、僕はしばらく震える肩を止めるすべを持たなかった。
きっとシャロンは、フリージアが逝ってしまったことで僕が気落ちしていると思って慰めてくれているのだろう。
しかし、今この時においてはどちらかというと逆効果だった。
当のシャロンの優しさに触れられるたびに、安堵や、もう二度と失いたくないという思い、愛情なんかが千々に乱れ、僕の心を掻き乱す。
だから僕にできるのは、シャロンが解放してくれるまでずっと、嗚咽を堪えて立ち尽くすしかないのだった。
――
「もう、外の雨が止んでてもおかしくないよな」
独りごちても応えを返すものはない。
しばらくずっとシャロンは離してくれず、僕が"六層式神成陣"に三度踏み入った頃にはもう夕方と言える時分となっていてもおかしくはなかった。
フリージアの"童話迷宮"もあり、僕の体内時間は完全に狂ってしまっているままなので、あまりアテにはならないかもしれないけれど。
ここへの侵入は、僕一人だ。
『勇者』が去った以上、"ヒト以外の出入りを禁じる"作用が再生したときにシャロンが囚われてしまった場合、僕に為すすべがなくなってしまうためだ。
「にしても、またコレの出番があるとは」
僕の腰に巻きつけられたそれを見下ろす。
主の居なくなった"結界"、その出入り口にまで伸びている紐が、がっちりと僕の腰あたりを固定している。
研究所内に残されていたカーボンナノチューブ繊維やら鋼線やらをふんだんに使ったもので、僕が作った『壊れない紐』である。
以前も全く同じ使われ方をしたもので、いつぞやと同じように、外ではシャロンが紐の反対側を握っている。僕の戻りが遅ければ容赦無く引きずり出されることになるだろう。
この紐も当時の出来る限り、思いつく限りの力で作った力作だったつもりなのだが、今見ると少々作りが荒い。工房で魔道具を作るにあたり、僕の技量も少しずつでも成長しているという証左であろう。
"全知"頼りなところが多いのはぐうの音もない事実だが、自分自身の成長も見えるというのは、やはり嬉しいものだ。それがたとえ少しずつだとしても。
「いけない、いけない。
シャロンに引っ張り出される前に、やることを済ませてしまわないとな」
ぶんぶんと頭を振り、目的を果たすために頭を切り替えることとしよう。
この空間の内外では時間の流れが異なるが、シャロンのことだ、少しでも遅いと思えばすぐにでも僕を引っ張り出すことだろう。
「ふぅ」
目的自体は、すぐに達せられた。
もともと、フリージアの仲間の骨格は、彼女がひとところにまとめていたためだ。
一部が複雑骨折もびっくりなくらい粉状に砕けている骨もあったけれど、そこはそれ。フリージアの何かしらの怨念ではなく経年劣化的なものだと思いたい。
あらかじめ"倉庫"から取り出しておいた木箱に骨たちを仕舞う。
骨たちが仕舞いこまれると、僕の前に残されたのは板状のもの、棒状のものと、綺麗に磨き上げられたツヤツヤと魔力光を反射する骨の欠片だけだ。
それらは床石を少しくり抜いた場所に安置されていたもので、板と棒は見覚えがある。
棒のほうは、折れ、何度も補修され、それでも折れてを繰り返したように、歪みや欠けがひどい。
板のほうも表面の一部が擦り切れ、何度も何度も何度も何度もなぞられたことが彷彿とされるほど使用感でいっぱいである。
でも、それはたしかに僕とシャロンがこの研究所を離れるときに、フリージアに置き土産として渡したタブレットに相違なかった。
「動くのか、これ……」
動力として組み込んであったはずの魔力を固めた宝石に紫色の輝きはすでに無く、ひび割れた宝石に灰色に濁った泥のような魔力が少しだけ残留している。
僕の魔力を使い果たしたフリージアが、どうにかこうにか自分の魔力を込めようと頑張った様が思い浮かぶ。
あれほどの暴威を撒き散らしていた――あたりを見渡してみても、一部が吹き飛んでいたり、穴だらけになった床が見える――彼女も、魔道具作成技能に関しては不得手だったのだろう。
微笑ましさが、寂寥感とともに襲ってきた。
板面に指を滑らせると、画面が点灯した。
とはいえ所々が発光せず、光っている部分の板面も光量が不安定に揺らめいている。
「これだけ使用感があるってことは、少しでもフリージアの気を紛らせる役には立った、のかな……」
死を望んで、そしてそれを叶えた彼女に対して、僕がとった行動が本当に正しかったのかどうか。
フリージアは『救われたところもある』と言ってくれていたが、やはり僕は自信が持てないでいた。
彼女に逝ってほしくなかったのは本当だし、彼女が望みを叶えられたことに安堵している自分がいるのも本当だ。
しかし、それは正しい行いだったのか。僕にはわからない。
だから、かつて僕が彼女に差し入れたこの板がそれなりに重宝したのであれば――彼女の一助になっていたのであれば、それで十分重畳だった。
この板も、かつてのフリージアの仲間と一緒の場所に埋めてやろう。
彼女自身の抜け殻は『勇者』がどこぞへと連れ去ってしまったし。
そう思い、木箱に板をそっと仕舞おうとして――不安定に明滅した画面の表示に気づいた。
「ん? なんだ、これ」
メッセージがあることを示す赤い印に、指を運ぶ。
――反応が悪い。
画面がちらつき、まともに動作をしない。"全知"越しでの操作なので、これが間違っているわけでもなさそうだ。
――何度か繰り返し、ようやく板がやる気を出したのか、そのメッセージが展開された。
「――あいつ。なんだよ、これ」
謝罪の言葉。懺悔の念。
別れの言葉。惜別の念。
そして――感謝の言葉。
きっと僕が、自身の死を阻止しようとするだろうこと。
それでも自分の望みを優先したいこと。その機会を逃したくないこと。
そのために"全知"を装着させて半ば強制的に力を引き出したこと、今後も自分を阻むなら容赦できないであろうこと。
それらが、いくつもの懺悔の言葉とともに、書き連ねてあった。
「ずるいよ……こんなの」
謝りたいのは僕の方だ。
彼女の孤独の一端に触れ、地獄のその片鱗を見た。それでも死んでほしくなかった。
いくら悔いても、謝る相手はもう居ない。彼女の望みが叶えられたから。
この板に長々と書き連ねられた言葉は、僕たちが『勇者』を連れてここを再訪する前に綴られたものだ。
だから、本当に戻ってきてくれるかどうかの不安や、次のチャンスへの見込みがないことへの絶望、きっと大丈夫、という自分自身への励ましをも、明滅する画面は写し出す。綴られたままに写し出す。
最後の最後に、このメッセージが自分以外の誰かの目に触れることを願う思いで締められた、長大な言葉の群れ。
僕が最後まで読み終わるまでに、板は何度も動作を停止し、画面が消えを繰り返し、それでもなんとか役目を果たしてくれた。
「ずるいよ……」
いつしか蹲るように板を握りしめていた僕の目の前で、また板は動作を停止した。
何度目かの電源を投入したが、もはや保つまい。僕らが『勇者』を連れてここを再訪するまでに、内部時間でどれほどの年月が流れたのかはわからない。
この板の使用感から、そう短くないことは伺い知れる。むしろ、よくぞここまで保ってくれたと言うべきだろう。
「――?」
メッセージに読み落としがないかと指を沿わせていると、結びの言葉のあと、空白を写すのみだった画面の下のほうから、ほんの少しだけ追加の文字が現れた。
曰く。
『わたしの肋骨をぴかぴかに磨いて同封しておきます。
これをわたしだと思って肌身離さず大事にしてね〜。
わたしの最後の新しいお友達、オスカーくんへ。愛を籠めて。フリージア = ラインゴット』
「ほんとに、ずるい……」
《"不滅の加護"》を帯びた骨の欠片に、今度こそ力尽きてその機能を完全に停止した板。骨の詰められた木箱。
それらを抱えたまま蹲まっているところをシャロンに引き摺り出されるまで、僕はしばしの感傷に浸るのだった。
シャロンは感情を獲得した魔導機兵なので、主の感情の機微、たとえば泣きそうな時なんかに
「なぜ泣くのですか?」とか「なぜ泣かないのですか?」とか「クソワロタ」とかは(わざとじゃない限り)言わないです。
ちなみにシャロンちゃん時間では1分ちょうどでオスカーくんを引っ張り出してます。カップラーメンすらできやしない。