"不滅"の少女と赤衣の勇者 そのに
構えを解かないまま、『勇者』はぽつりと呟く。
それは『勇者』から、かつての仲間に贈る賞賛だった。
「強く、なったな。フリージア」
「でしょでしょ〜」
フリージアを警戒している。あの『勇者』が。
圧倒的強者が警戒する――それは、力を求めた者にとっては、この上ない賛辞となることもある。
勇者は、言葉を繰り返す。
「本当に、強くなった」
「うんっ。わたし、がんばったんだから〜」
フリージアが過去に語ったこと。
そして、僕が"童話迷宮"から出るときに垣間見たこと。
それらを併せて考えても、フリージアには元来戦う力は無かった。ほとんど皆無と言っていい。
棚に膝をぶつけてうずくまったり、実験動物に威嚇されて涙目になる少女の姿も、記憶の中にはあったのだから。
そんなフリージアがここまで強くなったのは、孤独になってもなお、修練を続けたためだ。
友が逝き、肉も削げおちてもなお、修練を続けたからだ。
「ああ。――よく、頑張ったな。
お前がいてくれたら『災厄』も、もうちょっと楽だったかもしれない」
「あははは〜。
ごめんねぇ、駆けつけられなくて。
『それまで戦った敵が最終局面で駆けつける〜』、みたいな王道展開を演出してあげたかったんだけどね〜。ちょっと固すぎるやこの結界」
宙に残った数十を数える光の槍が、くるくる回る。
光を振りまき、影がゆらゆらと揺れる。くるくる、ゆらゆら。
「お前がぼくの敵だったことなんて、ないだろう」
『勇者』が痛々しげに、顔を歪めた。
そんな顔をするなんて、そんな顔ができるなんて。
僕は少なからず面食らった。その表情には最強の『勇者』の気配はまるでなく。普通の――人のようだった。
「そうだね〜。ともだち、だよ。ず〜っと、友達。
わたしとカノンくんはズッ友だよ!」
「なんだそれは……」
えへへ、とフリージアがはにかむ。
きゅっと僕の右手の中指を掴む感覚があったので下を見ると、僕のすぐ前で立ちふさがるようにしているシャロンが、残る右手で僕の指をつまんでいた。
「ともだち、だよ〜。
それは、どっちかが死んじゃってからだって、変わらないんだから」
「――」
人のような『勇者』が、押し黙る。
『あんたなら、フリージアを助けることだってできるだろう』、そんな主旨のことを、僕は『勇者』に叩きつけた気がする。
それは、なんとも、むごいことだった。
数万年を孤独に過ごした友達を、助けたくないはずがないじゃないか。
彼女の望み、それを満たすことが一番彼女を救うと信じて、自身を押し殺していた『勇者』に対して、僕はあまりにも酷いことを言ってしまった。
僕は、自分を恥じていた。
いつもから回って、こんなのばっかりだ。穴があったら入りたい。そうだ、ちょうど石壁を作るためにできた穴があるから入ろう。それでシャロンに蓋をしてもらおう。シャロンは一緒に入りたがるかもしれないが。
そんな、自身の不明を恥じていると、渦中のフリージアから話しかけられた。
「そうだ、オスカーくん。君はわたしを救ってくれるつもりだったみたいだけど」
「でも、僕は負けた」
いや、こっちはいいから。おとなしく埋まってるから。
そんな僕の様子を知ってか知らずか、フリージアはなおも楽しげだ。
「うん、わりとあっさりね〜。
――でもね〜、生きてるだけが救いじゃないし〜。
わたしは、オスカーくんのおかげで、たしかに救われたよ」
「僕が、勇者を連れてきたから?」
「もちろん、それもだけれどね〜。でも望外に救われたことだって、あるんだよ〜」
それは、どういう?
きょとんとしているのが伝わったのだろう、フリージアはかすかに苦笑する。
「わたし、認められたかったみたいだねぇ〜」
しゅんとして、しかし警戒をとかない『勇者』を正面に、フリージアは呟く。
呟き続ける。
「ちゃんと強いよって。
わたしが頑張ってきたこと、たしかに形になってるよって。
人から見たら、どうでもいいことなのかもしれないけれど。
それでも、わたしは救われちゃった」
そんなことで、彼女の永遠のように長い日々が報われるとは思わない。思えない。
それほど、孤独は、暗闇は、狭さは、時間は、甘いモノではなかった。
「あ〜、いま『そんなことで』って思ったでしょう〜」
「あ、いや……」
図星を突かれる。
"全知"がなくたってわかるんだから〜、とフリージアは腰に手をあて、ぷくーっと頬を膨らませる。
「うん、まあね〜、わたしもそう思う。
それでもね〜。少しでも救われちゃったのは、本当だから」
無意味な戦いも、茶番にも、意味はあったのだと。
その言葉で救われたのは、はたしてフリージアか。それとも、僕自身か。
「だから――そんなつらそうな表情、しなくたっていいんだよ。カノンくん、オスカーくん」
いつもの間延びした調子をなくし、優しく、大人びた様子で、フリージアは微笑んだ。
赤い瞳が揺れる。
どれだけの間、そうしていただろう。
僕の手を握る、シャロンの手だけがあたたかい。
やがて、フリージアはスッと目を伏せ。
白い手を、その手のひらを、勇者に向けて突き出す。
次に彼女が目を見開いたとき、そこにはいたずらっぽい笑顔が戻っていた。
「いっけぇ〜!」
手を振り下ろす。
銀の髪が揺れ、赤い目が光の尾を引く。
号令に従い、生き残っていた光の槍たちが『勇者』という名の力の権化に向けて身投げをしていく。
いままでの攻防の焼き直しのように、光の槍は『勇者』の周囲をまわり続ける半透明な盾によって防がれ、逸らされる。
しかし、先ほどまでと違い光の槍は消滅には至らない。
「チッ」
対する『勇者』は、その両足に黒雷を纏わせた。かと思えば、姿が一瞬で搔き消える。
俯いていたその顔は、どんな表情をしていたのか。それを伺い知れたのは、相対するフリージアだけだ。
なおも降り注ぐ光の槍は、虚しく空を切る。
が、床面にも壁にも魔法陣が出現。フリージアの、赤い魔法陣だ。
床でふたつずつに割れた光の槍は、魔法陣で反射され、壁でさらに倍にその姿を増やす。
分割された光が煌き、空間を埋めていく。一つ一つは小さくなったが、それでも僕らが必死になって対処していた針よりも大きい。
それらの光の矢が、魔法陣にぶつかり、反射し、ぶつかり、反射する。ひとつひとつは軌道がよめても、いくつもが合わさると全てを見切るのは不可能だ。
形成された光の暴風空間は、『勇者』がどこに逃げようとも刺し貫く致死の嵐となり、周囲を覆い尽くしていく。
ここに来て、とんだ隠し球もあったものだった。
僕やシャロンが曲がりなりにも攻撃に対処できていたのは、その動きが画一的だったからというところが大きい。
頭上まで一度持ち上がり、降り注ぐ。一方向的で、曲がりもしない。それが、なんとか対処できた所以である。
しかし、現状は違う。どこから光が伸びるかわからない。前後左右上下に至るまで、目を離せる場所がない。
まるでのたうつ蛇のように。荒れ狂う濁流のように。光の渦が、赤い魔法陣に包まれた領域の、全てを飲み込む。
やがて間を置かず、フリージアも、『勇者』も、光に飲み込まれて、その姿が見えなくなった。
僕も、シャロンも固唾を吞んで、結末を見守るのみ。
目を離すなんて、できようもない。いっそ神々しいほどの光景に、先ほどまで地面に埋まろうとしていた己の思考は消え去り、すべてを視ることに集中させる。
——そして。永遠のような一瞬が過ぎ去り、決着のときが訪れた。
空間に留め置かれた魔法陣が一斉に砕け落ち、もはや光の玉となってなっていた空間が、晴れる。
中心には、フリージアと、『勇者』の姿があった。
まるで抱き合うようにしながら。二人の姿があった。
安らかな表情のフリージアの背からは、禍々しい短剣の切っ先がはみ出ている。突き出ている。貫いている。
『勇者』の方も、無傷ではない。見える範囲では頬に血が滲み、ボロボロだった赤衣がさらにボロけている。
あれだけの暴威のなかにあっても、その程度で済むというのは、少し釈然としないものを感じながらも、僕は『勇者』の血も赤いんだなぁ、なんて場違いな感想を抱いていた。
時間を切り取ったように、ふたりの間を無音が包んで、そして。
「『時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るもの』なんだよ。
わたしのは、それがとっても——死ぬほどに永かったってだけ」
フリージアの姿、その幻覚は、最期の微笑みをその顔に湛えた。
対する『勇者』の顔は、こちらからは伺い知ることができない。
ただ、ぽつりと別れを告げるように。
「"略奪"の神名において、貰い受ける——"奪い尽くせ、我が刃は神をも喰らう"」
"神名開帳"された"略奪"の神名が、フリージアの中、致命の何かを奪っていく。
——ぐらり。空間全体が、揺れた。
"結界"内の、白と灰色の部屋の様相は本来の姿を取り戻し、煤け、地面がぼこぼこに抉れ、痛々しい痕や文字が刻み込まれた床面へと変貌する。
フリージアの姿も、消えていく。銀の髪も、赤い瞳も、しなやかな肢体も。すべて、消えていく。
あとにぽつりと残されたのは、壊れもののようにそっと人骨を抱き上げる、『勇者』の姿だった。