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僕とくらやみ そのよん?

 何かの閃きのような、違和感のようなものに突き動かされて、僕は目を見開いた。

 ああ、見開いても真っ暗闇なのは変わらないんだっけ。


「"日輪の恩恵よ 不浄を清める天の光よ 闇を払いたまえ"」


 何度か失敗しながらも、ようやく眩い魔力光を作り出すことに成功する。


 眩しさに何度か目を瞬かせると、目覚める前となんら変わりのない狭い部屋、そして嫁だったもの――シャロンだったものが僕の隣でその半分しかない身を壁に凭せ掛けている。


 何も。

 何も変わらない光景だ。

 だが、それでも。何かの閃き、その片鱗が瞼の奥にまだ残っている。


 夢を見ていたのか、何を考えていたのか、目覚めてすぐにその閃きのような何かは、霧のように捉えどころがなくなってしまう。

 しかし、確かに。確かに何かがあったんだ。

 何かの外的要因とか、刺激とかじゃなく。

 目覚めてからずっと、どこかにあった違和感の正体を探すべく、狭い部屋のなかにヒントを探す。


 天井。"結界"の一面が見える。誰かが何千年以上も破ることが叶わなかった。

 床。所々穴ぼこにができたり、起伏ができたりしている。穴の底にも"結界"の面があり、脱出はできない。そこいらに石や、石槍なんかが放置されている。

 壁。"結界"の何面かと、中途半端な位置に石壁。"結界"の壁面は、僕とシャロンが背を預けている。石壁のほうは、いかにも適当に作られたようで、適当に積み上げられたようで、適当に打ち捨てられたようで。

 まるで、目隠しのために床石を積み上げただけ、のような。


 まるで。目隠し。石壁。

 目隠し。


 ——見つけた。違和感のようなものの正体は、これだ。


 この狭い部屋には、僕しかいない。

 僕とシャロンしかいない。


 シャロンは壊れて(死んで)しまった。

 だから、おそらくあの壁を作ったのは僕だ。

 何のためにかはわからない。覚えていない。

 きっと、かつてシャロンだったものの目に触れたくない何かのためなのだろう。それはいい。どうでもいい。特定することに意味もないだろう。

 すぐそこに転がっている石槍のような血のこびりついた棒を見るに、推測も難しくはない。


 問題は、その位置関係にある。

 彼女に見せたくはなかった、見られるわけにはいかなかったであろう石槍も、シャロンの骸も、目隠しのような石壁のこちら側にある。


 シャロンは動けない。動かない。

 石槍か、シャロンをわざわざ同じ側へと動かした者がいる。覚えはないけれど、もちろん僕の仕業なのだろう。


 狂いつつあるがゆえの、意味のない行動なのかもしれない。

 でも、そうじゃないとしたら。その行為に何か意味があるのだとしたら。


 その微かな予感に従うように、突き動かされるように、夢遊病のように、僕は重い腰を上げる。うまく動かない左足がぴくりと引きつるが、気にしてはいられない。

 彼女の骸を引き摺ったときにできたであろう、床の上の微かな跡を辿り、左足を引き摺りながら壁の反対側にゆっくりと回り込んだところ、僕はそれをようやく発見した。



 ——



 壁の反対側の床には(おびただ)しいほど、びっしりと文字が敷き詰められていた。


 大小様々に、左も右も、見渡す限りに。

 文字、文字、文字。

 文字。

 文字。文字。文字。文字。文字。

 シャロンを引き摺ったであろう跡すら完全にかき消されるほどに、文字、文字、文字。その光景はかなり狂気じみている。


 すべて僕が書いたものなんだろう。それらの文字の癖は、見覚えがあるものだった。自分の名さえ思い出せないのに、自分の文字の癖は覚えているなんて、不思議な感覚だ。でも、これはきっと僕が書いたのだ。その確信にも似た感覚が、僕の中にある。


 その文字に埋まった、文字に溺れた中央、そこだけ他の文字が書かれていない場所には、やや大きめな文字が佇んでいる。


『板があったらこの世界は偽物』


 僕から僕へ向けての、過去から今へ向けての、メッセージ。

 その大きな文字を囲うように、所狭しと刻まれている他の文字は、文章は、これまでのことが書き記してあった。


 それは、たとえばシャロンのこと。彼女と出会ってどれだけ救われたのか。これまでどれだけ助けられたのか。どれだけ想っているのか。

 それは、たとえばアーニャのこと。アーシャのこと。ラシュのこと。

 町のこと。工房のこと。両親のこと。仇のこと。結界に閉じ込められた少女のこと。花を植えたこと。海を見たこと。プロポーズしたこと。村を救ったこと。友のこと。剣を鍛えたこと。お風呂を作ったこと。

 これまでのことが、所狭しにぎっしりと。


 『これから忘れる僕のために』という書き出しの後、そういったことが、書き連ねてある。

 丸一日や二日で書き表せる量じゃない。きっと長い間、今の僕のために、かつての僕はこの狂気じみた書き出しを行ったのだ。


「――は、はは」


 つっかえつっかえ、笑いが漏れる。

 いやはや。もはや笑うしかないからだが。


 いかれてる。狂っている。極まっている。

 僕は、僕自身の記憶を消したのだ。


 しかもおそらく、記憶を消す魔術なんて高尚なもんじゃない。

 脳を直接、魔力でかき乱して、その記憶の繋がりを断ち切ったのだ。まともな考えとは到底思えない。


 上手く行く保証なんて、どこにもない。

 そのまま二度と目覚めない可能性だってあっただろうし、それならまだいい。目覚めないなら、苦しみだってないだろう。

 だがそんなものは序の口で、まともな思考力すら失くし、ただ死ぬこともできず地に這い続けるリスクだってあっただろう。

 傷や魔力の消費を直してくれる機能が”結界”に備わっている——と書いてあった——、というのを見込んでいたとしても、それは決して低いリスクではなかった。頭が割れんばかりに痛み続け、終わらぬ吐き気に苛まれ、左足が動かない。それで済んでいるの今の僕の状態は、頭の中身を直接弄った代償としては、運が良い部類だろう。


 それでも。それだけのリスクがあっても。

 かつての僕はきっと、この世界を否定したかったのだ。


『板があったらこの世界は偽物』


 僕のメッセージを見るに、偽物だという、そう思う発端、きっかけはどこかにあったのだろうと思う。だが、その確証はなかった。

 偽物だと、そう思う——否、それに縋るしか、僕にはもう道が何も残されていなかった、と言い換えることもできるかもしれないけれど。


 執念に、狂気に、妄執に深く取り付かれるままに書いたと思しき文字の中には、僕が記憶を消すに至った経緯も記されていた。


 僕は記憶を失う前にも、おそらく一度シャロンを調べている。

 板を探した際に彼女の服が一部乱れていたのは、きっとそのせいだ。シャロンの服の構造は、少しばかりわかりづらい。うまく元に戻せなかったのだろう。


 そして、最初に調べたときには、板なんて、なかったのだ。今も僕の手の中にある、一部がえぐり取られたように穴の空いた板は、影も形も存在しなかったのだ。


 なかったはずのモノが、いまは僕の手元にある。

 これは、この世界、この閉じた空間が作り物である証拠。

 この空間の作り手の意図と、僕の思考を読み取って、脱出を防ぐ空間として機能している証左である。

 だから、僕の知る脱出の手段や、外界との連絡に使えそうなモノは、その全てが消失するか、機能をなくしていた。

 

 僕が記憶を失ったことで。

 僕が記憶を捨てたことで。

 『そこにあるのだろう』と思った板――本来は存在しなかったはずの板が、()()()()のだ。それも、かつての僕の推測通りの、機能を失った形で。


 その、気が狂ったような、歪んだ世界。自らの記憶さえ騙す必要があることに——記憶を失う前の僕は賭けたのだ。

 一番大切なものの記憶まで差し出して。あとから絶対に思い出すために、忘れたままになどしないために、こうして地面を埋めるまでに文字を書き尽くしてまで。

 きっとそれは、僕自身のためだけではなく。僕の最愛の者のためにも。偽物の世界を脱して彼女に再び会った時、彼女が悲しまないように。



 痛む頭を押さえ込み、一睡もせず。地面の文字を五度、六度と読み返す。狂ったように書き連ねられた文字たちを、余すところなく狂ったように読み返す。

 そうして概ね、状況は把握した。


 それにしても、過去の僕は馬鹿なんじゃなかろうか。

 頭をいじくって記憶を消す、なんていう芸当も試す機会なんてこれまで無かった。そういうふうに地面に書いてある。上手くいかなかったらごめん、とも。ごめんじゃねぇ。

 根拠となっているのは、工房を訪れた客——夜中に徘徊してしまうという酒飲みの男らしい——を調べたときに、記憶を司る部位についての知見があった、という。たったのそれだけだ。

 そんなあやふやな知識で、自分に対してぶっつけ本番で頭の中をいじくりまわすなど、常軌を逸している。


 過去の僕が馬鹿だと思う理由は、それだけではない。

 これだけびっしりと書き連ねられた文字たちを何度読み返しても。何度眺めてみても。何度しらみつぶしにしてみても。

 僕自身が何者か、ということについては、何一つ記述がなかったのである。

 おかげで僕には、僕自身についての知識がない。未だに名無しなのだった。



「シャロン」


 何度も(つか)えながらも、取り戻した彼女の名を呼ぶ。

 最愛の者だと過去の僕も今の僕も認める彼女の側に戻り、その髪を梳き。

 僕は、僕自身が思い出せない何者かは、シャロンの——最愛の者の髪を指で梳く。

 それは絡まりもまとわりつきもせず、きめ細やかな肌触りだけを残し、するすると指の間をすべり落ちて行く。


 今は何も僕に応えてはくれないが、『この世界が偽物』だとするならば、いずれまたシャロンと再会する望みだって、ないわけじゃない。

 彼女の服から取り上げてしまった、本来持っていないはずの板を彼女の前に返しておく。持っていなかったはずのものを返すというのも、変な話だが。


 そういえば。この板が入っていた隠しポケットには、何かの刺繍が入っていた。


『——ここ、ここみてください! 私の名前の刺繍なんです!』


 そんな、在りし日の彼女の声が再生される。

 記憶を差し出した僕だが、それは完全に消えてしまったわけではないようで。

 微かに——だが、確かに。僕の中に彼女の思い出が残っている。


 そして。その微かな記憶に突き動かされるように、ほとんど感覚のない左足が、痛んだ。


 いちおう、目隠しの壁の反対側——シャロンから見えない位置、文字のびっしり書き込まれた位置にまで来た上で、僕は自分の服を、ズボンを確認する。

 微かな記憶は、掴もうとしたらすぐにでも霧散してしまいそうだ。

 だが、それでも、何かが。ここには何かがあったはず。

 目隠しの壁に違和感を抱いたときよりも、それは確信に近い。


 ほとんど感覚のない、引きつる左足からズボンを外すのは、それなりに手間が掛かった。

 尻餅をつき、手をついた拍子に皮がやぶれて血がにじむ。それもすぐに修復され、じくじくした痛みだけがその傷があったことを教えてくる。

 そしてようやく見つけたのは、小さい、所々が歪んだ、金の文字だった。

 彼女の、僕の最愛の、シャロンの髪と同じ、金の糸で綴られた、短い文字だった。


 床に書き連ねられた、かつての僕から今の僕へのメッセージとは違う。

 これは、かつてのシャロンから、僕へのメッセージ。過去の僕へも今の僕へも、変わらず届けられるその想い。

 小さく、ささやかな、金の刺繍。そういう作業に慣れていない彼女が、それでも僕に伝えるために頑張って施したメッセージ。


『オスカーさん らぶ』


 ——僕はついに、僕自身の名前を取り戻した。

……解決編の予定でした。

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