僕とくらやみ そのに
――55日目。
「ご、ッぷ」
口から、腹から、血が溢れ出る。
痛いというより、熱い。いや、冷たい? いや、やっぱり熱い――!!
真っ暗なはずの視界が明滅する。
暗闇に、真紅の花が咲く。
「あぁ、ああああ……、ぁああああああ――!!」
フリージアに散々好き勝手言っておいて、なんだこの体たらくは。
自らに呆れ果てすぎて反吐すら出ない。
身勝手な望みを吐き散らかしていた僕の口から垂れ流されるのは、いまや絶叫の一色だ。
それは、衝動的なものだった。
鋭く研ぎ澄ませた、床石で作った石槍を、自らの臓腑に突き立てた。
「ぶッ――!!」
血の塊とともに、空気と言い訳を吐き捨てる。
最愛からは見えないよう、これまた床石で作った壁を間に立ててまでコトに及んでおいて、衝動的に、とは。
ことがここに至ってまで、誰に対する何の言い訳だ。
「ぎッぁあッッずァあああぁあッ――!!!!」
ずぶりと槍を引き抜くと、熱くて冷たい傷口からは、血が止め処なく流れ出し続ける。
"全知"のない僕には、もうこの傷は治せない。
激痛が精神を白く染め上げる。
――56日目。
死ぬほど痛かった。でも死んでない。二度寝した。
――57日目。
血の跡がこびりついた石槍が転がっている。
臓腑を掻っ捌いた傷は、ぐちゃっと痛々しい姿を晒しているし、じくりじくりとした痛みが定期的に脳髄を焼く。
即死しかねない傷だったはずなのにも関わらず。滅茶苦茶痛かったが、痛いだけで死ねない。
これは、"結界"による治癒効果なのだろうか。それとも。
――58日目。
横たわったまま"治癒"魔術の真似事で、とりあえず傷口を塞ぐだけ塞いだ。
"全知"がない僕には、微細な魔力操作を体内に施すなんて芸当、もはやできはしない。
「はっ」
掠れた声は、自分以外に誰の鼓膜も震わせることなく、硬い地面に吸い込まれて消えた。
――59日目。
適当な治し方をしたからか、左足がほとんど動かない。
掻っ捌いたのは腹なのに、足が動かなくなるなんてことがあるんだな。
横たわったままの僕には、さほど関係もないのだけれど。
ぐちゃぐちゃになった腹を適当に塞いでおいただけなのに、もうあまり痛みを感じなかった。
"結界"による治癒能力の賜物、といったところか。
もっと痛みが持続したっていい。
そうでないと、この愚かな自分は、自分の罪をすぐ忘れてしまうだろうから。
――60日目。
僕の身勝手で、楽観で、軽く考えていたせいで、シャロンが死んだ。
何が『助けたい』だ。
「……かは」
喉が、声が、張り付いて。
壁の向こうのシャロンに何か話しかけようと思ったのだけれど、やめる。
もう彼女は応えない。
お前のせいだ、オスカー = ハウレル。
――61日目。
僕のせい、そう。僕のせいだ。
だがフリージアも。
『勇者』も。
ここまでする必要があるのか?
僕はいい。
確かに僕は愚かだった。いや、いまもって愚かなままだろう。
横たわったまま、冷たくほとんど動かない左足をごろんと転がし、自嘲気味に笑う。
だが、シャロンは。
壊されなくてはならなかったのか?
僕がどうこうされることがあれば、シャロンはおとなしくしていないだろう。
それでも、『勇者』との力量差があれば、そんなの、いくらでもやりようだってあったはずだ。
身勝手に身勝手を重ね、ともすれば出てくるのはふたりへの恨み言。
こんな状況になって。なりはてて。それでもなお他人を恨む。
そんな自分自身が、本当に嫌いだ。救えない。救われない。他人を救うなど烏滸がましい。
目を閉じる。……いや、そもそも開けてなかったや。
――62日目。
暗闇と孤独。
それは、ゆっくり、じっくり、じんわりと。だが確実に、精神を蝕んでいく。
虫の声や、風の音、もはやおなじみになった地面の揺れすら感じないこの空間で、確かに感じるのは自らの鼓動くらいのものだ。
いっそ止まってしまえば楽なのに。
もう僕にはなにもない。
何もかも、なくしてしまった。最愛の人さえ。
かつて、シャロンに出会ったあの暗闇に戻ったみたいだ。
むしろいままでの冒険が、工房での賑やかな、しかしそれでも幸せな生活が、すべてまやかしだったのではないだろうか。
僕は蛮族から逃げるうち、岩棚の間に落ちて、そこで長い夢を見ていただけなのではないだろうか。
魔導機兵や"全知"、フリージア、アーニャ、アーシャ、ラシュ――その全てが、無力な自分が死に際に見た夢だったんじゃないか。
やがてその夢も終わり、無力な僕はようやく死ぬところなんじゃないだろうか。
「――」
もし、そうだったならば。
僕のせいでシャロンが死んでしまったこともまやかしだ。
僕らの帰りを待ちぼうけるアーニャたちも。
ああ――そうであれば、どれだけ。僕がこうして独り寂しく息を引き取るだけで悲しむ人がどこにもいない、なんて。なんて良いことだろう。
シャロンへの愛情が。
『勇者』への恨みが。
アーニャたちへの申し訳なさが。
それら全てが解消されるなんて。
命がけで僕を逃してくれた両親へだけは顔向けができたものではないけれど。
「――はは」
無論、そんなこと、ありはしない。
舌を噛み切ろうとも、喉を突こうとも。
この身は活動をやめないのだから。
きっと。
フリージアの望みを叶えるためには"不滅"が邪魔で。
その神名を消すことはできないから、『勇者』は"不滅"を彼女から僕に移した。
そんなことが可能なのかどうか、考えても仕方がない。現に、そういうことになっている。
"六層式神成陣"の再生効果は大したものだが、それでも即死したものを蘇生するほどのものではない。
それは、致命傷を受けたあとの傷の治りを見ても明らかだ。
となれば、僕の知る限りにおいて、僕の生命活動の停止を阻んでいるモノとして、思いつくのは"不滅"しか存在しない。
"全知"があれば答えを教えてくれるのだろうが、いまの僕が持っているのは"不滅"疑いのみ。
返した能力に固執するなど、僕もよくよく未練がましい。
――?日目。
――ぐちゃり。
――?日目。
頭を引っ掻き回される。
脳内をぐちゃぐちゃに混ぜられる。
暗闇に、脳裏に、何かの像が浮かんでは消える。
『あほぉ……帰ってくるって、言うたやん』
誰かの声がこだまする。
『今日は――さまの好物の――なの』
手をつけられていない何かを取り出し、捨て、新しい何かをどこかへ仕舞う誰かの姿。
『うそつき』
木でできた剣を抱きかかえ、涙を堪えてうずくまる誰か。
『貸しを返させないでいなくなるとは、随分と無作法じゃないか。――よ』
黒い剣を地面に突き立て、空を見上げる誰か。
商人風の恰幅の良い人物。
胡散臭い笑みを貼り付けた男。
小さく丸っこいなにか。
いろんな人が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
表情はわからない。わからないのに、皆一様に悲しげな雰囲気を纏っている。そんな気がする。
――?日目。
地面に倒れていた。
何をしていて寝転がったのかが思い出せないが、思い出せないのならばとくに大きな意味もないのだろう。
どうせ来る日も来る日も転がっているだけだ。
「あだっ」
身体を起こすと、頭がぐわんぐわんと痛む。
「――?」
左足が動かない。
まるで身体の末端に石がそのまま繋がっているように、その部位は全く言うことを聞かない。
感覚がない足、さかんに痛みを発する頭だけでなく、他にも身体中あちこちがじわりと痛い。
微妙に記憶が定かではないが、閉じ込められて自棄になるうち、自分自身を何度か攻撃したような……そんな気がせんでもない。
「うーん……?」
やはり、記憶が曖昧だ。
首を捻ると、ひときわズキリと頭が反抗の意志を示した。
長く閉じ込められすぎて、物忘れでも発症したんだろうか。
僕はかつて――誰かが閉じ込められていた"結界"――なんだっけ、なんかに閉じ込められて、そこで――の死体と対面して――。
ぶんぶんと頭を振る。なんてことしやがる、とひときわ頭痛が強くなった。うぅ。
閉じ込められてからどれだけ日が経ったのかすら、わからない。
そういえば、日数に応じて石を転がしていたはずだった。
それを確認するためにも、明かりが必要だ。
「――」
出ない。
「――?」
魔力光が出ない。
魔術の構造が正しく思い浮かべられなくなっている。
「ゴッホ、げほ。に、"日輪の――"」
なんだっけ……。
仕方ないので、順を追って、ゆっくりとその先を思い出し。掠れた喉で丁寧に詠唱を口にする。
「"日輪の恩恵よ 不浄を清める天の光よ 闇を払いたまえ"」
それでも何度か失敗し、何度目かの挑戦の末にようやく、まばゆい白紫の魔力光が、狭い室内を明るく照らし出した。
よかった。魔術が使えなくなったわけではない。閉じ込められている状態で、よかったも何もあったものではないのだけれど。
さぁっと闇を払った光によって、適当に積まれた壁や、何かの残骸、日数を数えていた石、血のこびり付いた無骨な石槍――そして最愛の――誰かの亡骸の姿が照らし出された。
壁際に目を閉じて佇む様はところどころが欠けていたとしても、その姿はやはり息を飲むほどに美しい。いまにもパチリと目を開けて、その蒼い瞳で微笑みかけてくれるのではないか。そんな望みが去来するくらいには、それは綺麗な死に顔だった。
彼女を見つめ続け。
最愛の者のはずなのに、名前を思い出せない彼女を想い続け。
物言わぬ彼女を悼み続け。
そこでふと、何かが書かれていることにようやく気がついた。
その子がもたれ掛かっている壁のすぐ脇の地面に、文字が刻まれている。
すわ、ここに僕らを閉じ込めたやつらからの何かのメッセージか? と眉根を寄せる。
が、どうやらそうではないらしい。
というのも、文字の書き方の特徴は、僕自身がそれを書いたことを示しているからだ。
「――んん?」
本格的に覚えがない。
考えようとすると、無理に頭を引っ掻き回したかのような頭痛が、ビシリと横切っていった。
殴り書きのようなそれ。単語がいくつか並んでいるだけの内容は、こんなところだった。
『シャロン 服 隠しポケット 倉庫 板』
「――んんん?」
僕は再び、頭を捻った。
その動きをやめろ、とばかりに頭が僕に抗議の痛みを伝え続けるのも気にせず、僕の目はその殴り書きに釘付けとなった。