僕と赤衣の勇者
「むぅー」
ラシュはふくれていた。
声に出すレベルで、その頬をぷくぅっと盛大に膨らせている。
「ラッくん、ごめんってば。おねーちゃんめっちゃ急いどったから。ほんまごめんな、な?」
「むぅうー……!」
完全におかんむりモードである。
アーニャが二階から飛び出したとき、その直前にラシュはアーニャによって"倉庫"送りにされていたらしい。
首輪が生成できる"倉庫"へ接続する魔法陣は、さほど大きくない。そこに無理やり押し込まれたラシュはいたくご立腹の様子であった。
"倉庫"内外では時間の流れが異なるため、ラシュにとっては一瞬であっただろうこと、緊急時だったので仕方なかったことをちゃんと考えた上でのアーニャの判断だったらしいのだが、ラシュはそれでも機嫌を損ねていた。
「くらかったよ」
「ごめんて……」
「魔法陣、せまかった」
「うん、ごめん……」
「ぼくもたたかうのに、ねーちゃんだけで行った」
「うぅ。ラッくんに危ないことさせたなかってん。ごめんて……」
「それは、ぼくもいっしょ。おねーちゃんたち、すぐむりするから」
「うぅ。ごめん。ウチのおさかなあげるから許してぇな、な?」
「むぅうー……!!」
「うぅ」
ちゃっかり魚は受け取りつつも、ラシュは唇を尖らせ、頬を膨らせたままである。
意識を取り戻し、ラシュを工房に連れ帰ってからというもの、アーニャは謝り通しだった。
アーニャがラシュに詫びる声以外には、かちゃかちゃと、食器を動かす音だけが静かに響くこの場所は、僕らの工房の二階。
いつもの団欒を楽しむ、食卓のスペース。
そして――蒸した芋を、無言で口に運ぶ赤い男。
「――」
「――」
黙りこくる僕らを、はらはらと見守るアーシャの髪が揺れる。
「あっ、あのっ、お塩あるの」
「――」
「えっ、えぅ。えっと、カルカルを炒めたのも、あるの」
「――」
「えぅ。あぅ」
「……はぁ。
不要だ。本来、オレに食事は必要ない」
やがて根負けしたのか、赤い男はアーシャに返事を返す。
とても面倒くさそうだ。
僕やシャロンは口を差し挟まない。
赤い男――いや、『赤衣の勇者』はふたたび大きなため息をついた。
「確認だが。
少年はラインゴッド第七研究所地下で特殊結界に足を踏み入れ、そこでフリージア = ラインゴットと名乗る少女に出会った。
その少女から"全知"の眼鏡を借り受けた、そう言うんだな」
あまりアーシャを邪険にするのも気が咎めるのかもしれない。
蒸した芋片手に、『勇者』は先ほどの話を蒸し返す。
「その通りだ」
その内容は、先ほど僕自身が語った通りのことだ。
この『勇者』の目的がわからない以上、フリージアの持つ神名の話など、避けられる部分は避けて話したけれど。
自身のことを『赤衣の勇者、だとか呼ばれている。好きに呼べ』だとか嘯いた『勇者』は、手の中の芋をくるくると回した。
「その特殊結界、正確には"六層式神成陣"はオレが基礎理論を作ったモノだが。
カミナリで神に成るってな。『神を継ぐ』を標榜するラインゴット研究所では大層興味を持ってたっけか。
あのタヌキジジイ、完成させてやがったんだな。余計な機能まで付けて。代わりに何を削りやがったのやら」
男は不思議と饒舌だった。
それは僕に語るようでも、独り言のようでもある。
この場にはいない誰かへ恨み言を吐きつつも『勇者』はその実無気力な様子のままだった。
もっとも。この男は無気力なままでも、芋を片手に、一呼吸の間に僕ら全員を殲滅するだけの力があろう。
僕もシャロンも、一瞬足りとも気を抜いてはいない。気を抜かなくてどうこうなる手合いでもないのだけれど。
しかし僕はいま、他のことが気にかかっていた。
『勇者』の話を、何度も何度も語って聞かされていたことが、あるような。
「勇者」
「あン?」
「そうだ……思い出した。
『勇者召喚』『眼鏡の持ち主』『"世界の災厄"』『この世界に来ようとしていた』『すっごい強い』『一種のバグキャラ』」
そうだ、それを僕に語って聞かせたのこそ、フリージアだった。
物騒な子守唄替わりに、3年に渡って血反吐を吐きながら倒れている僕に、何度も何度もフリージアが語って聞かせたお話。
「『赤衣の勇者』。あんた、一体」
こいつは一体、何者なのか。
フリージアの語った、勇者本人である説。
フリージアの閉じ込められている結界――『勇者』によると"六層式神成陣"――とは逆の、それこそ"倉庫"のような場所に居続けたのだとしたら、その可能性もあろう。
もしくは、この『勇者』の持つ神名のひとつ、"超越"。『世界の枠組みを超える』というものへの理解が及ばないが、時間さえも超えられる可能性だってある。
記憶を保持した、別人である説。
魔術や、"略奪"の神名で、他人の身体に乗り移っている、だとか。不可能ではないように思う。
いや、ことこの『勇者』において、むしろ何か不可能なことがあるのだろうか。
子孫だよ説。
『勇者』は世襲され、親から子へと重要事項が伝達され続けている。
現実味があるのかないのか。フリージアが閉じ込められている結界の名などを子孫代々に渡るまで、何代も何代も継承していくものだろうか。
『勇者』と付くだけで実は関係ないよ説。
強大な力を持っているのは確かだが、フリージアのいう『勇者』と、いま目の前で芋を眺めている『赤衣の勇者』が同一人物であるとは限らない。
かつてフリージアが語ったように、バグキャラじみた強さの片鱗は、僕も感じたところではあるが……。
"全知"による予測を除けば、『赤衣の勇者』は木の棒の手足で数歩歩き、椅子を出し、座っただけである。
しかし、シャロンさえその異様に気づかなかったことや、"全知"での予測による動きは常軌を逸しているというのは確かだ。
答えは、本人の口から聞くのが早かろう。
もっとも、すんなりと答えてくれるとは限らないが。
「一体、もなにも。さっき言った通りだ。
自分の名前を失って、なんか『赤衣の勇者』とかいう称号を勝手に付けられただけの者だよ、オレは。
少年の言う、フリージアとも面識はある。誰がバグキャラだあのマセた小娘。次あったらどつこう」
『勇者』はいとも簡単に、そんなことをのたまった。
「フリージアは、その。普通より長生きしてるんだけど」
言葉を選びながら探ろうとする僕を、『勇者』は「ハッ!」と鼻で笑った。
そういう動作や、面倒くさそうだったりする仕草が、つくづく『勇者』っぽくない。
「今も生きてるってんなら、そうなんだろうよ。
神名継承実験が成功したんだろ」
さほど興味もなさげに応じる『勇者』。
「あなたは、世界を越えた者なのですね」
いままで沈黙を守っていたシャロンが、その鈴の音のような声を発する。
どういうことだ? と僕はその意図を計りかねる。
『勇者』はシャロンの言葉に、少し顔を歪めた。
「そういうこった。
”世界”を超えるとどういうことが起こるか、教えてやるよ少年。そこの人形は知ってるみたいだしな」
シャロンのことを頑に人形と呼ばれるのは、良い気がしない。
僕の名前も、シャロンの名前も、すでにアーニャたちの名前も、すでに『勇者』には伝えている。
しかし、当のシャロンは気にせず話を聞きましょう、というスタンスなのだった。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、『勇者』は話を続ける。
「町から町へと移動する。国から国へと移動する。星から星へと移動することだって、できたことがあるらしい。
俺はそんな感覚で、世界から世界へと——この世界へと移動してきた」
彼は手の中で完全に冷めてしまっているであろう芋を見つめ、言葉を紡ぐ。
「俺の——というより、世界を超えた者の時間は、元の世界に紐付いてるモノらしい。
俺の元居た世界は、もう滅んだんだろうな。途中から、俺の身体の時間経過、正確には代謝や寿命の概念がなくなった」
だから食事は必要ないんだ。食えるが、食えるだけだ。
そんなことを呟きながら、冷めた芋を咀嚼する。
「だから勇者召喚されたのも俺だし、フリージアに眼鏡をとられたのも俺だし、”世界の災厄”と対峙してたのも俺自身だ。
それでいうと、”世界の災厄”も世界を跨いで来たやつだから寿命とか無いんだろうな。はぁ……」
『勇者』の独白を理解するのに精一杯な僕に引き換え、シャロンは表情を堅くしているだけで平静を保っている。
先ほどまでこちらを伺っていたアーシャも、いまはアーニャと二人掛かりでラシュを宥めに掛かっていた。
「ちょっと待て。まるでまだ居るみたいな言い方に聞こえるけど、”世界の災厄”って倒されたんだろ?
魔導機兵や、研究所の人、それこそあんたが、『勇者』が倒したんじゃなかったのか」
「倒したといえば倒しはした。が、アレはそのうち復活する。確定事項だ。が、魔導機兵か。——魔導機兵ね」
はぁ、とシャロンを見据えてため息を放つ『勇者』。なんともむかつく。僕の嫁が何をしたというのか。
「魔導機兵はむしろ敵だ。『災厄戦争』のときには人類に多大な被害をもたらした。直接的にも、間接的にもな」
「そんな!?」
蒼い瞳を瞬かせ、絶句するシャロン。
それを一瞥し、『勇者』は続ける。
「意志を持たない人形は、簡単に”災厄”の尖兵に成り下がった。やつらはそれまで主人と仰いでいた者を一斉に斬り殺し、”災厄”に降ったんだよ。
だから少年。お前がいくらその人形を可愛がろうとも——俺に向かって来るなら、容赦なく壊す」
それは、奇しくも回答となっていた。
僕の知り得ることを話すかわりに突きつけた、交換条件にもなっていない条件のひとつ。『僕からの質問にも答えてほしい』といったのは、『なぜシャロンを破壊しようとするのか』が聞きたかったから。
”全知”で早とちりした僕が悪いのだが、最初から慌てなければ『勇者』は話ができる手合いであった。そのためむしろ話せば話すほど、”全知”で先読みした『勇者』の行動が不可解だったのだ。
「そんな。魔導機兵がご主人様を、斬る? 私が、オスカーさんを、ころす――?」
シャロンは自らの白い手をただ見下ろして、真実とは思えないといった面持ちで茫然と呟いた。