僕と赤い男 そのに
オスシャロの記念すべき100話にして、さらに累計2万PVを達成しました!
ここまで続けてこられているのも、モチベーションが保てているのも、読んでいただける皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
もっともっと多くの方に読んでいただけますよう、貪欲に頑張っていきたいと思います。
今後とも、オスカー・シャロンの魔道工房をよろしくお願いします。
「"全知"を。その神名を。――その眼鏡を。
どこで手に入れた?」
赤い長身痩躯の男から、再度繰り返される質問。
そして、その圧力に圧倒される。
男は、ただそこに、目の前に立っているだけだ。
それでも、絶望的なまでの隔たりが、隔絶された力の差が。
まるで、分厚い鉄の板に素手で立ち向かうがごとき不毛さが。僕の全身を雁字搦めに包んでいる。
時が止まったかのような、止まった時の中で絶え間なく生命の危機に晒されているような、そんな感覚。
僕の頬を伝って落ちる汗だけが、時間の経過を思い知らせる。
「か……」
――喉が掠れて、出るのは微かな嗄れた声。
シャロンを背にし、脚を震わせ、僕にはこれ以上どうすることもできなかった。
進むことも、戻ることも。何か魔術を使うために精神集中することなど、とても出来る状態じゃない。
男は地に這いつくばる僕たちを、ただ睥睨する。
ぽとり。汗が伝う。
アーシャは震え、僕の背後ではシャロンが隙を伺っているようだ。そして、僕は――僕は、何もできない。
ぽとり。
「はぁ」
男は、実に面倒そうに嘆息する。
「もう一度だけ聞こうか。まさか話せないわけじゃあ、あるまい。
知らないなんてことも、あるまいよ。
その"全知"――」
動けない。
身体が動かない。
しかし、その刹那。
『2秒稼いだる! シャロちゃん、アーちゃん連れて逃げえ!』
頭に響く声があった。次いで、上階から魔力反応。
それは"肉体強化"の呪文紙を使用したアーニャのものに他ならない。
「ん」
男が、わずかに下がり上を仰ぎ見る。
しかし、その時にはすでにアーニャの姿は通りの向かい、その壁に張りついていた。
ぐぐっと膝を屈め、最高速度での跳躍のために勢いを溜める。溜める。
"神名開帳"の効果か、その一瞬一瞬が、まるで止まってみえるかのように鮮明だ。
それと同時に動きがあったのは僕の背後。
背中で庇っていたシャロンが僕の手を振りほどき、しゃがみこんでいたアーシャまで一足飛びで移動すると、その身体を抱きかかえる。
男も、シャロンのその動きを横目で捉えていた。
アーニャのことも認識していることは、左腕――そのあるべき場所に付けられた木の棒を、通りの向かいに向けて掲げたことからも明白だ。
「オスカーさん!」
自ら振りほどいたその手を、シャロンはもう一度僕に向かって伸ばす。
"転移"で逃げるなら、今しかない。
僕は。それでも、僕は。
『達者でな! ――だいすきやったよ、カーくん』
ずだん!
通りに轟くその音は、"肉体強化"状態のアーニャが壁を踏み切った音。
彼女の身体は矢よりもはやく、水平方向に落下する。
対する赤い男は、棒を掲げ、迎撃体制。
明滅する。
視界が、ちかちかと瞬く。
終わる。意味もわからず、こんなにも理不尽に。
平和だった日々が、楽しかった生活が、終わる。
――白かった視界が黒くなる。
終わる。また、僕の大事なものが、大事な人が、失われる。
勝手な都合で。どうあっても力が及ばない存在によって、一方的に。
――また、視界が白くなる。
一方的な殺戮は、虐殺は、暴力は、考えてみれば僕も行使したものだ。
べつに後悔したわけではない。ないけれど……山を切り崩してぶつけたとき、蛮族たちはこんな気分だったのかもしれない。
思えばやつらの頭目も、最後には笑っていた。最期には壮絶な笑みだった。
何がおかしいのだろうと思っていたが、今、わかった。
人間、もうどうしようもなくなると、笑うしかないんだ。
――視界が、黒くなる。
白く染まったと思っていた視界は、夕日が目に映ったせいだった。
笑っていた。壁から飛来するその人はナイフを煌めかせ、笑っていた。僕を心配させないように。決意を秘めた瞳の端には涙を浮かべながらも、たしかに笑っていた。
もう一歩を踏み出すと、煌めいたナイフの照り返す陽光が、ちょうど僕の視界を焼いていた。――視界が白くなる。
いつのまにか。僕の身体は動いていた。
「"念動・強制停止ぁぁああッッ!!"」
振り絞る。
あらん限りの大声を。
あらん限りの魔力を。
それは、通りを超え、大通りに至るまで、響く。
「んぁッ!? にゃあぁッ!?」
自由落下よりもなお疾く、一筋の閃光になろうとした存在のなれの果てが、驚きの声をあげる。
それはすぐに、ちょっと前に記者から聞いたような情けない声へと変貌を遂げた。
「ちょ、カーくん、おろして、おろしてぇえッ!!」
飛びかかる格好でビタリと宙に縫いとめられたアーニャ。
首輪の抗魔をも超えた一撃はただしくその効力を発揮し、飛ぶ鳥も、空中のアーニャも、舞い散る砂埃ですら、そこから動くものはない。っていうか僕も動けないぞこれ。うわこれ困るー。
「ふ」
そんな、すべてが停止した、すべてが動かない空間で息をついたのは、赤い男だ。
いつのまにか、男はぼくのすぐ隣にいた。いや、僕がそこまで無我夢中で動いたというのが正しいのだろう。
「いまのは、多少面白かった。
それに、このほうが話が早そうだ」
男は、なんのことはなさそうにすたすたと僕の正面にまわると、その右手に青い光が集まる。
「"夢想と幻想、現の境"」
ささやかな魔力光が収まると、そこには小ぶりな木の椅子が出現していた。
男は、それに腰を落ち着ける。
僕は、自身の魔術で縛られ動かない体で、それを瞠目する。
いまのはすでに作ってあった椅子を"召喚"したわけでは、なかった。
"全知"の観測が正しいとするならば、ここには何もないという世界の情報を上書きしてのけたのだ。
「さて。もう一度だけ聞こうと言ったところだったな。
その"全知"をどこで手に入れたんだ、少年」
"神名"持ちはインチキすぎるとは思っていたが、この男はその度を越している。
気を抜いていい状況ではないのだが、この"念動"を打ち切るだけの魔力が、今の僕にはもう無い。停止した状態で、警戒も何もあったものではない。
「カーくん……ウチ、この姿勢ちょっとキツいんやけど、どーにかならん? シャロちゃーん。おたすけー」
「いいえ。私もアーシャさんを抱えた状態で動けません」
「シャロンさま、ふかふかなの」
暗くなっていく周囲に、三者三様の気の抜けるやりとりが響く。
どうも、沈みゆく夕日までは、止められなかったようだった。
「はぁ……」
今度は僕が、嘆息した。
今度は、男が前にいても、ちゃんと声が出た。
僕がそいつを克服したというより、もはや諦めの境地ゆえか。それとも――椅子で寛ぐ男からは、怒気のようなものが、綺麗さっぱり消え去っているせいか。
「わかった。あんたの質問には答える。全て正直に。
なんなら、"全知"で確かめればいい。
その代わり、僕が答えた後でいいから、こちらからも2つお願いがある」
「条件を付けられるような格好ではないと思うが。わりと面白い状態だぞ、少年。しかも2つもか。
なかなか図々しいのだな、君は。
はぁ。――まあいい。聞くだけ聞こう」
面倒くさそうに応える男は、その実のんびりしているように見える。
その内面で何を考えているのかは、"全知"をもってしても伺い知ることはできなかった。
何も考えていないのか、より上位者からはレジストされるのかは定かではない。
「1つ目は、僕からの質問にも答えてほしい」
「はぁ。オレの質問に嘘偽りなく答えたら、考えてやろう」
口約束だ。
後でいくらでも反故にできる。
しかし、それでも男はこの場で頷いた。
「2つ目。
この"念動・強制停止"、解けたら、解いてほしい」
男のいう『わりと面白い状態』で、僕はそんな情けない願いを口にしたのだった。
――
僕らだけでなく大通りのほうのまで強制停止の影響は及んでいたらしく、大変な騒動になりつつあったこともあって、男は先にこの魔術を解除した。
「はぁ。ほんとーに余計な手間を……。
借り受ける――"我が刃は全てを喰らう"」
どこからか取り出した、禍々しい見た目の短剣を無造作に横薙ぎにすると、ただそれだけで魔術は解除された。
周囲に爆発的に散布されていた僕の魔力が、自らその短剣に吸い込まれていくような――まるで、おつまみ感覚で食べられていくようなイメージで、消失した。
「ぎーにゃぁあああーッッ!!?」
「おっぶッ!?」
飛びかかろうとしていた物理的なエネルギーは消えたわけではなかったらしく、魔術が消えた途端に一直線に飛来を再開したアーニャは、その途上にいる僕に思いっきり激突した。
男は僕と目を合わせる位置に移動していたため、アーニャの飛びかかり位置とは大幅にズレていたし、魔術が解除された瞬間にアーニャがナイフを無関係な場所に放り投げたおかげで大事には至らなかった。
が、その代償として僕は顔面で彼女の胸部を受け止めることになったし、そのままもつれあって工房の壁に叩きつけられた時には、何がどうなったのかわからないが彼女の色の濃いむっちりとした太ももに、僕の首はがっちりとホールドされていた。
アーニャの"肉体強化"はまだ継続中で、普段だったら柔らかくふよふよと揺れ動いて男たちの目を釘付けにする各部位も、相応に硬い。僕のダメージはわりと大きかった。
「や……め、シャロ」
アーニャと絡みあいながら壁に叩きつけられた僕と、赤い男を隔てるように、シャロンが手を広げて立ちはだかる。
「はぁ。
勝手にラブコメするのは好きにしてくれたらいいが、オレは義理は果たしたぞ。
次はお前の番だ、少年」
シャロンはこちらを振り向かない。
一瞬でも目を逸らすものかと、男を睨め付けているのだろう。
僕は、くるくると目を回すアーニャをなんとか引き剥がすと、よろよろと立ち上がる。
アーシャがすかさず僕らのほうに駆け寄ってくるが、僕はいいと手で制し、アーニャの様子を見てもらう。
あの男がシャロンに対して躊躇わず力を振るうのは、"全知"の予測で識り得ている。
あのまま対峙させるわけにはいかなかった。
「"全知"の、この眼鏡は。
僕の恩人に、借りたものだ」
「借りた、と。
君か、もしくは君の祖先は墓荒らしを生業としているのか?
ものを持ち去るときには借りたと言うのか? 君たちは」
座ったままの男から発せられる言葉に、少しの苛立ちが感じられる。
それだけで、灼けた鉄を目の前に近づけたときのような、ちりちりとした痛みが、僕の肌を焼く。
でも、僕は目を逸らさなかった。
僕の前で立ちはだかるシャロンが目を背けていないのだ。僕だけ、ヘタれているわけにはいかない。
シャロンの横に並び立つと、その手を取る。
僕の腕輪とシャロンの腕輪がぶつかって、その金はカチャリと小さな音を立てた。
工房の壁に備え付けてある魔力灯の薄い明かりが、その金を鈍く光らせる。
「借りたってのは、文字通りだ。
相手の名前はフリージア = ラインゴット。
僕はこの眼鏡を、彼女から直接借り受けた」
男の表情に、変化はない。
苛立ちや怒気は圧力に姿を変えて僕らに叩きつけられるだけで、そいつ自身の表情は、いままでほとんど変わっていない。
「そうか」
はぁ。男は、何度目かのため息をつく。
「詳しく、聞こう」
男はその両の足――片方は木の棒だが――を投げ出し、若干だけ目を逸らすと、面倒くさそうに呟くのだった。
最後に男が目を逸らしてたのは、オスカーくんたちに気圧されたとか、面倒臭さの現れとかではなくて、オスカーくんたちの背後を気にしてのことです。
目を回してしまったアーニャに、アーシャが口移しで回復薬茶を飲ませていたのを見続けるのがちょっといたたまれなかったようです。