第一話
すべてを包み隠す深い闇に抱かれ、誰もがその眠りを享受する深夜。
そんな時間に国の中枢を司るひとりの壮年が、城の外れに隠れ立つ小さな塔を訪れた。
近づけば、形ばかりの見張りが入り口の前に寝こけているのを横目に移すだけでやり過ごし、音を立てないように粗末な木の扉を開いて中に入る。
慎重に扉を閉め切れば、月の光すら遮る漆黒に目を細め、手のひらに小さく淡い光を生み出せば、怯えたように身を引いた闇の隙間を柔らかな白が範囲を広げた。
こつん、冷たい石造りの壁と階段を確かめるようにゆっくりとした歩調で登りつめる。
思ったよりも短い距離の先、ひと一人立てる程度の空間で、似つかわしくない頑丈な鉄の扉が大きな口を開け、壮年を待ち構えていた。
「………シュトラビオンセ」
壮年のしわがれて尚力強い声が、そのときばかりはどこか苦しげに闇の空間へ広がる。
同時に、壮年の手元を照らす光と同程度の灯火が、灯りの元になった白い蝋燭と瀟洒な造りの燭台、それを持つ白い繊細な手や淡いドレスや、それを身にまとう女性の半身を浮き上がらせた。
燭台を持った右側しか窺えないが、その優しい光を持つ栗色の瞳や柔らかくうねった同じ色の髪、化粧はしていなくも穏やかで高貴な雰囲気を持つ女性であることが知れる。
桜色のふっくらとした唇がやわらかな弧を描き、大きな瞳が嬉しそうに瞬いた。
「お久しぶりです、シェルディオ様」
「そのような他人行儀な名前で呼ぶでない。昔のように呼んでおくれ、シュラ」
「……はい、シルおじ様」
嬉しそうにかけられた懐かしい響きに、皺だらけの顔がくしゃりと笑み崩れた。
老人の名はシェルディオ=ガハム。長年国王の宰相として、懐刀として数十年勤めてきた国のナンバーツーであり、明るく人懐こい国王とは真逆に冷徹なまでの政治手腕でこの国を支え続けた人物である。
彼の怒りには国王ですら首をすくめてやり過ごす、という笑いにならない笑い話もあるほどだ。
機嫌を損ねたら国に居られないだろうその壮年に対して、朗らかに椅子を勧める女性の名は、シュトラビオンセ=ダース。旧姓、シュトラビオンセ=ザナンディル。
元はシェルディオの親戚筋から後宮に入った愛妾のひとりだったが、その聡明さと機転の良さから国王の覚えもめでたく、第五王子のシオンを出産するほど寵愛されていた。
しかし、シオンが齢15を数えるほどになると、彼女は徐々に態度を変えていき、ついには王太子を亡き者にして我が子を王位に継がせようと企む。
幸い、息子であるシオン自身の密告によって、第一王子の殺害は未遂で終わったが、国の跡取りに手を掛けようとした罪は重かった。
この事態を重く見た国王はシュトラビオンセを北の塔に幽閉し、同時に後宮内にも手を入れて長年住み着いていた人の形をした虫や膿をすべて断罪。
またそれに取り付かれていた愛妾やその侍女なども故郷へ返すか、半ば幽閉のような形で閉じ込め、国王の血を引く子供たちは母のもとからすべて引き離された。
当然、シュトラビオンセの子供であるシオンもまた、実の母から引き離されたが、本人は気にした様子はないとのことである。
無論、親戚であるシェルディオにも責はあるのではないかという声はあったが、彼自身の功績を鑑みて減給程度にとどまった。