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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
一 その少女、猫の如し。
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彼女の秘密を探る人。

 人間誰しも、他人に知られたくないことの一つや二つはあるものである。


 例えば脇谷篤郎ならば、最近密かに腰を痛めてしまって病院に行ったとか。心配される、もとより年寄り扱いされたくなくて黙っているとか。

 例えば名和優介ならば、その冷徹メガネは実は伊達だとか。


 彰考会剣士見習い、児島こじま唯子ゆいこの場合……それは「気になる人」である。


 何故それが知られては不味いことかというと、想いを寄せる相手が自分に比べてとんでもなくレベルの高い人であるためだ。万が一知れて相手に迷惑がかかろうものなら、死んでも死にきれない気持ちに襲われるだろうことは火を見るよりも明らかなのである。


(なのに、どうしよう……! こんな事をして、もし、もし嫌われたりしたら……で、でもでもでも、やっぱりぜったい、気になるんだもの……!!!)


 唯子はドキドキする心臓を抑え、ゆっくりと曲がり角、灰色の建物の影から顔を出す。

 彼女の熱い視線の先にあったのは。

 脇谷篤郎と名和優介との会話の途中で執筆室をいつの間にか音もなく立ち去っていた、かの少女。望月史奈の姿だった。




* * * * *





 唯子の言う「気になる」の好きは、あくまでも『like』であって『love』ではない。と、本人は誰かに尋ねられるたびにその都度一生懸命説明しているのだが、生年月日はもとより好きな食べ物嫌いな食べ物、最近見た映画から最近購入した本、身長体重に至るまで熟知しているとなれば、史奈本人でなくともドン引きするだろう。

 今までは大声で彼女が好きだと喧伝していたのだが、ある日必死で止めた友人の有難い勧告に従い、彼女はその「好き」を心に秘めているのである。


 唯子が彼女に憧れたのは、史奈が研修期間の頃の事に遡る。


 研修員という身分の仕事は、下働きに相当するものがほとんどである。掃除その他の雑用の他、隊員の昼食賄い、備品の発注管理他。忙しければ発送業務の手伝いに駆り出されたり、箱詰めや部数を数えるのに呼び出されたり。剣士見習いとなるとそこに販売の基本や実演練習が加わる。そこそこハードな毎日だ。


 史奈はその頃から異彩を放っており、何をやらせてもソツなくこなす優等生だった。猫属性の癖に意外と面倒見が良い彼女。その彼女よりも少し後に研修員として採用された唯子は、自分よりも数段要領よく仕事をこなしまた何かと丁寧に教えてくれる史奈に過分な価値を置いていた。

 共に過ごした時間は決して長くは無かったが、唯子はすっかり懐くと同時に、彼女を高嶺の花子さんとばかりに崇めていたのである。


 さて、もとよりストーカー気質のある彼女といえども、流石に本物のストーカーになった事は未だかつて無かった。だがしかし、ついに今日、その禁忌へと手を伸ばしてしまったのだった。


(私は妙な噂の真偽を確認するだけだもの。そうよ。友達にも確認してくるって約束してきちゃったし)

 

 などと心で言い訳をしてみたが、残る罪悪感は軽減されることもなく。

 話しかけるタイミングもないまま、こうしてかれこれ十分は史奈の尾行を続けている。



 前を歩く史奈は、隊服の上からベージュのマントを羽織る例の出で立ちで人の多くない路地を歩いていた。閑散とした道を追うときは、近づき過ぎればすぐにバレてしまう。唯子は自分の視力の良さに心底感謝した。友人から「鷹の目」と称されたこともある自分の目。多少距離が離れたくらいで、史奈の姿を見失うことは無かったからだ。

 築何十年になるのだろう、路地裏には背の低いビルがゴロゴロと転がっている。それなりに外見は薄汚れているが、誰かが掃除でもしているのか、ゴミのあまり目立たない道だった。

 建物の影の路地裏は、程よく日陰になっていてほんの少しだけ涼しかった。


 チラシの投函制限のない雑居ビルが立ち並ぶ。小規模の会社がひしめき合っているこういった場所へのポスティングは、意外と効果的であると習ったことを唯子は思い出す。

 時代はインターネットに移り変わったが、割とチラシを見ている人もいるということは何よりデータが証明している。ポスティングチラシをきっかけとして彰考会の活動へ理解を示し、定期便を取ってくれるようになった人々も少なくない。


 いくつかビルを回ったところで、史奈が一瞬だけ足を止めた。


 放ったらかしにされているようで、地味に手入れされている植木鉢の前だった。木なのかそうでないものなのか、とにかく背の低い枝に小さなピンクの花をいくつかつけている。


 何もせずにそのまま歩き出したが、しばらくして追いついた唯子も思わずそこで足を止めてしまった。

 

 根元に刺さっている小さな木の板。土で薄汚れたそれに、サインペンでこう書かれていたのだ。


『実がなったら、食べにおいで』


 滅多に見なくなった手書きの日本語だった。達筆で優しい文字だった。子供たち宛て? それとも小鳥宛て? どんな実がなるのか検討もつかなかったが、何となく嬉しくなって、名前も知らないその花をそっとなでた。




 しばらく道なりに進んでいく。マントの中に持っていたチラシが切れたのか、前を行く史奈は途中からビルに立ち寄らず真っ直ぐ歩くようになった。心なしか歩調も早くなった気がする。唯子はつかず離れずの距離を保って歩いていく。全く気づかれてはいないようだった。


(このまま行くと……公園?)


 彼女の行き先には皆目検討がつかない。だが唯子の記憶によれば、この先には大きな規模の公園が近くにあったはずだった。


 緑豊かなそこは散歩やジョギングコースとして有名で、小さいながら池もあり、休息するにはもってこいの場所だ。老若男女問わずに集う、町の憩いスポットのような場所である。

 果たしてその予測通り、史奈は姿を現した公園へ吸い込まれるように入っていき、入口にほど近い洒落たコーヒースタンドの前でつ、と立ち止まった。


 木漏れ日が白い壁面に豊かな模様を描き出している。ちょうどお茶の時間帯である為か、店内も店外のベンチもそこそこ賑わっていた。大人の休日、とも言うべきか、優雅な空気が漂っている。

 この店は合理化の進む世の中でありながら、一人づつ丁寧にドリップしてくれるというサービスで人気を博したコーヒー店である。単価が割と高めなので唯子もしょっちゅうは利用しないが、以前友人達と立ち寄ったことがあった。

 店内のメニューにコーヒーとワッフルしか置かないというこだわりっぷりで、店内の雰囲気も洗練されている。


 注文するコーナーには入らずに、じっと看板を眺めている彼女。一際目立つ格好の史奈は遠目から見ても相当な違和感を醸し出していた。一般人が何となく遠巻きにしているのが見て取れる。邪魔だよ……と近くまで行って突っ込みたくなったがそこは我慢、辛抱強く彼女を見守る。


 たっぷり三分は悩んだかと思われる頃、ようやく入るのかと思いきやなんと彼女はそのまま踵を返した。


「え!?」


 唯子は焦る。史奈が余りに気づかない上、看板の前からまるで動かないので完全に油断していたのだった。

 

 史奈がふっと、顔を上げた。

 捉えられた。



「……あ」




 唯子は冷水を浴びせられたように固まった。頭が急速に冷えた。手足まで感覚がなくなっていく。

 私は、何を、何をしているんだろう。ここで、こんな所で、一体、何を。


 史奈はゆっくりと瞬きを繰り返した。それが唯子には、何十分にも、何時間にも感じられた。


 やがて。

 史奈が、へらっ、と力のない笑い方をした。次に手を振る。誰に。ああ、私か。

 催眠術でもかけられたかのように唯子の足は歩き出した。ふらふら、ふらふらと、彼女の方へ。





* * * * *





「Can I have one coffee and one latte?」



 ブラックコーヒーとカフェラテを注文すると、出身はヨーロッパ圏だろう白い肌に青い瞳の若い青年がにこやかに奥へ引っ込んだ。



(どうしてこうなったのかしら?)



 自問するが答えはない。

 やたらにこにこ顔の史奈が足をぶらぶらさせている対岸のベンチを見やり、児島唯子はひとり首をかしげる。

 ついさっき、コーヒーショップの看板を見つめていた彼女に見つかって、めちゃくちゃ慌てていたはずだ。それなのに、気がついたら史奈からお金を渡されてコーヒーを買う列にいた。


(催眠術? 超能力……? そんなはずは、でも……)


 やっぱり、あの噂は本当なのだろうか。


 昨日友人達が、興味津々に話していたことを思い出す。その場では否定した唯子も、情報ソースがソースなだけに気になってしまい、今日という貴重な休日を使って徹底調査することに決めたのである。

 史奈が一人きりになるタイミングを彰考会の外で待ち、出てきた彼女を追ってまで。


 コーヒーを待つ間、唯子は仕入れた噂話と史奈への質問事項を頭の中で整理した。鼻をくすぐる香りと心地いい音楽に思わず思考を放棄して癒されたくなり、その都度気を引き締め無ければならなかった。カウンターでものを受け取った彼女は、意を決してベンチで待つ彼女の元へと向かった。

 

「いやー、悪かったね、ゆいこちゃん」


 心臓がはねる。「いえいえ」と答えながら、顔が火照るのを止められない。

 憧れの人からお礼を言われて嬉しくない人間などいない。実際はご馳走になっているのは唯子の方なのだが。


「も、望月さん、お金ないのかと……」

「ん? なんで?」


 聞き返されて、しまったと思ったがもう遅かった。あたふたと言い訳を探していると「あ、看板ガン見してたの見られてたかー」と史奈が苦笑いした。


「声かけてくれれば良かったのに」

「す、すみません」

「いやいや、いいけどさ。偶然もあるもんだね、休みのゆいこちゃんにこんな所で会うなんて」


 偶然と信じて疑わない彼女には、口が裂けても「尾行してました」と言えない状況になってしまった。もちろん言うつもりはなかったが、それはそれで心苦しい。



「いつも気になってはいたんだけどね」

「買ったこと、無かったんですか?」

「まあ。結構な贅沢品だしさ、一人だとどうしても『いっかなー』って思っちゃうじゃん? ゆいこちゃんがいてくれて助かったよ」


 それならばいいのだが。役に立てたのであればストーカーの甲斐があった、と満足しかけて、本来の目的を思い出す。

 無邪気な、まるで子供のようなの笑顔でコーヒーを飲む幸せそうな彼女を見ていると、強固な意思も揺らぎそうになるが。


「あ、あの、望月さん」

「ん?」

「ひとつ……伺ってもよろしいでしょうか」


 なんだろ、と首をかしげる史奈。

 心が折れそうになる。だがここまで来て、挫けるわけには行かない。

 唯子は目をぎゅっとつぶり……昨日からずっと胸にあたためている、その質問を叩きつけた。


「望月さんに尻尾があるって、本当ですか…………?!」


 史奈が盛大にコーヒーを噴き出した。

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