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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
一 その少女、猫の如し。
3/23

彼女は無言で是を唱え。

 俊哉が会議室で吠えた、その数分後の事である。



「おや、珍しいなあ」


 ガラリ、と重い音とともに入ってきた史奈を見て、一人の男性が頬を緩めた。

 執筆室、と銘打たれたそこにやって来る来訪者といえば、帰社の挨拶をしに来る剣士か、鬼気迫る表情の編集部くらいなものである。したがって販売会議後という妙な時間帯に、史奈がその戸を開けて入ってきたことは極めて稀であり……だが彼女の神出鬼没な猫属性を考えれば、ありえない話でもないか、と彼は考えた。


「脇谷先生、どーも」

「どうしたんだい? 望月さん」


 穏やかな顔で、関西弁訛りの残る壮年の男性、脇谷篤郎は問う。史奈はもう一度会釈をしてから顔をしかめた。


「新田先輩に質問したら、答えがめっちゃ長引きそうだったんで逃避してきたんです」

「ああ、スイッチ入ると長いもんなあ、あいつは」


 史奈が難しい顔をしている横で、篤郎がからりと笑う。

 執筆室の中は普段、十五名くらいが机を並べてカタカタとパソコンを打ち鳴らしているはずなのだが、部屋には彼以外誰もいなかった。ぽつりと篤郎だけか座る執筆室というのも、なかなか寂しいものがある。


 物珍しそうに史奈が執筆室を見渡した。


「誰かお探しで?」

「いえ……こんなに人が少ないの、珍しいなあと思いまして」

「ああ、ちょうど今みんないなくてなあ。一人だとさすがに、寂しいもんよ」


 それぞれ諸用や休憩、編集部からの呼び出しがあったりなどで、揃いも揃って外出中である。先ほどまでの販売会議に引き続き、幹部と呼ばれる重役たちは別室で打ち合わせ中だ。


 篤郎も彼女に倣って周囲の机を見渡した。

 雑多な机、整頓されている机。個人エリアはどう頑張っても個性が出てしまうものなのだろう。自分の場所はそれなりに綺麗か、と思いながら、さっきまで見ていた資料がばさりと投げ出されていることに気がついてさり気なく整えてみたりした。


「新田の長弁論聞かされるって、一体何を質問したん」


 穏やかな笑みを湛えたまま、篤郎が尋ねる。史奈はしかめっ面のまま答えた。


「んーと、新田先輩がここにいる理由、とか」

「そらまた面倒なこと聞いたなあ」

「突然気になっちゃったんです。ああいうのを魔がさすって言うんでしょうかねえ」

「ちょっと違う気もするけどな?」

「とにかくホコリがなんちゃらとか、タマシイがなんちゃらとか言ってました。よく分からなかったのでドロンしてきました」


 篤郎は思わず声を出して笑った。

 新田俊哉、流石はカタブツ、熱血などと言われるだけのことはある。篤郎も過去に何度か、彼の熱弁論には付き合わされたことがあった。どうやって切り上げたかは覚えていないが、とにかく長かったことだけは記憶に残っている。


「脇谷先生は……なんですか。ここにいる理由」

「私ですか」


 ううん、と腕を組んで考えた。ちらりとパソコンの方を見て保存ボタンを押してから、史奈の方へきちんと向き直る。篤郎はしばらく彼女との雑談を決め込むことにした。


「せやなあ……新田くんほど高尚な理由はないで?」

「じゃあ、なんで?」

「ただ好きなことを好きなように書ける場所が欲しかった。それだけや」


 篤郎は目を細めた。それはどこか痛みを孕んだ、切ない表情だった。



「私は、とある出版社の専属契約作家をしとってな」

「へえ……知りませんでした」

「それなりに有名、まではいかんけど、年に数冊出す時もあったし、日本語作家としてはそれなりに書かせてもらった方とちゃうかな」


 若かりし頃の代表作をいくつか上げると「あ、それなら読んだことがあります」と目を輝かせて返事が返ってきた。作者名まで覚えてもらっていなかったことは少々残念だが、それは仕方が無いだろう。


「ところがある日、ぱったりと書籍の依頼が来なくなったんや。持ち込んだ原稿にはいくつもゴーサインが出とるのに、装丁や他の相談事に全く発展しないんよ」

「まさか……」


 わかりやすく青ざめた史奈に、篤郎は無言で首を縦にふる。


「そのまさか、やな」


 次第に疲弊していく担当者。見かねて篤郎が問いただすと、数ヵ月後に日本語部門は閉鎖し、洋書専門の取り扱いになることが決まったという。

 


 その時の、絶望ときたら。



「あれは痛かったなあ。痛いというよりは、屈辱や」


 自分の紡ぐ物語は面白くないと、だから売れないのだと烙印を押された気分だった。有志作家と反対運動に乗り出したが、社の決定は覆らなかった。

 会社そのものの運営が瀬戸際まで来ていた、というのもあったのだろう。金のかかる契約作家を養えるほどの体力が残っていなかったことは、想像に難くない。


「英語で書くなら取り扱ってやるとも言われたんや。けどなあ……」



 家族もいる。生活もかかっている。英語で書いたことは無かったが、語彙の引き出しにはそこそこ自信があった。

 試しに一冊の書き出しを、英語に直してみた。だが五ページ分も進まないうちに、筆がぱたりと止まってしまった。

 英語が嫌いな訳ではない。比べて日本語を持ち上げようという気もない。

 しかし、何かが違うのだ。


 どの言語で翻訳したとしても、中身が面白いものは面白いだろう、それなりに人気も出るだろう。だがしかし、篤郎が書きたいのはそれでは無かった。表現の細部までこだわり抜いて選ぶ言葉だからこそ、作り出せる独特の切れ味と、色だった。

 英語でそこまでの表現と味わいを出すことは、篤郎には出来なかったのだ。


「日本語で物を書いてきた、物書きの矜持というか。あーでも、言い換えたらそれもまた誇りかなあ? それを捨てきれんまま、今も足掻いてる感じかなあ?」



 史奈はふうん、と曖昧に頷いた。それ以上の深く突っ込んだ質問はする気がないようだった。いくら彰考会の剣士と言えども、この感覚は物書きにしか理解出来ないのかも知れない。篤郎もそう思ったので、それ以上深く語りはしなかった。


 あの時の気持ちは、今も自分の胸の中に燻っている。

 決して色褪せることは無い。自分の言葉で、自分の作風で想いを届けたい。その気持ちが無くなったとすれば、それは自分が物書きとしての人生に筆を置く時になるだろう。



「ところで……今号も『弾丸』は神回でしたねえ」


 話題を変えたのは史奈の方だった。

 追求されなかったのが残念なようなほっとしたような、複雑な気持ちにとらわれた。


「おお、まあそう言ってもらえるのは嬉しいわ」

「主人公のヘタレ具合が素敵でもう」

「……それ褒めてます?」

「褒めてる褒めてる。あそこで葛藤がなかったらタダの主人公最強小説ですからね」

「まあ、今回はわりと重めやったけどな。楽しんでもらえてなにより」


 『弾丸』は、現在篤郎があさの葉に連載中の小説『蒼の弾丸』の略称である。刀が西洋式の銃へと移りゆく時代。激動の世の中を駆け抜ける二人の青年の青春物語だ。篤郎はもともとファンタジー畑出身の作家である。今作では時代小説的要素を取り込みながら、背景を損なわないよう細心の注意を払って書いている。


「主人公の葛藤があれで重いんだとしたら、吉田先生の『死人にクチナシ』とか連載できませんよ。重たすぎて」

「ま、それもそうやな」

 

 吉田は脇谷の同期作家である。彼の得意分野は主に刑事物やホラーだ。


「とにかく、いつもそうですが脇谷先生の戦闘シーン。あの圧倒的な描写には胸が踊りますね」

「そら素直に嬉しいわ」

「前回に続いてドキドキのいい回だったからなー。今月は何位までいきますかねー?」

「……それは本人に言わんお約束やろ」


 たわいもないように見える会話を続けていると、不意にピコン、と史奈の付けているブレスレットから電子音が鳴った。同時に篤郎のパソコンにもメールが届く。


「お? 噂をすれば先月の」

「うわあ、来たなあ」


 史奈が嬉々とした様子で簡易連絡端末になっている左手のブレスレットから画面を浮き上がらせた。篤郎も飛び出さんばかりに高鳴る心臓を抑えながらパソコンに表示された新規メールを立ちあげる。

 篤郎は目を閉じて深呼吸をした。ゆっくり吐いてから画面を映す。

 

 年甲斐もないな。

 そうは思うものの、それでも毎月この瞬間の緊張感だけは慣れない。

 

「ああ――……」


 どちらともなく、落胆と羨望の入り混じるため息が漏れた。


 画面には数字と名前、タイトルが羅列されている。

 配信されてきたのは、先月までの更新においての人気投票……彰考会内でトップファイブが毎月発表される結果メールである。


「うわ、今回けっこう面白い番付になりましたね」

「まぁた一位隊長やわ。何連続?」


 少々の悔しさがありながら、仕方ないとの想いも交差する。

 『弾丸』のストーリーも終盤に差し掛かり、そろそろ一位を取ってもいいような盛り上がり時ではあるのだが。なかなか一位には手が届かない。


「五ヶ月でしたかねえ、確か……ふんふん、やっぱり隊長の王道は人気かな。強いですねえ」

「お、でも吉田くんも順位上げとるで。五位入賞か」

「わお、コアなファンがいるんですね……それで脇谷先生が三位か、一位から五位の点差はほとんどありませんね」


 脇谷は緊張の唾を飲み込んだ。

 なんとか脱落していなかったことだけが救いである。


「名和先生のも面白かったですよね、ランクインはしてないけど。なんだっけ、あのー」

「新連載、『RPG』やろ」

「あそうそう、『ロリータプリンセスゲットだぜ』」

「いや、なんか中身を上手く言い表したドヤアみたいな顔しとるけどそうでもないからな。バレて怒られても知らんからな?」

「あれ、違いましたっけ」


 きょとん、と目をぱちぱちさせる史奈。わざとであることを願いたい。

 自分のタイトルの略称にもとんでもない命名をされて販売された暁には、死んでも死にきれない、と篤郎は密かに戦慄した。


「だって間違ってないじゃないですか。RPGゲームの中に入った主人公が、年下のプリンセス救う的な話ですよね、あれ」

「いや……まあちょっとだけ。ちょおっとだけは、言い得て妙やなと思ってしまった事は認めよう」

「でしょでしょー」


 なぜかけらけらと楽しそうな史奈を見ていて、篤郎もちょっとだけ調子に乗ってみたくなった。


「まあ確かに、あの冷徹メガネがロリータ姫を誘拐する話を書いてるという事実は、俺たちには結構くるもんがあるけども」


 笑いをとろうと、大げさに肩を竦めてみせる。と、そこへすっ、と重さがかかった。


 手のぬくもりだった。


「誰が、冷徹メガネですって?」


 ひうっ、と似合わぬ声が篤郎の口から漏れる。それを愉快そうに眺める犯人が「御本人」であるのはお約束である。


「な、名和先生……これはこれは」

「どうも。楽しそうなお話をお邪魔して申し訳ありません。さ、どうぞ。続けてください」


 篤郎の肩に手を置いたまま、名和優介は完璧な口角で微笑む。ぎこちなく篤郎が史奈の方を見ると、彼女は顔を背けてぷくく、……と笑いを堪えていた。


「いえ、大丈夫です、丁度雑談の切りも良かったですし、そろそろ職務に戻ろうと。な? 望月さん?」

「んー? あたしは脇谷先生の仰る冷徹メガネさんという方が、果たしてどなたのことなのか、詳しく聞きたいと思っていたところですー」

「酷すぎる裏切りが来た」


 それはいくらなんでもないだろう。事の発端を作っておきながら。


「いえ、違うんですよ名和先生。これはですね」

「あ、望月さんここにいらしたんですね。ちょうど良かったです。聞こうと思っていた件があって」

「はい? なんでしょう」


 抗議の声を上げかけた篤郎を尻目に、優介と彼女の方で別の会話が展開され始めた。


「例の電子書籍の件はどうでしたか」

「ああー、そこに関しては抜け穴はありませんでしたね。意外としっかりしてたというか、想定内ではありますが」

「そうですか。図書館営業の方はどうです?」

「あ、そっちはまかしといてください。いい感じですよん」

「それはよかった。引き続きお願い致します」

「りょーかいです」


「え、ちょっと、置いてくなって」


 完全に蚊帳の外へ置かれた篤郎が割り込む。優介が「あれ、脇谷先生は職務に戻られたのでは?」などとしらを切ってのたまうので、篤郎はパシッと自分の肩にかかっていた彼の手を振り払った。

 

「二人仲良く何の話や。電子書籍化でも決まったんか?」

「いえ、電子書籍が書籍制限法の範囲内に収まっているかを彼女に確認してもらっただけです」

「ダメやろうな。抜け穴があったらとっくにうちがやってるやろ」

「あたしもそう言ったんですけど、名和先生がうるさいので」


 眉を下げて史奈が言った。

 そんな事を頼まれるような間柄なのか。僅かに疑問が胸を掠めるが、史奈の面接を担当したのも配属を決めたのも優介だった事を思い出し、無理に納得する。

 何か理由でもあるのだろう、適材適所の人事にかけては、彼の右に出るものはいない。


「じゃあ、図書館営業とは?」

「そろそろ次の手を打とうと思っただけですよ」


 今度は名和が答えた。


「『あさの葉』も結構な号数になってきたでしょう? だから、それぞれを単行本に纏めたいんです本当は。連載中のものはともかく、完結作品は特に」


 そう言えば、と思い出す。「あさの葉」を刊行し始めて約一年。人によっては書籍一冊分の文量を既に超えている。

 毎月買うのは渋っている人でも、単体の話に興味がある人は少なからずいるはずだ。それはネット世論で既に調査済みである。

 また流通の基本がゲリラ販売であるため、発送してもらってまで手に入れようという地方勢の読者は多くない。

 だが法案は、自費出版を含む全ての日本語書籍の年間刊行数を制限している。電子書籍の方も同様だ。

 そこで、ここからが『参謀』名和優介の仕事である。


「要は、売らなきゃいいんです」

「というと?」

「非売品ですよ」


 絶対の自信のある声で、彼が言った。


「非売品……寄贈か」

「そうです。寄贈用に作ります。それを図書館に持ち込んで、大々的に宣伝して貸出してもらう」


 制限法すれすれ、むしろアウトに近い奇策ではあるが、書籍制限法の中では『売らなければ』書籍として扱われることは無い。

 幸い、図書を公平に扱うことを規定としている図書館では、洋書の氾濫によって日本語書籍が追い出されるような事態にはまだ至っていない。どころか、貴重な資料として重宝してもらえる可能性がある。

 先に上げた『興味はあるが買うまで至っていない層』の人々が寄贈本を読むことによって購買意欲を持ってくれれば、行政は世の中の『声』を段々無視出来ない方へ傾いていく。


「成程。流石、目のつけ所が参謀ですな」

「とんでもない。彼女の発案が元ですから」


 篤郎の目が再度驚きに彩られた。


「望月さんが?」

「ええ。図書館を指定したのは私ですが、発想の着眼点は彼女です」


 売れないなら、売らなければ良い。

 資料として目に止まるところに置いてくれそうな所は無いものか。

 そう言ったのだという。


 思わず本人に確認を取ろうとして、篤郎は既に彼女がそこへいないという事態にようやく気がついた。


「あ、れ?」

 

 無人の場所から返答はない。


「彼女は猫ですから、ね。いやむしろ、犬である可能性も否めませんが」


 優介はまるで全てを見透かすかのようにそう呟いた。篤郎は妙に棘のあるその言い方に引っ掛かりを覚えたが、彼がすぐに「さて」と話を変えたので聞きそびれてしまった。


「脇谷先生。これはまだ構想段階の話です。くれぐれも他言無用でお願い致します」

「え? ああ……」

「寄贈本を作ろうにも、資金が無くてはどうにもなりませんからね」

「そら、そうやな」

「ということで、覚悟しておいて下さい。ロリータ姫が誘拐される話があなたの作品を追い抜く様を」

「だからそれは、私が言いだしっぺでは無いんですが……!?」



 篤郎はがっくりと項垂れた。

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