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筆を執れ!  作者: 楠木千歳
三 その少女、己を知る。
15/23

慟哭

"I do not believe I would ever be forgiven. I myself would not do so either. Even so, I wanted to be worth of something."



* * * * *





 また世界の色が混濁した。形を成さない風景とたゆたう意識の中で、ぼんやりとした思考が次第に一つの糸となる。


 つまり、私は。

 記憶を書き換えられ、別の誰かの物語を代わりに英語で書かされていた。

 それを、出版していたというのか。

 ただただ、出版社の金儲けのためだけに。 自分の努力など何一つ無く、盗作ばかりのニセモノ作家として。世に出なかったプロ作家の日本語原稿を英語にして、送り出すための実験台だった。

 

 その事実にぶち当たり、史奈は愕然とした。


(彼らの、したことは……)






 景色が、また変わった。


 場所は同じ『先生』の部屋である。だがそこに史奈の姿はない。

 相も変わらず白い顔の彼が、パソコンに向かって一定の速度でキーボードを叩いている。その向かいに立つのは例の『部長』だ。

彼はなにかの資料を突きつけていた。


『これが今期決済前の、作家別実績データです』

『そうですか』


 『先生』が手を止めることは無い。彼が資料を見ているかどうかは顔無しのために判別がつかないが、あまり関心がない事は伺える。


『他人の分を削ってまで彼女……「ルナ・ストリア」の発刊数枠を増やしたにも関わらず、実験を開始してからの三年間で彼女の本が取った売上は最低ランクです』

『そのようですね』


 その一言を聞いた部長が、思い切り資料の束を机へ叩きつけた。一向に興味を示さない顔無しに苛立ったのだろう。

 ようやく、滑らかな動きを見せていた顔無しの指が止まった。


『もう、お分かりですよね?』

『何がでしょう』

『先の会議で、実験打ち切りが決定しました』


 束の間、静寂が二人の間に横たわった。


『自在な翻訳機能、英語においての流麗な文章力と会話能力……成果を見るには時間がかかるという先生の言葉を信じてここまで来ましたが、そろそろ限界です。今まで莫大な費用を人材を投資して研究を重ねてきたこの技術……あなたなら実用化までこぎ着けてくださると信じておりましたが』


 このような結果になり、本当に残念でなりません。


 部長の声色には哀れみや無念さのようなものと共に、見下した響きが含まれていた。彼は続けた。


『しかし。土台があったとはいえこの研究をほぼ一から作り上げ確立したあなたには敬意を評したい。そう我が社の代表はお考えです。ですから失敗責任を追及したり、あなたの研究職を奪うようなことは致しません。変わらず資金の援助と、実験への協力を行いたい』

『口封じ、ということですね。飼い殺しともいいますか』


 辛辣な言葉を返され、部長は少し怯む。


『……またまたあなたは、物騒な言い方をなさる』


 だが否定はしなかった。肯定に充分なりうる反応だった。

 顔無しが深々とため息をつく。吐き出されたものは、諦めか否か。史奈には分からない。


『……それで、ルナの方はどうされるおつもりですか』

『ああ、その事ですね』


 部長の吐き捨てるような言い方に、ぞくり、と悪寒が走る。

 『ルナ』を処分することに、彼らは少しも躊躇いを見せないだろう。所詮は弱味を握った捨て駒である。仮に殺さずとも、生かしておく必要はどこにもない。

 

『先生はどのようにお考えですか?』

『私ですか。私の意見などもともと、聞く気もないでしょうに』

『そんなことは』


 笑って誤魔化す部長が白々しい。早送りでもして結末を知りたいと史奈は強く思った。

 自分の抱く感情の外側で、物語はゆっくりと進行していく。

 先生と呼ばれる顔なしは、淡々と事実を羅列していった。


『ルナが今後もこの会社で働いていく事は、事実上不可能でしょう。似ていると言われようと何をされようと、今までは望月史奈とは別物だとしてあなたたちは隠し通した。無理矢理にでも、なんとか誤魔化して来られました。ですが容姿目の色が戻るとなれば話は別です。さらに実験打ち切りは、現在彼女に装着している機器のすべてを取り外すことを意味します。となると』

『ええと、仰りたい意味が?』

『今まで言語処理を機器に頼り切っていた反動で、脳が麻痺し英語のみならず言語そのものを扱えなくなるかも知れない。実験が始まる前に、そうご説明させていただいたはずですよ』

『あ、はは、なるほど。そういえば聞きましたね』


 部長が苦々しげな声で答えていた。


『彼女は……ええ、もちろん、この会社にはいられないかもしれませんが。逆に、先生はどうお考えです? 彼女がこの先、機器を外しても社会復帰できるかどうか。普通の暮らしを送れるかどうか。むしろ私はそちらを聞いてみたいですね』


 それを聞くのが、会社の上層部から彼に与えられた使命であることは明白だった。若干の焦りが声に滲んでいる。

 見込みが限りなくゼロに近いのならば、機器を外した後記憶操作して放置すればいい。勝手に野垂れ死ぬのを待つ、それだけで構わない。

 だがもし日常生活に復帰出来るのであれば、今のうちに処分するのが賢明というものだ。その判断基準を報告する義務が、彼には課せられている。

 顔無しはつ、と窓の外へその白い顔を向けた。モノトーンの部屋の中に、いつの間にか差し込んでいた夕焼け色だけが鮮やかで目に染みた。秒針の音が床に落ちる。それを拾い上げるかのようにざあ、と突然風が舞って、書類の束を巻き上げた。


『ゼロ、です。あくまで私見的な見込みですが』


 彼が告げたのは、残酷故に美しい数字だった。










* * * * *




 再びぼやけ始めた景色の中で、途切れ途切れの言葉が虚空から降ってくる。



『止めて、お願い。消さないで』

『私の過去を奪わないで』


 それは確かに自分の声だった。

 嗚咽混じりに聞こえる悲痛な音が、心臓を抉るように突き刺さる。


『ケ……ノ……』


 同時に、唸るような声が自分の内側から沸き起こった。それは腹の奥から急速にせり上がってきて喉に蓋をする。堪えきれなくなった史奈は夢の中でそれをごぽり、と吐き出した。

 口から飛び出した何かの塊は瞬く間に景色を黒く塗りつぶした。やがて箱のような空間へと変質し、史奈を中へ閉じ込める。

 彼女はなすすべもなくあっさりと捉えられた。

 どろりとした感覚がうなじを伝う。先ほども聞こえた低い低いうなり声が、史奈の耳へ囁きかけた。


『彼らがした事は、お前のした事だ』

『受け入れて行動したのは、お前だ』


 違う、と言いたかった。だがまたしても、声は出てくれなかった。身をよじればよじるほど、箱は小さく、拘束は強くなっていく。低い声は尚も史奈を責め立てた。


『人として許されざる行為だった』

『跳ね除ければ良かったのだ。家族の誰一人として、そんなお前を喜びはしないのに』

『他人の創造物を我が物にして利益を得ようなど、どうあっても許される事ではなかった』

『所詮は建前だったのだ。父のためと綺麗事を並べながら、諦めきれなかった作家への道に、しがみついていただけなのだ。その隙がお前の価値を地に落とした』

『作品は人の魂だ。魂を食らって生き延びる、お前がしていたのはそういう事だ』

『そんなに自分が大切か』

『醜く惨めな生き物に成り下がったな』

『バケモノ』

『バケモノ』

『醜いバケモノ』



 触手に締め付けられていた皮膚が裂けた。血が滲んだ。

 まるで史奈の心を代弁するかのように。


 痛い。

 痛い。

 胸が痛い。


 本当はそうだったかも知れないと思う自分がいた。我欲に縛られていたのだと指摘したその声に、反論を失った自分がいた。


「ああ、あぁあぁぁあああ……ッッッ!!」


 ついに絶望の叫びが漏れた。彼女の両目から、涙が堰を切って溢れ出した。


『許されたいとは思わない。私自身が許すことも出来ないだろう。それでも私は、自分に価値を見出したかった』

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